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No.186 斜里岳(しゃりだけ・1547m)
平成17年(2005年)7月20日 曇り マイカー利用

斜里岳 略図
摩周湖への車道沿いにて
キタキツネの家族

東の大地に聳えていた
斜里岳


北海道の山旅・のほほん24日間 [7/8]
渡渉を楽しむ

《マイカー利用》 …清里-《車25分》-清岳荘〜下二股〜上二股〜斜里岳〜上二股〜熊見峠〜下二股〜清岳荘… 【歩行時間: 6時間30分】
 → 地理院地図(電子国土Web)の該当ページへ


●7月19日(曇/晴): 登山前日 雌阿寒温泉〜屈斜路湖〜清里
 前日の雌阿寒岳登山を終え、雌阿寒温泉から清里町までの、のほほんとした移動日。途中、屈斜路湖やその近くのアトサヌプリ(硫黄山)を見物したり、摩周湖も観光した。ある程度長く生きている私達夫婦。北海道観光のメッカともいえるそれらの地を踏むのはこれが何回目か、忘れてしまっているほどだ。
 今回驚いたのは、屈斜路湖畔売店の店先で高山植物が売られていた、ということだ。そのときは、佐知子と目と目を合わせて思わず「ウーン…」と唸ってしまった。どんな花が売られていたのかということについて、私はよく覚えていないけれど、佐知子がよく覚えていた。マルバシモツケ、エゾオヤマノエンドウ、コマクサ、シロバナコマクサ、チングルマ、イソツツジ、メアカンキンバイなど、少なくても十種類以上はあったという。ちなみに、エゾオヤマノエンドウだけが一鉢1,500円で、あとは全部一鉢1,000円だったそうだ。花はほとんど萎れていて、私は可哀想で見ていられなかった。
 摩周湖へ続く車道沿いでは度々キタキツネに出会った。ドライブの観光客が知らずに餌付けをしてしまったのだろう。走っている車に歩み寄ってくるキタキツネは可愛いかったけれど、危険この上なかった。
 楽しみにしていた摩周湖からの斜里岳の眺めは霧で見えなかったが、午後からは晴れ間も出て、清里町へ入ってからはよく見えていた。その斜里岳は、頭に雲を被ってはいたけれど、絶対的な存在感で東の大地に聳えていた。それは殆ど独立峰で、伯耆大山のようにも鳥海山のようにも見えた。
 この日は(スピードスケート選手の岡崎朋美さんの出身地でもある)清里の民宿に宿をとってある。

●7月20日(曇): 変化のある登山道 清里〜斜里岳登山〜清里温泉
 白い花は男爵で、赤みのある花がメイクイーンだそうだ。広い間隔を置いて縦一直線に並んでいる樹木は防風林とのことで、これも独特の眺めだ。斜里岳の広大な裾野に広がるそれらのジャガイモ畑の間を車は快調に走る。景色の主役の斜里岳は、今朝は雲の中だ。やがて斜里岳登山口のバス停がある辺りから未舗装になり、清岳林道へ入る。清里駅近くの民宿から清岳荘(斜里岳登山口)までは約25分のドライブだった。
 新築されたばかりの清岳荘の駐車場に車を置き、その脇から歩き始めたのは午前6時頃。ここは既に五合目で標高約650mだ。トドマツやダケカンバの自然林を少し歩くと再び林道へ出て、暫らくはこの林道を歩く。15分も歩いただろうか、前方に旧清岳荘の朽ち果てた建物が見えてきて、登山道はその裏から続いていた。そして間もなく、斜里川源流の一つである一ノ沢に沿って遡行する、「初級沢登り」の長い区間が始まった。
見た目ほど怖くありません
旧道を登る

