高校生の遭難ルートを辿る
…弘前駅-《バス》-岩木山神社前・百沢温泉(泊)〜姥石〜焼止り避難小屋〜岩木山1625m〜鳥海山1502m〜リフト乗場-《リフト》-八合目駐車場-《バス》-弘前駅…大鰐温泉(泊)… 【歩行時間:
5時間10分】
→ 地理院地図(電子国土Web)の該当ページへ
《 昭和31年5月の日本隊のマナスル初登頂の快挙に刺激され、わが国にも空前の大衆登山ブームが訪れた。37年には「山男の歌」が大ヒットしている。38年1月には愛知大学山岳部員13名が北アルプスの薬師岳で遭難。…そして東京五輪の9ヶ月前の昭和39年1月、本州北端の津軽富士で今度は戦後生れの高校生たちの悲劇が発生したのである…。》 という「まえがき」で始まる「空と山のあいだ--岩木山遭難・大館鳳鳴高校生の五日間(田澤拓也著)」を、昨年の暮、街の本屋で見つけて買って読んでみました。めずらしく、二度も読み返してしまいました。若すぎた彼等の雪山との戦い。何故そんな悪天候の中、登ったんだよ。何故山頂の石室で救助を待たなかったんだよ。と、読んでいる私自身口惜しくて、何回も涙が出そうになりました。唯一の生還者・村井君の体力と気力には感心させられましたが、亡くなった4人の高校生は本当に可哀想。生きていたら私達夫婦と同じ団塊の世代…。若い頃は多少無茶もやった私ですが、身につまされました。
という訳で、少し前置きが長くなりましたが、満を持していた岩木山山行をついに果たすことができました。私達の他人にはあまり自慢のできないポリシー(なるべく楽をして登るということ)を今回はさておいて、私達が登りに選んだルートは、勿論あの大館鳳鳴高校生たちが歩いた道・百沢コースでした。
10月12日(登山前日): まず百沢温泉で身を清めてから…
東京駅から東北新幹線で盛岡まで行き、盛岡駅前から高速バス(ヨーデル号)に乗り、青森県の弘前駅前に着いたのはお昼の12時頃だった。弘前の街を歩きながら、地元の年輩の方々の会話を傍耳を立てて注意深く聞いてみたけれど、物凄い訛りで固有名詞以外は何を喋っているのか全然分からない。思えば遠くへ来たものだ…。
弘前バスターミナルから登山口の岩木山神社前までは弘南バスで30分ほどだが、まだ時間があるので弘前市内を観光してみた。まず弘前市立観光館を見学し、館内の食堂で津軽の郷土料理「けの汁」を賞味した。それから弘前公園(弘前城跡)をゆっくりと散歩した。弘前公園は桜の名所としても有名な処で、広くてのどかな公園内にはクロマツに混じりシダレザクラやソメイヨシノなどの老木・銘木が沢山植えられている。本丸広場の樹林越しに、岩木山が、薄晴れの中、両翼を張った美しい姿でぼんやりと鎮座している…。
弘前公園前のバス停から本数の少ない百沢方面行きのバスに乗る。たわわに実ったりんご畑を左右に見ながら、津軽平野の南端を西へ向かってバスは走る。座席でウトウトしていたら妻の佐知子に起こされて、慌てて岩木山神社前で下車する。今日の宿「山陽」はバス停のすぐ近く、門前の左脇にあった。
