今年はコバイケイソウの当り年
第1日=JR羽越本線鶴岡駅-《タクシー約45分》-八合目レストハウス〜弥陀ヶ原〜仏生池小屋〜月山頂上小屋 第2日=月山頂上小屋〜月山神社(参拝)〜金姥〜装束場〜湯殿山神社(参拝)〜登山口-《バス5分》-湯殿山バス停(参籠所)-《バス10分》-湯殿山ホテル前(入浴)-《タクシー約60分》-JR山形駅…
【歩行時間: 第1日=3時間 第2日=2時間30分】
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*** 月山のガイドブックを読むためのガイドとして ***
* 月山は、「羽黒修験道」で知られる出羽三山の主峰です。昔(修験道以前)から、庄内平野の人々は東南に高々とそびえる月山と、北にそびえる鳥海山に尊崇の想いを抱いていたといいます。ちなみに出羽三山とは、月山を中心にして、北に離れて羽黒山、西に連なる湯殿山のことですが、「羽黒と湯殿は山として論じるには足らない。ひとり月山だけが優しく高く立っている」
と深田久弥氏は書いています。その山容は「ちょうど月が半輪を空に現わしたような大きな山の姿」 とも 「臥したる牛に似た(森敦)」 とも云われています。
* 三所権現(出羽三山)とは、上述したように羽黒山(本地仏は聖観世音菩薩→観音浄土→現世)、月山(本地仏は阿弥陀如来→阿弥陀浄土→死後)、湯殿山(本地仏は大日如来→大日寂光浄土→未来)のことですが、その三所権現登拝のご利益は、三山を回ることによって、生きながら死後の体験をして生まれ変わる、ということだそうです。
出羽三山公式サイト
* 今回の山行ルートについては、ちょっと抹香臭いですが、三所権現登拝を意識してみました。つまり、鶴岡からのアプローチで(時間の関係で参拝はできませんでしたが)羽黒山を通過し、月山八合目登山口から月山(月山神社)へ登り、頂上小屋で一夜を過ごしてから湯殿山神社へ下るという余裕のコース日程です。
月山神社と湯殿山神社を参拝しましたので、このときのご利益は、多分、その三分の二くらいは、あったと思います。私達夫婦に関して云えば、十数年前に観光旅行で羽黒山へは詣でているので、合算すれば(月山のシャレではありません)三山を廻ったことになり、「死生の輪廻」を体験し悟りを開いたことになります。しかし、じつは、羽黒山には三山を合祀(ごうし)した三山神社があり、私達はもうとっくに三所権現登拝を済ませていたことになるのですが…。
登山道(遊歩道)は石ゴロの道が多かったですが、よく整備されていました。
コバイケイソウの大群落
今回の参加者は9名
山頂の月山神社
月山頂上小屋
雪渓歩きもあります
水月光の下り
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* 今回の展望については、はっきりしない陽気で遠望は利きませんでしたが、広大な緑の稜線部の其処彼処に、もう7月も終わるというのに、多くの雪田や雪渓が張り付いている様は絶景でした。冬には山頂の南東側斜面などに30mもの雪が積もることもあるそうで、豪雪地帯の片鱗を垣間見た思いをしました。冬の大雪田のことを地元の人たちは「大雪城(おおゆきしろ)」と呼んでいるそうです。
独立峰の月山のこととて、好天に恵まれれば東北の山々は勿論のこと男鹿半島や佐渡島までも、素晴らしい大パノラマが展望できるとのことです。
* 高山植物に関しては、弥陀ヶ原近辺にはキンコウカやニッコウキスゲなどが咲いていました。広い稜線上にはハクサンイチゲ、トウゲブキ、ミツガシワ、ハクサンフウロ、ミヤマアキノキリンソウ、ヒメシャジン、ヒメウスユキソウ、ミヤマキンポウゲ、ヒメクワガタ、ダイモンジソウなどがきれいに咲いていました。
数年に一度(5年に一度?)咲くというコバイケイソウが特に見事で、なだらかな山頂部一帯をはじめあちこちに大群生して咲いていました。今年はコバイケイソウの当たり年のようで、私たちはラッキーでした。
麓近くの下山路にはコイワカガミなども可憐に咲いていて、流石に定評のある花の山だな、と感心しました。月山名物のミヤマクロユリの花を、その時期を逸していたものか、私たちが見過ごしたものか、見ることができなかったのが残念といえば残念でした。
尚、この月山も鳥海山や朝日岳や飯豊山などと同じように、シラビソなどからなる亜高山帯の針葉樹林が欠如していて、落葉広葉樹林帯からいきなり高山帯の様相(偽高山帯)を見せつけます。これは日本海側の多雪山地特有のものであるらしいです。
