No.242 まったりと 利尻山1721m 平成20年(2008年)7月5日〜9日 |
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【歩行時間: 第3日目=約9時間】 → 地理院地図(電子国土Web)の該当ページ ●第1日目(7月5日・曇り): 旅立ち 東京〜札幌 羽田空港18時30分発のJAL便で北海道へ。新千歳空港からは快速エアポートで札幌駅へ出て、ゴムタイヤで走行する地下鉄南北線に乗り換えて中島公園駅で下車する。洞爺湖サミットを間近に控え、空港や駅の構内には制服の警官が目立ち、物々しい感じだった。コンクリートの端正な街並みにそぐわない登山姿の私たちは総勢8名。JTBを通して予約した航空券とセットになっているシティホテルへいそいそと向かい、山旅の第1日目の夜を、まず無難に過ごした。この中島公園駅が「すすきの」の一駅先だったことは行ってみて分かったことだった…、と、まぁ、他意はないが…。 ●第2日目(7月6日・曇り): 宗谷本線に乗る 札幌〜稚内〜利尻島(鴛泊) 札幌8時30分発の「スーパー宗谷1号」に乗り、約5時間の“鉄道の旅”を楽しんで、終着駅の稚内で降りる。そのホームの先頭まで行ってみると「日本最北端の駅」の案内板があったので、さっそく記念写真などを撮り合った。もうすでにいつものとおり、充分にニギニギしくなっている。 稚内港から出ている利尻島行きのフェリーの出船時間までには約2時間の余裕があったので、その時間を利用して近くの稚内公園へタクシーで行ってみた。「南極観測樺太犬訓練記念碑」や「樺太島民慰霊碑(氷雪の門)」を見て回ったり、終戦5日後に自ら命を絶った女性電話交換手9名の霊を慰めるために建立された「九人の乙女の碑」の前でしんみりと手を合わせたりした。辺りにはハマナスの赤い花が咲いていて、その甘い香りが風に漂っていた。
夕方は近くのペシ岬を散歩したり、宿の温泉風呂に浸かったりして過ごした。 ペシ岬の散歩中にちょっと気になったのは、遊歩道の南側(港の見える側)の一角にギンドロ(ヤナギ科ハコヤナギ属)の若木が植樹されていたことだ。カエデに似た葉っぱでその葉裏が純白の、なかなか風情のある樹木だが、外来種だ。何故この樹種を選んだのか、植えた人に是非聞きたいと思った。きっと深い理由があるに違いない。足元には(タカネ?)ナデシコやミヤマキンポウゲ、アカツメクサなどが可憐に何気なく咲いていて、北側の海岸線との境の斜面にはイタドリの群落が続いていた。こちらのイタドリは葉っぱがずいぶんと大きいように見えた。200年前の歴史的事件を垣間見る「会津藩主の墓」にもそっと手を合わせた。 生バフンウニに舌鼓を打った夕餉だったが、明日の利尻山登山に備えて“前祝い”は早々にお開きにした。低い雲がずっと島全体を覆っている。天気が心配だ…。 ペンション・ヘラさんの家: 鴛泊港から歩いても5分足らずのペシ岬展望台の入口に位置する宿泊施設。風呂場からも部屋からも海の見える絶好のロケーションだ。たまたま私達夫婦はこの「ヘラさん」に3連泊することになったが、他のメンバーの一部は近くのもう一つの岬(夕日ヶ丘展望台)の近くの「ホテル・ソレイユ」に宿泊した。何れも一応温泉で、利尻富士温泉から引き湯(加熱・循環)しているようだ。 日帰り温泉施設の「利尻富士温泉」は鴛泊コースの登山口(利尻北麓野営場)へ行く途中にあり、平成10年に利尻島で初めて湧いた天然温泉とのふれこみでオープンしたものらしい。泉質はナトリウム塩化物・炭酸水素塩泉(低張性弱アルカリ性温泉)で、肌がスベスベする黄金色の湯、とのことで、人気のスポットでもあるらしい。加水の影響だと思うが、「ヘラさん」の湯は無色透明で微かにヌメリけのある湯だった。岩風呂風の湯船はほどよい広さで、一晩中いつでも入浴できる、というのが嬉しい。 この「ヘラさん」の真骨頂は、なんと云ってもご主人の“食へのこだわり”だろうと思う。地元の魚貝類や有機農法による自家栽培の野菜類などを食材にした料理は、何れも真心のこもった美味しいものだった。