百沢温泉「山陽」: 約10軒の小さな温泉が岩木山神社を囲むように立ち並んでいる、というのが百沢温泉。メジャーなのは大衆浴場の「百沢温泉」と、岩木山神社の鳥居の左手前にある旅館の「山陽」だ。「山陽」は岩木山を正面に仰ぐ参道沿いに位置しているので、岩木山神社前のバス停を降りた時は、この建物が神社の社務所だと思ってしまった。昭和36年の開業。岩木山頂上の奥宮に詣でる信仰登山者がよく利用する湯宿、とのことだ。泉質は含塩化土類硫化水素泉(塩化物泉)。充分な広さの石タイル貼りの内湯。薄茶色の42度の源泉は掛け流し。鉄分が含まれているのだろうか、口に含むと微かに血の臭い(金気臭味)がした。夕食はマイタケなどの山菜料理を部屋まで運んでもらえる。二つ返事で朝食用のおにぎりを用意してもらったが、登山者向けの配慮がされているのが嬉しかった。税込みで一人8,500円は安いと思う。
夕食までの数時間、付近を散歩した。杉木立に囲まれた神社を参拝し、その左奥から始まる岩木山への道を確認して、御手洗場で岩木山からの美味しい伏流水をたっぷりと飲んだ。それから高照神社(祭神は津軽藩主)へ向かう遊歩道を少し歩き、ほどよい疲れのなか宿へ戻り、湯に浸かった。お岩木様へ登るには、矢張り、まず身を清めておかなくてはならない…。
10月13日: 信仰登拝路を辿って山頂へ
種蒔苗代にて
鳳鳴ヒュッテ
山頂は人だらけ
鳥海山から仰ぐ岩木山
|
午前5時20分、宿を出て暗がりの岩木山神社の参道を歩き始める。参道はそのまま岩木山への登山口につながっている。昨夕の“下見”のおかげで出だしは好調だが、杉木立のジャリ道は鬱蒼としていて懐中電燈は手放せない。
神苑桜林を抜ける頃からようやく明るくなってきた。百沢スキー場の正面には岩木山が朝日を受けて神々しく輝いている。標高差約1400mは矢張りプレッシャーだ。 「あんなに登るのかぁ…」 と思わずグチる。佐知子は黙々と歩いている。人影は全く無い。
神社から30分ほど進むと登山道の入口で、ここには金ピカの仏像が置かれてある。そして傍らの岩木町の標板には 「クマ出没につき注意して下さい」 と書かれてある。一体どう注意すればいいのだ。とにかくなるべく大きな声を出しながら歩こう、と思ったのだけれど、何故か私達の会話は途切れがちになる。佐知子も、多分、昭和39年に遭難した大館鳳鳴高校生たちが歩いたこの道の、1月の厳寒の積雪を思い描いていたのかもしれない…。
40分〜50分ゆっくり歩いて中休止の、何時もの私達のペース。色付き始めたカラマツやミズナラなどの雑木林が延々と続く。鼻こぐり、七曲りを過ぎ、昔はここから先は女人禁制だったという姥石(うばいし)を通過したのは午前7時丁度。ダケカンバが交ざり始め、樹高は徐々に低くなってはきているが、雑木林は切れそうでなかなか切れない。業をにやして、展望の無い登山道脇の木の根っこに腰掛けて、宿のおにぎりで朝食。下着やシャツに溜まった汗が蒸発していく。それがひんやりとして気持ち良い。近くの藪の中から「チャッ、チャッ」とウグイスの地鳴きが聞こえてくる。辺りの地面にはドングリが沢山落ちている。
午前8時35分、標高1067mの焼止りヒュッテ(焼止り避難小屋)を通過し、大沢に入る頃からようやく視界が開けてきた。遭難した高校生たちがテントを張ったのはこの辺りかしら。想像していたよりはずっと狭い地形だ。
大沢の急登が始まる。アルミ製の梯子が掛かっている坊主ころがしを過ぎ、更に高度を上げ、錫杖清水で美味しい水をたっぷりと飲む。振り返るとV字形の谷の彼方に津軽平野が薄ボンヤリと広がっている。夏にはミチノクコザクラの群落が目を楽しませてくれるというガレ沢を尚も登りつめていくと、前方にひょっこりと御倉石の黒々としたとんがりが顔を出してきた。稜線は近い。
