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No.160 仏果山747m(丹沢前衛)
平成15年(2003年)11月15日 曇り

仏果山 略図
稜線(宮ヶ瀬越線)から仏果山を望む
仏果山の山頂部

山頂展望台から宮ヶ瀬湖方面を望む
宮ヶ瀬湖を望む

木立に囲まれた仏果山山頂
仏果山頂にて

下山路にて
丸太階段は歩きづらい


丹沢山塊東辺のみち
なんと、下山時に道を間違えてしまった

小田急線本厚木駅-《バス40分》-仏果山登山口〜宮ヶ瀬越〜仏果山〜ホタルの里〜撚糸組合前-《バス45分》-本厚木駅
 【歩行時間: 2時間20分】
 → 地理院地図(電子国土Web)の該当ページへ


 割安な小田急のフリーパス(宮ヶ瀬ダムハイキングパス)を利用しての、「山歩会」の秋の定例山行。本厚木駅前から1時間に1本の宮ヶ瀬行きのバス(8時40分発)に乗る。足早な秋雨前線が本州を南下中とのことで、雲行きは芳しくない。午後からの雨が予想された。で、仏果山(ぶっかさん・747m)から経ヶ岳633mへのミニ縦走コースの予定を変更して、とにかく仏果山だけには登ってみよう、ということになった。
 左に宮ヶ瀬湖が見えはじめて間もなく、仏果山登山口バス停へ着く。意外と人影は少なく、バスから降りたのは私たちのグループの他には一組の若いカップルのみだった。その若いカップルが話し込んでいてなかなかスタートしないので、「お先に失礼」 と云って、バス停の斜め向かいにある指導標に従い登山道へ入る。
 丹沢山塊東端のこの一帯はコナラ、クヌギ、イヌブナ、モミ、シデ類、カシ類などの雑木林にスギ・ヒノキの植林地帯が入り交ざる低山域だ。落葉広葉樹は多いのだけれど、今年は紅葉の時期が少しずれていて、その盛期にはチト早すぎたようだ。やや黄色く色づきはじめた林の中を、腰痛(ギックリ腰)再発の恐怖に襲われながら、私はゆっくりと登る。メンバーのご婦人たちは、何時ものように四方山話に花を咲かせながら、ニギニギしく軽やかに、私の後についてくる。山道脇の所々にはシカ避けの金網が張ってあった。そして、これはイノシシ(もしかして人間かも)の仕業だと思うが、自然薯(山芋)を掘り返した痕のため、あちこちの土が醜く盛り上がっている。何処からか「ドーン」という発破の音が不気味に谷間にこだまして聞こえてくる。
 途中のベンチで休憩して、正味1時間強の登りで稜線(宮ヶ瀬越)へ出た。
 「あのぉ〜、白い犬を見かけなかったでしょうか?」 と、突然ここで出会った中年夫婦から声をかけられた。どうやら連れてきた飼い犬とはぐれてしまったようだ。 「見かけませんでしたよ」 と云って別れたが、何だか気になって、歩きながらその犬の名前を呼んでみたり、両側の雑木林の中をキョロキョロと覗いてみたりした。この稜線は所々林が疎になっていて眺めのよい処だけれど、迷子犬捜しのためろくに景色も見ないまま、あっという間に仏果山の山頂へ着いてしまった。
 長細く小広い山頂は雑木林で囲まれていて、ほどよく賑わっていた。山頂標識の傍らには三等三角点があり、少し離れて小さなお地蔵様と立派な鉄製の螺旋階段の展望台もあった。早速テーブル付きのベンチで早めの昼食。メンバーがそれぞれ持ち寄ったおかずや果物やお菓子なども賞味したりして、和気藹々と過ごす。
 食後、高さ10メートル以上はあると思われる展望台に登ってみた。曇ってはいたけれど、西面には東丹沢の山並みや宮ヶ瀬湖、東面には半原(愛川町)などの麓の街並みもよく見えている。風が出てきて少し寒い。
 山頂を辞すとき、いつの間に来ていたものか、先ほどの中年夫婦の奥さんに声をかけられた。飼い犬が見つかったという。振り返ってみると、ロープにつながれた白い犬がバツの悪そうな表情をしておとなしくお座りしている。そのロープをつかんでいるご主人もバツの悪そうな顔をしていた。 「よかったですね」 と云って、中年夫婦と別れた。
 八州ヶ岳を超えて半原越の手前を右に折れて土山峠へ下山し、別所の湯か七沢温泉あたりで汗を流してから帰路に着く予定だったのだが…。随分と下った処で道を間違えたことに気がついた。下り始めのとき、妻の佐知子が 「方向が違うんじゃないの?」 と云っていたのが現実のものとなった。 「半原方面の道標があるから大丈夫だよ」 と返事して、先頭の私は自信満々で進んだのだけれど、よく考えてみたら私達の行きたい方向は半原越であって半原の町ではなかった。半原越と半原では120度方向が違うのだ。またしても私は面目丸つぶれだ。 「引き返しますか?」 とメンバーに声をかけたけれど、下り始めた足はそう簡単には踵を返せない、ことは私にはよく分かっている。結局、関東ふれあいの道(首都圏自然歩道)を下る、最短の仏果山登山コースになったのだ。 「半原側には温泉がないので、下山後の温泉入浴はあきらめます。お天気も下り坂だし、まぁいいか。アハハ…」 と云ってその場をしのぐ。
 大雑把な尾根伝いを1時間近く下ると舗装道路に出るが、その手前を左から巻き込み更に北進する。左手の松葉沢から流れる小川(中津川の支流)に沿って、柿の実るのどかな愛川町・半原の山里を歩く。「ホタルの里」という案内板が出ていたが、なるほどこの小川の水流はきれいだ。町をあげてホタルの育成に力を入れているようだ。
 半原バイパスの高架をくぐり、半原神社の脇をすり抜けると旧道沿いに半原信用組合があり、そこが撚糸組合前バス停だった。この付近は、かつては桑畑の広がっていたところで、江戸時代から撚糸(ねんし)を中心とした繊維産業が盛んだったそうだ。でも、まだ昼下がり。バス待ちの長い時間、半原神社など、付近を散歩して過ごした。
 今回のこのコースは思ったよりも人影の少ない、何となくいいコースだったけれど、ウーン、安心登山にこだわりすぎてチト端折りすぎたかもしれない。降るはずの雨は幸いにも(とうとう)降らず、なんだか晴れ間も出たりして、けっこういい天気になってきた。道を間違えたため宮ヶ瀬側へ下山できなくて、帰路の温泉入浴がボツになったのが返す返すも心残りだった。

* 仏果山のいわれ: 山頂の案内板(環境庁・神奈川県)を写してきました。
 ・・・この山は、室町時代のはじめ清川村煤ヶ谷にある正住寺(臨済宗鎌倉建長寺派)を開山した天鑑存円上人(仏果禅師)が、座禅修行をした山といわれている。
 天鑑存円上人が座禅をしたという座禅石は、いつの頃か煤ヶ谷側の仏果沢に落下してしまった。こうした由来から、この山を「仏果山」と呼ぶようになったという。(現在この座禅石は下の採石場わきにある。)
 また、この山は昔、煤ヶ谷の人々は南麓と呼び、半原越え(半原峠)から仏果山周辺までを南山と呼んだ。津久井町長竹・韮尾根などでは半原富士とも呼んでいた。・・・



下山路にて
道を間違えて、がっかりしているところです。(下山路にて)

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