濃霧に大苦戦
第1日=JR羽越本線象潟駅-《バス45分》-鉾立〜御浜神社〜七五三掛〜(千蛇谷)〜大物忌神社 第2日=大物忌神社〜新山2236m〜大物忌神社〜行者岳2159m〜伏拝岳2130m〜心字雪(大雪渓)〜河原宿〜滝ノ小屋〜鳥海高原ライン終点-《タクシー45分》-酒田駅
【歩行時間: 第1日=4時間30分 第2日=4時間】
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7月14日(前夜): 上野発21時41分。高崎線〜上越線〜羽越線と繋いで走る寝台特急「あけぼの号」青森行きに乗車。不慣れなブルートレイン。ゆったりと横になれるのは良かったが、矢張り寝付きは悪かった。どんな状態でもよく眠れる人(妻の佐知子のことです)が、羨ましく思えた。
7月15日(第1日目): 象潟(きさがた)駅のホームに降り立ったのは午前5時44分。ほとんどの降車客は登山姿。駅前で待機している羽後交通バスに乗り込む。暫らくすると、東京駅八重洲口から出ている夜行バスが到着。その夜行バス組10名を加え、私達を含め総勢約25名の乗客を乗せ、午前6時02分、定時を少し遅れてバスは走り出した。空はねずみ色。梅雨空だったが、雨の心配はなさそうだ。
ウトウトしているうちに鉾立(ほこだて)のバス停に着いた。展望台に立ってみたけれど、奈曽渓谷には霧が立ちこめていて、殆ど何も見えない。近くのベンチで朝食を済ませ、駐車場奥の石階段を歩き出したのは午前7時30分。何処かで鶯が囀っている。
暫らく登ると、早速、雪渓に出っくわした。今年は特に残雪が多いらしい。アイゼンを持ってこなかったので少し不安だったが、何とかなりそうだ。雪は固く締まっている。この長い雪渓歩きが終わると、再び石敷の道が続く。ニッコウキスゲ、イワカガミ、チングルマ、タカネ(?)シオガマ、などの群落が随所に現れる。
吹浦(ふくら)口との合流点、七合目御浜神社で2回目の中休止。南側の眼下に残雪を被った鳥海湖が見えている。イワヒバリが囀りながら飛んでいる。
御浜から扇子森、御田ガ原、七五三掛(しめかけ)と続く花の登山道、何と言ってもニッコウキスゲの大群落が素晴らしい。ハクサンイチゲの群落もあったがこちらのほうは花の盛りを少し過ぎていた。ハクサンフウロ、イワベンケイも咲いている。ミヤマキンポウゲの小群生のすみっこに、ミヤマウスユキソウがひっそりと咲いていた。ため息をつきながら、何度も立ち止まってシャッターを切った。
七五三掛で外輪山コースを右に見送り、山頂付近まで雪渓の続く千蛇谷コースへ入る。雪渓を横切りながら登り、谷の右岸へ出て暫らく歩いた草付きの岩場で、昼食の大休止。持参したオニギリを食べているとき、幸運にも霧が晴れて、対岸の外輪山内壁がすっきりと見えてきた。鳥海山は安山岩の山だという。
鳥海山大物忌(おおものいみ)神社へ着いたのは午後1時50分。幸か不幸か、着いた途端に大雨が降り出した。新山往復を明朝に延期し、二食付き一人6,000円の宿泊料(良心的な料金だと思う)を支払って、山小屋に沈澱。缶ビールなどを飲んだりしてまどろんでいると、午後4時頃、雨が上がった。外へ出てみると霧も晴れてきて、周囲の峰々がその姿を現してきた。小屋の裏手で、お目当ての可憐な小さい白花、チョウカイフスマを見ることができた。無風、日も射してきて寒くはない。それにしても水1リットル1,000円は、物凄い値段だ。
* 鳥海山の不思議: 鳥海山は不思議な山だ。遠目には出羽富士、秋田富士とも云われる秀麗な姿で人々の心を魅了するが、登ってみると、その山頂部は複式火山特有の変化に富んだ迫力ある地形を見せつける。そして、もうひとつ不思議なのが、シラビソなどからなる亜高山帯の針葉樹林が欠如していて、いきなり高山帯の様相(偽高山帯)を見せつけることだ。
小泉武栄著「山の自然学(岩波新書)」によると、この現象は飯豊山や朝日岳、月山、鳥海山など日本海側の多雪山地特有のものであるらしい。偽高山帯の成因については諸説あって、未だ決定的なものはないようだ。
夕食後、再び小屋の外へ出てみた。山影に沈みゆく夕日を何時までも眺めていた。この美しい夕焼けを見て、まさか翌日が、雨と風と霧の最悪のコンディションになろうとは、一体誰が予測しただろうか…。
7月16日(第2日目): 未明、まだ眠りこけている他の宿泊者たちに気を遣いながら、小屋の戸を開けて唖然とした。嵐、だった。昨日のうちに新山往復をしておけば良かった、と後悔したが、後の祭だ。
新山の山頂
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朝食後、午前6時、気合いを入れて出発。巨岩に書かれた白ペンキの矢印を頼りに、鳥海山の最高峰・新山(しんざん・2236m)をめざす。強い雨と風に吹き飛ばされそうになりながらも、6時30分、何も見えない新山の山頂に立つ。時折ガスが薄くなると、岩峰のそそりたつ凄まじい近景が眼前に広がる。雨水の進入を気にしながら記念写真を撮り、早々に山頂を辞す。深い霧のため何回となくルートを見失い、大物忌神社へ戻ったのは7時05分。途中、矢張り、誰にも出合わなかった。
