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No.165 宮之浦岳1935m 後編
平成16年(2004年)5月1日〜5日 曇り雨

屋久島の略図
雨の縦走路を歩く

第1日=東京…屋久島空港-《バス》-尾之間温泉 第2日=尾之間温泉-《タクシー》-淀川登山口〜淀川小屋 第3日=淀川小屋〜花之江河〜栗生岳〜宮之浦岳〜新高塚小屋 第4日=新高塚小屋〜縄文杉〜ウィルソン株〜大株歩道入口〜楠川歩道出合〜辻峠〜白谷山荘〜白谷雲水峡-《タクシー1時間弱》-永田いなか浜・送陽温泉 第5日=送陽温泉-《タクシーにて島内観光・約2時間》-屋久島空港
 【歩行時間: 第2日=50分 第3日=7時間 第4日=6時間20分】
 → 地理院地図(電子国土Web)の該当ページへ


*** 前項 宮之浦岳(前編) からの続きです ***

●第3日目(5/3):
 未明、トラツグミの囀りだろうか、「ピィー、」 という口笛のような不気味な鳴声で目が覚めた。暫らくすると隣でテントを張っていたMちゃんとAちゃんも起きてきた。懐中電灯の明かりを頼りに朝食を済ませ、薄明るくなってきた午前5時20分、飲めるほどの清らかな淀川に架かる小さな鉄橋を渡り、いよいよ登山開始だ。
 木道あり、丸太あり、プラスチック板あり、木の根っこあり、岩盤上の流水あり、ロープあり、と、森の中の登山道は変化に富んでいる。Mちゃんはロープ場などでは時々 「怖いよぅ…」 と云っていた。本格的な山登りは初体験のAちゃんは黙々と後を着いてくる。しかし、花崗岩の岩や木道は濡れていてもかなりの傾斜でも、不思議なほどに滑らない。で、凸凹はあるけれど案外歩きやすい。
 相変わらず大きな古存木や土埋木が随所に現れる。土埋木は、主に江戸時代に伐採されて捨てられたり放置されたままの屋久杉だという。小鳥たちは今日も元気にさえずっている。アセビが目の高さにぎっしりと白い花を咲かせている。シャクナゲは残念ながら未だ咲いていない。
 小湿原の小花之江河(こはなのえごう)で小休止。ガスっているのでより幻想的な風景だ。コケの緑が美しい。ここでも葉をつけて辛うじて生きているスギの古存木を見た。古木の樹皮が剥がれて白骨化しているので「白骨樹」とも云うそうだ。 標高は既に1600mを超えている。スギが生育できるぎりぎりの高さだ。激しい風雪と貧栄養の土壌で必死に生きているその様は、まさに神秘的だった。
 少し進んで、広い花之江河でも小休止。ここも背の低い屋久杉に囲まれた美しい所だ。ヤクシカが2匹、草を噛んでいた。本土のシカより一回り小さいようだ。
霧雨に煙る小花之江河
小花之江河

