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No.166 越後駒ヶ岳(魚沼駒ヶ岳)2003m
平成16年(2004年)6月5日〜6日 晴れ

越後駒ヶ岳の略図
登山口(駒ノ湯)から越後駒ケ岳を望む
越後駒ヶ岳

前方は荒沢岳
小倉山山頂

艶やかに咲くシラネアオイ
シラネアオイ

山頂は近い
駒ヶ岳山頂へ向かう

バックは中ノ岳
駒ヶ岳山頂

バックは残雪の駒ヶ岳山頂部
駒ノ小屋

このコントラストが見事でした
シャクナゲと八海山


沈み行く太陽だけを気にしながら…

第1日=JR上越線小出駅-《タクシー20分》-駒の湯山荘〜小倉山1378m〜駒の小屋・駒ヶ岳2003m 第2日=駒の小屋・駒ヶ岳〜小倉山〜駒の湯山荘-《タクシー20分》-小出駅
 【歩行時間: 第1日=6時間10分 第2日=4時間40分】
 → 地理院地図(電子国土Web)の該当ページへ


●第1日目(6/5):
 東京駅6時8分発の、朝一番の上越新幹線(とき301号)に乗る。週末だが自由席はガラガラだ。浦佐(うらさ)で在来線に乗り換え、小出(こいで)の駅へ降り立ったのは7時57分。2〜3日前からの全国的な五月晴れは今日も続きそうだ。眠い目をこすりながら、駅前からウキウキとタクシーに乗り込む。
 タクシーが動き出して間もなく、小出の町中を流れる魚野川(信濃川の支流)に架かる橋を渡る。川の上流の彼方には、魚沼の三兄弟(越後三山)が山頂部の所々に残雪を貼り付けて行儀良く並んで見えている。右のギザギザ頭が八海山で、背丈は低いけれど人気者の三男坊だ。真ん中の奥に丸みを帯びた三角形をとんがらせているのは長男の中ノ岳で、3山中の最高峰を誇る。そして、左端にどっしりと構えているのが、これから私達が向かう次男坊の駒ヶ岳だ。
 しかし、ここで早くも問題が発生してしまった。奥只見シルバーラインで銀山平へは抜けられるが、灰ノ又から銀山平までの区間(国道352号線)は未だ閉鎖されている、とのこと。つまり、私達が予定していた枝折(しおれ)峠の登山口へは(車では)行けないということだ。枝折峠から山頂までの標高差は1000メートル弱で、もう一つの登山口である駒ノ湯からだと1600メートル以上はある。脚力の弱い私達夫婦。顔を見合わせて暫し呆然としてしまった。タクシーの運転手さんの話によると、枝折峠経由の352号線が開通するのは、山開きの6月27日に合わせることになるだろう、とのことだった。
 やむを得ず、駒ノ湯からの往復登山をすることになってしまった。タクシー料金の5,030円を支払い、駒ノ湯山荘の頭上に聳える駒ヶ岳を写真に収めてから、午前8時30分、ペース配分に気を使いながら、ゆっくりと、しかし一抹の不安を感じながら、歩き始める。登山口には数台の自動車が止まっていた。少し進むと、ダム建設の計画があったという道行沢に架かる吊橋を渡る。小倉尾根の急登が始まった。
 ミズナラやモミジ類の未だ新緑の雑木林をひたすら登る。オオカメノキ(ムシカリ)に白い花が咲いている。ホオの大木にも大きな白い花が咲いている。足元を見るとチゴユリが可憐に咲いている。アリンコやトカゲが忙しそうに歩き回っている。蝶々やクマンバチや小さなハエ(ハナバチの仲間?)も飛び回っている。ウグイスやホトトギスやカッコーが歌っている。何時ものことだけれど、山って本当にいいものだ。
 高度が上がってくるとブナが目立ち始める。樹林の右手前方には駒ヶ岳の雄姿が見え隠れしている。 「高いなぁ…遠いなぁ…」 と、ただため息。半袖のTシャツ1枚だけでも暑くて、汗が身体中から吹き出てくる。山道の所々にはイワカガミやカタクリがいっぱい咲いている。この地域のカタクリの葉にはどす黒い(暗紫色の)模様がなくて、すっきりとしている。小鳥たちの囀りに交じりエゾ(?)ハルゼミがカナカナと鳴いている。…越後駒の中腹は今、春と初夏が同居する不思議な空間になっている。
 クサリ場を過ぎ、小倉山(おぐらやま・1378m)の狭い山頂を通過したのは12時半頃。途端に視界が広がり、駒ヶ岳の豪快な山頂部がその全容を現してきた。東面(左手)の荒沢岳1968mの広角二等辺三角形も立派で大きい。更にその左手眼下には銀山湖もよく見えている。タムシバ(モクレン科)やアズマシャクナゲが咲いている。足元には相変わらず葉のきれいなカタクリが咲いている。シラネアオイもあでやかに咲いている。ツバメオモトやイワウチワ(トクワカソウ?)も咲いている。素晴らしい季節の素晴らしい山に私達はいる。
 昼食の大休止を挟み、景色に見惚れながら、明神尾根に被さる幾つかの雪渓を渡る。緩斜面でもありアイゼンは着けなくとも歩行に問題はないが、ちょっと雪山の気分を味わった。
 前駒1763mを何時の間にか通り越し、クサリ場もある岩稜帯を登り切ると、ひょっこりと駒ノ小屋前の広場に着いた。午後3時50分。バテバテ鈍足の私達にしては上出来だ。
 素泊まりのみの駒ノ小屋は駒ヶ岳山頂直下の高台に建つ、絶好のロケーションだ。眼前にはオツルミズ沢源頭の、駒ヶ岳山頂へ続く広大な雪田が広がり、ショートスキーを楽しんでいる人もいた。小屋脇の流し場には雪解けの冷たくて美味しい水がコンコンと流れ出ている。感じのよい管理人さんに心付け(宿泊料)の一人2,000円を支払って、一段落してから、小屋前広場でのんびりと晩餐のチキンラーメン。どうやら今日の宿泊客は私達を含めても7名だけのようで、ほとんど個室状態。平成13年(2001年)に改築されたという40名収容のこの小屋は、至極快適だった。
 夏至も近いこととて、日暮れまでには未だ大分間がある。夕食後、残雪を踏んで駒ヶ岳山頂を往復(歩程約30分)してみた。一等三角点と小さな豊斟淳尊(とよくむぬのみこと=豊国主尊・混沌を意味する神様)の銅像や「大山祗命」と彫られた石碑などのある、それこそ混沌として案外と狭い山頂は、言わずもがなの360度の大展望だ。西面の水無川の源流をはさんで八海山が大きく、その右裾には六日町盆地(浦佐の辺りかな)の水田が夕陽に映えて美しく光っている。八海山の左奥には巻機山が見えているし、南へ続く尾根の先には中ノ岳がピョコンと大きく突き出ている。東面も山また山の絶景で、越後や上州の山々をはじめ、薄ぼんやりとではあるけれど飯豊連峰などの東北の山々も見えている。風も弱く、それほど寒くなかったので、私達は沈み行く太陽だけを気にしながら、永いこと山頂に立ち尽くしていた。 「疲れたけれど、来てみてよかったね」 と話し合った。

