第三章 Kia homo li estas?
「昨夜僕はある吟遊詩人を助けましたが、あのアサシンはこちらの所属でしょうか?」
クレイは銀貨の袋を机に置いて、目の前の貧相な男に尋ねた。
翌日、少年はこの街のシーフギルド、『シャーテングランツ』の一室に居た。あのプラーティシュと名乗る胡散臭い男。彼からは厄介事の匂いが――皮鞣し職人の前掛けと同じくらい――強く匂った。事情も分からず下手に巻き込まれるのは御免だし、もしここの手の者なら、クレイは“協定”により中立を保たねばならない。
「行き掛かり上、仕事の邪魔をしてしまったのですが……?」
「その話は聞いてます。一度は見逃すけれど、ここへ顔をだした以上はうちの身内、以後この街での手出しは無用ですよ」
男は金を数えながら丁寧な口調で答えをかえした。
「――端的に言うと、あの詩人はリングフォートから回状廻されてまして。うちとしては、先様と事を構える気はないんですよ。おわかりでしょう?」
男はちらりと目を上げ、困ったように肩を竦めた。
これ以上はどうせ聞いても答えてくれないだろう。そう判断し、クレイは一礼してから部屋を出た。来たときと同じように雑貨屋の裏口を通り抜け、何気なく関係ない角をいくつも曲がる。十中八、九宿を移ったことも知られているだろうが、常に予防線は張っておくべきだ。
(しかし、予想以上にまずいな。リングフォートっていったら、あの『ブラウモント』のお膝元だ。あそこが手配をかけたんなら、ぐずぐずしてはいられない。……まったく、厄介なものを拾ってくれたなぁ)
少年は溜息をついて、いつでも動けるように食料を買い込んだ。
ケストリアは街中にいくつも公園があり、人々の憩いの場となっている。その中の一つから、豊かな歌声がライアーの調べに乗って流れてくる。公園の中心にある泉水の縁に腰を下ろし、娘達のうっとりした視線を浴びている男――プラーティシュだった。彼の足元にはマントが広げてあり、その上にはすでに十何枚かの硬貨が散らばっている。
彼が唄い終わると、ドッとあがった歓声と共に銀貨がマントの上に降ってきた。気前の良い娘さん達に、にこやかな笑みを投げかけて、彼は次の歌を歌い始める。行く先々の街角で繰り返してきた、いつもの光景だった。
だが、プラーティシュは知らなかった。自分を取り巻く人々の中に、昨夜彼を襲った男が混じっているという事に。
ジェアードは街の中を宛てもないまま歩いていた。彼は知らない街角を散策するのが好きだった。懐の中は寂しいが、そんなことは一向に気にせず、広場の屋台をひやかしたり、隅っこに建っている石碑を眺めたりする。金は無くとも十分楽しめる方法を彼は知っていた。
そうしてぶらぶらと外壁に沿って歩くジェアードは、道ばたで店を広げている初老の男に気がついた。流れ者や冒険者と見ると、声をあげて客引きをしている。市場から外れたこんな場所で商売してもいいのだろうか。
(ショバ代とか払っているのか?)
