現代の紋章官

用語

紋章官の職階

紋章王 King of Arms, roi d'armes, Wappenkönig, Rey de Armas, Rex Armorum
意味的には紋章官の頭、長で紋章官の3階梯の1番目。もともとは紋章官たちの間で経験や知識が豊富で、権威の認められていた紋章官という程度だったと思われる。おおむね15世紀以後ある国、地域、または騎士団における紋章の管理について責任のある紋章官。
紋章王という訳語は拙訳であるが、上尾 1995の「楽師王」および、楽師王と紋章王のつながりについて論じたRastall 1968 (Bibliographical data), Vol. 1, Ch. 1, pp. 27ff. (後者のリンク先は pdf) が参考となる。
紋章官 Herald (of Arms), héraut, Herold
狭義には紋章官の3階梯のうちの2番目。広義には3階梯全てを指す(College of Heralds = 紋章院の異称、など)。後者を指す言葉として Officer of Arms もある。12世紀末に紋章官という職業が生まれたときには herald のみが存在し、時代が下るに従って他の2つが派生した。
従紋章官 Pursuivant (of Arms), poursuivant, Persevant (Wappenfolger)
紋章官の3階梯の3番目。見習いの紋章官。ここから職歴が始まる。ただしいきなり紋章官から始まる場合もままあるようだ。

紋章の公証の種別

認可/授与 grant
おそらく王制をとるヨーロッパ諸国で一般に行われていた/いる。イングランドスコットランドにおいては紋章王によって、アイルランドカナダにおいては首席紋章官によって行われる。その他の王国では国王によって行われる。アイルランド、カナダ以外では身分的な観念と結びついている。つまり授爵に伴って行われるか、あるいは一定の身分の者に対してのみ行われる。
認証 certificate
スペインにおいて行われる。詳しくはスペイン修史紋章王の項参照。王政ポルトガル、帝政ブラジルで行われていたという concession も同様のものだったのではないか(両国とも紋章官を置いていた) (concession はむしろ grant に相当するらしい。両国とも紋章官を置いていたのはそのとおり)。
登録 register
主にアフリカ諸国で行われる。認証と大差ないが登録された紋章は法的保護の対象となる。(ただし登録されない即全く法的に保護されないということではないのではないか。)
確認 confirm
英国において、すでに紋章を持つ権利を有していて実際に使用しているが、まだ紋章官に認知されていなかった場合に、紋章の所有者は紋章官に対し確認を請願できる。
分流登録 matriculate
スコットランドのみ。ある紋章をそのまま相続できるのは長男のみであり、次男以下は図柄を変えなければならない。図柄を変えた紋章の認可を特に matriculate という。そもそもの語義は register と同じような意味あいであり、現代では一般に入学許可の意味で用いられる。ここでは術語として分流登録と訳す。

凡例

薄字
今後変更するかもしれない暫定的な訳語をあらわす。(ほとんどの訳語は拙訳であり、薄字である/なしにかかわらずどれも変更の可能性はゼロではない。職名の訳語私案の一覧も参照。)
author published-year.
参考文献、典拠資料等出版物を一意に示す表記。文献の詳細は所有紋章学関連文献参照。

掲載の基準

付記。紋章官の職務は中世末期15世紀頃には、どの国においても、アルファベット順に紋章学関連 armorial 、式部関連 ceremonial 、外交 diplomatic の三つからなっていた(London 1970, p.19による。以下この三つをA, C, Dと略記)。16世紀以後紋章官の職務は変化し、イギリス(イングランド、スコットランド、アイルランド)では現代まで A, C が残ったが、その他の国々では、例えばフランスでは17世紀以後 C のみ、スペインでは最終的に A のみとなった。
また A の職務においても、紋章を授与する権限はイングランドにおいては15世紀頃から始まっているが、他の国々では授与する権限までは持たず、むしろ諮問機関的な役割にとどまることのほうが多かった。
紋章官という言葉から一般的に想起される職務は従って、イギリス特有のそれであり、どの国でもそうだったわけではない。
現代の紋章官と言った場合に、紋章官の名前を持たない C, D のみの役職まで含めるのは、本来誤りとは言えないはずだが、イギリス的な紋章官が現代の通念となっているため、ここでは掲載しない。A についても諮問機関的な役割のみを持つ機関、役職について「番外」としたのは、同じくイギリスの紋章官を基準としているためである。

現在進行形

現在進行中の事柄をこの項に記す。

ベルギー

「2004年5月12日フランス語共同体における自然人および家族団体の紋章の登録に関するデクレ(政令)」 12 MAI 2004. - Décret relatif à l'enregistrement d'armoiries de personne physique ou d'association familiale en Communauté française 制定

1985年設立のフランス語共同体紋章学・旗章学審議会 Conseil d'Héraldique et de Vexillologie de la Communauté française de Belgique は、当初より市 villes およびコミューン communes の紋章、印章および旗の承認の権限を有していた。2004年にこれに加えて政府による個人の紋章登録が行われることとなった。ただしデクレは制定されたものの、現在(2008年2月)のところ実際の運用に必要な設備や人員や種々のとりきめの準備はまだ整わず、当然運用そのものも始まっていない模様。

Moniteur Belge - Belgisch Staatsblad
Décret du 05 juillet 85 instituant le Conseil d'Heraldique et de Vexillologie de la Communauté française de Belgique et fixant le drapeau, le sceau et les armoiris des vill et de communes (pdf)

「2010年10月14日フランス語共同体における自然人および家族団体の紋章の登録に関する2004年5月12日制定デクレ(政令)実行のフランス語共同体政府命令」 14 OCTOBRE 2010. - Arrêté du Gouvernement de la Communauté française portant exécution du décret du 12 mai 2004 relatif à l'enregistrement d'armoiries de personne physique ou d'association familiale en Communauté française

読んで字のごとしでデクレが施行された。

Moniteur Belge - Belgisch Staatsblad

スペイン

2005年12月21日最後の修史紋章王団団長 Don Vicente de Cadenas y Vicent 死去

1931年第二共和制成立とともにすべての紋章官職は廃止。フランコ独裁時代の1951年の命令 Decreto により、当時存命の修史紋章王が復職した。しかしそれ以後新たな任命が行われることはなく、アルフォンソ13世時代からの4名の紋章王のうち最後まで存命だった Don Juan Félix de Rújula y Vaca, Marqués de Ciadoncha は1978年に死去した(1899年6月24日-1978年8月28日、1919年6月30日員外紋章王、1930年4月23日正員紋章王、1951年6月16日復職)。Don Vicente de Cadenas y Vicent は、カルリスタ党王位僭称者カルロス8世ことカール・ピウス Karl Pius von Habsburg-Lothringen-Toskana の紋章王でしかなかったにもかかわらず、1951年にスペインの紋章王として上記4名とともに復職したのだが、その彼も2005年に死去した(1915年4月29日-2005年12月21日、1938年紋章王、1951年7月13日復職)。現在(2021年8月)のところ新たな修史紋章王が任命される見込みはない。

Vicente de Cadenas y Vicent
Vicente de Cadenas y Vicent (English Wikipedia.)
Zabala y Menéndez, Margarita, "Los reyes de armas en España", in Hidalguía: la revista de genealogía, nobleza y armas, Año 2016, Número 372, pp.483-554.
Ceballos-Escalera y Gila 1993.

アイルランド

「2006年系図学および紋章学法律案」 Genealogy and Heraldry Bill 2006 提出

アイルランドの項で詳述しているとおり、1943年4月1日、アルスター紋章王の職務は系図学事務局へと引き継がれた。この時には、しかしアイルランド政府は、系図学事務局(および後のアイルランド首席紋章官)が、いかなる法的根拠により、系図学事務局あるいは首席紋章官が行使する職権を有するのかを見過ごしていた。すなわち、英国統治時代の政府各組織の職務・権限は「1924年府省法」 Ministers and Secretaries Act, 1924 により、当時の自由国政府へと引き継がれた。しかしアルスター紋章王の職務・権限は国王大権に由来するものであり、これは同法の埒外であった。かと言って自由国へと引き継ぐための個別の取りきめがなされることもないまま、アルスター紋章王職は1943年まで存続した。
系図学事務局という名称は、1943年の首相命令 Allocation of Administration (Genealogical Office) Order, 1943 に登場する。ただし、この命令は系図学事務局の設立を意図したものではなく、単に系図学事務局の業務を教育省配下とすることを決定しただけである。にもかかわらず、アルスター紋章王職の移譲はもっぱらこの命令に依拠して行われた。つまりアイルランド政府は、法的には英国政府からアルスター紋章王の職務を引き継いでおらず、また系図学事務局を設立するための法律も制定しなかった。そしてその状態のまま、実務レベルで業務が引き継がれ、運営されていった。
この問題は1990年代に入り真剣に議論されるようになった。「1997年国立文化機関法」 National Cultural Institutions Act, 1997 により、首席紋章官が国立図書館の一部門であることが定められた。しかし同法も首席紋章官を既に設置済の職として扱い、同職を設置するための条文を含んでいなかった。2002年に司法長官 Attorney General は、首席紋章官が法的根拠を持たない職であるとする見解を表明した。
「2006年系図学および紋章学法律案」(2006年5月8日提出)は、上記の状況を解決するものとして提出された。しかし現在(2008年2月)のところ、国会での二度の審議の後、法案を国立図書館評議会 Board of the National Library of Ireland に回付し、議論を依頼したところで進捗は止まっている模様。