●第2日目(6/6):
 佐知子は持参したシュラフを使ったようだが、私は小屋に備え付けの毛布だけで少しも寒くなかった。快適な小屋のおかげで睡眠充分。ホトトギスの鳴き声に、午前4時前には目が覚めた。
 早速小屋前の広場へ出てみると、小屋の管理人さんが三脚にカメラを構えて佇んでいた。 「おはようございます」 と声をかけたら、「雲海が出ていればもっとイイのだけどね」 と、人懐こい笑顔で返事をしてくれた。やがて広場正面の遥か彼方の雲上から太陽が昇りはじめる。管理人さんは、朝焼けに映し出される山影の一座一座を、物静かな声で私に説明してくれた。 「…中ノ岳、武尊山、笠ヶ岳、兎岳、至仏山、平ヶ岳、日光白根山、燧ヶ岳…」 メモする暇もない、楽しい朝の山座同定だった。
 そうこうしているうちに佐知子も起きてきて、再び二人で駒ヶ岳山頂へ登った。昨夕にも増してのよい眺めをおさらいしてから小屋に戻って、パンとスープの朝食。管理人さんにお礼を云って小屋を出たのは7時を過ぎていた。
 昨日登った道を、景色や草花などを愛でながらひたすら下る。駒ノ湯に着いたのは12時20分、何時しか雲が多くなっていた。タクシー待ちの時間を利用して湯量豊富な温泉に浸かって、冷たいビールを飲んでから帰路についたのは云うまでもない。
 小出の駅から越後湯沢へ向かう上越線の車中、ずっと左の車窓から移りゆく越後三山を眺めていた。何時の日か、もう一日の余裕をもって、今度は中ノ岳まで足を伸ばしてみたいな、と思った。
 越後湯沢から東京へ向かっているとき、とうとう大粒の雨が降り出した。特にお天気に関しては、今回の私達は非常にラッキーだった。この日から関東甲信越地方は梅雨に入った。

駒の湯:バックは駒ヶ岳 駒の湯温泉「駒の湯休憩舎」: ランプの湯宿として有名な「駒の湯山荘」は佐梨川渓谷に建つ一軒宿だが、今回の私達は入浴のみだったので、その隣に離れて建つ「駒の湯休憩舎」を利用した。摂氏33度のやや冷たい源泉と加熱浴槽とを交互にゆっくり入る、という入浴法は同じらしい。浴室はそれほど大きくはないが、とにかく湯量豊富で、石造りの源泉の湯船からは勢いよく湯があふれ続けている。アルカリ性単純泉。入浴料の500円は山荘の受付で支払う。
 「駒の湯山荘」は、現在は自家発電で照明をまかなっているとのことで、こちらには露天風呂など各種の浴室が用意されているという。「日本秘湯を守る会」の会員旅館でもあるらしい。何れにしても、この温泉は泊まってみないとその本当のよさは分からないような気がする。何時の日か、越後三山への再チャレンジの日が楽しみである。

 * 平成16年10月に発生した中越地震による被災者の皆様に、心からお見舞い申しあげます。



百草の池近くより駒ヶ岳を仰ぐ
駒ヶ岳をめざす
駒ヶ岳山頂直下の稜線にて
山頂は近い!
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