S.Uemura's diary archive vol.2e

< prev| next >| diary

Done

1/12
1/20
リヒテル

2004.2.12

耳をかきすぎて

物を食べるたびに痛い。ずきずき。

2004.2.11

コニカミノルタは

5Fに移ったのか。3Fがディスクユニオンになると知ってびっくりしたが。カワセビルってこういう店が入るところじゃないよなー。そういえばもうかなり長いことミノルタのサービスセンターには行ってないな。

独り言がうるさい

500円コーナーを見るかどうかくらい黙って判断しろ。

"MONSTER"アニメ化

どうせなら1年くらいのシリーズでやってくれ。それならかなりの作品になりそうだが2クールだったら最近よくあるこじんまりした企画で終わるだろうな。

読書感想文

全部読了。
第7章「共和制は紋章学の実践に必ずしも敵対的というわけではない」―アイルランドの紋章当局としてのGO(1945-81年)
1945年11月Principal Herald and GO、1946年2月Lord Lyonの助言に基づきChief Herald and GOに職名変更。
法的権限の欠如。不正な使用から紋章を保護する権限。HayesによるGOの法的地位強化の提案→実現せず。
MacLysaghtの施策:
氏族 sept/clan 紋章の創案。氏族に対し紋章を割り当てることで、紋章を持てない人が紋章を使用できるようにする。ただし厳密に紋章学的な意味で使用が許されるわけではない。ゲール人称号の登録。自分たちが首長の子孫であるという証拠を提出した人たちを儀礼的に表彰。証拠が確実でないため論争の種に。(1992年に認証した称号を1999年に取り消すなど。)
勲章制度の導入→実現せず。
軍旗、軍の徽章の制定、軍服についての助言。
系図の調査。アイルランド系移民からの調査依頼。1985年の調査取りやめまで20000件以上。
Bedford Tower。暖炉を使用→1947年2月にボヤ騒ぎ。ネズミ。1973年には雨漏りを修繕。塔の重みを建物が支えきれなくなり、1978年に修築→治りきらず1981年に移転。
純利益 net income。1946年£896、1956年£2096、1966年£2792、1976年£9019。(物価の上昇は??)
観光局 Tourist Board との協働。1952年An Tóstal (pagent) に際しアイルランド各市の紋章をパネルに。その際未登録の紋章を登録、また紋章のない市には意匠の考案から。パンフレット類に寄稿。
1952-1958年、紋章学博物館改装。
1940-1960年代、カトリック教区簿冊のマイクロフィルム化。1990年代後半には追補作業。(公的機関として組織的活動。アルスター時代には見られない)
ケネディ大統領の家系調査と紋章贈呈。1964年ド・ゴールの家系調査。祖母のMaccartan家はスコットランド系亡命人の子孫。グレース・ケリー、ニクソン。
Roots phenomenon。Alex Haley, Roots: The Saga of an American Family (New York, 1976)の出版により1977年£14835、1981年£15530の純利益。
EU旗。1954年Council of Europeの委員会にてオランダ、イタリア、アイルランド(当時の首席紋章官Gerard Slevin)の代表による案のうちアイルランドのが採用。青地に12の金星。
第8章 結語:紋章役場への復帰?
1981年GO移転。Bedford Tower老朽化のため緊急避難。各所を転々。1987年3月Kildare Streetへ正式移転。1982年の純利益は£9120に減少。
観光局 Bord Fáilteと協働、観光客向けパンフレットを大使館、公使館、観光局事務所に配布。「先祖探し休暇 ancestral research holidays」を外務省と共同キャンペーン。
啓蒙書出版。Handbook on Irish Genealogy, 1970. Irish Genealogy: A Record Finder, 1981. The Ancestral Trail in Ireland: A Companion Guide, 1982.
首席紋章官のアメリカ、カナダ訪問。広報活動のため。
1986年国立図書館とGO、Department of Taoiseachに移管、Minister for State responsible for Arts and Cultureの管理下に。
Irish Genealogical Research Society, Irish Heraldry Societyとの協力。講演の主催や会合の場を提供するなど。Association of Professional Genalogists of Irelandの本部も一時国立図書館内に設置。
1989年3月15日祖先調査のための有料相談サービス開始。1991年1400の有料相談により£7730の収入、4500の一般的な問い合わせ、6000の電話問い合わせ。紋章についは、150の問い合わせのうち32の紋章認可が発行され£10270の収入。
1990年代半ば以後有料サービスは不振。民間の同様サービスとインターネットの発達。Irish Genalogical Projectにより(GOとは別個に)アイルランド全土に35の系図学センターが設置。電子化されたデータと有料調査サービス。
1993年Department of Arts, Culture and the Gaeltacht設置。国立図書館とGO移管。
1995年国立図書館長Dr. Patricia Donlon、首席紋章官に。GOの専門性を考慮し首席紋章官は独立した存在であるべきだという外部の懸念。Micahel D. Higgins, Minister for Arts, Culture and the GaeltachtでGOの廃止はないと公式に説明。彼はまたSenateとDáilで策定中のNational Cultural Inistitutions BillにおいてGOの地位が明確に定義されると説明。
しかしGOが同法で再編成される前に形式的に廃止されることをめぐって、またGOは独立した組織であるべきではないかをめぐり議論が続く。後者についてはGOは国立図書館の一部門となることで決着。
ジンバブウェでは近年(1996年当時で)Chief Herald's Officeが設立された?(p.249)
1997年上記法案National Cultural Inistitutions Actとして制定。同法では首席紋章官はLibrary Boardにより任命され、前者はそのためにCommittee for Genealogy and Heraldryを設立するとある。しかし首席紋章官が政府の代表として紋章を認可するのであれば政府が任命するべきではないか。(著者の意見か?)
1997年Brendan O Donoghue国立図書館長と首席紋章官就任。彼の下で首席紋章官代理はKeeper、紋章画家はAssistant Keeperの地位となる。
家系相談サービスは国立図書館本体に移管。1998年国立図書館無料サービス開始。年15000人、特に海外からの訪問者が利用。
紋章認可。2000年発行数28、収入£55691。2002年22、66248ユーロ(£52175)。
カナダ首相Brian Multoney(1991年)、オーストラリア首相Paul Keating(1993年)、公式訪問時に羊皮紙に描かれた系図を受け取る。Bill Clinton(1995年)は紋章を授与される。

ボールは友だち?

