紋章学

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現代の紋章官
日本語の文献やウェブ・ページは誤りが多いので何となく作ってみた。
イングランド全紋章官一覧 (Microsoft Excel, 英語)
リンク先のさらに先が一覧そのもの。詳細は中の但し書き参照。
紋章官人名録
イングランドの紋章官のみ、かつ全員にはほど遠い。
紋章学関連のごった煮風覚え書き, その2, その3
未入手の文献とか。
歴代イングランドおよびスコットランド紋章王在位表
最新のものではない。
ジェームズ1世によるクラレンスー紋章王サー・ウィリアム・キャムデンへの紋章巡察授権書
原文。手で書き写したので誤記を含む可能性あり。
1623年シュロップシャーの巡察における放棄者宣告
原文。ただし綴りは現代風になっている。
ジェームズ・ダラウェイ『イングランドにおける紋章学の起源と進展の研究』1793年
原文。目次+ダグデイル自伝、キング自伝のみ。手で書き写したので誤記を含む可能性あり。
紋章院設立(紋章官結団)の勅許状(1484年)
ラテン語原文。
紋章院設立(紋章官結団)の勅許状(1555年)
ラテン語原文。
モウブレイ紋章官ジャイルズ・スターカーと離婚した妻アリクスの間で交わした、両者が婚姻中に取得した資産の分配についての取り決め(1427年)
フランス語原文。ジャイルズ・スターカーはノーフォーク公ジョン・ド・モウブレイの紋章官。
故リッチモンド紋章官ドロアン・ギュエランの未亡人ディディエールによる、ニコラ・ド・ラ・ロジュが故人に負っていた金銭債務の代物返済として譲渡した紋章つき宝飾品の受領証(1427年)
ラテン語原文。ドロアン・ギュエランはベッドフォード公ジョン・オブ・ランカスターの紋章官。
オリヴィエ・ド・コエティヴィの送還のための印章つき書状がタルボット紋章官に委託されたことの証明書(1454年)
フランス語原文。オリヴィエ・ド・コエティヴィはシュローズベリー伯ジョン・タルボットの捕虜となっていた。その身代金についての書状が氏名不詳のタルボット紋章官に委託されイングランドに届けられた。
ガーター紋章王サー・ギルバート・デシックによるディノ・デ・コンパーニへの紋章授与の特許状(1562年)
ラテン語原文。
ランカスター紋章官フランシス・ジン「紋章官の職務についての論説」(1605年)
原文。
マーチモント紋章官サー・ウィリアム・カミング・オヴ・インヴェラロッキーの委嘱によりキンタイア従紋章官アダム・ルートフットがスコットランド英語に翻訳した紋章学についての詩(15世紀末)
原文。サー・ウィリアム・カミングは後にライオン紋章王となる。
スコットランドの紋章官、エディンバラの聖ジャイルズ参事会教会のチャプレンを推挙する(1525年)
ラテン語原文。1529/30年フォルカークの教区教会における同様の文書も併載。
ジェームズ・ニンモ氏、紋章官と不愉快な旅をする(1683年)
原文。本人の日記より。不愉快だったのは、ニンモがカヴェナンター(契約派)で、潜伏・逃亡中の身で国王の役人と同道することになったため。
フランス王国の紋章官結団(紋章官の礼拝堂設立)の布告(1407年)
フランス語原文。
シャルル8世によるブルボン紋章官ジルベール・ショヴォーのフランス人民の紋章監叙任の勅許状(1487年)
フランス語原文。
ロベール・ガギャン「徒然のすさび」(1489年頃)
フランス語原文。邦題はさしあたりのもの。あるいは「消閑談義」等? ガギャンとチェスター紋章官による戦争と平和の功罪についての対話。史実上の当時のチェスター紋章官はトマス・ホワイティングで、ガギャンはロンドンで実際に彼に会ったのだろうが、対話自体が現実の二人の会話や、ホワイティングの人物をどの程度反映しているのかは不明。またいずれにせよホワイティングの発言が占める分量はごく限られている。
フランスの紋章官二名によるカプア市への降伏勧告の一部始終(1501年)
ジャン・ドートンの年代記より。フランス語原文。
ダニエル・ユエとピエール・ダニエル・ユエ父子のブルボン紋章官任命等に関する文書類(1593-1634年)
フランス語原文。
紋章裁判官創設の勅令(1615年)
フランス語原文。
アランソン紋章官ジャン・グラティオルによる、ルイ13世に派遣され遂行した枢機卿親王フェルディナンドへの宣戦布告の一部始終についての報告(フランスの紋章官による最後の宣戦布告) (1635年)
フランス語原文。
紋章に関する国王布告(1760年)
フランス語原文。
ボルドーの紋章官(覚え書き) (英語)
メモレベル。
ブルターニュの共同体紋章官(覚え書き) (英語)
メモレベル。「共同体」という用語は暫定的なもの。