Irish Statute Book, Statutory Instruments, S.I. No. 267-1943 - Allocation of Administration (Genealogical Office) Order, 1943
No. 11-1997 NATIONAL CULTURAL INSTITUTIONS ACT, 1997
Genealogy and Heraldry Bill 2006 [Seanad] [PMB] (No 23 of 2006) - Tithe an Oireachtais
GENEALOGY AND HERALDRY BILL 2006 (pdf)
Speech for Minister O Donoghue on the second Stage of GENEALOGY AND HERALDRY BILL 2006 Seanad Eireann
Genealogy & Heraldry Bill 2006
Noel Cox, "The Irish Law of Arms ? a lingering question of authority" (pdf)
Ireland's Genealogical Gazette Vol. 1 No. 10 October 2006 (pdf)
Ireland's Genealogical Gazette Vol. 2 No. 4 April 2007 (pdf)
Ireland's Genealogical Gazette Vol. 2 No. 11 November 2007 (pdf)
Genealogy and Heraldry in Ireland Minister sends Bill to NLI Board

「2008年国立文化機関法修正法律案」 National Cultural Institutions (Amendment) Bill 2008 提出

上記首席紋章官の法的根拠に関連し、首席紋章官に法的根拠がないのであれば、首席紋章官によって1943年以来授与されてきた紋章認可も同様に無効になるため、その救済を主眼とする。「2006年系図学および紋章学法律案」に成立の見通しがたたないため、紋章認可についてのみ本法案によって是正する運びとなったようである。「1997年国立文化機関法」によって首席紋章官の存在については一定の根拠ができたと見なされているようであり、ここでの救済の対象は1943-1997年の間に授与された紋章ということになる。1552年のアルスター紋章王創設から「2008年国立文化機関法修正法律案」可決までの間の紋章認可が有効であること、1943年の系図学事務局設立以後の首席紋章官の任命が有効であること、および国家紋章登録台帳(/原簿/登録簿) National Heraldic Register の創設などが盛り込まれている。

NATIONAL CULTURAL INSTITUTIONS (AMENDMENT) BILL 2008 (pdf)

スコットランド

「破産、執行等に関する法律」(2007年スコットランド議会法律第3号) Bankruptcy and Diligence etc. (Scotland) Act 2007. 2007 asp 3 成立および同法により執行官廃止決定

現行の Messenger-at-Arms および Sheriff Officer は廃止、新たに Judicial Officer およびスコットランド民事執行委員会 Scottish Civil Enforcement Commission の設置が決定。新制度においては前記委員会 Commission が Judicial Officer の人事を監督し、実際の任命は、高等民事裁判所長官 Lord President of the Court of Session が行う。ライオン紋章王は職権により委員会の一員ではあるが、それ以上ではない。
Judicial Officer も、というより Judicial Officer こそが執行官と訳すべき職のため、訳語は要再考。

Bankruptcy and Diligence etc. (Scotland) Act 2007

「スコットランドタータン登録台帳法」(2008年スコットランド議会法律第7号) Scottish Register of Tartans Act 2008. 2008 asp 7 成立

制度的にはライオン紋章王は同登録台帳(/原簿/登録簿)に関与するところはない。法案審議中にライオン紋章王が台帳管理官 Keeper of the Scottish Register of Tartans に任命されることが議論されたが、見送られた。運営上はライオン紋章王が助言を行うとのこと。

Scottish Register of Tartans Act 2008
Scottish Register of Tartans clears final hurdle
Tartan Register
National Tartan Register to be set up
The Scottish Parliament: - Bills - Current Bills - Scottish Register of Tartans Bill (SP Bill 08)
Scottish Register of Tartans Bill [AS INTRODUCED] (pdf)
SCOTTISH REGISTER OF TARTANS BILL. EXPLANATORY NOTES. (AND OTHER ACCOMPANYING DOCUMENTS) (pdf)
SCOTTISH REGISTER OF TARTANS BILL. DELEGATED POWERS MEMORANDUM (pdf)
SCOTTISH REGISTER OF TARTANS BILL. POLICY MEMORANDUM (pdf)
The Scottish Parliament: - Bills - Session 2 bills (2003 - 2007) - Scottish Register of Tartans Bill (pdf)
SCOTTISH REGISTER OF TARTANS BILL. SPICe briefing (pdf)
Scottish Register of Tartans Bill [AS INTRODUCED] (pdf)
PROPOSED SCOTTISH REGISTER OF TARTANS BILL STATEMENT OF REASONS BY JAMIE McGRIGOR MSP ON WHY CONSULTATION ON THE DRAFT PROPOSAL IS NOT REQUIRED (pdf)
SUBMMISSION FROM ALASTAIR CAMPBELL OF AIRDS, UNICORN PURSUIVANT OF ARMS (pdf)
SUBMISSION FROM SCOTTISH TARTANS WORLD REGISTER (pdf)
SUBMISSION FROM LORD LYON KING OF ARMS (pdf)
SUBMISSION FROM SCOTTISH TOURISM FORUM (pdf)

「スコットランド公務員制度改革法」(2010年スコットランド議会法律第8号) Public Services Reform (Scotland) Act 2010. 2010 asp 8 成立および同法により執行官廃止撤回

いったん廃止の決まった執行官だが、その後行政制度を簡素化する方針となり、新たな制度/組織を導入/設立せずとも現行の制度/組織で運営可能な業務は現状を維持することに決まり、執行官制度も存続することとなった。

Public Services Reform (Scotland) Act 2010
Officers of Court - Designation of a Professional Association - A Consultation


イングランド

紋章院 College of Arms

1484年設立。1407年にフランスの紋章官たちが自らの団体を結成して以来、イングランドの紋章官も同様の組織の設立を試みていたようだ。リチャード3世の勅許状は「紋章官の結団」を認めたものであり、当初は紋章官たちの同職組合の色彩が強かった。紋章院はその頃から紋章の認可を始めた紋章官たちのための、自らが作成した文書、記録を保管する場所であり、そうした業務を行う場として与えられた。「紋章院」は元来建物そのものの呼称であり、組織の名称ではないと考えるほうがふさわしい。1484年および1555年の勅許状に紋章院という言葉は書かれていない。そもそも両勅許状は「紋章官の団体」を現代で言うところの私法人として設立するものであり、文面からそれ以上の意図を読み取ることはできない(私法人であることは例えば1973年の紋章院法案についての貴族院議事録1973年5月10日第342巻第580段参照)。紋章官の義務や権利は、個々の紋章官を任命する際の勅許状によって規定されるのであり、団体としてはそうした義務や権利は持つことはなかった。例えば免税特権はあくまで紋章官たちに与えられていたものであり、紋章院あるいは紋章官の団体自体がそうした特権その他を付与される(あるいは付与する)主体になることはなかった。
リチャード3世をボズワースの戦いで敗死させたヘンリー7世が、当時の紋章院の建物コールドハーバーを没収し、自分の母に与えて以後、1555年にメアリ1世がダービー・プレースを与えるまで紋章官たちは宿なしだった。その間紋章官の団体自体は Corporation of Heralds として存在していた。ただし1555年には単に建物を与えられたのみならず、紋章官の団体の設立が再度確認されたことは見逃してはならないだろう。
ダービー・プレースと同じ場所に現在の紋章院も建っている。ただし現在の建物は、有名なロンドン大火でダービー・プレース焼失後に再建されたものであり、また現在クイーン・ヴィクトリア通りとなっている部分もかつては紋章院の敷地だった。なおロンドン大火は街を焼き尽くすのに数日かかったため、ダービー・プレースまで火が回る前に中の文書類は全て運び出され、失われずに済んだ。現在も紋章院には中世からの文書が多数残されている。

ガーター紋章王 Garter Principal King of Arms

1415年創設。ガーター騎士団 Order of the Garter の紋章官であり、イングランド全体に責任のある紋章王。しかし後半部分の権限については明確に定義されたことがない。少なくとも全イングランドの貴族の紋章を管轄する権限を持っているのはたしかだが、それ以外については極めて曖昧。
騎士団付きの紋章官はガーターが初めてで、その後ブルゴーニュで金羊毛騎士団創設時には金羊毛紋章王が創設されるなど、先例となった。

クラレンスー紋章王 Clarenceux King of Arms

14世紀頃創設。「トレント川以南のイングランド南部、東部、西部諸地方における紋章王にして第一の紋章官」。南部イングランドと全ウェールズの(貴族以外の)紋章に責任を持つ。ノロイより格上ということになっている。クラレンスーとはクラレンス Clarence の住民の意らしく(フランス語)、もともとはクラレンス公 Duke of Clarence に、あるいはさらに遡って(ド・)クレア (de) Clare 家に仕える紋章官だったと言われる。クラレンスーがイングランドの南半分に持つ権限を、ガーターが全イングランドに持つそれが上回るのかは曖昧。しばしば両者の間に論争が起きた。

ノロイ紋章王(ノロイ及びアルスター紋章王) Norroy King of Arms (Norroy and Ulster King of Arms)

13世紀?創設。「トレント川以北のイングランド東部、西部、北部諸地方における紋章王にして第一の紋章官」。『ウィリアム・マーシャル伝』 Histoire de Guillaume le Maréchal にもこの名が見える。Nord + roy (北の王)という名称のごとくイングランドの北半分を管轄。クラレンスーより格下なのはイングランドの北部が南部に比べて豊かではないから? アイルランド共和国の独立後、1943年にアイルランドの紋章王であるアルスター紋章王職と一体化し、北アイルランドにも権限を及ぼす(後述、アイルランド首席紋章官の項参照)。権限の内容についてはクラレンスーと同様。

