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林道崩落現場
↑クリック!
不動沢を登り始める
発見! 男おいどんの
サルマタケのような…
コルから山頂へ
皇海山山頂
↑クリック!
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決してラクではなかった…
《マイカー利用》 関越自動車道・沼田 I.C…追貝…(栗原川林道)…崩落現場〜皇海橋(登山道入口)〜不動沢のコル〜皇海山〜不動沢のコル〜皇海橋〜崩落現場…老神温泉(泊) 【歩行時間:
6時間40分】
→ 地理院地図(電子国土Web)の該当ページへ
早朝、関越自動車道の沼田インターから国道120号線を東へ向かう。この国道は尾瀬や日光白根山や武尊山などへのアプローチに利用したおなじみの道だ。老神温泉への道標が出てきて間もなく、吹割ノ滝の少し手前を右折、追貝(おっかい)から通行止の看板を無視して栗原川林道へ入る。(^_^;)
皇海山へ登るには、南側の栃木県足尾町から銀山平に入り、庚申山荘に泊って庚申山から鋸山十一峰を越えて皇海山に至る昔からのロングコースが有名だ。しかし今回私達が選んだルートは、車を利用して群馬県の利根村側から栗原川林道を奥まで入り、不動沢をつめ、皇海山と鋸山の鞍部(不動沢のコル)へ出るという楽なコース、所謂「裏口」のコースだった。
…しかし、ラクではなかった。昨年秋の土砂崩れで栗原川林道は途中(追貝から車で約50分の処)で完全に寸断されていたのだ。利根村のホームページなどの情報で事前に分かってはいたものの、崩壊現場(現在復旧中のようで小型のクレーン車が止まっていた)まで車を走らせてみて、矢張り唖然とした。道は完全に無くなっている…。その少し手前の小広い空間に車を止め、不安な気持ちで歩き出す。今にも降り出しそうな空模様だ。
歩き出した途端、ハタと困った。一体、この林道崩壊地のガレ斜面をどのように渡ったらいいのだろうか。手前の山側にロープが吊るされていて、ここから上へ巻いていくのかしら、と、私が先導してよじ登り始めたけれど、物凄い急斜面と藪漕ぎで、とても登れそうにもない。腕力の無い妻の佐知子は、取っ付きのロープから既にギブアップしている。矢張り崩落ガレの急斜面をトラバースするしか手はないようだ。僅かだけれど、踏み跡もついている。臆病な佐知子は半ベソをかいている。落石に注意し、足場を確かめながら一歩ずつ慎重に進む。
この最も大きな崩落箇所(巾約40m)を取り敢えず無事に通過したが、その先暫らくの林道も土砂やゴロ石でズタズタになっていて、佐知子も私もただ茫然とするだけだった。崩壊箇所を数えながら歩いてみたけれど、あまりの多さに途中で飽きてしまった。多分、少なくても15箇所以上はあったと思う。こんな山奥のこんな処に道路を造ること自体、若しかしたら自然の摂理に反していることで、山の神が怒っているのかもしれない…。道端にはノコンギクが咲いている。言葉少なげに歩いていると、間近の小枝に留まっているジョウビタキを見た。綺麗な小鳥だと思った。
栗原川が流れる谷間を右に見ながら、大崩壊現場から林道を歩くこと約1時間、登山口のある皇海橋(標高1350m)へ辿り着いたのは午前8時10分頃だった。橋の前後は広くなっていて駐車場もあるが、ログハウス調のトイレには鍵が掛かっていて使用不可だった。驚いたのはここにジープが2台駐車していたことだ。この先の新地林道(足尾側)から入ってきたものか、又は倉見沢林道(利根村の根利経由)から入ってきたものと思われる。森林管理署関係の車なのかなぁ。今日はゲートが開いていたのかなぁ。などと詮索もしてみたけれど、今となってはどうでもいいことのようにも思えた。