ホームでサッカーするな。おまけに割り込みまで。よく考えると立花兄弟のあれ、描写が不適切ってことで鉄道会社あたりから苦情が来なかったんだろうか。

買ったもの。メンデルスゾーン、ヒンデミット、ミヨー、プロコフィエフ、バダジェフスカ、ブロッホ。


2004.2.10

ヤマギワSoftOneが

火事。行くたびに品揃えが悪くなる店だった。しかし、何となく燃えるには惜しい在庫があった気がする。あの店からどうやって火が出たんだろうか。

2004.2.9

千花はやはり

悲劇のヒロインなのか? 「舞姫」の話。そして来月は休載か。

足の裏が

アーチの部分まで皮膚がガサガサしてきた。

2004.2.8

「ふたつのスピカ」第10話「水の中の宇宙」

名字はオウミなのか。あまり気にしたことなかったな。
襟があるのに後ろ前に着るか? 原作こんなに不自然だったっけっか?
マリカがプールに飛び込むあたりの作画が。そして今週はマリカがやけに「こち亀」っぽく見える。
プールの底から見上げるとってのが原作でもあまりに理屈っぽすぎて好きじゃなかった。
窓から見下ろす演出多すぎ。そしてあんな光が本にあたる図書館もないと思うんだが。

「プラネテス」第15話「彼女の場合」

健康診断受けなくていいんかよ。
舌にするピアスですか…。
サーシャって男の名前か? まあいいや。
チェンシン実は相当恨んでますか?
二人っきりになると話すことがないってのはすごくわかる。泣き笑いだなー。
ホテルの名前がスピカってのは。しかし、ご休憩できるって…。
今週も心の中でソロバンはじいているのが五代君みたい。
ギガルトとドルフは今後の伏線?
そしてハキムとクレアはくっつく? ハキムたちってこんなこともするのか。
エーデルさんの元だんなさんは一体なんでそこまでエーデルに入れ込んでいるのか。

メモ

↓すっげえアレな企画な気がする
指揮: 羽田健太郎
演奏: 東京チェンバー・オーケストラ, リチャード・ディアリング
コロムビアミュージックエンタテインメント - 1992/10/21
CD ディスク枚数: 1
ASIN: B00005EOO9

--------------------------------------------------------------------------------
曲目リスト
1.フール・オン・ザ・ヒル~チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番
2.ミシェル~ラフマニノフ:パガニーニの主題による狂詩曲
3.ヘイ・ジュード~ブラームス:ピアノ協奏曲第2番
4.ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード
5.イエスタディ~ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番
6.アンド・アイ・ラヴ・ハー~グリーグ:ピアノ協奏曲
7.レット・イット・ビー~スクリャービン:ピアノ協奏曲

廃品を遺棄する瞬間に出くわした気がする

軽トラックが妙なところに停まっているなと思ったら。

2004.2.7

「ふたつのスピカ」第9話「カムパネルラの森」

原作をアレンジしてきたな。
ライオンさんって唯ヶ浜育ちだったんか。ということはマリカの別荘も当然唯ヶ浜だし、こんなになんでもかんでも唯ヶ浜と結びつけていたっけ?
あそこだけ草が生えていないのはずるい。もっとボーボーだろ。
線路の幅が広すぎ。新幹線並み?
わかりやすい暗号だ。
小1がヒステリーとか気づくか?
鈴成先生胸でかいな。

「プラネテス」第14話「ターニング・ポイント」

またタナベ節が。妊娠したのをおめでたいってあっさり言えるか? ハチはこの辺許容できるわけ?
わざわざ寝間着用意するか?
火星に飛ばされるってすげえよ…。今だったら南極行きとかってことになるだろうけど、今や地球のどこに行くにしたって数日で行けちゃうからなあ…。
新車というか船が来るとは。まああの活躍だからなあ。個人的にはボロ船でいてもらいたかったが。あーもしかしてこれって主役ロボ交代と同じこと?
分離合体するって、燃えるけど、いいんか?
チェンシン木星行きか…。リュシイこわいんだが…。
クレア頑張ってるな。今こそクレアを落とすチャンスだと思うんだが。
男としていかんよなのあたりが五代君みたい。
事業部長の映像の割り込み方がすげえアニメっぽい。
ドルフ物わかりいいな。
ナマコって日本人にはなじみがあるが…。

「ふたつのスピカ」第11話「傷ついた翼」

先週合コンして今週は結婚式ですかと思ったら、飛ばして観ていた。しかも合コンはアスミ小1のときだし。…ということは今は32歳くらい?
なぜいちいち屋上に。しかもいきなり夕暮れに。夏なのに木の葉が舞う風の演出が冬っぽいし。マンガだとあまり気にならないんだが、都会なのに人気のないホームとか、なんか変。
秋とマリカの感づきかたが推理物っぽかった。

手がかじかむ

河原で石を拾っていると。

買ったもの。マラマッド、ピート・ハミル、パール・バック。


2004.2.6

今月はいまいちだった 「ふたつのスピカ」の話。

啓文堂書店九段下店開店

か。京王線の車内に吊り広告が。あの界隈は本屋はないからなー。もしかしたら竹橋のほうに行くあたりにあるのかもしれんが。知っている限りでは一時95年頃、ほんの1、2年だけあったがあっというまにつぶれた。まあほんのちょっと歩けば書店街だからなー。

2004.2.5

「アウターゾーン」

もリヴァイヴァルしてくんないかな。「○ー○ージャンプ」あたりで。光原伸(うわ名前覚えてるよ)っていま何やってんだろうか。そういやミザリィって自称「ストーカー」なんだっけ。

「なりやんだ」

「なにやんだ?」
たしかに聞き間違えるねー。

2004.2.4

届いていた

注文した本が。ニ、三日前から玄関に置いてあったんだが、やたらでかい袋に入っていたので自分宛の郵便物ではないと思っていた。

「マリカ様が見てる」

なんちて。

買ったもの。"LOGiN"


2004.2.3

休載

「ピアノの森」

6000系戸袋窓なし4扉車

って違和感ありあり。5扉車を4扉にしたらしい。結局5扉車は定着しなかったわけか。

初乗り180円

みなとみらい線の話。渋谷に行くには高くなったような。ただでさえ別会社だし。人によってはえらい迷惑なんだろうな。横浜―桜木町折り返し電車のためだけに地上ホームを残すわけにも行かなかったんだろうし、なかなかつらいところだ。

2004.2.2

八王子市長選挙の結果

ってどうなったんだろう? 投票だけは行ったが結果にはまるで興味がないというか。

メールに対して独り言で返事をする

ってやばいよね。携帯電話に向かって一人でぶつぶつしゃべっているという。

最近喉が渇きやすい

なぜだろうか。むしょうに甘いものをゴクゴク飲み干したくなるときがある。

2004.2.1

すこぶる調子が悪い

起きたら貧血気味でまともに立ち上がれなかった。カゼなのかなんなのか。

2004.1.31

雪?