紋章官

リッチモンド、ランカスター、ヨーク、サマーセット、ウィンザー、チェスターの6人(順不同)。ウィンザー以外は王族貴族の名から採られている。創設者はだいたいにおいて国王か後に国王になる人。むしろそうした王室ゆかりの名を持つ紋章官だけが存続したと考えるべきで、16世紀半ばに意図的な(おそらく意図的な)取捨選択が行われた(員外紋章官の項も参照)。

従紋章官

ブルーマントル、ルージュ・ドラゴン、ポートカリス、ルージュ・クロワの4人(順不同)。名前は国王の記章(バッジ)から。従紋章官が4人で紋章官が6人というのはなんとなくバランスが悪いような。

員外紋章官 Herald Extraordinary と員外従紋章官 Pursuivant Extraordinary

訳語は拙訳。紋章官だが紋章院の一員と数えられない人。正式な一員ではない、と言うべきかも。上記に述べたのは全員紋章院の一員である正員紋章官 Officers in Ordinary 。もともと紋章官は国王だけではなく貴族や騎士、まれには都市(スイスの紋章官(覚え書き)参照)などにも雇われていた。紋章院設立の勅許状も、国王に雇用されている/いないを問わず「他の(特に個人名を挙げた以外の――筆者)全ての紋章官たちと従紋章官たち」も含めた全ての紋章官に宛てられていた。しかしイングランドでは15-16世紀にかけて国王の紋章官が官僚化していく一方で、それ以外の紋章官は消滅傾向にあった。ヘンリー8世の頃には、国王以外の紋章官は「員外」と定義され、国王の紋章官(員外としてだが)の中に数えられるようになった(らしい)。しかしそうした紋章官は徐々に、おそらく1570年までに消滅し、そして1602年にそれらの職が復活したときには実質的な意味を失っていた。すなわちこの頃には紋章院の定員が13人で固定化し、それらに空きが生じるまでの仮の腰掛け的な意味合いしか持たなくなっていた。現代では名誉職化し、紋章院外で活動して紋章学に対して貢献した人物が任命されている。人数不定。
国王の勅許状により任命される正員紋章官と異なり、員外紋章官は、国王が令状 warrant によりアール・マーシャルに対し任命を命令し、それにもとづきアール・マーシャルが任命する。
後述するようにニュージーランド員外紋章官のみは他とは異なる性格を帯びる。またウェールズ員外紋章官もある程度、同様にウェールズの紋章官としての役割を担っているが、こちらは常任の職として設けられたのか不明。

アール・マーシャル Earl Marshal of England

マーシャルコンスタブルとともに、中世において軍隊の最高指揮官であり、責任者。その起源や元々の職務は曖昧だが、コンスタブル(comes stabuli = count of the stable)もマーシャル(mar + shal; shal は sene·schal と同様 servant の意、 mar は mare と同根で馬)も名前からして厩舎や馬に責任があった人らしい。ここで「軍隊」とは特定の戦いや遠征のために招集・編成・組織されたそれのことであり(当時は常備軍などなかった)、同時に複数のコンスタブルとマーシャルが存在することが当然あった。しかしその中で全イングランド(あるいはスコットランド、フランスetc)の軍隊の最高指揮官であり責任者である、コンスタブル・オヴ・イングランド、マーシャル・オヴ・イングランドという職が生まれる。このうちマーシャル・オヴ・イングランドは、いつの頃からか(遅くとも16世紀初め以後から)アール・マーシャルと呼ばれるようになったが、中世的な軍隊の消滅とともに軍の指揮官という役割は失われた。
ところで軍の中でいざこざが起きた場合に、軍の最高指揮官であるコンスタブルとマーシャルがそれを最終的に裁いた。これは航海中の船でもめ事が起きたときに、船長がそれを最終的に裁くようなものだと解せばよい(と思う)。14世紀の半ば頃、コンスタブル・オヴ・イングランドとマーシャル・オヴ・イングランドが常設の裁判所を持つようになった起源はここにあると思われる。
軍の中で起きるいざこざは殺人、盗難、反逆、身代金や捕虜がらみなど様々であったが、その一つに紋章に関わるものがあり、このためコンスタブル・オヴ・イングランドとマーシャル・オヴ・イングランドの裁判所はこれを扱った。
イングランドでは薔薇戦争の終わり以後、軍隊の組織に変化が生じ、16世紀半ばまでにコンスタブル・オヴ・イングランド職は廃絶し、アール・マーシャル・オヴ・イングランド職は軍の最高指揮官ではなく式部官長としての役割を担うようになった。またその裁判所も紋章と名誉に関わる訴訟のみを扱うようになる。この裁判所が高等騎士裁判所である。
コンスタブル・オヴ・イングランドとマーシャル・オヴ・イングランドがどのようにして紋章官たちの監督権を持つに至ったかはよく知られていない。しかし14世紀半ばから徐々にそれが始まり、16世紀半ばには定着した。しかしそのときにはイングランドには後者、つまりアール・マーシャルのみがいた。
ともかく、紋章王が紋章の認可を行うときには(これ自体は国王から委譲された権限である)、アール・マーシャルの令状 warrant を取得する必要がある。また、紋章官の叙任儀式で紋章官が忠誠を誓うのはアール・マーシャルに対してである。
1672年以後、アール・マーシャルはノーフォーク公家の世襲。

高等騎士裁判所 High Court of Chivalry

起源についてはアール・マーシャルの項参照。英語の呼称はラテン語 Curia Militaris の訳であり、この場合、 Chivalry の通常の日本語訳である「騎士道」ではなく、単に「騎士(の)」と解すほうが適切。この裁判所の最大の特徴はイングランドで通常用いられているコモン・ローではなくシヴィル・ローを採用していること。
この裁判所がアール・マーシャルの裁判所であることと、アール・マーシャルが紋章院を監督しているというのは本来は全く別個の、独立した事柄だったと思われる。すでに述べたようにこの裁判所が扱う訴訟の一つに紋章を巡る争論があったのだが、中世的な軍隊が消滅しこの裁判所の存在も曖昧になった後、17世紀に復活したとき、紋章と名誉に関連したいざこざが、この裁判所が扱う訴訟の中心を占めるようになった。以後1730年頃に活動を停止するまで、年を追うごとに紋章官のための裁判所の度合いを強めていき、最終的には紋章院内に裁判所が置かれる。
高等騎士裁判所は19世紀の司法制度改革の際には、すでに事実上廃止状態にあったため、法律上の統廃合を免れた。その後1954年にただ一件、マンチェスター市対マンチェスター・パレス・オヴ・ヴァライエティーズ社 Manchester Palace of Varieties Ltd 裁判がこの裁判所で扱われた。マンチェスター市は、マ社が同社の経営する演芸場内で、また同社の印章において市の紋章が許可なく用いられているとして同社を訴え勝訴した。
上記リンク先はバーミンガム大学の研究プロジェクトの成果を公開したサイト。プロジェクトは紋章院およびノーフォーク公の全面的な協力を得ており、現時点では公式サイトに準じる内容と判断してリンクを設定した。

沐浴紋章王、聖マイケル・聖ジョージ騎士団紋章王と大英帝国騎士団紋章王 Bath King of Arms, King of Arms of the Order of St Michael and St George and King of Arms of the Order of the British Empire

沐浴紋章王は1725年5月18日付勅許状により沐浴騎士団 Order of the Bath が創設された際に設置。紋章院の一員であったことは一度もない。後二者の紋章王はそれぞれの騎士団について以外の職務はなく、特に称号も持たない(通常紋章官は特定の職号 title を持つが、この二者は各々の騎士団の紋章王とだけ呼ばれる)。Godfrey 1963所収の、H. S. London の手になるイングランドの全紋章官人名録においては、員外紋章官/従紋章官は全て記載している一方で、この三者については沐浴紋章王の項で一括して扱い、前記のような説明をつけているのみで、歴代の各紋章王の人名は割愛されている。また London の追補として逐次編集、出版されている紋章官人名録 Heralds of Today (Chesshyre and Ailes 1986, Chesshyre and Ailes 2001)は、この三者について項を立てていない。

Chesshyre and Ailes 1986.
Chesshyre and Ailes 2001.
Godfrey 1963. (Internet Archiveにて入手可。)
Keen 1984b.
London 1970.
Squibb 1956.
Squibb 1959.
Squibb 1985.
Wagner 19562.
Wagner 1967.
Heraldic Media Limited - Letters Patent 左記ページが存在しなくなったため、Internet Archiveを参照のこと。
Wales Herald Extraordinary

スコットランド

ライオン紋章王裁判所 The Court of the Lord Lyon (Lyon Court)