「皇海山登山道入口」と書かれた標柱から暫らく進んだ処、不動沢に沿ったカラマツ林の中で大きなニホンジカと至近距離で遭遇した。私と目が合うと、シカは驚いたようにガサガサと音を立てて、あっという間に笹薮の向こうへ逃げていった。晩秋を過ぎると猟が解禁になるとのことだが、ここのシカの天敵はやはり人間であるらしい。 「シカだよ!」 と声を掛けたけれど、ボンヤリと後ろを歩いていた佐知子には見えなかったらしい。どうやら彼女は林道の崩落斜面トラバースの恐怖から未だ覚め切っていないようで、復路のことを考えると憂鬱になるようだ。
カラマツ、シラカバ、サワグルミ、ブナ、ミズナラ、カエデ類などの林の中を緩やかに登る。林床は一面の低いササで、カッパのズボンだけを履いていたのが大正解、朝露に濡れなくて済んだ。正味1時間15分ほども歩いた処が標柱に「皇海山山頂1.8Km・皇海山入口1.8Km」と書かれた中間地点で、ここいら辺りからミズナラとダケカンバが目立つ林相になる。所々小群落をなして白い小花(シオンの仲間?)や黄花(アキノキリンソウ)が咲いている。少し傾斜がきつくなってきて、沢登り初級者コースの様相を呈してくる。テープ印に導かれ渡渉を何回も繰り返す。一度道を見失って、20分ほどのタイムロス。油断は禁物だ。沢が段々とガレてくる。
途中2回ほど休憩して、群馬と栃木の県境稜線(不動沢のコル)へ出たのは午前10時35分だった。シラビソ、コメツガ、ダケカンバ、シャクナゲなどの樹林越しの、右手に見える筈の鋸山など、すべての遠景は霧の中だ。気を取り直して左手の皇海山へ向かう。苔生した倒木や岩など、奥秩父の原生林にも似たその幽趣を静かに楽しむ。
皇海山は庚申山猿田彦神社の奥ノ院でもあるらしい。急坂を登り切る少し手前の木立の中に奉納の青銅の剣が立っていて、それには「庚申二柱大神」と記されていた。
二等三角点のある皇海山の山頂へ着いたのはお昼の11時40分頃だった。真新しい標柱には「渡良瀬川水源碑」と書かれてあった。樹林に囲まれているが、多少開けていて、霧が出ていなければ近隣の山々が望めた筈だ。それがちょっと残念だったけれど、思ったより狭くてアットホームなこの山頂を私達は気に入った。
昼食後、山頂をウロウロしていたら、早朝に庚申山荘を発ったという健脚の中年カップルが登ってきた。私達は少し後ろめたい気持ちで挨拶して、山頂を辞した。この日この山で出会った登山者はこの中年カップルを含めて6組の12名のみで、その内訳は、庚申山コースが3組の4名、私達と同じ不動沢コースが3組の8名だった。何れにしても、足尾山塊の盟主・皇海山は、予想以上に静かな百名山だった。佐知子には異論もあるようだけれど、私はこの朴訥な皇海山がとても好きになった。
どうせ霧のため展望は望めないだろう、と、不動沢のコルからの鋸山往復を端折って往路を引き返す。登山口へ下山したのは14時30分。それから林道を下り、例の大崩落斜面を横切って、車中の人となったのは15時30分頃。雨が降りそうで降らなかったのは私達にとって幸いの一日だった。今日の宿はここから車で1時間強の老神温泉と決めてある。
老神温泉「朝日ホテル」: 老神(おいがみ=追い神)の地名は赤城山(へび)と日光男体山(むかで)の戦伝説に由来するという。そのとき落ち延びた神が追われてやってきた処らしい。吹割ノ滝の近く、片品渓谷に沿って20軒ほどの温泉宿が建ち並ぶ。栗原川林道を利用しての皇海山登山のベースに最も近い温泉地だ。
朝日ホテルは10階建ての大きなホテル。展望大浴場や露天岩風呂など立派だ。無味無臭透明、単純泉。湯量は少ないようだった。夕食は部屋食でキノコ料理など盛沢山。翌朝、散歩がてらに朝市(5月から11月上旬まで毎朝開かれるとのこと)などを見物。ゆっくりとくつろいで山行の疲れを癒した。1泊2食付き一人12,000円だった。
渡渉を何回も繰り返す
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不動沢のコルへ出る
左手が皇海山方面、右手は鋸山方面
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