ホワイトアウトの山頂でした
宮之浦岳山頂

本土のシカより一回り小さいようです
ヤクシカ

ヒメシャラの大木が印象的でした
新高塚小屋
 この花之江河は、栗生歩道・湯泊歩道・安房歩道とこれから辿る宮之浦歩道の4本の登山道が交わる分岐点でもある。私達夫婦は宮之浦岳からさらに高塚尾根→大株歩道と縦走を続ける予定だが、日程の関係で往復登山の娘さんたちに、「帰路、ここで迷わないように、道をよく覚えておくんだよ」 と注意した。この頃から雨がしとしと降り出したが、「屋久島らしくていいかも」 と娘さんたちは悪天候にもめげず、今日も明るい。
 * 花之江河: 日本最南端の高層湿原。
 再び歩き出して暫らくすると黒味岳への分岐へ出た。島では海岸線からは見ることのできない中央部の山々を「奥岳」、それを囲む山々を「前岳」と区別しているが、その奥岳の中でも宮之浦岳、永田岳、黒味岳(栗生岳とするガイドブックもある)を特に三岳と呼んでいるという。当初私達はその三岳を完全制覇する計画を立てたのだが、それは今回の日程では足の弱い私達にはちょっと無理のようだ。
 「せめて、黒味岳、往復してみる? 往復1時間足らずだよ」 と云ってみたが、サブリーダーの佐知子の返事は案の定 「・・・・」 だった。じつは私もそろそろ疲れ始めていて、その気(黒味岳往復)はなかったのだ。なんと云っても天気が悪すぎる…。何時の間にか森林限界を超え、ヤクザサ(ヤクシマダケ)帯に移行している。
 巨岩の露出した投石平(なげしだいら)を過ぎ、栗生岳(くりおだけ)の山頂も過ぎてから、宮之浦岳手前の小さな岩屋で肩を寄せ合うようにしてカップラーメンの昼食。雨と風が吹き込んできて、お湯がなかなか沸いてこない。惨めな食事だったが、ここでもMちゃんAちゃんの笑顔が私達を救ってくれた。いまどき、本当にこんないいお嬢さん、そうザラにいるもんじゃない。私達の「のほほん息子」の嫁にでも来てくれたらなぁ…、なんて考えてしまった稜線上だった。
 花崗岩のゴロゴロする宮之浦岳の狭い山頂へ着いたのは午前11時30分。ほとんどホワイトアウト状態で、360度で見える筈の景色は何にも見えない。でも、1等三角点にタッチして、私たち4人から満面の笑みがこぼれた。ついに九州の最高峰に立つことができた。ここから先の南にも西にも、宮之浦岳よりも高い山はないのだ。Mちゃん、Aちゃんとしっかりと握手した。登山初心者のAちゃんは、独り言のように 「登山、って、なんだかやみつきになりそう…」 と云っていた。
 30分ほど山頂で過ごし、もと来た道を元気で下っていく娘さんたちの背中を見送った。これから先は私と佐知子の何時ものメンバーだ。焼野三差路へ向かってヤクザサ帯を下る。ちょっと寂しくて、私達夫婦は無口だった。
 何にも見えない平石展望台、第2展望台、第1展望台を越え、徐々に高度を下げる。途中、枝の曲がりくねったシャクナゲの密集する、何とも不思議な密林地帯を通過した。スギなどの背丈が再び高くなってくる。この島のスギは樹齢1000年以上のものを屋久杉、それ以下のものを小杉と呼んでいるらしいが、縄文・弥生とまではいかなくとも、平安・室町クラスだったらそこいら中にゴロゴロ生えている。すごいものだと思う。
 かなり疲れて、標高1500mの新高塚小屋へ辿り着いたのは午後2時40分頃だった。辺りにはコケに覆われた巨大な古存木が何本かある。その主はヤクスギなのだが、そこからは少なくても6種類以上の異なった木々(着生植物)が生い茂っている。この現象は今までもコース上のあちこちでも見てきたが、全く不思議な眺めだ。
 新高塚小屋(定員40名)も、暫らくすると満員になってきた。あとからやってきたテント組は小屋脇の広い木道の上にテントを張っている。「あれ、いいなぁ。高床式だよ」 と、森の中のジメジメした空間に居を構えてしまった私達は指をくわえるばかりだった。
 しかし、私達の「空間」は広くて静かだった。近くに直径3メートルはあろうかという古存木と、こんな大きなヒメシャラがあるのだろうか、と云うほどの大きなヒメシャラの木もあって、ナカナカのロケーションだ。その私達のテントの4〜5メートル奥の、至近距離のもうひとつの空間には、ヤクシカが2匹、横になって長いこと口をモグモグさせていた。そうだったね。シカも牛やキリンと同じ反芻動物だったんだよね。と、妙に感心してしまった、雨が降ったり止んだりの静かな宵だった。インスタントのリゾットで腹を満たし、今夜も早々に床に就いた。森を駆けめぐる風と雨の音を聞きながら…。

●第4日目(5/4):
 夜半から未明にかけて土砂降りの雨が降ったようだ。明るくなるのを待って、そそくさと朝食を済ませ、雨水を吸って重たくなったテントをザックに押し込める。新高塚小屋前から最後のコースを歩き始めたのは午前6時20分頃だった。雨は相変わらず強くなったり弱くなったり、断続的に降り続いている。「今日のコースもほとんど尾根伝いだけれど、こんな日の沢は危険だから、横切るときなどは注意しようね」 と佐知子と話し合った。

* 下山後にニュースを聞いて知った事だが、実際、この日の午前8時頃、屋久島南東部にある千尋ノ滝の上流(鯛之川)で沢登りをしていた男女5人のパーティーが遭難事故(内3人は死亡)にあっている。山の渡渉時、鉄砲水にやられたらしい。 合掌…。

 原生林の山道を1時間ほどなだらかに下ってブロック造りの小さな(旧)高塚小屋で中休止。ここで“沈殿”していた単独行の男性の話によると、昨夜この小屋に泊まったのは6人のみでラクラク状態だった、とのことだった。水場が多少濁っているのが難点だが、ここは案外の「穴場」かもしれない。
専用展望台から仰ぎ見る
縄文杉