一瞬だけ降ったような。

プリンタ紙詰まり

家のレーザープリンタが。一度に何枚もフィードするのがすげえむかつくプリンタなんだが、アホな妹がろくでもない詰まりかたさせたせいで、かなり最悪な状況に。2-3時間格闘したが、全部とれるかどうか微妙。

「まだ学生やってるんですか?」

高校の後輩に新宿駅で偶然出会ったときに言われた。余計なお世話だ。やってないっつーの。

読書感想文

Hood 2002. 5-6章読了。
第5章「廃絶の脅威」?――憲法上の兵站学(1928-43年)
兵站学なのか記号論理学なのか。
ゲール語の役職が読めないし、何を指しているのかわからん。
1922年Colonial OfficeにてHugh Kennedy(前出)、Kevin O'Higgins, Minister of Economic Affiars、E.J. Duggan, Minister of Home Affairsとロイド・ジョージ、ウィンストン・チャーチル(secretary of the Colonial Office)による政府機関委譲についての会議。その際アルスターは委譲されないと口頭で合意。
1928年9月1日、自由国内閣、アルスターを1928年10月1日をもって自由国管下に移行することを決定。Dominions Officeに公文書を送る。
1929年4月、英国政府関係機関先の自由国内閣からの公文書に対して協議。他の自治国への悪影響を怖れアルスターを委譲しないことを決定
1929年8月、英国政府より自由国へ回答。アルスターは国王のしもべ servant であり、内閣の管理下にない。
1930年1月、自由国政府再び引き渡し要求。
1930年3月、英国政府再び協議。アルスターが、名字と紋章の変更を認める令状を発行する際には(アルスターの職務の一つに名字と紋章の変更の許可と記録がある)、1925年以後は国王の署名の他に、自由国法務大臣の副署が記入されることになっているから、アルスターは自由国から完全に独立しているわけではないことを認める。その上でWilkinsonの引退もしくは死去まで静観するか、この問題を今の時点でさらに協議するかを自由国に尋ねる。その際、アルスターは全アイルランドを管轄としている以上、北アイルランド住民の権利は守られなければならないことを付言。→問題は先送りに。
1928-30年、一方でこの頃には英国Treasuryはアルスターを自由国に委譲したがっていた。経費の節減と、Wilkinsonの怠惰のため(Wilkinsonは国外への旅行の際には国王の了承を直接とりつけて出かけたため官僚たちは口出しできなかった)。
1928年、この頃WilkinsonとSadleirの間で紳士協定が結ばれ、SadleirはWilkinsonの年給の半分ほどを受け取ることになる。
1930年、Sadlier、Miss Beryl Eustace(結婚後Phair姓)を助手として雇う。彼女は首席紋章官のもとでも引き続き勤めることになる。
1931年6月、Michael McDunphy, Secretary of the President's Department、Sadleirにアイルランドの紋章、その形、色彩、由来について尋ねる。
1935年、名字と紋章の変更の申請一件。McDunphy、アルスターの委譲を論じる。
1937年、ジョージ6世戴冠。Wilkinsonの年給£139増、£739に。アルスターが式部官として振る舞う最後の機会。
1938年、名字と紋章の変更の申請一件。すでに改憲により国王は元首ではなくなっていたため、国王の署名に代わりTaoisearch(首相)Éamon de Valeraが署名。
1938年10月、北アイルランド政府、アルスターの移転を提案。第二次大戦により沙汰やみ。
1939年、Wilkinson、戦災を避けてアイルランドへ転居。
1940年12月、Wilkinson没。Sadleir、紳士協定による収入途絶により、息子二人を退学させる。アイルランド政府は、中立政策に変更を迫る種となる交渉を避けるため、アルスターの委譲についての議論も先延ばしとする。そのためにチャーチル自身がアルスター委譲の交渉の場についたと言われる。少なくとも最終的な委譲条件の草稿はチャーチルにより承認された。
アルスターの分割。ロンドンの紋章院のノロイがアルスターを併称。北アイルランド
英国側は全ての文書の引き渡しを求めるがアイルランド側は反対、北アイルランドに関連する部分の文書の複製を引き渡すこととなる。
分断を公式に認めることになる
Sadleirはde Valeraにより新しい役職をそれまでの二倍の年給で提案されたが、王党派だったため断る。紋章院の従紋章官の位ももちかけられたが、赤字運営と業務滞納が新聞沙汰になったため撤回される。後にKing's Innの図書館に職を得る。また英国政府よりcivil list pensionを支給される。
第6章「新しい役職は古いそれの職務を引き継ぐ」――系図学事務局への移行とその発展(1943年前後)
戦争中だってのにこんなことに金と時間と人を割いているのがすごい。
1943年2月19日アイルランド政府関係者による委譲の協議。Departments of Justice, Finance, Education、Taoiseach、James F. Morrisey, Deputy Keeper of the PRO、Dr Richard Hayes, Director of the NLI。Sadleir以外の全職員をアイルランド政府の公務員として雇用することに。
1943年3月24日、暫定的にGenealogical Officerを設置。Edward McLysaghtが任命される。(紋章学より系図学的職務を強調)
1943年3月、紋章院の登録官がダブリンを訪れ、112巻約29000ページがノロイ・アルスターの職務のために必要と判断。国立図書館によりマイクロフィルム化され、それを現像したものがロンドンへと運ばれる。
紋章役場が国立図書館の一部門となったのは館長Hayesが系図学的資料の収集に努めていたため。しかしHayesは紋章学、特に紋章の認可には関心が薄かった。
政府としても紋章の認可が憲法第四十条の貴族の称号の廃止に抵触するかどうか判断できなかった。
→「系図学事務局」という名称を採用、紋章学からの職務のシフトを強調。
1943年4月1日の委譲式典出席者: MacLysaght、Thomás Derrig, Minister for Education、Dr Hayes、Maurice Moynihan, Secretary to the Taoiseach、Éamon de Valera, Taoiseach、Seán T. O'kelly, Tániste
紋章学博物館。創立者Wilkinsonはアルスターが廃止される際には博物館の収蔵品はアイルランド国立博物館へ委譲されると取り決めた。しかしHayesは紋章学博物館の存続を求め、Sadleirほかの理事 trustee たちと交渉、NLIのもとで存続。聖パトリック騎士団関連の品物だけはアイルランド側の同意の上Sadleirによりロンドンへ移送。
Edward MacLysaght。ゲール語学者、歴史学者。Hayesの推薦。1887年イングランド生。父はアイルランドの小ジェントリーの年若の息子で、イングランドに亡命、その後1908年にアイルランドに戻り600エーカーの土地を購入。Edwardはオックスフォードに学んだ後シン・フェイン党に入る。最初のSeanad Éireannでは無所属の議員。1920年代後半から1930年代前半にかけてジャーナリストとして南アフリカ滞在。
Thomas Ulick Sadleir。1882年County Kildare生。父はChurch of Irelandのchaplain。祖父と曾祖父も国教会の聖職者。祖先はクロムウェル軍のcolonel。
MacLysaghtは1943年3月1日より職務を開始。移行までの一ヶ月の間に職務を覚えるつもりだった。しかしSadleirは自分の職務をこなすのに忙しく教える暇がなく、MacLysaghtをほったらかす。→政治的立場の違いもあり、後に両者、お互いに批判。
委譲時に未着手あるいは仕掛かり中の業務: 系図調査41件、資料の複写22件、紋章の素描21件、紋章の調査13件、(紋章の?)確認 confirmations 9件、(紋章の?)認証 certifications 8件、クレスト crest の認可1件とその他諸々。Sadleirは当初一月の予定で委譲後の業務補助を引き受けるが、期間を延長。£250が英国Treasuryから支払われる。1943年末から1944年3月にかけてGOの紋章画家をSadleirに貸すが、その後はSadlierが自前で雇う。1944年10月、MacLysaghtは忍耐の限界に達したとSadleirに伝える。
アルスター時代の最後の8年(11年?)分紋章の登録滞納、手紙の写しは作られず、領収書、1936-43年にかけての訪問者の記録、業務日誌は存在しない。委譲後にMacLysaghtはこれらを解消、しかしスタッフは依然として不足。そのためMacLysaghtはSadleirと同じようにBeryl Eustaceを自費で雇う。またアマチュア系図学者Terence Greyは無給で協力。MacLysaghtは紋章学博物館理事たちを説得し彼を理事に加え、それにより事務所に自由に出来るように取りはからう。1944年10月Gerard SlevinがGO代理として任命される。事務職員の不足は、国立図書館自体の職員数不足のため解消されず。またMacLysaghtはAssitant Librarian扱いだったが、彼としてはその地位は彼の助手であるべきで、そういう助手が二人必要だと主張した。1949年には職員の不足が解消されないためMacLysaghtは辞任をほのめかし、結果彼は国立図書館のKeeper of Manuscriptsに追加任命され、以後GOの日常業務はSlevinに委ねられる。
紋章認可の続行。1943年4月7日、米国ボストン在住のアイルランド人Robert R. McCaffreyより紋章認可の申請。HayesはDepartment of Educationに諮る。4月16日、認可を続行すると決定。6月3日、特許状の文言がAttorney General、Department of Educationの官僚、MacLysaghtにより決定。ゲール語と英訳を併記。7月13日内閣により紋章認可に関わる草案が承認。同日、MacLysaght、GOに正式任命、年給£400。Sadleirと同じく年金はなし。7月15日、MacCaffreyへの認可を発行。手数料はロンドンの紋章院£66に対し£44。
ガーター紋章王Sir Gerald Wollastonは、紋章の認可は国王によってのみなされると主張、ダブリンでなされた認可の再登録はしないとし、またアイルランド人への手数料の引き下げを示唆。1944年12月Wollaston、ダブリン訪問。Hayes、MacLysaghtと会談。Éamon de ValeraとDepartment of External Affaiars官僚とも別に会談。WollastonはGOによる認可を認める。将来両者の間で領分について線引きをするという但しつきで。