明日からの洞爺湖サミットで、各国の代表たちに提供される予定の食材の中に利尻産のバフンウニがあり、そのために宿泊第1日目だけは当地でも未だ品薄だったらしい。 しかし、「ヘラさん」のご主人はさるルートから本物の新鮮なバフンウニを仕入れてきてくれた、とのことで、初日からずっと生ウニの食べ通しだった。ウニは形が崩れやすく融けやすいので、採れたその日のうちに食するのがいいらしい。東京の自宅近くの寿司屋などでも好きなウニをよく注文したものだが、今回、利尻島の新鮮なウニを食べてからは私のウニに対する感性が変化したように思う。大袈裟なようだが、それほど美味かった。東京で食べていたウニの、私がずっとウニの独特な“香り”だと思っていたのはどうやら生ウニの形を崩さないために使用する明礬(みょうばん)の臭いだったらしい。“本物の”生ウニは臭いがなく、まったりとした旨みだけが口に残る絶品だった。 ヒゲのご主人(ヘラさん)は笑顔のステキな優しい方で、若い女性の従業員2名といっしょに、毎日いつも忙しそうに働いていた。 「ペンション・ヘラさんの家」のHP
●第3日目(7月7日・雨,曇り): 雨の利尻山登山 鴛泊〜利尻山 利尻島の海岸線をわがもの顔に飛び回っているのはカモメ類だ。よく観察してみると大きなカモメ(オオセグロカモメ)とやや小ぶりなカモメ(ウミネコ)がいて、それぞれが住み分けているようだ。…そのカモメの鳴声で目が覚めた。宿のベッドから起き上がると、窓の外は薄っすらと明るくなっていて、海と岬を背景に大きなカモメが飛び交っている。やがて妻の佐知子も起きだしてきて、バタバタと支度する。 約束の午前4時には同宿のメンバーもロビーに揃って、1セット400円で購入した携帯トイレをそれぞれのザックに詰める。それから宿のご主人(ヘラさん)の約5分間の運転で登山口がある利尻北麓野営場(標高約210m)へ着く。他のホテルに分宿したメンバーは既に到着していて、ここで総勢8名が揃った。念入りに準備体操をして、歩き始めたのは午前4時30分頃だった。何気に…、雨がぽつぽつ降っている。 トドマツ、エゾマツ、ダケカンバ、イタヤカエデ、ミズナラ、ホオノキ、フサザクラ、ナナカマド、ハリギリなどの、北海道でおなじみの自然林(針広混交林)をなだらかに登る。林床はチシマザサ(ネマガリダケ)だ。所々にツルアジサイが咲いている。耳を澄ますとシジュウカラ系の小鳥(ハシブトガラ?)や(リシリ?)コマドリやウグイスなど、いろいろな小鳥の囀りが聞こえる。間もなく日本名水百選のひとつでもある「甘露泉」へ着く。早速、滾々と流れる水流を手ですくって飲んでみる。冷たくて美味しい水だった。
6合目の付近で、数輪だったが、日本で唯一の“野生のケシ”と云われているリシリヒナゲシが咲いているのをメンバーの一人が発見して、ここで久しぶりに当パーティーにニギニギしさがよみがえってきた。しかし…、いっこうに雨の止む気配はなく、風も強くなってきた…。6合目展望台は視界数十メートルだった。 6合目から暫らく進むと、私たちを追い越していったツアーなどの数組のパーティーが次々と下山してきて、私たちとすれ違った。話を聞いてみると、雨と風が強くて8合目(長官山)の手前で断念して引き返してきた、という。暗に、あなたたちも早くあきらめたほうがいいですよ、と云っているように聞こえた。ずっと最後尾を歩いていた佐知子から下山後に聞いてわかったことだが、じつはこのとき、私も佐知子も同じことを考えていたようだ。 ・・・同じ道を上って下る往復登山だから、下山時の体力的余裕などを考慮しながら行ける処まで進んで、ダメなようだったらそこから引き返せばいい・・・ ホワイトアウトの長官山の山頂を通過するとき、一等三角点の標石1218.3mを確認する。長官山(ちょうかんざん)とは面白い山名だが、日本山名事典(三省堂)によると、1933年に道庁長官が(ここまで)登ったのが山名の由来、とある。写真などで利尻山を見るとき、その肩の部分が長官山だ。ずっと昔は(多分)名も無いちょっとした出っ張りだったのだろうな、と推測した。 風が矢張り強く、少し寒くなってきた。何時の間にか森林限界をとっくに越えていて、露岩が目立ってきている。