ライオン紋章王(ラテン語では Leonis Regis Armorum =「ライオン紋章王の」のように言及される。つまり Lyon とは Lion の古い形)の起源は、14世紀初頭のライオン紋章官にさかのぼる。ライオン紋章王として定着するのは16世紀初めであり、Lord の敬称が用いられるようになるのは16世紀末のことである。ライオンという名称はスコットランド王の紋章に由来する。
ライオン紋章王は大臣 minister であり、スコットランド唯一の紋章王であり、第一の紋章官である。大臣として彼は他の紋章官を叙任する(ただし事務官兼記録管理官 Lyon Clerk and Keeper of the Records は国王が任命、また紋章官の一人とは数えられないが検察官 procurator fiscal はスコットランドの諸大臣 Scottish Ministers が任命する)。彼はまた裁判官でもある。従ってその地位と権限はイングランドのアール・マーシャルガーター紋章王を合わせたようなものである。ガーター紋章王同様、ライオン紋章王はスコットランドのアザミ騎士団 Order of the Thistle 付きの紋章王であり、近年は(少なくとも近年は)同騎士団の書記官 Secretary も兼職している。
ライオン紋章王が紋章使用についての裁判権を確立したのは16世紀半ば頃と考えられている。その裁判所は現在も下級裁判所の一つとして活動していて違法な紋章使用を裁いており、イングランドの紋章院に比べ、法的にもまた実際にも極めて強い力を持っている。スコットランドの紋章官たちはイングランドの紋章官たちと異なり、団体を結成しておらず、このことからも、その組織は紋章院よりはむしろ高等騎士裁判所に相当する。
イングランドの紋章官たちの権限は、任命時の勅許状や種々の授権書に基づいている。それに対しスコットランドの紋章官たちの権限は、むしろ1587年以後何度か制定された議会制定法によって定められたところが大きい。
スコットランドでは、ライオン紋章王のもと6名の紋章官と6名の従紋章官が存在する。しかし1867年の議会制定法により実質的な定員削減がおこなわれた。すなわち、常時3名ずつの紋章官と従紋章官を置き、誰かが離職した際は、そのとき空席だった残りの3つの職のどれかに、新たに人が任ぜられる、つまりは一種のローテーション形式をとることにした(と筆者は解している)。
法律上、ライオン紋章王の職務については、多くの場合「ライオン紋章王およびその同僚である紋章官たちは」のような文言で記述されている。しかし紋章官、従紋章官は、実際上は式部官としての職務のみに携わっており、紋章学的な職務、裁判官としての職務はもっぱらライオン紋章王が遂行している。また、イングランドの紋章官たちは、依頼者からの依頼にもとづく家系や紋章についての調査を日常行っているが、スコットランドの紋章官たちは、そうした調査業務を一切行わない。そうしたことから、ライオン紋章王裁判所における常勤職はライオン紋章王と事務官兼記録管理官の二職のみであり、議会の開会式やアザミ騎士団の式典など限られた機会のみ職務を遂行する紋章官、従紋章官はそれほど多くの人数を必要としないと考えられる。さらに付言すればイングランドにおいては、紋章王、紋章官、従紋章官の人事権は非紋章官であるアール・マーシャルが持ち、紋章官、従紋章官は、紋章王と経験や序列の差はあってもあくまで同僚 fellow という感があるのに対し、スコットランドでは紋章王によって任命される、より従属的 subordinate な存在である。
1867年の制度改変の際にはまた、スコットランドにおける紋章官の公務員化が実施され、紋章官は給料を大蔵省より給付され、また彼らの主たる収入源であった手数料収入は大蔵省に納められることとなった(ただし現時点でライオン紋章王と事務官以外が給料を受けているかは不明)。
紋章官はオールバニー Albany 、ロスセイ Rothesay 、ロス Ross 、マーチモント Marchmont 、アイラ Islay 、スノードン Snawdoun の6名、従紋章官はキンタイア Kintyre 、ユニコーン Unicorn 、キャリック Carrick 、ディングウォール Dingwall 、ブート Bute 、オーモンド Ormond の6名(発音を調べてないのでカタカナ表記はかなりいい加減)。すでに述べたように実際には3名ずつである。取り消し線をつけた紋章官2名は2011年7月現在員外紋章官となっている。イングランドと異なり、紋章官、従紋章官は無給らしい。
上記リンク先はcomドメインだが公式サイト。

員外紋章官と員外従紋章官

スコットランドでは主に紋章王や紋章官を引退した人物が保持する職であるらしい。ライオン紋章王が任命する。

私設紋章官 private herald

イングランドの員外紋章官の項で述べたように、かつては国王以外の貴族も紋章官を抱えていた。スコットランドでは現代もなお自前の紋章官を抱える貴族がいて、そうした私設紋章官が4名いる。4名とも位階は従紋章官。ただし実際には現在の私設紋章官は、20世紀になって復活した伝統の模様。

執行官 Messenger-at-Arms

執行官はスコットランドに古くから存在し、高等民事裁判所 Court of Session 、最高刑事裁判所 High Court of Justiciary 、ライオン紋章王裁判所の発する令状の送達や強制執行の実施にあたる職員である。スコットランドでは、この執行官も広義の紋章官 officer of arms のうちに含まれる。ライオン紋章王は高等民事裁判所の推薦に基づき彼らを任命し、また監督する。
なお州裁判所 Sheriff Court においては州裁判所執行官 Sheriff Officer が同様の職務にあたっているが、こちらはライオン紋章王の配下にない。

Burnett 1995-6.
Innes of Learney 19562.
Wagner 1967.
The Lord Lyon and his Jurisdiction
Documents on the powers and practice of the Lyon Court
Ancient Scottish Patents and Matriculations, The Heraldry Society of Scotland - UK Heraldry
Lyon King of Arms Act 1867 (c.17) - Statute Law Database
House of Lords. The Sessional Papers 1801-1833. Vol. 152 (1823). (Report on the Court of the Lord Lyon; Being the Tenth Report of the Commissioners Appointed for inquiring into the Courts of Justice in Scotland. Office and Court of the Lord Lyon.) (Google Books)

スペイン

以下の理由により今の記述はまずい箇所は取消線をつけて当面保留。

修史紋章王団 Cuerpo de Cronistas Reyes de Armas

スペインも中世以来紋章官を維持する国である。しかし現在は2名の紋章王がいるのみである。2名とも修史紋章王 Cronista Rey de Armas = Chronicler King of Arms と呼ばれる。Cronista は、英語の chronicler より多少意味の幅が広く、ここでは記録官というような意味合いであるようだ。2名のうち1名は団 Cuerpo の長 Decano であり、もう1名はカスティリャ・レオン紋章修史官と呼ばれ、1991年にカスティリャ・レオン自治州の紋章王として任命された。かつては計4人の紋章王および数名の員外紋章王 Rey de Armas supernumerario がいたらしく、うち2人はナヴァラ、グラナダと呼ばれていた。
かつてのスペインの紋章官は、他の国々と同様、紋章に関する職務、式部官としての職務、外交官としての職務を担っていたが、後二者は1846年までにすべて廃止され、現在では紋章に関する職務のみを行っている。
1931年第二共和制成立とともにすべての紋章官職はいったん廃止されるが、フランコの独裁時代に復活。ただし紋章という称号が嫌われ、紋章修史官 Cronista de Armas と呼ばれていた(王党派への一定の配慮ということか?)。また彼らは公務員としての地位を失った(しかし国王から任命され、それは法務大臣により承認される)。
団は1931年の廃止以後、法律上復活していないので、現在は公的組織ではない。
スペインでは紋章の授与=爵位の授与であり、この権限は国王が保持する。修史紋章王は紋章の認証 Certification を行うのみである。認証とは、その紋章が認証の請求者以外に認証されておらず、たしかにその人に属しているということの証明。認証の際その紋章の出自(なぜ、どのようにしてその人がその紋章を持つに至ったのか)は問われない。この認証は、かつては職権によって行われていたが、1915年の布告によりこの権限は廃止、以後修史紋章王の個人的な責任によってなされるものとされ、従って現在はスペイン政府による公的な証明とは見なされない。スペイン国民のみならず、かつてスペイン領だった地域(例えばカリフォルニア)の住民も認証を申請することができる。
近年カスティリャ・レオン紋章修史官は独自に紋章官の任命を行っているが、法的根拠は不明。それにより2015年現在2名の私設?紋章官が存在する。

Untitled Normal Page
http://groups.google.co.jp/groups?selm=1104976391.383070.274980%40c13g2000cwb.googlegroups.com&output=gplain
FOREIGN ARMIGERS OF SPAIN - Articles of Interest
Vicente de Cadenas y Vicent
Losada y Marti 2014.