買ったもの。「ヤングキングOURs」。


2004.1.30

怒鳴るな

煮詰まっているのはわかるが。独り言。

一年でメール300通弱

って少ないな。会社のメールアドレス宛のメールを一年ぶりにチェックした(今はメールをチェックできる環境を作るのがすごい難しい)。2通ばかり返事を出すべきメールがあったのはやばかった。

なぜか舌がやけどしている

気づかぬうちに。そんなに熱いもの飲んだっけっか?

更新履歴

現代の紋章官

2004.1.29

兄ちゃんよ。いったいどういう音量で聴いてるんだよ。しかも曲調がアニソンっぽかった。

更新履歴

所有紋章学関連文献

2004.1.28

初乗り110円

相変わらず安い。東急東横線に乗りに行った。小学生の頃に一度全線乗りとおしたことがある気がする。何でだっけ? それはそれとして桜木町周辺はすげえにぎわいだった。さすがに一般人でも携帯電話のカメラなんかで写真に撮っていた。帰りは渋谷まで乗りとおした。

巻上げが変

new FM2に50mmレンズだけつけて持っていったのだが、調子がいまいち。空巻き上げするというか。一度巻き上げたのにまた巻き上げられるというか。

「プラネテス」第13話「ロケットのある風景」

タイトルと内容が「めぞん一刻」の「キッスのある情景」を思い出させる。僕だけか?
微妙にOp.が変わった?
ぐお保志総一郎…。
何語しゃべってるのかと思ったら日本語か。
成田から宇宙に行ける時代なんか。
兄弟ゲンカが何かそれっぽい。
いきなりこんなに急接近するか? もろラブコメちっくだし。ロケットが部屋に飛び込んで来て主人公だけ気絶するのもお約束すぎ。
ユーリが「俺」って言った。コンパスがちゃんと活かされるのはいいが、この話がそこまでのイベントだとは思えない。
ていうかあれ、危なくねえか?

流れ星

見えた気がする。例によってあっと思ったときには消えているのでいまいち自信がない。

犬が二匹

特養老人ホームの近くで夜中に吠えまくっていた。一匹は例のトラックがたくさん駐車されている空き地になぜかつながれているやつ。あの吠え方じゃ近所の人は寝られたもんじゃないだろうな。