ジェアードが危惧した通り、明らかに裏道の男が二人、目の前で難癖をつけ始めた。やはりショバ代を払えと言っているらしい。短い遣り取りの後、二人組はいきなり殴る蹴るの暴行を加えだした。男は為すすべもなく商品の中を転がっている。
この状況を見過ごせるなずもなく、ジェアードはそちらへ駆け寄った。
「やめろ、二人がかりで卑怯だぞ!」
「なんだてめぇは。怪我したくなかったら引っ込んでな」
低く唸るような恫喝は十分凄みがあったが、手練れの戦士である彼にとっては毛ほども効かない。無言で間を詰めるジェアードに威圧は無駄と見たか、二人組が同時に振り向き構えをとった。
右手の男が繰り出す拳を受け流し、身体を入れ替え様、左の男へ肘を入れる。その反動で、振り返えろうとする右の男へ裏拳を叩き込み、同時にもう一人へ後ろ回し蹴りを食らわせる。
そもそも本職の戦士に只のちんぴらが勝てるはずもない。二人組は仲良く後ろへ吹っ飛んだ。
「ち、ちくしょう! 覚えてろ!」
三下連中の定番捨て科白を吐き、よろよろと逃げ出す二人組。ジェアードは、ポカンとした顔で座り込んでいる男へ手を差し伸べた。
「大丈夫かい?」
「あ、ああ。すまないな、おかげで助かったよ。ありがとう。……はは、やっぱり慣れない事をするものじゃないね」
男は顔をさすりつつ、彼の手を支えに起き上がった。殴られた部分が赤く腫れている。
「今日はもう仕舞いだな。君も早くここを離れた方がいいよ。連中が帰ってくるといけない」
散乱した品物を拾い、髪に白いものの混じった男はジェアードを見上げる。それへ軽く肩を竦め、彼も手伝い始めた。男は申し訳ないというように一つ会釈をし、手早く長櫃へ仕舞っていく。
(――あれ)
片づけの途中で、ふとジェアードは首を傾げた。男の着衣から微かに香の匂いが漂ってくるのだ。見れば着ている物も上質な織りで、両手には白い指輪の跡があり、ただの露天商とも思えない。そう思ってよく見ると、目の前の商品もあまり場所柄に似つかわしくない品揃えだった。
錠のついた皮表紙の古書、細かな細工をした軟玉の小物入れ、薄い玻璃の水差し(幸いなことに難を逃れたようだ。疵一つ無い)、金属片と香木を組み合わせた帯飾り、銀で象嵌した黒檀の杖――。どれも大店で扱う類の良い品だ。
(金持ちの親父が隠居して、道楽で露天商をやっているとか……。そんなわけないか)
人それぞれの事情があるのだろう。ジェアードは詮索するのはやめて、再び片づけに集中した。
そう多くもない品物は、あっという間に長櫃の中に収まった。
「これでお終い、と」
男は脇に立てかけた蓋を持ち上げた。ぱさり。蓋の裏から薄い紙挟みが落ちる。ジェアードはそれを拾い上げ、櫃に紐をかけている男に差し出した。
「これ、落ちましたよ」
「ああ……。そうだな、礼といっては何だが、よかったらそれを受け取ってくれないか。君のような冒険者に売ろうとおもっていた、手付かずの遺跡の地図なんだよ。ちょっと遠いけど、行ってみる価値はあるんじゃないかな」
そう言って櫃を担ぎ上げた謎の露天商は、礼を言うジェアードに軽く手を振り、足早に去っていった。
「ちょっと提案がある」
翌朝、食堂で豆のスープをかき込みながらジェアードが言った。
「昨日仕入れた話なんだが、西に7日ばかり行ったところに、手付かずの遺跡があるらしい。プラーティシュの件もあるし、ちょっと遠出をしてみないか?」
彼はあの後、紙挟みの中を調べてみた。中身は細い平打ちの組み紐で綴じ込んだ、手書きの地図と覚え書きだった。どうやらこれを書いた人物は探索途中で諦めたらしいが、調べた範囲は癖のある字でびっしりと書き込みがしてある。
その情報を元に、併せて酒場や
「どうやら『暁の大戦』以前のものらしい。地上部分はほとんど瓦礫だが、地下がある。その地下への降り口が魔法で封印されているんで、今まで荒らされなかったみたいだな。
で、その書き付けによると、
「『神人』の遺跡ですか。荒らされていないのなら、是非見てみたいものですわ」
上品に巻きパンを毟り、セラは嬉しそうに言った。
「昨日も神殿で新しく調査できる遺跡はないかしらって、話しておりましたの。まさにラーダのお導きですわね」
一も二もなく賛成する彼女の横でプラーティシュは頷いた。彼にも反対する理由は全くない。が、クレイだけは気が乗らないようだった。その場所が化け物の出没する地域だと知っていたからだ。とはいえ、連れの喜ぶ顔を見てしまった以上嫌とは言えず、口を噤む。
そんなわけで、思い立ったら吉日とばかり、一行は用意を調え昼過ぎには西へ向かって出発したのだった。
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