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No.146-1 秋の道志二十六夜山1297m
平成14年(2002年)11月9日 晴れのち曇り:小雪も降った

道志二十六夜山 略図
とても静かな山でした…

富士急行線都留市駅-《タクシー25分》-道坂トンネル〜今倉山1470m〜赤岩(松山)1450m〜二十六夜山1297m〜戸沢・芭蕉月待ちの湯(入浴)-《タクシー15分》-都留市駅 【歩行時間: 3時間30分】
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  「新・花の百名山」や「花と歴史の50山」(何れも故田中澄江さんの晩年の著)でおなじみの二十六夜山(にじゅうろくやさん)。 各種のスミレやツツジなどが咲き競う春から初夏にかけてがこの山域の花の旬なのですが、田中澄江さんがそのエッセイの最後の1行に書かれた 『秋の紅葉の頃にまた来たいと思った』 が妙に気になっていました。 田中さんが道志村の二十六夜山にそのお仲間たちと登られたのは、かなりのご高齢のときの晩春と推測しますが、はたしてその後、秋の紅葉の頃に登る機会を得たのでしょうか…。
  という訳で、気になっていたかつての民間信仰の山、二十六夜山へ、紅葉たけなわの週末に登ってみることにしました。 長女の結婚式を間近に控え、何かと気ぜわしい妻の佐知子は今回は不参加。 で、久しぶりの単独行になりました。

  JR中央本線大月駅で富士急行線に乗り換え、各駅で5つ目の駅、都留市駅のホームに降り立ったのは午前8時20分頃。 登山姿の降客は少ない。 次の月夜野行きのバスまではまだ30分以上あったので、一人では勿体無いとは思ったが、駅前からタクシーを利用した。 道坂(どうさか)トンネルの西側入口までのタクシー料金は3,590円。 トンネルの手前、道路の左脇から登山道は始まっていた。 午前9時丁度、まだ快晴だった。
中央手前に3等三角点の標石
今倉山の山頂

林道と交差する地点から望む二十六夜山
道志二十六夜山

左手前にあるのが2等三角点
二十六夜山の山頂
  落ち葉を踏みしめながら、15分ほども歩くと稜線に出る。 黄葉のミズナラやカラマツなどの雑木林を尚もひたすら登る。 林床はクマザサ(ミヤコザサだったかも?)だ。 黒い羽根に白い腹の小鳥(名前は分からない)が、ピーピー鳴きながら枝から枝へと飛んでいる。 高度を上げてくるとブナが交ざりはじめる。 開けた小ピークから振り返ると、御正体山の右後ろに上半身白銀の富士山がくっきりと見えている。 休憩しても話相手がいないので、歩く速度に緩急をつけて息を整えながら、ほとんど休まずに歩き、登山口から約1時間強で3等三角点のある今倉山の山頂へ出る。 ここで道は左右に分かれる。 東(右)へ進むと菜畑山から朝日山(赤鞍ヶ岳)へと続く道志山塊の核心部へと迫ることができるのだが、お目当ての二十六夜山へはこの主稜線(唐沢尾根)を西へ行く。
  とても感じの良い明るい林相で、ナラ、ブナ、カラマツが主役だが、若干の照葉樹がひそかに覇権を狙っている。 そして、ミズキ、リョウブ、フジザクラ(マメザクラ)、アブラチャン、ダンコバイ、クロモジ、ミツバツツジなどの名脇役が雑木林に彩りを添えている。 モミやツガも、少しだが交ざっている。
  いくつかのピークを越し、歩は快調だ。 所々開けていて、特に赤岩(松山)1450mからの展望が良かった。 眼下の、都留市から大月へ至る街並みがくっきりと見渡せる。 富士山は勿論のこと、近くの道志や丹沢の山々、中央線沿線の山々、奥秩父の山々などの眺めも素晴らしい。 御正体山の遥か左後方には、愛鷹連峰の越前岳と位牌岳がぼんやりと両角をとんがらせている。 残念だったのは、遠方の低い雲のため、南アルプスや八ヶ岳がほとんど見えなかったことだ。 晴れ渡っていれば北アルプスも望めるという。
  アスファルトの林道を横切り、最後の登りで2等三角点のある二十六夜山の山頂へ出た。 お昼の12時、誰もいない。 全く静かな、私だけの山頂だった。 眺めを楽しみながら、コンビニのサンドイッチを食べ、サーモスの熱いコーヒーを飲み、ミカンを1つ食べ、私の昼食は終わった。 それから西と東に大きく開けた展望を我がものにし、少し先にある二十六夜塔をしみじみと観察したり、標板の解説をじっくりと読んだり、それほど広くない山頂部を行ったり来たり、淋しいけれど楽しいひとときを過ごした。 しかし、このとき何故か急に暗雲が立ち込め、小雪がチラつき始めた。 風も出てきて寒い。 ウッソー。
  「ヤベー!」 と思った。 天気予報が晴れだったので、雨具は傘しか持ってきていない。 とりあえず急いで下山しよう、と思って支度していたら、携帯電話のベルが鳴った。 妻の佐知子からだった。 電波が弱く、途切れがちの取り留めのない短い会話だったが、なんか元気が出た。 で、歩き始めたら、何時の間にか雪は止み、再び太陽が出てきた。 ホッとすると同時に、これだから「山」は怖いんだよな、と思って、原則の雨具(カッパ)持参を省いた己に強く叱咤する私だった。
  山頂を辞したのは12時30分、けっこうきつい斜面をジグザグと下る。 下りの苦手な佐知子がいないので、若い頃から下りの得意な私の独壇場。 あっけなく沢底につき、ヒノキやスギの植林地帯を過ぎ舗装道路に飛び出す。 歩き煙草をしながら暫らく行くと、閑散とした戸沢の集落に入った。 標識に従って右折して、戸沢川の近くの「月待ちの湯」に辿り着いたのは午後1時45分だった。
  結婚間近の長女がまだ小さい頃の、山や海でいっしょに過ごした沢山の思い出を、憶えているかぎり思い出そうとして二つ三つしか思い出せなかった、あっという間の二十六夜山だった。