アヒルの羽根をむしると

あひるになったときはどうなっているのか。やっぱ体毛が(以下略)。

メモ

キャロル・キング
ローラ・ニーロ

買ったもの。ディーリアス、ズガンバーティ。


2004.1.27

読書感想文

Hood 2002. 3-4章読了。自分の読む勢いに我ながら感心してしまう。こんなに英語読むの速かったっけっか?
第3章「紋章学の将来は芸術的洗練に依存する」――Sir Nevile Wilkinsonと紋章学の芸術(1908-21年)
Nevile Rodwell Wilkinsonは法廷弁護士の息子でPembroke伯の長女と結婚。アルスターにも義父の国王への推薦で叙任。近衛連隊のCaptainでそのためにダブリンに一年滞在したこともあった。ボーア戦争で負傷後退役、画家として暮らす。紋章学、系図学の知識はほとんどない。しかし国王はこの点について、真正直な人間であればそのことは問題ではないと言ったと噂されている。(既に述べたように外部からのこうした強制力はイングランドではほとんど見られない。アイルランドにおいてはアルスター以外の紋章官が事実上いないため。またBurke, Vicars, Wilkinsonの三代が全員従紋章官、紋章官を経ずに、初めから紋章王に叙任されている点は注目すべき。)
Crown Jewels事件の教訓として金庫、鍵、扉、窓の改善と電灯を導入。
WilkinsonはAssociate of the Royal Society of Painters Etchersであり、後にはVice-President of the Royal Society of Miniature Paintersだった。登録簿の様式の変更。一ページ全てを紋章の図示にあてる。Thomas ShepardとMcConnell一家という優れた紋章画家たちにより、質の高い勅許状と登録簿が作成される。
British Volunteer Force参加のための記入用紙。紋章役場内の誰かにより作成される。
1909年4月20日世界初の紋章学博物館 Heraldic Museumを紋章官役場内に設置。Wilikinsonが館長。設立に際しては私的寄付のみにより、公費は用いられてない。
1910年5月エドワード七世の死とジョージ五世の即位宣言。ダブリン市内を騎馬で回る。(戦争、終戦、即位などに際し宣告を行うのは中世以来の紋章官の職務の一つ。それが実際に行われた最後の例の一つ。)
George Dames Burtchaell。Athlone 1908-21年、Deputy Ulster 1910-11, 1915-21。
Thomas Ulick Sadleir。紋章学と系図学に関心を抱きVicarsに出会う。1902年頃からBurtchaellの元で系図学の調査・研究を始める。1913年頃からBurtchaellは彼を助手として年100ポンドで雇う(Burtchaell自身は紋章官としては年166ポンドの俸給)。
Wilkinsonは彼自身の病気のため、軍人として第一次世界大戦に参加するため、アイルランド自由国成立以後は政治的信条のため、あるいは芸術家としての仕事のためダブリンを離れることが多く、BurtchaellとSadleirが実務を代行。BurtchaellはVicars時代からの人間でありVicars解職の際に後任として名前も挙がっていた。彼は1908年6月18日Athloneに、さらに1909年11月16日Registrar of the Office of Armsにも任命される。著者はこの新しい職の導入を、紋章学・系図学分野の重みがが礼典分野を上回ったためとする。
1914年7月、Wilkinson、軍隊に戻る。彼が雇った軍人出の吏員たちも同様。
1915年2月19日Burtchaell、Deputy Ulsterに任命。
1915年4月、Wilkinson、ダブリンに一時戻る。
1915年4月24日、Sadleir、Registrarに任命。
1916年、Easter Rising。5月20日までダブリン城を退去。
1921年5月2日、Wilkinson、新統監の就任式典に参加。
1921年6月7日、Wilkinson、Belfast Parliamentの開会式典に参加。
1921年8月18日、Burtchaell交通事故死。Sadleirは式部官としての職務を嫌ったためAthloneには叙任されず、Burtchaellが最後のAthloneとなる。
1921年9月21日、Sadleir、Registrar兼Deputy Ulsterに。
第4章「紋章役場、その宝物、文書そして記録はいまだ接収されていない…」―1922年以後
1922年アイルランド自由国成立。イギリス王はその元首として留まる。統監 Lord Lieutenant 廃止、総督 Governor-General に置き換えられる。これによりダブリンでのUlsterの式部官としての役目は終わる。1922年以後に聖パトリック騎士団叙勲された騎士は3名で、全て英国王子。しかし北アイルランドでの職務は(いちおう)残る。
(総督Timothy HealyはCrown Jewels盗難事件の際Vicarsの弁護士だった。)
1922年1月、Wilkinson、Home Officeに覚え書きを送る。その内容はUlsterの歴史、勅許状により終身で叙任されていること、全アイルランドを管轄していること。覚え書きはHome OfficeからColonial Office、Treasury、Dominions Officeへと回覧される。
Titania's Palace。Wilkinsonが制作したdollhouse。この展覧のため彼は1925年と1928-9年アメリカ、1931年南米、1934年ニュージーランドへと世界各地を旅行する。
1910年代後半から在外移民アイルランド人による問い合わせが増大。富裕な移民たちがアイルランドで先祖が遺した財産を相続するため。または様々な階層の人たちが、自分の先祖が誰なのかを知るため。1938年10月8日付けThe Irish Times紙は週平均100件の問い合わせが紋章役場に来ると報じる。
1922年3月、Wilkinsonダブリン在。
1922年3月21日、暫定政府内務省 Ministry of Home Affairs より紋章役場を含む各政府機関に暫定政府の見出し入り封筒を使うよう通達。Sadleir、これを拒否。
1922年4月8日、暫定政府内務省より紋章役場の文書・記録をPROに移すよう通達。実施されず。
1922年5月、この頃ジェントリーたちのイングランドへの大量亡命と、彼らによる系図や紋章についての問い合わせ。
1922年6月30日、内戦により紋章役場閉鎖(7月6日まで)。Four CourtsのPRO、戦闘により焼失。
1922年8月、紋章役場の夏期休暇延期。Sadleir、連日深夜12:30頃まで執務。
1922年11月、Sadleirと自由国政府法務官 Law Officer、Hugh Kennedyの間で紋章役場とPROとの統合が模索される。同時にKennedyはSadleirにアイルランドの紋章を国旗として使う可能性のため、そのデザインと歴史について尋ねる。
1923年5月、Sadleir、Wikinsonに職務の滞りを訴える。ExchequerとAudit Department、紋章役場の会計を監査。
1923年7月、Wilkinsonダブリン在。Sadleir、私費で二人の事務員を雇っているため、自分の昇給を訴える。
1923年11月、Wilkinsonダブリン在。
1924年、紋章役場で必要な消耗品はマンチェスターから購入することに。
1924年8月、Wilkinsonのデザインによる北アイルランドの紋章、紋章役場に登録。 1925年、紋章役場とダブリン城の他部局間の電話回線切断。
1925年4月、Wilkinsonダブリン在。
1929年4月、大蔵省、紋章役場のタイピストMiss Marshとの契約を打ち切る、
1932年1月、大蔵省、紋章役場のタイピストMr Loboを減給したため、彼は辞職する。

買ったもの。リバーサルフィルム。


2004.1.26

第9を歌うな

オバハンよ。楽譜を見ながらヘッドフォンつけて電車の中でしかもわりと声がでかくて最悪。

α70

いい加減このネーミングも苦しくなってきた気が。考えてみると一眼レフ出していてフィルムも出していることになるんだよなあ。ある種の強みだよな。今さら銀塩での強みが何になるかはわからんが。

「風の谷のナウシカ」

を本屋のレジのバイト兄ちゃんが読んでいた。レジに立ちながら。

総武線が止まっていて

大江戸線で帰ってきた

ウサギ?