植生はハイマツ、ひねたダケカンバ、ミヤマハンノキ、ウラジロナナカマドなどの背の低い高山種だ。なだらかに少し下ると8.5合目の利尻岳山小屋(無人の避難小屋)で、ここで早めの昼食にする。小屋内は薄暗く狭かったが、雨風を凌げるのは何よりも嬉しい。めずらしく大人しく、菓子パンなどを口にほおばっているメンバーたちだったが 「引き返そう」 とは誰も云わない。雨は相変わらずだが、風が弱まってきたようでカミナリも鳴っていない。もうこうなれば気合と根性だ。なんとなれば、この利尻島にはクマもいないしマムシもいない。怖いものなんか何もないのだ! (だといいが…) 道筋に咲いている花が増えてきた。リシリオウギ、ボタンキンバイ、リシリヒナゲシ(少し)、などのこの地の特産種をはじめ、イワギキョウ、ミヤマアキノキリンソウ、エゾツツジ、ミヤマアズマギク、キバナノコマノツメ、チシマフウロ、バイケイソウ、ミヤマシシウド、イブキトラノオ、エゾツガザクラ、ウコンウツギ、ミヤマオダマキ、エゾノハクサンイチゲ、イワヒゲ、イワベンケイなど、景色は霧の中でも飽きることはない。 9合目の指導標に「ここからが正念場…」と書かれてあったが、実際その通りだった。ここから山頂までのワンピッチは、今までのどのワンピッチよりも随分と長く、標高差もあるように感じた。道は益々急になり、火山性の赤っぽい岩礫のザレ場が続く。利尻山は凡そ8000年前までは多様な噴火活動をしていた成層活火山(ランクC)で、現在では寿命を終えた火山の可能性が高いというが、なるほど、この山が火山だということはよく分かる。私たち登山者のオーバーユースによるえぐられた急坂も出てきたりして、気は抜けない。私の古い山靴には雨水が侵入して、もうグショグショだ。しかし弱音は吐かない。そうだ、気合と根性だ! ボタンキンバイの大きな黄花が私たちにエールを送っている。 沓形コースとの分岐を過ぎると、ひと登りで利尻山北峰1719mの岩ゴツの山頂へ着いた。午前11時頃だった。思ったよりも狭い山頂で、中央に祠(利尻山神社奥宮)がデンと鎮座している。雨と風はそれほどでもなかったが、濃い霧は相変わらずで晴れそうにない。「360度の大展望」は真っ白で、近くに見えるはずのローソク岩や最高点のある南峰1721mなどの岩峰も、その影さえ見えない。 …しかし感動だった。山頂に着いた途端、メンバーたちが口々に大きな声で 「百名山達成おめでとう!」 と私達夫婦を祝福してくれた。霧が目に入ったものか、目頭が少し潤んだ。 濡れた身体で長く休んでいると寒くなってくるので、早々に山頂を辞した。あとはもう、来た道の標高差約1500mをひたすら下るのみだ。 本日は洞爺湖サミットが開催された日でもあり、その会議に未来への展望があったかどうかは知る由もないが、私たちの“利尻サミット”に関しては、展望は全く無かったのが返す返すも残念だ。 利尻北麓野営場に下山したのは午後4時半頃。歩き始めてからの行動時間はなんと12時間だ。携帯電話の電波が弱く、なかなか繋がらないので、管理事務所の近くにある公衆電話から宿に連絡した。間もなく分宿しているそれぞれの宿のご主人がワゴン車で迎えに来てくれた。足はガクガクと疲れていたが、メンバーは全員怪我もなく元気だった。 この日、この山頂をアタックしたのは、どうやら私たちのパーティーだけだったらしい。我がパーティーの面々は、それがもう自慢で自慢で、下山してからは一層ニギニギしくなったのは云うまでもない。この日からはずっと、会う人ごとにその自慢話をしていたようだ。 * 利尻山(利尻富士)の山名について、「日本百名山」の著者・深田久弥さんは利尻岳としていますが、実際この山は「山」よりは「岳」と呼んだほうがその山容にふさわしいと思われます。しかし国土地理院の地形図では利尻山となっており、地元の指導標や解説書などにもそう記述されているので、本項では(止むを得ず)その表記に従いました。標高500メートルに満たないなだらかな山が礼文岳で、切り立った岩峰が利尻山、というのは合点がいきませんよね、やっぱり…。 * 現在の一般登山道については、私たちが歩いた鴛泊(おしどまり)からのコースと西側の沓形(くつがた)からのコースがありますが、沓形コースについてはその上部に崩壊による危険箇所があるとのことで上級者向けだと思われます。コースの選択については慎重に選んだほうがいいようです。 * 利尻岳山小屋(避難小屋)は、狭くて水場もありません。環境保護のためにも、島では原則日帰り登山を推奨しています。携帯トイレを持参することやストックにゴムキャップを装着することは、この山のルールです。 * 利尻山の頂上のことですが、本文でもふれましたように利尻山は双耳峰です。最高点は南峰1721mですが、南峰へのルートの崩壊が激しく危険なため、一般には祠がある北峰1719mを山頂としているようです。 ●第4日目(7月8日・曇り): まったりと島内観光 レンタカーで島内一周
イマイチのお天気だったが、時々晴れたりして、姫沼の遊歩道からは山頂部に雲のかかった利尻山を眺めることができた。鬼脇(おにわき)では利尻郷土資料館でじっくりと利尻島のことを勉強したり、食堂で@3,500円のウニ丼を食べたりした。オタトマリ沼は生憎の雨で、散策をあきらめて土産物を買ったり昆布入りのソフトクリームを食べたりした。利尻島南端の仙法志御崎公園では雨が上がったので海際を歩いたりもした。 もうひとつの利尻山の登山コース、西側の沓形コースが気になっていたので、その登山口まで行ってみたけれど、昨日と同じで山間部に入るとガスってきて、見えるはずの利尻山の雄姿はなぁ〜んにも見えなかった。 この島内一周観光で、喜んだけれどがっかりしたことがあった。それは野塚岬の駐車場や道路沿いの手入れされた花壇などに、あのリシリヒナゲシがたくさん咲いていたことだ。じっくりと観察できたのは嬉しいが、昨日の(登山の)苦労の数パーセントが無に帰したような気がした。 道路沿いなどに自然に咲いている花で最も多かったと思えたのは、意外なことにブタナ(タンポポモドキ)やシロツメクサ(クローバー)などの帰化植物だった…が、ペシ岬のギンドロといい、これはけっこう意味深だ。 宿に戻った夕方は、同宿のメンバーとそのペシ岬を散策してみた。暫らくの間は雲のかかった利尻山がよく見えていたけれど、日が落ちる頃になると雲が下がってきて、それからは二度とこの秀峰は姿を現すことはなかった。 ●第5日目(7月9日・曇): 帰路につく 利尻島…稚内…東京 朝食までの時間、宿の裏手の海岸へ出て、ウニ漁の小船がたくさん浮かぶ海を見たり、もう一度ペシ岬を散歩したりした。潮風がとても気持ちよかった。 鴛泊港から午前8時40分発の満員のフェリーに乗る。船内の座席を確保できなかったのでデッキへ出て、カモメに見送られながら船旅を楽しんだ。海が凪いでいたので快適だったが、この日も曇っていて、とうとう利尻山の全容を眺めることはできなかった。 稚内港から稚内空港までの道すがら、大リーガー投手の松坂大輔のおじいさんの家の前を通った。手りゅう弾を63メートルも投げたらしい強肩の持ち主だった松坂のおじいさんは、数年前に既に他界したという。そのことを試合中の松坂投手には伝えなかったが、試合後に祖父の死を聞いた彼はすぐ懐かしのこの地へ駆けつけたそうだ。 とてもいい話で、それを地元のタクシーの運転手さんが誇らしげに語ってくれた。 …と、なにやかやでアッという間に羽田空港行きの機上の人になっていた…。 大正12年(1923年)に行われた北海道三景の投票結果は、定山渓や洞爺湖を押さえて利尻富士(利尻山)が第一位に選ばれたという。それは当時の小樽新聞面上で発表され、「利尻富士は愉快な山・思い切り長く裾を引いた山形は美しい極み」 と評されたそうだ。私達夫婦にとっての利尻山も確かに「愉快な山」であった。東京へ着いて、三々五々愉快な仲間たちと別れるとき、なにかとても淋しく感じた。 * 本項の利尻山の成り立ちや歴史などの記述に関しては利尻島郷土資料館の解説シート(利尻富士町教育委員会作成)を参照しました。
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