終わりのない物語

第四章 Rapidu malrapide


「……本当に助かりました。ありがとうございます」

ドリス・ネフライトと名乗る娘は深々と頭を下げた。セラは淹れたてのお茶を各人に渡し(彼女は携帯用茶道具を持ち歩いている)、軽く首を振った。

「神に仕える身としては当然のこと。それよりお怪我がなくて、本当に良かったですわ」

「そうだな。しかし、今回は偶々たまたま俺達が通りかかったからいいが、こんな処を一人でふらふらしていたら危ないだろう」

ジェアードが、小さな子供に言い聞かせるような口調で諭す。セラもドリスを助けた時の状況を思い返して頷いた。


――彼らがケストリアを出たのは6日前の事だ。呆れるほど何も起こらない道中は、あっという間に過ぎ去った。そして、いよいよ地図に記された地区に足を踏み入れた時、死人リビングデッドに追われているドリスを見つけたのである。

敵の数は多く、普通なら苦戦する戦いだが――確かにセラは神の加護を受けているのだろう。両手ほどもいた骸骨スケルトン屍鬼グールは、あっさりと聖なる力によって一掃された。が、もしもあの時セラ達がいなかったら、ドリスも彼らの仲間入りをしていたに違いない。


「……で、なんであんなところにいたんだ。連れとはぐれたのか? それなら……」

「連れはいません。まさかあんなにたくさん死人がいるなんて、思ってもみなくて。ここって古戦場か何かだったんですか?」

きょとんとしたように言うドリスに、彼らは思わず顔を見合わせた。ここは巨大生物や死人が彷徨う「ペリフ沼沢地」だ。外縁部ならいざ知らず、こんな奥地に一人で分け入るなど、とても正気まともとは思えない。てっきり水草採りのキャラバンか何かで通りかかったのだと思っていたが……

ジェアードとセラは、まじまじと目の前の娘を見つめた。そんな二人に困惑したドリスは、助けを求めるように周囲を見回した。その視線が、無言で耳を傾けていたプラーティシュの上でとまる。

「あの……わたし何か変な事を言いましたか?」

「今までよく無事だったと、驚いているだけでしょう。ここは危険なことでは有名な場所ですから」

優しく笑いかけた吟遊詩人に、なるほどと頷くドリス。

「そうなんですか。田舎者で、全然知りませんでした」

一体どんな山奥に住んでいたんだと、一行は視線を交し合った。そんな彼らに気づきもせず、ドリスは交易路に出るまで同行させて欲しいと言った。

「自分の身を守るくらいはできますし、いざとなったら友達に助けてもらいます。お邪魔はしませんから」

「それは勿論だが。――友達?」

「あ、精霊達のことです。昔からのお友達なんです」

それで決まった。


日が暮れる頃、5人は目的の建物跡にたどり着いた。例の地図を頼りに使える部屋を探し出し、今夜の野営場所にと決める。ジェアードとセラが野営の仕度をしつつドリスに状況説明を、その間にプラーティシュとクレイが周囲を調べる事にした。

「で、話っていうのは何だい?」

クレイは辺りの瓦礫を松明たいまつで照らしながら、傍らに立つ男へ単刀直入に問いかけた。プラーティシュは見回りを買って出た時、さり気ない仕草で、少年に「話がある」と合図をよこした。そろそろ来るだろうと予想はしていたから、クレイも見回りにかこつけて出てきたのだった。

「あの女についての意見が聞きたい。お前ので見てどう思う」

その率直なんだか婉曲なんだかわからない問い方が、彼の立場を知らしめた。少しは信用する事にしてくれたらしい――それとも、もう崖縁がけっぷちなので仕方なくか?――ので、クレイもわからないフリをするのをやめる。

「彼女があんた狙いの刺客かって事なら、七対三で違うかな。ギルド員かという意味だったら、九対一でハズレに賭けるよ」

「こんな処に一人でいるという変数は、その予想配当に含まれているのか?」

「言いたい事はわかるよ。大黄ルバーブジャムの鍋に、葉っぱが混ぜ込まれたのかもって事だろう(大黄の葉はシュウ酸を含んでいる)?」

プラーティシュは素っ気なく頷いた。直接手を下すのではなく、内部から手引きする為に、わざと一行の前で襲われたという可能性もあるのだ。ドリス本人が画策したかどうかは関係ない。彼女自身は潔白でも、背後に繋がる糸を握った者がいれば同じことだ。彼の動きは全て筒抜けになる。

そして残念なことに――プラーティシュには、その手を使いそうな人間に心当たりがあったのだ。

少年がそんな彼の心の裡を見透かしたように言った。

「――僕の手持ちの札じゃ何とも言えないな。あんたの袖に隠してある切り札カードがどんなものかによるね」

「……以前、似たような事があった」

「ふーん、愛されてるねぇ。モテる男は辛いな。……で、詩人さんは一体誰にせまられているのかな?」

皮肉混じりの揶揄からかいを含んだ問いに、プラーティシュはかぶりを振った。途端にクレイの口調が鋭くなる。

「ギルド絡みのごたごたを持ち込んでいるのはそっちだろう? いくらあの二人が勝手に誘ったとしても、事情も明かさず盾扱いは非道ひどいよね? どんな危険があるのか教えもせずに協力を得ようなんて、虫がよすぎるだろう。ガメルを出さずに配当金を貰う気か」

舌鋒鋭く畳み掛ける少年の目が、ぜる灯りを受けてきらりと光った。普段は恬淡てんたんとしているが、案外性根はこわいらしい。殺気にも似た気迫でもって、プラーティシュへ圧力をかけてくる。

彼は一つ溜息をついて夜空を仰いだ。返す声は常より低い。

「……そうだ。お前の方に一理ある。しかし俺も元手を失うわけにはいかない。だから慎重にもなる」

折れた柱に寄りかかるようにして振り向いた。

「賭けているのは自分の命だからな」


見回りから戻ると、セラがお茶の用意をして待っていた。差し出された碗を有り難く受け取るプラーティシュ。人心地ついたところで、セラはおもむろに訊ねた。

「クレイと仲良くなれました?」

「……おかげさまで」

普段はおっとりしている彼女も、どうやら相方の事には聡いようだった。