猫かも。駅からの帰り道で見かけた。

2004.1.25

こんなロックはイヤだ

実は日記をつけている。
しかも日記の量が積もり積もって旧連邦のデータキューブより多い。

2004.1.24

うるさいおやじ

酔ってるのかしらんが、女性専用者がどうたらと独り言を声高につぶやいていてうるさかった。鼻毛出まくり。

現金書留

二回目。馬鹿だった…。独り言。

読書感想文

Hood, Susan, Royal Roots - Republican Inheritance: The Survival of the Office of Arms, Dublin: Woodfield Press in association with National Library of Ireland, 2002. アルスター紋章王からアイルランド首席紋章官への移行を詳細に扱った世にも珍しい本。Sir Bernard Burke、Sir Arthur Vicars、Captain Sir Neville Wilkinsonの最後の三人のアルスターとWilkinsonの没後にActing Ulsterとして職務を遂行したThomas Ulick Sadleirの計四人の活動が前半。後半は歴代首席紋章官について。いわばWagnerのHeralds of Englandの縮小(近現代のみ)アイルランド版。なのでこれ自体は歴史学的な著作ではないし、著者もそれを狙ってはいない。歴史学的な研究をするならこの本に書かれたことを種にどうこうすることになる。
とりあえず第2章まで読了。いきなり現代史な話を読むのは無謀かとも思ったが、わりと読める。
図版が豊富。カラーも多い。
導入
ちょっと怪しい。12世紀後半にノルマン人が紋章学をアイルランドに持ち込んだくだりの説明は実際には引用元でもちゃんと検証されていないっぽいし、John Chandosがアイルランド紋章王だったというのは誤りで、正しくは彼の紋章官が紋章王だった。
Ulster、Athloneとも地名だが何故この名前が採用されたかは不明
James Terry, Athlone Pursuivantはジェームズ2世とともにフランスに渡りSt Germain-en-Layeの宮廷で紋章官として活動し続けた。
アルスター以外の職は名誉職。アルスター自身すら、全員がそうだったわけではないが、実務を代行に任せていた。
Bethamは1820年に就任すると事務所を借りるため140ポンドを支出するよう政府に働きかけた。1831年にこの支出は停止されるが、代わりにDublin CastleのRecord Towerの一室を得る。これまでにたまった雑多な文書の整理、新たにDay Books、Letter Books、Official Entriesの編集、他の官公庁の文書から系図学、紋章学に関わる部分の概要を作成。
第1章「アルスターの勝利は完璧である」――Sir Bernard Burkeのもとで礼典が高い水準に到達する(1853-92年)
Bethamは秘書や吏員を置かず、事務をほぼ一人で遂行。そのため彼が死ぬと暖房用の石炭の調達さえままならなくなった。Bethamの二人の息子SheffieldとMolyneuxは自分たちが父の後任になろうとしたが、統監は系図学・紋章学者としてすでに名高かったJohn Bernard Burkeを叙任(イングランドではこういうことはほとんどない。誰が紋章王あるいは紋章官となるかは通常紋章官たちが主体となって決めること)。
BurkeはBethamを受け継ぎ記録の保管、整備につとめる。Bethamの私物として売却されるはずだった記録類を買い戻す。また葬儀、儀式の記録の作成を開始。1866年、彼はKeeper of the State Papersに任命され、アルスター関連のみならずアイルランドの公的記録の保管技術水準の向上に寄与した。
彼はまた紋章認可や授爵の際の様々な手数料の額を取り決め(ただし前者は大蔵省に納めていた)、大蔵省とは給与の額について、また羊皮紙、インクなどの雑費が大蔵省から支払われると取り決めた。さらに聖パトリック騎士団にかかわる費用は統監家政 Lord Lieutenant's household より支払われることとなった。
儀式の面でも彼は様々な場面での参加者の序列、式の進行などを細かく指示し、ことに1868年のPrince Albertのアイルランド来訪の際には極めて盛大な儀式を執り行った。
一方で1886年、1888年には議会においてアイルランド議員たちの間でアルスターが必要な役職なのかが議論されたが、現状で収入が支出を上回っているため廃止する理由はなかった(イングランド、スコットランドの紋章院はいわば独立採算性なので議論の対象にならないと思われる)。
第2章「口論、スキャンダルと怠慢の物語」――Sir Arthur Vicarsの興隆と没落(1893-1908年)
BurkeもBetham同様自分の息子を紋章官としていた。Burkeの没する前より、Vicarsはアルスターではないとしても紋章官の役職を得ようとBurkeや貴族たちに働きかけていた。Burkeの死によりVicarsは29歳の若さでアルスターに叙任。
Vicarは学者として手稿の拡充に努め、特に前任者Burkeの私的コレクションの取得に尽力。しかし一部は後にガーター紋章王となる息子Henry Farnham Burkeによって持ち去られ、現在でもロンドンの紋章院蔵となっている。
以下彼の業績として、
・アスロンなどアルスター以外の各ポストが名誉職であったのを改め、実務担当者をそれらに任命。その際Cork、Dublin両紋章官職を復活。
・イングランド、スコットランドとの管轄区分について、アルスターがアール・マーシャルの監督下にないことを確認。
・叙任直後から文書の保管のため、防火構造を備えた収蔵庫の必要性を説き、Record TowerからBedford Towerへ事務所を移転。新たな事務所には強固な収蔵庫を設置。Bedford Towerは1981年までアルスターおよびアイルランド首席紋章官の事務所。
Crown Jewels盗難事件。1907年7月6日朝Crown Jewelsが紛失しているのが発見される。これは聖パトリック騎士団の宝器であり、統監または国王が帯びる。騎士団のRegistrarでありKnight Attendantであるアルスターが保管。当時の物価で3-50000ポンドの価値と見積もられる。金庫はこじ開けられた跡がなく、Bedford Towerのあるダブリン城内の衛兵たちも全く気づかない。事件は国王エドワード七世のアイルランド訪問の4日前でアイルランド国際展覧会を間近に控えていた。国王の激怒。真相は今も謎で宝器も犯人も不明。Vicarsは事件の前夜事務所内で宴会を開いていた。ダブリン紋章官でありVicarsと同居していたShackletonは同性愛者であり、彼と関係を持っていた人間がダブリン城内に多くいた。そのためスキャンダルをおそれて捜査が打ち切られたと言われている。
1908年Vicars解職。Vicarsはその後1921年4月自宅に押し入ったIRAにより妻の眼前で殺害され、邸宅は焼き払われる。

2004.1.23

千歳烏山の

サンマーク書店ってつぶれた? 移転という可能性もなきにしもあらずだが…。あそこで中学・高校時代よく「アウト」を立ち読みしたり、まれには買ったりしたもんだが。あとわりに夜遅くまでやっているのも重宝していた。

2004.1.22

寝過ごした

市ヶ谷まで行ってしまった。新宿まで引き返すのもばからしいので、乗り越し運賃払って市ヶ谷から総武線に乗った。

昨日の夜

寝る前に大便をしようと思っていたのだが忘れてそのまま寝てしまったことをいま思い出した。意外に我慢できるもんだな。

帰りも

寝過ごしそうになった。

2004.1.21

Genealogist

=系図学博士

姫路

がどこか知らないって。名古屋のほうじゃない?とか言って、雑談のつもりなんだろうけどさ。

借りたもの

Stone, Lawrence, The Crisis of Aristocracy, Oxford: Clarendon Press, 1965.

コピー機

の釣銭のところに30円入っていた。

2004.1.20

うるさい夫婦?

金のことで終電間際の混んだ電車の中で口論していた。奥さん?のほうのばばあが終始優勢。でも途中で別々の駅で降りたから夫婦なのかどうかようわからんなあ。

録りそこねた

リヒテルのライブ。チャンネルを間違えて予約して砂嵐。ショック。

あったかい

スーツが。厚手のを買った。

2004.1.19

タヌキ

家のすぐ近所で出くわした。突っ立っていたらこっちに近づいてきたが、ある一定距離で警戒された。

2004.1.18

右首筋が痛い

寝違えた?