以下4つのリンクについては、上記文章記述のうえで直接の参考とはしていないが(筆者がスペイン語を理解しないゆえ)、内容的に重要なので特に記載する。

DECRETO de 13 de abril de 1951 por el que se regulan las funciones de los Cronistas de Armas. (pdf) 1951年4月13日付紋章修史官の職務を定める政令。
Orden de 10 de junio de 1961 por la que se designa Decano de los Cronistas Reyes de Armas a don Juan Félix de Rújula y Vaca. (pdf) 1961年6月10日付フアン・フェリクス・ルフラ・イ・バカを修史紋章王の長に任命する命令。
Boletin oficial de Castilla y León. Año IX. 16 de mayo 1991. Núm. 92. (pdf) pp.1784ff. がカスティリャ・レオン自治州における地方自治体の紋章の管理規則・手続きおよび紋章修史官の設置についての政令。
Consejo de Estado: Dictámenes. Número de expediente: 2437/1995 (JUSTICIA E INTERIOR) カスティリャ・レオン紋章修史官の権限について枢密院の判断結果。あくまで意見であり法的な拘束力があるわけではない。

スウェーデン

国家紋章学官 Statsheraldiker と紋章審議会 Heraldiska nämnden

スウェーデンの国立文書館の紋章学部門という位置づけ。国家紋章学官は1953年創設。
紋章学官という訳語は、スウェーデンにおいては1780年から1974年まで王国紋章官 rikshärold という役職が(また1748年から1974年までセラフィム騎士団 Serafimerorden の?紋章官 härold というさらに別個の役職が?)存在し、語義的に紋章官に相当するのは後者であるため。
国家紋章学官の前身は、1734年以来の王国紋章学官 Riksheraldiker 王国紋章学官の職務は主に貴族の、19世紀に入ってからはさらに平民の紋章の管理だった。一方現在の国家紋章学官は、王室と政府機関、都市などの自治体の紋章のみを管理し、個人の紋章は扱わない。
南アフリカの国家紋章官はこの紋章学官を手本に創設された。

Svenska heraldiska föreningen Riksheraldikerämbetet. En svensk institution sedan 1734.
http://groups.google.co.jp/groups?selm=5cbdad47.0407111403.2b7501c0%40posting.google.com&output=gplain
Martin Sunnqvist, "Släktvapenrätt - en jämförande studie av den historiska och nutida, engelska, tyska och svenska rättsliga regleringen av slätvapen och dess föhållande till varumärkesrätten", Lunds universitet, 2001, pp. 107-110. (pdf)

アイルランド

アイルランド首席紋章官 Chief Herald of Ireland

14-15世紀の史料にその名が見えるアイルランド紋章王は、実際にはイングランドの紋章官であり、アイルランドで活動していたという記録はない。その後この職が消滅した(?、実際どうなったのかは不明)後、1552年にやはりイングランド王のもとアルスター紋章王が創設された。この職は「全アイルランドの紋章王にして第一の紋章官」だった。このとき同時にアスロン Athlone 従紋章官が創設された。
その後、1783年の聖パトリック騎士団 Order of St Patrick 創設の際、騎士団付属の職としてダブリン Dublin 紋章官、コーク Cork 紋章官と特に名前のない4人の従紋章官が創設された。聖パトリック騎士団付属のこれらの職は19世紀末に一旦廃止されるが、ダブリンとコーク紋章官のみは1905年に再創設された。
これらアイルランドの紋章官はイングランドの紋章官同様、王室 Royal Household に(正確にはアイルランド統監 Lord Lieutenant に)属していたが、1871年以後、年俸は王室からではなく大蔵省 Treasury から支払われることとなった。同様にイングランドの紋章官が紋章認可などで得た手数料を現在でも自分たちの懐に収めているのに対し、アルスター紋章王は以後それを大蔵省に納めることとなった。
1922年のアイルランド自由国成立後も、また1937年の憲法制定後も、アルスター紋章王職は全アイルランドを管轄する職として1943年まで存続した。この年、アルスター紋章王はイングランドのノロイ紋章王と一体化し、北アイルランドのみを管轄することとなった。一方アイルランド共和国は国立図書館付属の組織として系図学事務局 Genealogical Office を設立し、南アイルランド部分を引き継いだ。この組織の長は当初、単に首席系図学事務官 Chief Genealogical Officer だったが、1946年首席紋章官及び系図学事務官 Chief Herald and Genealogical Officer へと変更された(この名称は当時のライオン紋章王の発案)。通称は単に首席紋章官である。なお首席紋章官の職務は、紋章学と系図学に関するもののみであり、式部官としての職務は引き継がなかった。
この存続と移譲の理由は、(1)法的な問題。アルスター紋章王は国王の勅許状によって終身で任命されるため、行政府の統制下になかった。それ故、両政府間に移譲の議論を行なうことへのためらいがあった。(2)南北問題。アルスター紋章王は自由国成立後も、叙任時の勅許状に書かれた権限に従い、南北両アイルランドを管轄し続けた。これは英国政府にとっては自国が南アイルランドに影響を及ぼしつづけているしるしであり、自由国政府にとっては南北両アイルランド統合を具体化している存在だった。(3)現実的な問題。アルスター紋章王職が政治的に重要でなかったため、議論が先延ばしにされた。(4)移民と民族意識。海外のアイルランド系移民の子孫から、自分たちの出自を調べるため、また祖先の紋章を受け継ぐためアルスター紋章王に問い合わせと認可の依頼が頻繁になされていた。(5)財政上の問題。そのため、アルスター紋章王は支出以上の収入を得ていて、この点に関しては廃止する必然性がなかった。(6)ダブリンPROの焼失。1922年のアイルランド内戦の際、ダブリンのPRO = Public Record Office (公式記録保管所)が入居していたフォー・コーツが戦場となり、PRO所管の全資料が失われた。この結果アルスター紋章王が保管していた資料の重要性が高まった。
移行に際し、アイルランド側は、アルスター紋章王保管の資料をマイクロフィルム化し、その複製を、北アイルランド部分を引き継いだロンドン紋章院に引き渡した。また両者の間で、一方でなされた紋章認可は、他方でもなされたと同等に扱われ、また申請者が望むなら両方で認可を得ることができるという合意がなされた。
1995年までの歴代の首席紋章官は政府から任命されていたが、95年以後は国立図書館長が兼任している。また2004年現在は空席で、この職の職務や正当性について議論がなされている。 2005年8月31日、新たな首席紋章官が任命された。正当性云々についての結論は不明。

Hood 2002.
Wagner 1967.

ロシア

国家総紋章官 Государственный герольдмейстер国家紋章登録原簿 Государственный геральдический регистр と紋章審議会 Геральдический совет

国家総紋章官は1994年7月25日の大統領命令により国家紋章官 Государственная герольдия として創設、その後1997年11月5日の大統領命令では国家総紋章官と呼称。その間の1996年3月21日の大統領命令により国家紋章官の管理のもと国家紋章登録原簿が設置された。さらに1999年6月29日の大統領命令によりそれまでの大統領命令は廃止、新たに紋章審議会を設置、総紋章官はその議長となった。また同年9月25日の大統領命令により紋章審議会が国家紋章登録原簿を管理することとなった。国家紋章登録原簿は国家機関や自治体の紋章、旗、記章等を登録するものであり、個人や私法人の紋章は対象外。

УКАЗ Президента РФ от 25.07.1994 N 1539 "О ГОСУДАРСТВЕННОЙ ГЕРОЛЬДИИ ПРИ ПРЕЗИДЕНТЕ РОССИЙСКОЙ ФЕДЕРАЦИИ"
У К А З ПРЕЗИДЕНТА РОССИЙСКОЙ ФЕДЕРАЦИИ О Государственном геральдическом регистре Российской Федерации Указом Президента Российской Федерации от 21 марта 1996 г. N 403
УКАЗ Президента РФ от 05.11.1997 N 1150 "О РУКОВОДИТЕЛЕ ГОСУДАРСТВЕННОЙ ГЕРОЛЬДИИ ПРИ ПРЕЗИДЕНТЕ РОССИЙСКОЙ ФЕДЕРАЦИИ - ГОСУДАРСТВЕННОМ ГЕРОЛЬДМЕЙСТЕРЕ"
УКАЗ Президента РФ от 29.06.1999 N 856 "О ГЕРАЛЬДИЧЕСКОМ СОВЕТЕ ПРИ ПРЕЗИДЕНТЕ РОССИЙСКОЙ ФЕДЕРАЦИИ"
У К А З ПРЕЗИДЕНТА РОССИЙСКОЙ ФЕДЕРАЦИИ О внесении изменений в некоторые акты Президента Российской Федерации 25 сентября 1999 года N 1273
УКАЗ Президента РФ от 26.08.2004 N 1121 "ОБ УТВЕРЖДЕНИИ СОСТАВА ГЕРАЛЬДИЧЕСКОГО СОВЕТА ПРИ ПРЕЗИДЕНТЕ РОССИЙСКОЙ ФЕДЕРАЦИИ, ВНЕСЕНИИ ИЗМЕНЕНИЙ В УКАЗ ПРЕЗИДЕНТА РОССИЙСКОЙ ФЕДЕРАЦИИ ОТ 29 ИЮНЯ 1999 Г. N 856 "О ГЕРАЛЬДИЧЕСКОМ СОВЕТЕ ПРИ ПРЕЗИДЕНТЕ РОССИЙСКОЙ ФЕДЕРАЦИИ" И ПОЛОЖЕНИЕ, УТВЕРЖДЕННОЕ ЭТИМ УКАЗОМ"
Russian Heraldry as It is /
The State Hermitage Museum Hermitage News
Всё о России - гимн, герб, флаг, Президент России, государственные законы РФ, Конституция, закон Геральдика / Геральдический совет

モルドバ

国家紋章学官 Heraldist de Stat 、紋章局 Cabinetul de Heraldică 、国家紋章委員会 Comisia Naţională de heraldică とモルドバ共和国紋章総覧 Armorialul General al Republicii Moldova

国家紋章委員会は1995年の大統領命令により設立。国家紋章学官と紋章局は2011年の議会制定法により設立。政府機関、軍、地方自治体、個人および家系の公的標章(紋章、旗章、制服他)を紋章総覧に登録する。

Republica Moldova. PARLAMENTUL. LEGE Nr. 86 din 28.07.2011. cu privire la simbolurile publice 第7条にて個人および家系の「標章」について定めている。
Aparatul Preşedintelui Republicii Moldova
Republica Moldova. PREŞEDINTELE REPUBLICII MOLDOVA. DECRET Nr. 415 din 05.12.1995. cu privire la Comisia naţională de heraldică
Republica Moldova. PREŞEDINTELE REPUBLICII MOLDOVA. DECRET Nr. 47 din 27.04.2012. privind aprobarea Regulamentului Aparatului Preşedintelui Republicii Moldova
http://www.habitatmoldova.org/publications/58/ro/Tabac%20Silviu%20-%20heraldica.doc (10 ANI AI COMISIEI NAŢIONALE DE HERALDICĂ) (Microsoft Word文書)