山頂手前にある祠です
スチール製の祠

ガスったが心は明るい
斜里岳山頂にて
 この一ノ沢の渡渉の繰り返しは、慎重に歩いていればドボンの心配がほとんど無い、歩きやすくて楽しいものだった。ナメ滝が連続するが、水深はそれほど深くないし、足場の岩は濡れていても滑りにくい。鉄分を多く含んだ岩石らしい。要所にはロープやクサリも付いていて、軽登山靴で充分だ。降っていた霧雨が止んで空は明るい。
 下二股から再び新道と合流する上二股までは、名前が付いているだけでも7つの滝を通り過ぎる。ガイドブックからそのまま転記すると、白糸・水簾・羽衣・万丈・七重・見晴・竜神・麗華ノ滝、ということになる。それぞれは小さいけれど多彩な滝で、とにかく飽きない。所々にはウコンウツギやチシマノキンバイソウなどが咲いている。
 上二股を過ぎた辺りで樹高が急に低くなり、ひねたダケカンバ、弓なりに曲がったミヤマハンノキ、背の高いハイマツ、白い花をつけたウラジロナナカマド、タカネナナカマドの世界になってくる。森林限界だ。
 視界は広がったけれど霧が濃くなってきた。胸突き八丁の八合目付近からガレてきて、山頂が近いのが分かる。道筋にはヨツバシオガマ、マルバシモツケ、チシマフウロ、タカネトウウチソウ、チングルマ(羽毛状)、エゾキスゲ、イソツツジ、ヤマブキショウマ(トリアシショウマ?)、ホソバイワベンケイ、チシマギキョウなどの花が見事に咲いている。
 馬ノ背を進むとスチール製の祠(斜里岳神社)があり、その少し先からハイマツの細い稜線を登り切ると斜里岳の山頂へ出た。セメントで固めた大きなケルンがポツンと立つ、すっきりとした山頂だった。ほとんど無風だったけれど、展望は霧で真っ白だ。普通のツバメよりやや大きめで尾の割れ方の少ないアマツバメが、上空を盛んに行き来している。モチ入りラーメンを啜りながら、濃霧の中でも飛んでいるアマツバメを不思議なものとして、私達は暫らくの間見ていた。至近距離の斜面に目を落とすと、エゾシマリスが砂礫をすばしっこく歩き回っている。このシマリスも、もしかしたらハイカーたちによって知らずのうちに「餌付け」をされてしまったのかなぁ…。
 斜里岳の標高は、じつは少々ややこしい。というのは、国土地理院の地形図(2万5千図)を見ると1547mと1544.8mとが併記されてあるからだ。しからばと、同院の三角点情報を閲覧してみると標高1535.79mとなっている。山頂の少し手前の低い位置に真鍮製の二等三角点があったので、三角点情報の標高は納得できるにしても、地形図の標高併記はナゾのままだ。私の無責任な推測だけれど、1535.79mが三角点であるのは間違いないとして、1544.8mは測定点で、1547mは測定点のうちの最高点(標高点)、っていうのはどうだろう。とすると、各種のガイドブックや山の図鑑などに表記されている1545mという標高はおかしい、ということになる。と、まぁ、どうでもいいけれど…。(*
 ガスが引かず、展望の良いはずの稜線でも何も見えないので、私達は無口になりがちだった。下山路は上二股から尾根筋の新道へ入り、下二股へ下る途中に「熊見峠」という背の高いハイマツなどに囲まれた地点を通過する。 「クマ・ミ・トウゲ…。えっ?クマが出るの?ここ…? なるほど、クマの好物のコケモモがあるぞ」 と私がつぶやいてから、佐知子の歩き方が変わった。熊よけの鈴をいつも(北海道山行中は)ザックに括り付けていた佐知子だったが、平地歩きではよく鳴る鈴が何故か坂道歩きでは鳴らない。それで無理やりお尻を振りながら歩き出したのだ。私は云わなかったが、それはまるでモンローウオークのようで、笑いを抑えるのに苦労した。
 佐知子の熊よけの鈴のおかげかどうかは分からないけれど、私達はクマには出会わずに無事に清岳荘の建つ出発地へ戻り着いた。午後3時30分頃だった。
 私達の斜里岳は、天候には恵まれなかったけれど、登山道が変化に富み花もいっぱい咲いている、とてもシックでいい山だった。

清潔感のある宿でした
清里温泉「緑清荘」
清里温泉「緑清荘(りょくせいそう)」: 知床半島の付け根、斜里岳西麓の広大な裾野に位置する町営温泉ホテル。清里駅からは歩いても10分くらいの距離。南側の和室からは、その左手にドカーンと斜里岳が望める。男女別の明るい大浴場はゴルフ場の風呂といった感じで、はっきり云って私達の趣味ではなかった。石タイル貼り、ナトリウム-塩化物泉(弱アルカリ性低張性高温泉)、52度、加水温度調整、茶褐色で口に含むと微かに甘しょっぱい。掛け流しだが塩素消毒がちょっと残念。1泊2食付一人8,110円だった。
 特別注文のタラバガニ(2,500円)を食べて満悦の夕べ、部屋の窓から眺めた景色がすごかった。初めその光は斜里岳の右肩に浮かぶUFOだと思った。しかし動かない。否、少しずつ上昇して大きくなっている。暫らくするとそれは皓々と輝きだした。満月だった。感動だった。その光はずっと、辺りが暗くなっても、斜里岳の雄大な山影をくっきりと映し出していた。
* 平成22年12月6日、「ホテル緑清荘」としてリニューアルオープンたようです。[後日追記]
 外部サイトへリンク 清里温泉「緑清荘」のHP