空洞の中の木魂神社
ウイルソン株の中

小杉谷までの総延長は11Km
軌道敷の道
 高塚小屋から10分も進んだ標高約1300mの地点。突然、縄文杉の展望台へ着いた。まだ時間が早いので人影は少なく、樹齢7200年(*)とも云われている世界最古のスギ、縄文杉をじっくりと観察することができた。矢張り他の屋久杉より一回りも二回りも大きくて、おどろおどろしく威厳に満ちている。胸高直径5メートル以上はあるという幹は波打って白骨化しているが、確かに生きている。悠久な時の流れと対面したような、一種独特な感動を覚えた。
 更に進んで、二本の離れたスギの木が中空の枝で繋がっている(連理)、これも不思議な夫婦杉を観察したり、空洞のある大王杉を遠巻きに通過したりして、とにかく飽きない。しかし、この頃からすれ違うハイカーがやたらに多くなってきた。エコツアーだかなんだか知らないが、ガイド付きの団体が次から次へと行列を作って向かってくる。遠慮して道を譲っていると、何時まで経っても先へ進めない。現在の屋久島ハイキングは、どうやら、荒川登山口から縄文杉までの観光コースと淀川登山口からの宮之浦岳登山をそれぞれ日帰りで別々に往復する二段構えのプランが主流のようだ。
 根元の周囲が約32mあるというバカでかい切株のウイルソン株に着いたのは午前9時半頃だった。沢山のハイカーたちに混じり、その薄暗い空洞の中へ入って木魂(きたま)神社をお参りした。もう既に枯れちゃっているからなのか、この有名なウイルソン株は、まだ私達が直接手で触れることができる。ここは標高1030mだ。雨は依然として降り続いている。
 これも大きい翁杉を経て、ヒョイと大株歩道入口へ出た。ここから約1時間は右手の木々の間から大杉谷を眺め下ろしたり、仁王杉や三代杉を見物しながらの、緩やかな軌道敷の小広い道になる。とたんに歩きやすくなったので、傘を差しながら歩いている私達の会話も弾んでくる。
 「…それにしてもこのレール、錆びているけど、枕木など新しくて、今でも使えそうね」
 「ああ、今でも時々トロッコ(軌道車)が走っているらしいよ。土産物の杉細工などに使う屋久杉の土埋木を運んでいるんだ。人間は乗れないらしいけれど…」
 楠川歩道出合で荒川ダムへ向かう軌道敷の道を右に見送って、白谷雲水峡へ向かい緑深い静かな登山道へ入る。苔むした林相がナカナカだ。しかし、下りに慣れた足には、途中の辻峠979mまでの標高差約250mの登り返しはきつかった。「だから、ほとんどの人は荒川口へ下山するのね」 と佐知子が云っていた。
 雨が止んで少し明るくなってきた。天気は快方へ向かっているようだ。辻峠の手前の鬱蒼とした森の中で大休止。インスタントヤキソバで腹を満たす。ここでもヤクシカが傍らで草を噛んでいる。大木に密生する苔が雨露に濡れて美しく光っている。おなかの赤茶色がきれいな小鳥、ヤマガラが、近くの小枝で新芽を突いている。
 辻峠を越え、白谷山荘を通過したころには日が差してきた。所々サクラツツジの咲く白谷雲水峡を観光気分で散策しながらダラダラと下る。長編アニメ「もののけ姫」に出てくる神秘の森はここをモデルにしたらしい。
 白谷雲水峡入口へ着いたのは午後3時頃だった。3日間の重たいザックの山旅で肩が痛い。予約の客待ちをしていたタクシーの運転手さんに声をかけ、無線で予約を入れてもらった。30分足らずで私達のタクシーは到着した。

 タクシーに乗ってアスファルトの白谷林道を下る途中、交通事故で死んでしまったヤクザルを路上に見た。路上に流れる赤い血が生々しい。そして痛ましかったのは、その傍らで泣いていた赤ちゃんザルだった。タクシーの運転手さんは 「かわいそうで見ておれんです…」 と云いながら暫らく車を止めていた。運転手さんの話によると、今朝方事故にあったらしく、その時からずっと赤ちゃんザルがああして親の元から離れないと云う。暫らく見ていると、麓からRV車でやってきた、その関係と思われる監視員らしき人が、赤ちゃんザルを死んでしまっている母ザルから引き離そうとしている。そんな光景を見ながら、私達を乗せたタクシーはゆっくりとその場を離れていった。運転手さんの説明が涙声になっている。私達は何かできないものかと必死で考えたが、もらい泣きするだけで、結局何もできなかった…。
 心優しいタクシーの運転手さんに料金の6,600円を支払って、今日の宿、永田の「送陽邸」へ着いたのはまだ日の高い4時半頃だった。