  秋のこの山域はモミジなどの赤い葉の樹木が少なく、紅葉の景色はイマイチだったが、ナラやカラマツなどの黄葉はナカナカだった。
  この日、この山で出会ったのは中高年の1パーティのみ、静かな山行だった。 「月待ちの湯」からの帰路、タクシーの運転手さんが云っていた、「最近は登山者が減りましたねえ…」 が、嬉しくもあり淋しくもありの心境だった。
  近い割には遠いと感じていた道志の山が身近に感じられ、とても気に入ってしまった。 もうひとつの二十六夜山(秋山)へ、晩春の花の盛りの頃に行ってみたい、と、本当にそう思った…。

*** コラム ***
二十六夜山と月待ち信仰

山頂の西側に立つ石碑(嘉永7年)
二十六夜塔
  三省堂の日本山名事典によると、日本には3座の二十六夜山がある。 そのうちの2座が道志山塊にあるというのがおもしろい。 今回私が登った山梨県都留市と道志村に属する標高1297mの二十六夜山(道志二十六夜山=都留二十六夜山)と、もう一つはそこから東北東へ直線距離にして約10Kmの位置にある秋山村の二十六夜山972m(秋山二十六夜山=尾崎二十六夜山=高ヶ嶺山・たかがねやま)で、何れも月待ちの行事が行われていたところだ。 * ちなみに、もう一つの二十六夜山は静岡県の南伊豆にある310m峰。
  江戸時代には(起源は平安時代らしい)二十六夜信仰があり、旧暦1月と7月の三日月の夜半(明け方近く)に、月の出るのを待って拝んだらしい。 なんでも、その夜の月を拝むと、月の光の中に弥陀と観音と勢至の三尊が浮かぶという。
  戦後っ子で現代っ子の私にとってはたわいもない話なのだが、これが女衆だけが集まって一夜を明かす行事だ、ということになると、なぜか俄然興味が湧いてくる。 明け方に出る三日月の夜といえば、星明りだけの、かなり暗い夜だ。 一体、里の女たちは何を思ってこの行事に参加したのだろうか。 そして二十六夜山の山頂での彼女たちの会話はどんなものだったのだろうか。
  そしてもう一つ、都留周辺の隠れキリシタンが二十六夜の月にかこつけて、仏を拝むと称して、ひそかに山上に集まりマリアへの祈りを捧げたのではないか、といった田中澄江さんの説も、おもしろい。

芭蕉月待ちの湯 都留市温泉「芭蕉月待ちの湯」: 二十六夜山の下山地(戸沢・標高約600m)の、ハイカーにとって絶好の位置に建つ都留市の日帰り温泉施設だ。 実は現地へ行って始めて知って嬉しくなったのだが、2年ほど前(H12年7月)にオープンしたらしい。 私の使っている古い山行ガイドブックには載っていなかったのも無理はない。 ここ5〜6年の間に、地方の山間に次々と新しい日帰り温泉施設が誕生し、その何れもがけっこう繁盛しているという。 でも、この温泉施設は、完成してまだ日も浅いせいもあるのか、空いていた。 まだ、ここは「穴場」、だと思う。
  泉質はアルカリ性単純泉。 地下1500mからの動力揚湯、441L/分。 PH9.6。 35.4度の源泉ぬるま湯と中温風呂と高温風呂の3つの大きな石タイル貼りの浴槽。 露天風呂、サウナ風呂もある。 ぬる湯好きの私だが、高温風呂で丁度良かった。 施設利用料は市外在住者は700円。 都留市駅までのタクシー料金は2,650円だった。 人数が揃うと無料の送迎車を出してもらえる。
  老婆心ながら一言。 芭蕉ゆかりの地であることと、月待ち信仰がそのネーミングの由来だと推測するが、単に「月待ちの湯」としたほうがスッキリとすると思うのだが、如何なものか。
  「芭蕉月待ちの湯」のHP


秋山二十六夜山 翌年の5月、秋山村の二十六夜山へ登る機会を得ました。
春の道志二十六夜山 翌々年のスミレの季節に、再び同コースを辿りました。


御正体山と杓子山が露払いと太刀持ち・・・
赤岩より富士山を望む
御正体山(左)・杓子山(右)
明るい雑木林だった
黄葉の下山路
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