ブールジュ市の先導官兼布告官兼紋章官ジャン・バプティスト・ノエル、1789年全国三部会第三身分議員選出を布告する
フランス語原文。
スペイン領およびオーストリア領ネーデルラントの紋章官一覧(1726年まで) (フランス語と英語)
読んで字のごとし。18世紀の書籍にもとづくため不正確かつ不完全。
神聖ローマ皇帝カール5世によるアントワーヌ・ド・ボーランクールの金羊毛紋章王叙任の勅許状(1550年)
フランス語原文。
スペイン王フェリペ2世によるヴィルギリウス・ゲイズのゲルデルン紋章官紋章王叙任の勅許状(1574年)
フランス語原文。
オーストリア領ネーデルラントにおける名誉または貴族の称号としるし、紋章の使用に関する勅令(1754年)
フランス語原文。
紋章官房の運営規則梗概(1782年)
フランス語原文。この規則が実際に用いられたのか単なる案なのかは不明。紋章官房という訳語の妥当性は要検討。
ヴァランシエンヌの紋章官について
フランス語原文。『ヴァランシエンヌ市および伯国の歴史』(1639年)より。
ロレーヌ公国紋章官不完全一覧 (英語)
読んで字のごとし。
ロレーヌ公ルネ2世の紋章官によるブルゴーニュ公シャルルへの宣戦布告の一部始終(1475年)
フランス語原文
ロレーヌ公シャルル3世によるバルタザール・クロックのクレルモン従紋章官叙任の勅許状(1585年)
フランス語原文。
ロレーヌ公シャルル3世によるジャン・カロのヴォーデモン従紋章官叙任の勅許状(1600年)
ジャン・カロは版画家ジャック・カロの父親。息子で長男のジャン(ジャックの兄)、その息子のジャンも紋章官となる。
リエージュ公国(司教領)紋章官一覧 (英語)
読んで字のごとし。
神聖ローマ皇帝の紋章王兼下ラインと周辺地方の地方紋章官ジャック・アンリ・ル・フォールによるヒニスダール家の碑についての証明書(1708年)
フランス語原文。ジャック・アンリ・ル・フォールは後に父を継いでリエージュ公国紋章官となる。
リエージュ公司教ジャン・テオドール・ド・バヴィエールによるシモン・ジョセフ・アブリイのリエージュ公国紋章官叙任の勅許状(1752年)
フランス語原文。
サヴォイア公国紋章官一覧 (英語)
読んで字のごとし。作業中。
サヴォイア公国紋章官ガスパール・マジエによるブール・カン・ブレスの各市門に掲げられたフランス王の紋章をサヴォイア公の紋章に置き換える式典の一部始終(1559年)
フランス語原文。文章はマジエ(マシエ、マゼリ、マセリとも)本人による。カトー=カンブレジ条約によりエマヌエレ・フィリベルトがサヴォイアを奪還したことを受けたもの。
サヴォイア公カルロ・エマヌエレ2世によるジャン・シャルル・ラビッシュのサヴォイア公国紋章官叙任の勅許状(1666年)
フランス語原文。
スイスの紋章官(覚え書き) (英語)
メモレベル。
1474年10月ベルン市のブルゴーニュ公への宣戦布告について (英語)
この宣戦布告に紋章官が関わったのかどうかを調べたがよくわからなかった話。オーストリア紋章王カスパー・フーダー(フーターとも)がついでに出てくるとはいえ基本的には紋章官は登場しない。
マールブルクのヴィガント『年代記』 (ドイツ語序論とラテン語本文)
作業中。序論は完成。完成まで年単位の期間を要する見込み。マールブルクのヴィガントはドイツ騎士団団長に仕えた紋章官。
ローマ王ジギスムントによるローマ帝国紋章官パウル某のローマ帝国全土の全紋章官の王への叙任の勅許状(1413年)
ラテン語原文。
ボヘミア王ヴァーツラフ4世による無名紋章官のボヘミア王国とローマ帝国全紋章官の王への叙任の勅許状(年代不詳)
ラテン語原文。
マイセン、ザクセン、テューリンゲンの紋章官に関する文書類(1407-1452年)
ラテン語原文とドイツ語原文。
ユーリヒ=ベルク公アドルフ7世によるハンス・クリンゲンシュタインの従者および紋章官への叙任の勅許状(1423年)
ドイツ語原文。
ロシア皇帝ヴァシーリー3世とデンマーク王ハンスの間で交わされた書簡(1517年)
ラテン語原文と英訳。デンマークの紋章官デイヴィッド殿について触れられている(スコットランド人なので英語読みで「デイヴィッド」とした)。
ロシア帝国の紋章院と総紋章官について(1752年) (ドイツ語)
ほぼ同時代の文献であるため、ドイツ語ではあるが内容はそれなりに正確のはず。
シエーナ司教アエネアス・シルヴィウス・ピッコローミニ(後の教皇ピウス2世)「紋章官の職務と起源について」(1451年)
ラテン語原文。内容は期待外れっぽい。
マヌエル法典およびフィリペ法典より紋章の使用に関する法規の抜粋
ポルトガル語原文。
ポルトガルの紋章官の始まりと制度について
ポルトガル語原文。『ポルトガル覚書』(1655年)より。
所有紋章学関連文献
読んで字のごとし。