マルタ

マルタ首席紋章官 Chief Herald of Arms of Malta

2019年3月21日任命。法人および個人の紋章を統制する。2024年2月現在首席紋章官の他に複数名の特別員外紋章官 Special Officers of Arms Extraordinary が存在する模様。

The Malta Government Gazette No. 20,842. Friday, 22nd April, 2022 No.417参照。(2019年時点では必要な立法が不足していたため新たな規定が官報にて告知された。)
Government Notices published in Govt. Gazette No. 20,219 of 25th June 2019 No.729参照。
Malta Heraldry - Insignia of identification
About Us - Malta Heraldry

南アフリカ

紋章局、国家紋章官と紋章審議会 Bureau of Heraldry, the National Herald (formerly the State Herald) and the Heraldry Council

前史。1935年、競技団体と教育機関名称等の保護を目的として「名称、制服及び記章保護法 Protection of Names, Uniforms and badges Act」制定。同法は紋章学における記章の位置づけを定義してはいなかったが、同法により紋章は記章として登録されえ、また法的な保護を与えられえた。
1939年にはさらに、当時の南アフリカ4州と南西アフリカの行政官 Administrator に対し、それぞれの地域内の自治体の紋章を登録・保護する権限が与えられた。
しかしどちらにおいても、個人の紋章は対象ではなかった。慣習的に、英国連邦内の紋章は、イングランドの紋章院が管轄権を持つ(スコットランド系住民に対してはライオン紋章王が、またアイルランド系住民に対してはアイルランド首席紋章官が管轄権を持つかもしれない)。よってこの時点では、南アフリカの個人が紋章を登録しようとするなら、これらイギリス諸島のいずれかの紋章官に申請することになった。
1961年南アフリカは独立、英国連邦から離脱する。これにより本国の紋章官との関係は絶たれた。また1935年、1939年以来の不十分な紋章保護の仕組みも改善を要した。そのため1962年紋章法 Heraldry Act が制定され、翌年紋章局とその長である国家紋章官、紋章審議会が設立された。所轄は芸術文化大臣 Minister of Arts and Education 教育大臣 Minister of National Education
紋章法は1935年法を置き換えるものであり、さらに紋章局設立の数年後には、各州の行政官は紋章登録の権限を放棄した。これにより紋章局は南アフリカにおける唯一の紋章登録機関となった。
近年国家紋章官の名称が State Herald から National Herald に変更された。

Heraldry Act, 1962 (No 18 of 1962) (PDF)
Instructions to Applicants (Microsoft Word文書)
Heraldry in South Africa by Frederick Brownell (Brownell 1984の抄録。上記記載内容は全て抄録に含まれている。)
Heraldry Council and Bureau of Heraldry -- South Africa

カナダ

カナダ紋章当局 Canadian Heraldic Authority

1988年の勅許状により、国王大権の一つである紋章認可の権利がカナダ総督に委譲されることにより設立。総督府長官 Secretary to the Governor General が紋章長官 Herald Chancellor であり紋章当局の長である。それを副紋章長官 Deputy Herald Chancellor (総督府副長官が兼任)が補佐する。実務の責任者はカナダ首席紋章官 Chief Herald of Canada で、そのもとに、副首席紋章官 Deputy Chief Herald と、さらにセント・ローレント St. Laurent 、フレーザー Fraser 、アサバスカ Athabasca 他、計5人の紋章官と、さらに数人の名誉紋章官 Herald Emeritus 、員外紋章官がいる。カナダにおける紋章官の職号はカナダを流れる河川の名称からとられている。またこれらの職のフランス語表記は、例えば紋章長官は Chancelier d'armes 、首席紋章官は Héraut d'armes du Canada であり、英語のそれと微妙にニュアンスが異なっている場合があるので注意。
カナダにおける紋章認可の手続きはイギリス本国(特にイングランド)のそれと似通っている。認可の希望者は首席紋章官に認可を請願する。首席紋章官は紋章長官に令状を請求し、それが認められれば特許状を授与する(実際には紋章の細かい図柄を決めるのにそれなりの時間を費やす)。紋章の認可は栄典の一つであり、認可を得る主な要件は、本人が国家や州、地域に対しどのような貢献をしてきたかである。
カナダ紋章当局に登録された紋章は、申請者の希望によりさらに商標登録することができ、しかるべき法的保護の対象となる。

Greaves 2000.

ニュージーランド

ニュージーランド員外紋章官 New Zealand Herald of Arms Extraordinary

1978年創設。アイルランド、南アフリカ、カナダとは違い、ニュージーランドの紋章官は、イングランドのガーター紋章王(あるいはアール・マーシャル?)のニュージーランドにおける代理である。その職務は、紋章認可を除いては(これを行えるのは本国の紋章王たちである)、イングランドの紋章官と同様で、紋章関連と式部官としてのそれの二つである。
厳密に言えば、英国王はニュージーランドにおいてはニュージーランド王であり、ニュージーランド員外紋章官は、ニュージーランド王の紋章官ではなくイギリス(イングランド)の紋章官であるという微妙な立場にあるということになる。(これは紋章認可についても同様で、またニュージーランドのみならず他の英連邦諸国についてもあてはまるのではないだろうか。)
ニュージーランド員外紋章官はまた、ニュージーランド功労騎士団紋章官 Herald of the New Zealand Order of Merit でもある。(ただし2000年の制度改革以後は、同団のどの位階への叙勲においてもナイトへの叙任を伴うことがなくなったため、無理矢理正確を期すなら〜勲位団とでも訳すべきか。 2009年再度制度改革によりナイトへの叙任が復活した。)

アンティグア・バーブーダ

アンティグア紋章官 Antigua Herald of Arms とバーブーダ紋章官 Barbuda Herald of Arms

「1998年国家栄典法」(1998年法律第23号) The National Honours Act, 1998. No. 23 of 1998 により設置。同法によりアンティグア・バーブーダに国家英雄騎士団 Order of the National Hero 、国家騎士団 Order of the Nation 、功労勲位団 Order of Merit 、君侯伝統勲位団 Order of Princely Heritage (後二者は騎士団ではない)が設立され、各団の事務を行う役職として、事務長官 Chancellor 、秘書官長 Secretary-General とともに設置された。これら4つの役職は総督が任命する。
アンティグア紋章官とバーブーダ紋章官が各団関連以外の職務を担当するかは不明。また各団関連の職務も具体的な内容は不明。

The National Honours Act, 1998. (pdf)


オランダ

高等貴族審議会 Hoge Raad van Adel

紋章院/紋章官ではないが、紋章の管理を行う政府機関ということで。ネーデルラント王国成立の前年、1814年7月24日の勅令 soeverein besluit により創設。貴族の紋章に加え、名前に反して(?)公共団体の紋章も管理。1814年12月24日の勅令により、「全ての都市、村と領区(? heerlijkheden; 領地を意味するが地方行政区画の一種らしい)、地区と団体」の紋章を掌握。その後1919年、1977年の勅令 koninklijk besluit により、どの公共団体が管理対象となるかが再定義される。1816年よりこうした紋章の記録がとられている。また1977年の省令 minisiteriële beschikking により(おそらく紋章についての)諮問機関としての役割も担うようになる。(以上オランダ語の理解があやふやなので鵜呑みにしないように。)

ベルギー

貴族審議会 Conseil de Noblesse

1996年、それまでの紋章審議会 Conseil héraldique に替わる組織として設立。後者は1844年設立。外務省儀典・爵位・栄典局の管轄。叙爵の際の勅許状を作成し、それに対し本人の紋章と系図を書き込むという役割を帯びる(そのようにして作成した紋章の管理も行っているのではないか)。

Noblesse - Services - Page d’accueil - Affaires étrangères, Commerce extérieur et Coopération au Développement
Moniteur Belge - Belgisch Staatsblad

フランデレン紋章審議会 Vlaamse Heraldische Raad

旧フランデレン紋章審議会は名前どおりフランデレン地域政府により設置。1978年設立の紋章小委員会が1984年に改組されて成立。2000年より個人と公共団体の紋章認可を開始。2004年王立記念物遺跡委員会の組織改変により、同委員会に吸収(旧称も併用?)。なお全ベルギーの貴族の紋章は貴族審議会(上記参照)が扱う。その後2013年に再度フランデレン紋章審議会が設立される。

12 JULI 2013. - Decreet betreffende het onroerend erfgoed (Onroerenderfgoeddecreet)
16 MEI 2014. - Besluit van de Vlaamse Regering betreffende de samenstelling, organisatie en werking van de Vlaamse Heraldische Raad
Wet, Decreet- en Regelgeving
Autorités héraldiques

フランス語共同体紋章学・旗章学審議会 Conseil d'Héraldique et de Vexillologie de la Communauté française de Belgique

2010年よりフランス語共同体 La Communauté française における個人(個人以外も管轄するか不明)の紋章の登録を開始。

Moniteur Belge - Belgisch Staatsblad (2004年)
Moniteur Belge - Belgisch Staatsblad (2010年)
Conseil d'Héraldique - ::: ::: - Administration Générale de la Culture - Fédération Wallonie-Bruxelles