七高山(しちこうさん・2229m)経由の下山ルートを変更し、小屋のトイレの裏手から石段を下り、対岸の外輪山・行者岳へ直接向かう。外輪壁の鉄梯子を登り、尾根道と合流する地点へ出た処で愕然とした。今来た道の出口にはロープが張ってあり、じつはこの道は通行禁止だったらしい。地図にも載っている山道で、足元はしっかりとしていて問題は無かったと思うのだが、今思い出すと、途中落石の危険のある箇所があったが、多分、そのために通行禁止になったと思われる。もしそうなら、小屋等でのアピールを強化するとか、小屋のトイレ裏の山道の入り口にロープを張るとか通行禁止の標板などを出しておくとか、するべきだと思った。
外輪尾根を西へ進む。雨風依然強く、カミナリは鳴ってはいなかったが、何となく怖く思い、歩を速める。小さな石の祠のある伏拝岳(ふしおがみだけ・2130m)を少し過ぎ、尾根道に別れを告げ左の湯ノ台道の薊坂を下る。その名の通り、この付近はチョウカイアザミなどの高山性のアザミの多い処だ。登山道には雨水が流れ込み、まるで滝水のようだ。少しだけだったが、コバイケイソウやハクサンシャジンも咲いている。
深い霧に包まれた大雪渓(心字雪)の下りがまた大変だった。視界は約15メートル、雨のためか踏み跡(トレース)も分かりずらく、どこをどう歩けばいいのか、しばしば立ち止まって茫然とした。しかし私達はツイていた。要所要所で地元のベテランハイカーに出会い、難を逃れることができた。七合目宿河原までは五人の親切な男性パーティーに先導してもらった。この5人組は歩くのが早くて、私達は遅れがちになったが、迷いやすいところや危険な処ではチャンと待っていてくれた。宿河原小屋で、先を急いでいるらしいこの5人組パーティーに丁重にお礼を言って別れたが、実はこの後がまた大変だった。八丁坂を下り、滝ノ小屋への分岐を左に曲がって暫らく行くと、また大きな雪渓に出っくわしたのだ。雨は相変わらず激しく降っているし、霧はますます濃くなって、視界は約10メートル。横切ったものか、下ったものか、さっぱり分からない。愕然として立ち尽くしていると、こんどは追いついてきた若いカップルが私達を先導してくれた。この時も、私達は非常にラッキーだったと思う。滝ノ小屋に着いたのは午前10時25分だった。
滝ノ小屋でタクシーを予約してもらった。小屋の管理人のご夫婦はとても親切な方で、ずぶ濡れの私達を、いやな顔一つせず、部屋の中へ迎え入れてくれた。熱いお茶と梅酒につかった生梅の菓子のもてなしは、私達の目頭を熱くした。鳥海山のことについて色々と話もしていただいた。毎年、霧の深いときは遭難者が出るとのことだった。天気の良い日にまた来なさい、とも言われた。土地訛りで、話は半分くらいしか分からなかったが、穏やかで優しく飾り気のないこのご夫婦といっしょにいると、ふるさとへ帰ってきたような安らかな気持ちがした。別れ際に御主人から名刺をいただいた。「遊佐町 滝の小屋管理人 仲鉢 登」、と書いてあった。
滝ノ小屋から20分ほど歩いて鳥海高原ラインの車道終点へ着いた。車道沿いの駐車場には車が何台か停まっていた。建ってから間もないと思われる二階建ての立派なトイレがあった。二階は休憩所になっていて、タクシーを待つ間、ここで帰りの身繕いをした。雨は一向に止みそうもない。濃霧のためか、約束の時間に少し遅れてタクシーは到着した。酒田へ向かって庄内平野を走っているとき、雨が上がった。
鳥海山登山は変化に富んだ素晴らしいトレイルだった。そして、ガス(霧)の怖さをしみじみと感じた、花と雪渓だらけの神秘的な山でもあった。いつかまた「天気の良い日に」来てみたいと思った。
帰路、タクシーの運転手さんに紹介してもらい、酒田市内にある「割烹・魚一」で地元の新鮮な魚料理を食べた。ノドグロ(赤ムツ)の塩焼きなど、とても美味しかった。酒田駅15時04分発の「特急いなほ12号」で新潟へ出て、上越新幹線に乗換え、東京駅に着いたのは19時44分だった。
帰宅途中、西の空に赤みがかった満月が出ていた。今夜は「今世紀最大最後」というふれこみの皆既月食が見られる日だとか。自宅へ帰って間もなくしたら、二階の窓から見れそうだ。明日からは良い天気が続くらしい。関東地方の梅雨明けは間近い…。
花と雪渓の鳥海山
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イワブクロとチョウカイフスマ
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ニッコウキスゲの大群落
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イワベンケイ
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