No.103 伯耆大山(弥山と剣ヶ峰) 平成12年(2000年)5月3日〜4日 |
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【歩行時間: 第1日=50分 第2日=5時間25分】 → 地理院地図(電子国土Web)の該当ページへ 5月3日(第1日目・登山前日): 東京駅、午前7時52分発の新幹線「のぞみ5号」博多行きに乗車。岡山駅着11時8分。同駅11時19分発の伯備線「特急スーパーやくも9号」に乗換え、米子駅に着いたのは午後1時19分。途中、車窓から眺めた山々の新緑が目に眩しい。今年のG.W後半の天気予報はずっと晴れ。心も明るく、私達夫婦の四日間の山陰の山旅が始まった。
皆生(かいけ)温泉「なぎさ園」: 米子市の北東、白い砂の弓ヶ浜に面した和風の宿。 風呂はタイル貼り。弱食塩泉。六畳・トイレなしで一人18,000円は少し高いと感じた。 夕方、付近を散歩してみた。 海の水はとてもきれいで、東に大山の勇姿を望む。景色は申し分無いのだが、風俗関係の店が建ち並ぶ歓楽街は、山旅の私達にとっては、悔しいかな、無用のものであった。 部屋食の夕げ、女将が挨拶に回ってきて 「夜、部屋の窓から眺めた、いか釣り舟の漁火がきれいですよ」 と教えてくれた。 * 「なぎさ園」はこの後(2014年10月)、廃業したようです。(後日追記) 5月4日(第2日目・登山日): 宿(皆生温泉)からタクシーで30分足らず、料金の5,300円ほどを支払って、大山寺のバス停近くで降ろしてもらう。今日も快晴。天気は絶好調だが、佐知子の体調がやや不調。少し心配したが、なんとかなりそうだとのことで、芽吹きの新緑と小鳥たちの囀りに励まされ、何時もの通りゆっくりと歩き始める。午前8時15分だった。 石畳の参道をゆるやかに登り、大神山(おおかみやま)神社で、まず登山の安全と田舎で入院している母の健康を祈願した。登山道はこの大神山神社の裏手から始まっている。杉林の中を暫らく辿ると元谷の大堰堤(ダム)に出る。眼前に大山北壁の大シネマスコープが広がる。今年は例年になく雪の多かった年とか。残雪を頂いた大山のアルプス的な景観に思わずうっとり、予定外の大休止となった。時折、天空からガランゴロンと無気味な地響きが聞こえてくる。音のする方に目をやると、山稜近くの急斜面に砂煙と雪煙が舞っていて、大小の岩塊が物凄い速さで落ちているのが見える。古い火山の大山が、身を削られて悲鳴を上げているんだな、と思った。
横長の立派な標石のある弥山頂上に着いたのは午前11時55分だった。約50メートル先の三角点のあるピーク(一体どっちが本当の山頂なんだ?)でお弁当を広げる。眼前の剣ヶ峰の金字塔がかっこいい。後を振り返ると米子の街並みや弓ヶ浜などが美しく霞んで見えている。 昼食を済ませ、少考の後、意を決してザックを妻の佐知子に預け、一人で剣ヶ峰への縦走を試みた。崩壊の進む切り立った道なき道。途中、中間地点の三箇所ほど、非常に危険なナイフリッジのザレがあった。歩く度に道が崩れて小石や土が両側の谷底へ落ちていく。「三点確保」の原則が全く適応しない、二本足だけが頼りの、単なる綱渡りの連続だった。 思ったより短時間(20分弱)で剣ヶ峰の静かで狭い山頂に到着した。ここからは東側へ続く大山の峰々がよく見える。その右奥の三角形の山(烏ヶ山)のさらに後方に広がる低い山並が、明日に登山を予定している蒜山あたりに違いない。やがて元谷から往復登山の4人組のパーティーが登ってきたので、その中の一人に証拠写真を撮ってもらった。そして、早々に引き返えした。 往路は恐怖を感じながらも勢いで来てしまったが、剣ヶ峰から弥山への復路は、鋭角ザレの下り急斜面の手前で足が震え出した…。例の綱渡りの細道で両側の深い谷底を覗いてしまい、めまいがしてきた。一瞬、平衡感覚を失った。その時、「死」を覚悟した。半分ヤケクソで両手を広げて、とんとんとんと、がむしゃらに前方へ進み、突き当たりの岩壁にホールドを得た。私は思った。こんなの道じゃないし、私が今しているのは登山でもなんでもない…と。 恐怖と戦慄の剣ヶ峰往復をなんとか無事にやり遂げたが、後味は悪かった。 「こんなバカげたこと(立入禁止の場所へ入るということ)は二度とやらないでください!」 と、弥山山頂で待っていた佐知子に震える声で叱られた。じつはその時、私の足と心もまだ震えていた。 * みなさんへ是非言っておきたい。崩壊中の鋭角尾根(槍尾根)・弥山〜剣ヶ峰の縦走は絶対にやらないでほしい。やってしまった私が言うのもおかしなことですが、やってしまったからこそはっきりと断言できます。ここはあまりにも危険すぎます。6回に1回は落ちて死ぬ、ロシアンルーレットそのものです。 午後1時35分、下山開始。人並みの途切れることのない夏山登山道。 例によってガランゴロンと、剣ヶ峰北側斜面を滑降する岩石群の地響きが、右後方から悪魔の落雷音のように聞こえてくる。「崩壊」というけれど、若しかしたら大山は、贅肉を削ぎ落として新しい山に生まれ変わりつつある、今がその真っ最中なのかもしれない。老火山の大山は、今も青年のように生きている神秘的な存在なんだな、と、あらためて考えてみたりもした。包容力のある優しさと人を寄せつけない厳格さを併せ持つ霊山、それが私達の大山だった。 五合目で小休止。山に初めて持ってきた携帯電話でタクシーを予約。携帯電話って本当に便利なものだ。「文明」を山に持ってきてはいけないと、片意地を張ってきた今までの自分たちが、なんだかアホらしく思えてきた。 やや急な斜面を尚も下り続ける。標高約1000メートル以下のブナの木々は芽吹いていて、その可愛い新緑が眼に優しかった。三合目、二合目、一合目と道標を見送り、アスファルトの道へ到着。 大山寺橋を渡り、大山寺の賑やかな旅館街を抜け、バス停に着いたのは午後3時55分、予約のタクシーが待っていた。 ロケーションのよい大山環状道路と蒜山・大山スカイラインを通り、タクシー料金の約8,800円を支払って、蒜山高原川上村の「ペンション・さかた」に着いたのは午後5時10分だった。久しぶり(45日ぶり)の登山で、足が痛かった。 次項・蒜山へ続く * 後日談: この年の秋(平成12年10月)の鳥取西部地震で大山の崩壊が進み、登山道の各所で崩落が起きたようです。今でも登れるのは弥山までで、縦走路は当然のことながら通行禁止になっています。剣ヶ峰の山頂を見極めることのできた私は、いろいろな意味で非常に運が良かった、と考えざるを得ません…。 尚、通行禁止になっていた行者谷コースなどは平成13年9月現在、再び通行が可能になったとのことです。
元谷小屋付近の大堰堤から望む大山の北壁 このページのトップへ↑ ホームへ |