スロバキア

スロバキア共和国紋章登録原簿? Heraldický register Slovenskej republiky と紋章委員会 Heraldická komisia

1967年の法律により町が自身の紋章を持ち使用することが許可された。その後の紋章学的に無秩序な紋章の採用に対して、1975年内務省に紋章委員会が設立され、歴史学的、紋章学的、審美的に適切であるという原則のもとに町の紋章を審査した。1990年に紋章委員会の権限は町だけでなく村の紋章にも拡大された。1991年には紋章登録原簿が設立され、町、村、団体、教会の聖務職位、個人、家系の紋章の登録を行うようになった。紋章委員会は原簿への紋章の受け入れと登録について専門的見地からの最終的な推薦を行う。

Vrteľ 2003.
Heraldický register, Ministerstvo vnútra SR - sekcia Verejná správa


ケニア

紋章院 College of Arms

1968年施行の紋章院法 The College of Arms Act により紋章院創設。法務・国民統合・憲法事項省 Ministry of Justice, National Cohesion and Constitutional Affairs 所轄の司法庁 State Law Office 所轄。長官 Minister 、登録官長 Registrar-General などにより構成され、紋章の認可と登録を行う。認可に際してはケニア紋章院のみならず、他国のしかるべき機関で認可済の紋章に意匠が似通ったものがないかが考慮される。他国で認可済の紋章の登録のみを行うことも可能である。登録された紋章は法により保護され、違法な使用は5000シリング以下の罰金の対象となる。

Registrar of Coat of Arms - Office of the Attorney General and Department of Justice
State Law Office (Functions に "college of arms" の記載あり。)
::..Kenya Law Online..:: The College of Arms Act
http://groups.google.co.jp/groups?selm=1106459915.780048.208980%40c13g2000cwb.googlegroups.com&output=gplain

ジンバブエ

名称・制服・記章・紋章学的表示登録官 Registrar of Names, Uniforms, Badges and Heraldic Representations と紋章委員会 Heraldry Committee

南ローデシア時代の1951年、「名称、制服及び記章法」 Names, Uniforms and Badges Act 制定。1971年、個人の紋章保護を目的として「紋章、名称、制服及び記章法」(1971年法律第12号) Armorial Bearings, Names, Uniforms and Badges Act. Act 12/1971 制定。同法に基づき1980年の独立とともに、紋章の登録が制度化される。
国、団体、個人は、名称、制服、記章および紋章学的表示の登録を申請することができる。「紋章学的表示」とは紋章そのものおよび、紋章学に則った記章、装飾、印章その他を指す。登録官は申請の受理または拒絶を決定する。登録官は受領した「紋章学的表示」登録の申請を紋章委員会に回付する(受理する前なのか後なのかは不明だが、おそらく受理するかどうかの決定のために紋章委員会に諮るのであろう)。申請が受理されると、官報 Gazette に申請内容が公示される。また申請内容とその見本が特許庁 Patent Office と、ハラレを除く各自治体の治安判事裁判所 magistrates court に配置される。60日の公示期間が過ぎた後、登録官は登録または(その間に異議が唱えられた場合などは)拒絶を決定する。登録を決定した場合は、登録官は、名称、制服、記章および紋章学的表示登録原簿 Register of Names, Uniforms, Badges and Heraldic Representations に登録し、申請者に証明書 certificate を発行し、官報に登録を行ったことを公告する。
登録官は司法・法務・議会大臣 Minister of Justice, Legal and Parliamentary Affairs (現司法・法務大臣 Minister of Justice, Legal Affairs?)が監督する。

ARMORIAL BEARINGS, NAMES, UNIFORMS AND BADGES ACT (pdf)
http://www.heraldic-arts.com/MembersOnly/Notice01May04.htm (本の表紙をクリックする。クリックした先はPDF。このPDFの内容と「紋章、名称、制服及び記章法」の条文に差異があったため、法律の条文を優先した。PDFの方が現状を反映している可能性はあるが、裏づけがとれなかった。)


未詳

以下は現地語に疎く情報がつかめない、純粋に情報が少ないなどで詳細不明。紋章委員会の類はおそらく諮問機関であり、紋章、殊に広く個人、私法人の紋章を登録し「お墨付き」を与える権限を持つものではないと思われる。

スウェーデン

貴族院 Riddarhuset

1866年に中世以来の四部会が廃止されるまでは貴族部会。以後は貴族の同窓会のようなもの(語弊があるが)。貴族の系図を管理しているとのことだが紋章については不明。

デンマーク

国家紋章顧問官 Statens Heraldiske Konsulent

1935年創設。1985年国立文書館の業務の一つに。

Rigsvåbenet, kongekronen og offentlig heraldik
Bekendtgørelse af arkivloven Lovbekendtgørelse. nr. 1035 af 21. august 2007. 第5条に、国立文書館が公的機関に対し紋章についての助言を行う旨の文言あり。
http://oldwww.sa.dk/brug_arkivet/rasaml/efter1848/kultur/B1331.htm

ルクセンブルク

国家紋章委員会 Commission héraldique de l'Etat

Loi du 23 juin 1972 sur les emblèmes nationaux. (Mém. no 51 du 16 août 1972, p.1288) (pdf) 第8条で国家紋章委員会の設立を規定。
MEMORIAL. Journal Officiel du Grand-Duché de Luxembourg. A — No 73. 16septembre1993. Loi du 27 juillet 1993 modifiant et complétant la loi du 23 juin 1972 sur les emblèmes nationaux, p.1416. (pdf)
Armoiries nationales - Luxembourg.lu - Symboles nationaux

ロシア

タタールスタン

大統領府紋章審議会? Президент Республики Татарстан

リャザン

紋章委員会?
Russian Heraldry as It is /

サラトフ

紋章委員会?
Heraldry Commission in Saratov Region
First Session of Saratov Region Heraldry Commission

スヴェルドロフスク

紋章委員会?
Russian Heraldry as It is /

サハ

大統領府紋章審議会? Геральдический совет при Президенте Республики Саха (Якутия)

アゼルバイジャン

大統領府紋章審議会 Геральдический совет при президенте Азербайджанской республики

WWW.SCIENCE.GOV.AZ
Распоряжение Президента Азербайджанской Республики об утверждении состава Совета Геральдики. при Президенте Азербайджанской Республики.
http://groups.google.co.jp/group/rec.heraldry/msg/15629449561bb72f?dmode=source
http://groups.google.co.jp/group/rec.heraldry/msg/31315b781bd3949c?dmode=source
President of Azerbaijan - ADMINISTRATION » Presidential commissions

ラトビア

紋章委員会 Valsts Heraldikas komisija

Prezidenta kancelejas mājas lapa
Prezidenta kancelejas mājas lapa (上記の英語版)
Ministry of Culture

ウクライナ

大統領府国家褒賞・紋章委員会 Комісія державних нагород та геральдики при Президентові України

Питання Комісії державних нагород та геральдики | від 31.12.2011 № 1211/2011
State Awards and Heraldry Commission - Official web-site of President of Ukraine

リトアニア

紋章委員会 Lietuvos heraldikos komisija

Teisės aktų paieška LIETUVOS RESPUBLIKOS AUKŠČIAUSIOSIOS TARYBOS PREZIDIUMAS. N U T A R I M A S. DĖL LIETUVOS HERALDIKOS KOMISIJOS. 1990 m. gegužės 30 d. Nr. I-248. Vilnius

ベラルーシ

紋章委員会と国家紋章登録局?

The Archives & Records Management Journal | Archives of Belarus
Archival news | Archives of Belarus (21 March 2014)
Archival news | Archives of Belarus (30 November 2007)

ポーランド

紋章委員会 Komisja Heraldyczna

内務行政省の下部組織。

スペイン

カタルーニャ自治州

紋章顧問官兼紋章学・系図学評定官? Conseller heràldic i Assessor d'Heràldica i Genealogia de Catalunya
たまたま現在(2008年7月)同一人物が兼職しているだけなのか、常に兼職とするような規定があるのかは不明。

RESOLUCIÓ de 25 de març de 1991, de nomenament del senyor Armand de Fluvià i Escorsa com a assessor d'Heràldica i Genealogia de Catalunya, dependent del Departament de la Presidència.
Introducció a l'heràldica municipal
:: ARMAND DE FLUVIÀ I ESCORSA :: -- Genealogista -- Heraldista --

ガリシア自治州

紋章委員会 Comisión de Heráldica
7.568 DIARIO OFICIAL DE GALICIA N.o 183, Venres, 18 de septembro de 1992 (pdf)

カナリア諸島自治州

カナリア諸島自治州紋章委員会 Comisión de Heráldica de la Comunidad Autónoma de Canarias
Decreto 123/1990, de 29 de junio, por el que se regula el procedimiento a seguir para la aprobación, por la Comunidad Autónoma de Canarias, de escudos heráldicos, blasones y banderas de las islas y municipios del Archipiélago (B.O.C. 95, de 30.7.1990; c.e. B.O.C. 117, de 17.9.1990) (1) (2) (pdf)

マドリード自治州

紋章評定官 Asesor de Heráldica de la Comunidad de Madrid
BOLETIN OFICIAL DE LA COMUNIDAD DE MADRID. AÑO 1987, MIERCOLES 29 DE ABRIL. NUM. 100 Decreto 30/1987, de 9 de abril, regulando el proceso a seguir para la adopción, modificación o rehabilitación de banderas y escudos por los municipios de la Comunidad de Madrid. 第4条参照。 (pdf)