オーストラリア縦断鉄道

開通したんか。高校のときの地図帳に点線で書いてあったけど、まさか本当に開通するとは。しかし果たしてどれくらい需要があることやら。

更新履歴

現代の紋章官

2004.1.17

せっかく買ったCD-RとDVD-RAMを持って行き忘れた

まあすぐに必要なものでもないからいいんだけど。

右手で電話を持てるように努力する

職場で電話が右側にあることが多いので。あまり意味ないという話もあるが。どうせ左手でメモはとれないわけだし。

河合塾のテキストが

コンビニのコピー機に忘れられていた。夏期講習のテキストだった。 現金書留 猫の手術代を送った。

更新履歴

現代の紋章官

2004.1.16

買ったもの。CD-R、DVD-RAMメディア。

2004.1.15

メモ

主邸参向

シャアラの服なら

「これが本当のシーフード」ができる。いやそれだけ。

2004.1.14

だるい

カゼぎみっぽい。

読書感想文

バーナード・マラマッド作, 鈴木武樹訳『ナチュラル』角川文庫, 1970。グロテスクで幻想的な感じ。象徴的な文章がどういうものか初めてわかった気がする。夢の描写がここまで優れた作品はいままで他に読んだことがない。しかも夢ではなく現実の場面を読んでいても本当にこれは現実なんだろうかという気にさせられる。野球選手という頭が筋肉でできている人種を文学的に取り扱うやり方が素晴らしすぎる。訳者がこういう野球小説を書くのに憧れるのもわかる。映画版がどんな代物なのか観てみたいような、よしておきたいような。換骨奪胎された作品になってそう。個人的に名訳。単に訳文の口調がぶっきらぼうなのがものめずらしいだけという話もあるが。訳者の本職が何なのか知りたい。以前は『汚れた白球』という邦題だったようだが、はっきり言ってよくない。カタカナで原題そのままならいいのかというとそうでもないんだが。第一部と第二部のつながりが薄いという指摘はまさにそのとおりなのだがなぜかあまり気にならない。人名がほとんど二文字でいったいここはどこの国なのかという気にさせられる。

2004.1.13

体がだるい

昨日テンポよく走りすぎた?

鼻の穴

が痛い。どっかが切れてるっぽい。

買ったもの。Royal Roots、Paperbackって本のサイズは示していないから必ずしも日本でいう文庫じゃないんだよな。


2004.1.12

クモが死んだ

しぶとく廊下の天井近くの壁にしがみついてかろうじて生きていたんだが。

まんがの森新宿店跡地

パチンコの景品交換屋かなんかが入っていた。上のほうには何が入るんだろうか。クソ狭い建物だから何が入るにしても不便そうだが。

Virgin新宿店

閉店。「ムリョウ」のサウンドトラックがあって、もし閉店セールで値引きするなら買おうと思っていたが、ついにせず。閉店時に残っていた在庫はどこに行くんだろうか。

買ったもの。"LOGiN"、「フラッパー」。


2004.1.11

京王百貨店の古書市

行き損ねたというかなかば行きたくても行けなかったというか。

湯気というか霧というか

が側溝から立ち上って、その中を走るのは何とも言えない雰囲気だった。夜の霧は独特のものがある。

やっぱり廃車?

あのちょうど市境に停まっているワゴン車は。車の中に廃品っぽいものがやたらに押し込まれていて

2004.1.10

"SPACE PIRATE CAPTAIN HERLOCK -OUTSIDE LEGEND- THE ENDLESS ODDYSEY"第13話「…涯」

1話観逃し。この期に及んで。
ここで大山トチローを出すとは。しかも山口勝平。しかも意外にハマッている。
場面切り替えがちょっとうざかった。最近のアニメってああいうあからさまな画面切り替えやらないよな。
胴体が卵の殻の男はあからさますぎ。
インチキくさい機械だが、まあいいや。
この終わり方はないのでは? あれではどっちか死ぬだろ。
一体この冒険はなんだったんだろーか。プロモーションビデオかなんかだと思うべきなんだろうか。

「無人惑星サヴァイヴ」第10話「家を作ろう」

何となくヤダモンっぽいタイトル。
ヴァイオリンに頬ずりしたらニスがつきますがな。いや全然いいんですけど。そういや修学旅行にバイオリン持ってきてどうするつもりだったんだろうか。
ルナのあの能力は???? それはそれとしてやっぱりこういう展開になるのね。
奴はそこまでしてあの葉っぱが食べたいのかというのが微妙に謎だがよしとしよう。
メノリ、たしかに見ているだけなんだよなー。しかもルナにはリーダーとして最低だぞとか手厳しすぎる発言だし。にしてもこういうアニメで女の子同士でリーダーを争っているってつくづく時代は変わったな。
まあハワードの口をふさいだりとか、今までの言動を見ても冷血女じゃないことはわかるんだけど。にしても女の子に口ふさがれるって…。
釣り竿持ったときのメノリのアンニュイな表情がなんつうか。
よく考えたらお嬢様とお坊ちゃんなのにこの差はなんなんだろうねえ。親同士が既に結婚の約束をしているとかいう設定じゃなくてよかった…。
パグーですか。今までとは趣向を変えたネーミングだが、だからといってセンスがあるのかというと…。
シャアラ、眼鏡がずれてますがな。
ハワードがしゃしゃり出ると「オツベルと象」以下っつーか。この人は本当に徹底的にパパとしか叫ばないな。
あんな簡単に手なずけられる野生動物ってとは思うが。
いつかカオルが「仲間、か」とつぶやくとは思っていたがここでとは。もっとカオルにスポットが当たった回だと思っていたんだが。
ヴィスコンティだって。微妙に日本人かなーと思っていたのに…。こういう狙った次回予告をやるとは。ヴァイオリンのくだりでの初めて見せる表情といい、NHKのアニメも変わったなあ。

「プラネテス」第12話「ささやかなる願いを」

こんないかにもアニメっぽいノリと展開にしてしまっていいんだろうか。折笠愛の演技力で納得させられてしまったが。
フィーは実際はあんな無茶をやるはずはない人だと思うんだが。
実際宇宙でタバコはどうかと。しかも女子トイレで吸うって…。女子トイレが描写されていてちょっとドキドキ。
宇宙防衛戦線の演説のところで、今まで出てきた人物が映されるのが、ちょっとクサいしありがち。
ミサイルとかレーザー衛星とか備えているのね。
ハゲなお偉いさんになんとなく笑った。

「ふたつのスピカ」第8話「ひとりの夢みんなの夢」

とりとめのないというか散漫な話だった。
普通のアニメなら毎度事件が起きて一話の中で起承転結をある程度つけるんだろうが。
圭の家って和菓子屋だったのか。なんで宇宙飛行士目指してるんかね。原作でも描かれていないよなあ。
佐野先生の部屋って暗いなあ。
アルバイトしていいんかねえ。その前にアルバイトできる余裕があるのがすごいが。
やっぱ二人で黙々と走らないとねえ。最後、圭が「青春だねえ」って言うかと思った。そしたらあんたも十分青春してるよと突っ込んだんだが。

暗い夜道

ランニングの経路の途中で街灯200mくらいに渡ってが消えていて暗かった。

更新履歴

略歴

2004.1.9

メモ

陸屋根ろくやね陸とは水平の意で,ほとんど勾配(コウバイ)のない平らな屋根をいう。雨仕舞がむずかしいので,木造の屋根には不適当であるが,鉄筋コンクリート造には適し

弁当箱を洗っていると

手が冷たい季節になった。

2004.1.8

外のジョロウグモがまだ生きている

しぶといな。ジョロウグモって冬越すやつもいるんだったか?