* 縄文杉の樹齢について: 炭素同位体法という方法で調べられた結果、芯の空洞を除いて2000年余り、空洞部分も推定して約3500年が正解のようです。→ 只木良也著「ことわざの生態学」より
 縄文杉の幹の中は腐朽が進んでいて、木材としては使えないので伐採をまぬがれたというのですから、皮肉な話です。


山側にも数棟建っています
「送陽邸」本館

いなか浜が眼前です
海を見ながら朝食
送陽温泉「送陽邸」: 屋久島の北西部、ウミガメの産卵地としても有名な永田いなか浜の西端、岩磯に面して建つ。数棟の平屋からなる趣のある温泉旅館で、建物のすべては島内の古い民家を移築したものだそうだ。私達が通された広い部屋は丘の斜面上部に位置する黒板壁のシックな建物の一室で、木造の広いベランダからは海が良く見える。夕陽を眺めることができるので「送陽邸」と名付けたらしい。海が好きな私にとっては最高のロケーションだ。
 本館の裏に、海に面して屋根付きの露天風呂が2つある。眼前のいなか浜の海岸線の先には東シナ海が広がっていて、口之永良部島が薄ぼんやりと浮かんでいる。夕方は檜の風呂、朝は岩風呂に浸かったが、特に朝は満潮時と重なり、波しぶきを浴びる野趣あふれる入浴になった。時間予約制ということで、9室の泊り客が交代で風呂を使うのだが、入浴したいときに入浴できないのは、温泉旅館としてはちょっと物足りなさを感じた。冷鉄鉱泉、20℃、加熱、赤褐色、微かな鉄錆臭。食事は海を眺めながら、ヤクサバ、カツオ、アオリイカなどの刺身やトビウオの焼き物。新鮮な素材で、美味しかった。1泊2食付一人12,000円。
 ウミガメの産卵時期は今頃から夏にかけての夜の8時頃から、とのことで、もしかしたら見ることができるかもしれないと思い、夕食後出かける準備をしていたのだが、疲れていたのだろう、気がついたら佐知子も私も眠っていて、目が覚めたら朝になっていた。部屋にはテレビも電話もない。それはそれでとてもいいことだと思う。朝風呂から朝食までの時間、静かないなか浜を散歩してみた。花崗岩の砂浜には黄色や紫の可憐な花がたくさん咲いていた。

* ラムサール登録湿地: この翌年(2005年)、永田浜は新たにラムサ−ル条約に登録されました。
 ラムサール条約というのは「特に水鳥の生息地として国際的に重要な湿地に関する条約」として、1971年2月、イランのラムサールで採択されたものです。2005年11月現在、日本ではこの永田浜や尾瀬を含む20ヶ所が新たに登録されて合計33ヶ所となりました。尚、ラムサール条約締約国は147ヶ国、登録湿地は1525ヶ所になっていますが、今後もその数は増加するものと思われます。[後日追記]
  ラムサール条約と条約湿地 環境省自然環境局の該当ページです。

運転手さんの撮影です
志戸子ガジュマル公園にて
 第5日目(5/5): 午前9時半に昨日のタクシーが約束どおり迎えに来てくれた。飛行機の出発時間までにはまだたっぷりと時間があるので、運転手さんのガイドで志戸子ガジュマル公園などを観光した。とどのつまり、屋久島の植物の垂直分布を余すことなく観察できたのが何よりの収穫だ。アコウやガジュマルなどの南国の植物が茂る海岸域から、標高800mぐらいまでのシイ、カシ、タブなどの照葉樹林帯、そしてさらに高度を上げると天然スギやモミ、ツガ、などの針葉樹やヒメシャラ、ハリギリ、ヤマザクラなどの落葉樹も交ざる樹林帯など、亜熱帯→暖温帯→冷温帯と南北に細長い日本の植生の集大成を見ているようで興味は尽きない。この島が「奇跡の島」といわれるのも分かる気がする。
 屋久島空港に着いて運転手さんに料金を支払おうと思ったら、ガイド料は請求されなかった。親切な運転手さんに心からお礼を言って、機上の人となる。
 私達の乗った飛行機は離陸のときに右旋回をしたが、そのとき左後方の眼下に屋久島奥岳の山々がチラッと見えた。あの一番高いのが多分宮之浦岳だな、と思った。お天気に恵まれなかった今回の屋久島で、これが初めて眺めることのできた宮之浦岳の山容だった。



*** 名もない屋久杉でさえこの大きさです ***
辻峠からの下りにて
楠川歩道にて
雨露に光る苔がきれい
このサイズだと小杉…?
 屋久島では、およそ1000年を超える杉をとくに「屋久杉」、若い屋久杉を「小杉」と 呼んでいるそうです。

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