小さな池(古い火口湖)がある小平地の種蒔苗代(たねまきなわしろ)からひと登りで稜線鞍部の鳳鳴ヒュッテに着いた。午前10時5分だった。ここでスカイライン八合目からの道が合流し、途端に人影が多くなる。このブロック造りのヒュッテは、外壁に掛かっている緑色の銘板の説明によると、鳳鳴高校生たちの遭難事故のあった翌年(昭和40年9月22日)に竣工したもので、再び悲劇の起こらぬことを願って冬季避難小屋として建てられたものであるらしい。佐知子と私はその銘板に向かってそっと手を合わせた。(高校生たちはこの種蒔苗代を通って山頂の石室まで登り、その下山途中、猛吹雪の中を彷徨し、反対側の大鳴沢に迷い込んで力尽きて次々に倒れていったのだ…。)
しかし、物凄い人出だ。今までの静けさがウソのようだ。家族連れのハイカーや軽装備の観光客があちこちで歓声を上げている。なんか、急に場違いの処へ出てきてしまったような、そんな感じだった。人並みに流されて、第一おみ坂、第二おみ坂といわれる岩礫の急坂を登りつめて…鳳鳴ヒュッテから約30分で…ゴロ石と人ゴミの岩木山山頂に立った。
人だらけだったけれど、独立峰の面目躍如、遮るもののない山頂からの眺めは流石に素晴らしい。八甲田山、岩手山、八幡平、白神岳などのみちのくの名峰たちが勢揃い。津軽平野の北の彼方には日本海の七里長浜も見えている。ゆっくりと展望を楽しみ、岩木山神社奥宮をお参りしてから山頂を辞した。
鳳鳴ヒュッテに戻り、巨岩の御倉石を回り込み、鳥海山1502mを往復(約20分)して景色のおさらいをする。リフト乗場(鳥ノ海噴火口)からアベックのリフトで、ついにラクをして、八合目へ降り立ったのは昼の12時40分だった。ここの食堂で天ぷら蕎麦を食べてから、2時間に1本のバス(13時45分発)に乗り、岳温泉経由で弘前へ向かう。あれよあれよという間の下山だった。
…この岩木スカイラインの自動車道が八合目まで開通したのは、鳳鳴高校生の遭難事件のあった翌年、つまり昭和40年とのことだった。
茶臼山から大鰐町を望む
|
大鰐温泉「不二やホテル」: 山々がせり出してくる津軽平野の最南端、平川沿いに位置するのが、古くからの温泉街、大鰐(おおわに)温泉だ。私達はJR奥羽本線を敢えて利用せず、ローカル色豊かな弘南鉄道大鰐線に乗り、弘前市内の始発駅(中央弘前駅)から終点の大鰐駅まで(約30分・390円)、車窓からリンゴ園を眺めたりして電車の旅を楽しんだ。
「不二やホテル」は政府登録の観光旅館。大鰐温泉駅からの送迎車有りだが、私達は、当然、歩いた(約10分)。往年の賑わいを偲ばせる静かで情緒ある街並みだった。泉質は塩化物泉。充分な広さの石タイル貼りの内湯と露天風呂。食事は食堂で、海山の食材、美味しかった。1泊2食付きで一人12,000円を支払った。
翌朝(10月14日)、大鰐の町が一望できる茶臼山公園を1時間ほど散歩してみた。「俳句の小道」を歩いたりなどして紅葉前の緑も楽しんだ。近くに憩いの場をもつ大鰐の町民を羨ましいと思う。初夏にはツツジが咲き乱れて賑わうそうだが、自然がいっぱいの広い園内は、この日はひっそりとしていた。…それ(静かなの)が都会に住む私達にとっては非日常的で、何よりも有り難く嬉しい。
紅葉の盛期にはチト早かったけれど、リンゴと岩木山の津軽を充分に堪能して、満ち足りた気持ちで東京への帰路についた。
弘前公園から(ほとんど心眼の)岩木山を望む
百沢スキー場から岩木山へ
|
山頂の岩木山神社奥宮
|
このページのトップへ↑
ホームへ
|