フィンランド

フィンランド貴族院 Suomen Ritarihuone

スウェーデンの貴族院とほぼ同様の存在か。

オランダ

フローニンゲン

フローニンゲン州紋章学諮問会議 Consulentschap voor Heraldiek in de Provincie Groningen

北ブラバント

北ブラバント紋章学・旗章学委員会 Noord-Brabantse Commissie voor Wapen- en Vlaggenkunde
Brabants Heem | Organisatie
Aan het bestuur van de gemeente Alphen - Chaam (pdf)

スロベニア

スロベニア共和国文書館公的標章・紋章・旗章・印章・印判登録台帳? Register javnih simbolov, grbov, zastav, pečatov, žigov in štampiljk

PROTECTION OF DOCUMENTS AND ARCHIVES AND ARCHIVAL INSTITUTIONS ACT (PDAAIA) Article 56. (pdf)
REGULATION On Documents and Archives Protection Article 91. (pdf)

カザフスタン

共和国国家標章委員会 Республиканская комиссия по государственным символам Республики

О Республиканскай комиссии по государственным символам (Microsoft Word文書)

グルジア

国家紋章審議会 ჰერალდიკის სახელმწიფო საბჭო

ザンビア

色彩統制委員会 Colours Control Board

「記章」の一部として紋章 armorial bearings を扱う。

Protection of Names, Uniforms and Badges Act (Cap 314)

ウズベキスタン

国家褒賞・紋章委員会 Комиссия по государственным наградам и геральдике

ПП-3119-сон 10.07.2017 й. Об организации деятельности Комиссии по государственным наградам и геральдике при Президенте Республики Узбекистан
Постановление Президента Республики Узбекистан от 10.07.2017 г. N ПП-3119 "Об организации деятельности Комиссии по государственным наградам и геральдике при Президенте Республики Узбекистан" | Комиссии и органы при Президенте Республики Узбекистан | Президент Республики Узбекистан | Основы государственно-правового устройства | Законодательство РУз | NRM.uz

参考リンク

Autorités héraldiques
Foreign Armorial Grants and Registrations for Americans | Grants and Registrations | Education & Resources | American Heraldry Society

番外

アメリカ合衆国

陸軍紋章研究所 United States Army Institute of Heraldry

読んで字のごとし。

オランダ

中央系図学局 Centraal Bureau voor Genealogie

番外扱いとすべきか、本来はもう少し組織の成り立ちについて要調査。教育・文化・科学省が出資しているため、特殊法人のようなものか?

ネーデルラント教会紋章学本部 Centrum voor Kerkelijke Heraldiek in Nederland

ここまで来ると番外にすら載せるのをためらわれる。ここで「教会」とはカトリック教会である。

フリースランド

フリースランド紋章評議会 Fryske Rie foar Heraldyk
フリースランド学士院の一部であり、国家機関あるいは地方自治体の機関ではない。ただし、政府、州、市町村、学校や団体、法人に対し助言を行う諮問機関。フリースランド内の家系の紋章の登録も実施?

ドレンテ

ドレンテ紋章院 Drents Heraldisch College
1986年ドレンテ歴史協会の一部門として発足。1997年より独立した組織となっている。2018年解散。

Drents Archief. Jaarstukken 2019, p.38 に2018年2月12日をもってドレンテ紋章院が解散した旨記載あり。資産と資料はドレンテ文書館に移管されたとのこと。
Drents Heraldisch College
Drents Archief - Familiewapen

スイス

州立文書館

バーゼル・ラント準州ルツェルン州ヴォー州アールガウ州ザンクト・ガレン州など、一部の州(カントン)では州内の家系の紋章の記録を行っている(アールガウ州は自治体も対象?)。これは郷土の記録を保全するという文書館の使命から行っているものであり、記録された紋章に対し文書館が何らかのお墨付きを与えるものではない。前記五州以外に同様の州が存在するかは未詳。

ルーマニア

ルーマニア学士院国家紋章学・系図学・印章学委員会 Comisia Naţională de Heraldică, Genealogie şi Sigilografie a Academiei Române

ルーマニア学士院の一部。

SECŢIA DE ŞTIINŢE ISTORICE ŞI ARHEOLOGIE
HOTĂRÂRE nr.25 din 16 ianuarie 2003 privind stabilirea metodologiei de elaborare, reproducere şi folosire a stemelor judeţelor, municipiilor, oraşelor şi comunelor

ポルトガル

陸軍紋章局 Gabinete de Heráldica do Exército

未詳だがまず番外で間違いなかろうということで。なお空軍についても、かつては同様に空軍紋章局 Gabinete de Heráldica da Força Aérea が存在していたが、1992年にその業務は空軍歴史文書館 Arquivo Histórico da Força Aérea に引き継がれた模様(下記 "A heráldica do exército na República Portuguesa no século XX" の付録 Anexos p.24 参照)。

Diário da República, 1 Série, N.o 69, 24-3-1987. p. 1173. (pdf)
Diário da República, 1 Série, N.o 130, 3-6-1969. pp. 613-631. (pdf)
Estudo Geral: A heráldica do exército na República Portuguesa no século XX Alexandre, Paulo Jorge Morais, "A heráldica do exército na República Portuguesa no século XX", Ph.D thesis, University of Coimbra, 2009.

海軍紋章局 Gabinete de Heráldica Naval

同上。

Diário da República, 1 Série-B, N.o 202, 1-9-1994. p. 5065. (pdf)

フランス

国家紋章委員会 Commission nationale d'héraldique

文化・コミュニケーション大臣による1999年12月14日付の命令により設立。地方自治体への助言を行う役割を帯びる。

Bulletin officiel 118 Décision du 14 décembre 1999 relative à la Commission nationale d'héraldique, p.7. (pdf)
Droit héraldique français

ロワール県

ロワール紋章学常設会議 La Conférence permanente d'héraldique de la Loire
1998-2015年の間設置されていた(Heraldique, blasons et armoiries - Département de la Loire 参照)。

イタリア

首相府国家儀典および賞勲事務局 Ufficio del cerimoniale di Stato e le Onorificenze

2012年6月27日の首相命令により首相府国家儀典事務局と賞勲・公共紋章学事務局が合併して成立。地方自治体、銀行、財団 Fondazioni 、大学、団体 Società 、法人、協会 Associazioni 、軍、勲位団に対し紋章を授与する。

チェコ

自治体標章登録局?と紋章学・旗章学小委員会 Registr Komunálních Symbolů a Podvýbor pro heraldiku a vexilologii

どちらも行政府の機関ではなく、立法府であるチェコ議会の一部である点が非常に特徴的。自治体の紋章のみ登録を受け付けるが、小委員会における審査を経て、既存の紋章との重複がないこと、紋章学上の基準を満たしている紋章のみ承認、認可される模様。

スペイン

バレンシア自治州

紋章学専門審議会 Consejo Tecnico de Heráldica
1990年設立? 紋章学・旗章学専門審議会とも。自治体の紋章や旗章などのみを扱う。

Diario Oficial de la Comunidad Valenciana. Núm. 1.311. 1990 05 25, pp.3953ff. DECRET 77/1990, de 14 de maig, del Consell de la Generalitat Valenciana, pel qual es regula el procediment per a l'adopció, modificació rehabilitació d'escuts i banderes municipals i d'altres entitats locals. [90/2295] (pdf)
Diario Oficial de la Comunidad Valenciana. Núm. 2.302. 1994 07 04, pp.7411ff. DECRET 116/1994, de 21 de juny, del Govern Valencia, pel qual es regulen els símbols, tractaments i honors de les entitats locals de la Comunitat Valenciana. [94/4514] (pdf)
自治体の紋章や旗章などのみを扱う。

Ley 7/1999, de 9 de abril, de Administración Local de Aragón. 第26条第3項参照。

フィンランド

国立文書館紋章学業務 Heraldiset palvelut

紋章学審議局? Heraldinen lautakunta, Europeana Heraldica などからなる。前者は国や地方自治体、教会の旗、紋章、印章といった視覚的象徴を統制する。後者はフィンランド、ノルウェー、スウェーデン、デンマークの自治体の紋章を集成したオンラインデータベース。

ポルトガル

自治体紋章局 Gabinete de Heráldica Autárquica

1991年8月7日法律53号「自治体と行政公益法人の紋章」の第23条にて設置が定められた。しかしこの法律は実際には施行されなかったのか(?)、2006年現在自治体紋章局は設置されていない。

Diário da República, 1 Série-A, N.o 180, 7-8-1991. pp. 3904-3906. (pdf)
Alexandre, Paulo Morais, "A arte e heráldica autárquica em Portugal", in: Tabardo, no. 3, 2006. (p.113 に自治体紋章局がいまだ設置されていない旨記載あり。)

フィリピン

フィリピン国家歴史委員会 National Historical Commission of the Philippines

1972年に大統領府フィリピン紋章委員会 Philippine Heraldry Committee を吸収した(当時は国家歴史研究所 National Historical Institute で、2010年にフィリピン国家歴史委員会に改組)。後者は1940年に、国の行政、立法、司法機関、地方自治体に対し紋章および紋章学的な象徴の使用についての助言とそれに関連する研究を行う目的で設立された。

About Us - National Historical Commission of the Philippines

参考リンク

Autorités héraldiques
Foreign Armorial Grants and Registrations for Americans | Grants and Registrations | Education & Resources | American Heraldry Society

back