建て直された清岳荘
清岳荘(前日撮影)
* コース等についての補足説明:  登山口にある清岳荘は平成10年に焼失して暫らくの間はプレハブの仮小屋でしたが、昨年秋に建て直されて今夏からオープンしたそうです。清里町の「コミュニティセンターコミット(観光協会)」で聞いた話によりますと、その建設総費用は1億円以上とのことでした。壁などが石貼りで、水洗トイレや大きな駐車場(45台程度)なども完備された大変立派な小屋でした。50名収容で素泊りのみですが、食品自販機なども設置されてありました。 ここに前泊する手もあったかもしれません。
 斜里岳の登山道には北側の斜里町の三井コースもありますが、一般的なのはこの清里コースのようです。下二股・上二股間は登りに沢コースの旧道を使い、下りに尾根コースの新道を使います。旧道の沢ルートは下りに使うと危険だから、というのが理由のようです。(沢ルートを下ってくるハイカーも何人かいましたが…。)
 清里コースのコースタイムについては、ガイドブック等によりますと4時間40分前後になっていますが、新しい清岳荘から旧清岳荘までの歩行時間(往復約30分)が従来の表記にプラスされますので、要注意です。
 登山中、足元ばかりを見て歩いていた私は、何回も頭を木の枝にぶつけました。そのうちの一回は強烈で、目から火花が出ました。老婆心ながら一言。斜里岳へ登られるときは、特に森林限界の手前では頭上に注意してください。


* 斜里岳の標高について: その後、清里町の「週間通信・平成20年9月28日」によりますと、斜里岳の標高が2m高くなって1547mになったとのことです。国土地理院の山岳標高によれば、これまで山頂付近の三角点の位置を基準に標高1545mとされていましたが、空中写真からの測量により新たに標高点が求められ、現在は標高点の数値をもって1547mとされている、とのことです。ということは、このときの地形図上の標高数字は、その新旧の基準点を併記していた、ということだったようで、私の推測もまんざらではなかったようです。 [後日追記]

*** コラム ***
斜里岳の・ちょっと面白い話

 今は昔の1936年(昭和11年)6月19日に、60年ぶりの皆既日食が見られたとのことですが、そのために欧米各国から170名もの学者や技術者などが、その観測の最適地とされた北海道に大挙して訪れたそうです。そのときには斜里岳の山頂と現在の下二段にも観測所が建てられて、我が国の観測隊も合流して、清里は開村以来の大騒ぎになったといいます。このときに整備されたのが2つの清里ルートで、戦後、そのうちの尾根コースが下二段の地点に下りていくように切り替えられたため、新道と云われるようになったとのことです。
 さて、そのときの観測ですが…、肝心な時間に「妖雲」がでてしまい、観測隊長のストラットン博士(英)は天を呪い神を罵倒して悔しがったとか…。

 私達はうっかりして見過ごしてしまいましたが、そのときのコンクリート製の観測所の跡が現在も下二段に残されているそうです。
 * 清里町観光協会発行の「斜里岳・登山ガイドブック」に書かれてあった記事を参照しました。

●7月21日(薄晴): のほほんと知床見物 清里温泉〜知床観光〜ウトロ
 清里温泉「緑清荘」を朝ゆっくりと発ち、斜里からウトロへ向かった。私にとっては2度目となる「オシンコシンの滝」や「知床五湖」などを観光散策したりもした。エゾリスが樹上(森林)性であるのに対してエゾシマリスは地上性であることや、斜里岳山頂で飛んでいたのはアマツバメだったことなどは「斜里町立知床博物館」を見学したときに教わったことだった。
 私達の北海道の山旅も大詰めを迎えようとしている。明日はいよいよ最後の羅臼岳登山だ。

次項 羅臼岳 へ続く



楽しい沢登りでした
一ノ沢を登る
幻想的な斜里岳の夜景でした
満月と斜里岳
緑清荘の部屋の窓から撮影

「北海道の山旅・のほほん24日間」の写真集: 大きな写真でご覧ください。

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