5分で駅まで着く

職場から駅まで走った。我ながら速すぎ。

月が高い

終電間際に帰ってきたら、真夜中で満月だったので月がほぼ真上に。

2004.1.7

夢の中で

見知らぬ新興住宅地をうろついた。

買ったもの。卓上カレンダー


2004.1.6

休載

「ピアノの森」

絵が

いつもにましていまいち。「舞姫」の話。

例のクモ

まだいる

深夜の電車が妙にすいている

先月はおそろしく混みまくっていたのに。

「エコエコアザラク」

新聞のテレビ蘭に「新」のマークがついていたので、おっと思っていちいおう観てみたら実写だった。アニメかと思いきや

2004.1.5

クモ

が朝スーツを着るときに上着に付着していた。巨大なコガネグモっぽいのが。振り払ったら床に落ちた。

彼が頭を丸めたわけ

  1. 反省の意
  2. 芝居でそういう役にあたった
  3. 罰ゲーム
  4. 柔道か空手あたりを始めた
独り言。

買ったもの。「フラッパー」、「ふたつのスピカ」のクリアファイル目当て。くそう、最近買わざるをえないことが多い。サイン会は行けん。

例のクモ

夜見たらまだいる。

2004.1.4

メモ

同じくボサノバのSONIA ROSAやノンジャンルのYUKARI FRESHなどもいいセンにいっていますが。

「高橋留美子劇場・人魚の森」第10話「約束の明日(前)」

あのぶわっとしてうねっとした髪、日本人とは思えない。
「苗」…。「早苗」なら普通にいるが。しかも声が天野由梨。
ちょっと前は農村だったのが郊外団地になっているってのが微妙にリアル。

「高橋留美子劇場・人魚の森」第11話「約束の明日(後)」

全11話か。
いきなりデパートがあるってどういう立地? まあ新興住宅地だったりするとありえないことはないか。
人魚の灰をまいたら食人植物とかにならないんだろーか。
後半数話はなんか食傷した。同じ主題を手を変え品を変え見せているような。

更新履歴

スクリャービン《ピアノ協奏曲 嬰ヘ短調 作品20》聴き比べ

2004.1.3

太ももが

あまり筋肉痛じゃない。昨日のスクワットがあまりきいていないような気が。 が片方電車の床に落ちていた。

読書感想文

吉川惣司, 矢島道子『メアリー・アニングの冒険』朝日選書, 2003年。感想を書こうと思ったら本が見つからないのでそのうち書く。

買ったもの。リサ・エクダール。


2004.1.2

新年早々

石拾い。

新年早々

競輪が開催されていてびびった。

新ルート開拓

してみた。ランニングの。昔自転車で通ったときよりずいぶん近く感じるな。

見慣れない動物

にランニング中に遭遇。親子連れだった。影になってよく見えなかっただけでただの猫?

ヘンリー・セント・ジョージが長命だったのは不幸な偶然なのか

もしさっさと死んでいたら18世紀初頭の紋章院の状況も色々と違っていた気がする。

買ったもの。『月食い』、『ナチュラル』。


2004.1.1

「無人惑星サヴァイヴ」第9話「きっと仲良く暮らせる」

シャアラ泣きすぎ。「もうやめてー!!」はわかるがその後でなぜ泣くか。
床に寝ればいいのに。余計寝違える? それはそれとしてアニメで寝違えるなんて珍しい。ベルは何となくマッサージもうまそうだ。
最近シンゴの株が下がってるなあ。ハワードとぶつける相手が他にいないからなあ。
自分は意見を述べただけ、決めるのはリーダーの役目だとか意地悪ですな。ここはどっちの判断が正しいとも言えないなあ。
いくらでかい木っつっても一人部屋を用意するのは無理があるような。
相変わらずチャコは便利なことで。
あのノコギリ、実際どれくらい使えるもんだろ。用意のよさがあらかじめアンテナって感じ。
木の切りかたが手慣れている!
メノリ、少しは働かないとまずいぞ。ハワードに、もうリーダーじゃないんだからうんたらと言われてしまうぞ。つうかもしかしてハワードが土台壊して内心ほくそ笑んでいたりして? 「やはりシャトルで暮らすしかないようだな」なんて、表情には出さないけど待ってましたって感じだったような。
百匹くらいすぐ釣れるとか言ってしまうのがハワード節。
ハワードが珍しく正論を吐いている。他の連中からするとこれほど屈辱的なこともないだろうが…。
原作(?)では洞穴住まいだったんですがねえ。なんでそういう話にならないんだろう。床も壁も屋根も一から作るよりは現実的だと思うんだが。
そんな簡単に家建てられるもんかと思いながら見ていたらやっぱし。まあ話作りの面からも順当か。
これでもかというくらい災難続きだな。そうじゃないと話が続かないんだろうけど。これで是が非でも引っ越さざるをえなくなったわけで。
まああの枝のせいなんでしょうな。それがどうやって彼らにわかるかが問題なんだが。

"SPACE PIRATE CAPTAIN HERLOCK -OUTSIDE LEGEND- THE ENDLESS ODDYSEY"第10話「螢・幻想」

螢はほたると読むのかけいと読むのか。ていうか蛍じゃなくて螢なのね。
なんで時限爆弾が爆発しなかったのか。
かないみかの出番あれだけ? であの女の子は誰? 機関長の娘? まさかね。

"SPACE PIRATE CAPTAIN HERLOCK -OUTSIDE LEGEND- THE ENDLESS ODDYSEY"第11話「震える宇宙」

ヤッタラン頭よすぎ。
イリタ長官どうなるかと思っていたけど、なかなかカッコよく復活。
地球の記憶とか、宇宙全体が同時に震えるってのが…。陳腐…。
わりとピンチ。

「高橋留美子劇場・人魚の森」第9話「最後の顔(後)」

前編でほぼ話が見えていたからな…。
どうしてほうぼうの旧家に人魚の肉が代々伝わっているのか。
親父ナナオが出たり、婆さんが蔵に来たりでなんとなくばたばたしていた
金魚のなりそこないがなんというか。つーか、アメーバとかゾウリムシでもなるんだろうか。
あの婆さんも秘密があるのかと思いきや。

意外に

足の筋肉痛が消えた。もっとも今日スクワットやるせいでまたぶり返すだろうが。