* 月山頂上小屋は、山頂直下の平原にポツンと建つ、風呂場も備えた、130人収容の立派な山小屋です。貸切の広い部屋を男女別にそれぞれあてがわれ、ゆったりのんびりとできました。風呂上りにビールを飲んで、当地で採れた山菜のてんぷらなどに舌鼓。甘露、甘露でした。(1泊2食付一人8,820円)
尚、山頂の月山(つきやま)神社の開門は朝の6時から夕方の5時までで、それ以外の時間は境内へは入れてもらえません。狭い境内は撮影禁止で、石垣に囲まれていました。その月山神社をぐるっと回った裏奥の低い処に月山の一等三角点はありました。
「月山頂上小屋」のHP
* 第2日目の下山路の、月山頂上小屋から湯殿山神社へ到る道には、途中に月光坂(鍛治月光・金月光・水月光)と呼ばれる急坂がありますが、石段になっていたり、要所(水月光)にはアルミ製のしっかりとした梯子などもかかっているので、不安はありませんでした。標高差1000m以上ある下りなので、後でヒザにきたメンバーもいましたが、開けた景色やお花畑を眺めたりしながら楽しく下山できました。
* 下山地の湯殿山ですが、その参拝料は月山山頂の月山神社と同じ、一人500円でした。山中の登山道でもしばしば白装束(行者姿)の登拝者たちに出会いましたが、この湯殿山は白布の幟(のぼり)と白装束の大団体であふれかえっていました。「湯殿山御開山1400年」の影響もあるのでしょうか、とにかく活気づいていました。登山服姿の私たちは、場違いな感じを受けながらも、お祓いを受けてから湯殿山神社に詣でました。
湯殿山神社(奥の院)といっても、ここには人工の社殿はありません。ご神体は奥にある茶褐色のゴツゴツした大きな岩塔で、酸化鉄を含んだ「霊湯」が岩中にあふれ流れています。参拝者は皆な裸足になって、そのご神体そのものに詣でるわけです。と、しかし…、これ以上の詳細な描写はご勘弁いただきたいと思います。というのは、このご神体は撮影禁止は勿論のこと、「語るなかれ、聞くなかれ」 と戒められているからです。せっかく三所権現登拝を済ませて悟りの境地に入っている私はバチにあたりたくはありません。湯殿山参拝の感想として、変な感想かもしれませんが、「足湯もあったりして、楽しくて面白かった」 とだけ書かせていただきます。
この件についてはあの松尾芭蕉も、「語られぬ湯殿にぬらす袂かな」 の句を残しています。登山が特に好きだったとは思えない芭蕉が、150日に及んだ「奥の細道」の旅の半ばで、出羽三山を必死で(息絶え身こゞえて)巡礼した、その結果がこうです。芭蕉はさぞかし残念だったことでしょう。
地形図を見ますと、谷間にある湯殿山(神社)の南に湯殿山1500mという山がありますが、後世になってから名付けられたそうで、もちろんご神体ではありませんし、一般の登山道もありません。くどくなりますが、湯殿山のご神体はあくまでも茶褐色の岩塔と温泉(神滝)なのです。
* 交通手段のことですが、東京方面から庄内エリア(あつみ温泉駅〜酒田駅間)までには山形新幹線を利用する「おはよう庄内往復きっぷ・16,000円」というのがあって、行きの列車だけは指定(東京発7:36・つばさ103号)されていますが、それがかなり割安(半額近い)で便利でした。知らない方がけっこういるようなので、敢えて書かせていただきました。JRからはナニも貰ってはいませんけれど…。
* 感想を一言で云うならば、月山は眺望や高山植物などに恵まれた、ハイキングにとてもよい超一流の「山」だった、ということになります。しかし、私たちハイカーが絶対に忘れてはいけないのは、この山が恐れ多い霊山でもある、ということだと思います。
つい最近世界自然遺産に登録された知床の、その自然が 「知床の自然はヒグマによって守られている」 と陰口されている真意をふまえたうえで、あえて云わせてもらえるならば、「仏」の山だからこそ月山の自然は(辛うじて)守られてきた、と私は思うのです。
* 私の山行メモ、の一部を、そのまま書き写してみます。
・・・月山の稜線は「優しく」うねる広い草原で、ウラジロナナカマドや(コ)ミネカエデやシャクナゲやネマガリダケなども交じるが、ハイマツは何故か少ない。
その大草原の緑に映えた「白」がとてもきれい。「白」とは、コバイケイソウの白い花と、雪渓や雪田の雪の白と、行者姿の白装束のこと。それらは何れも「大群生」だった。・・・
湯殿山温泉「湯殿山ほてる」: 月山の西麓に位置する一軒宿の温泉ホテル。バスだと山形駅まで約1時間、鶴岡駅へは約40分、湯殿山参籠所までは約7分の距離。ホテルのパンフレットにはちょっとぼかして書いてあったが、その泉質は湯殿山の「ご神体」と同じものらしい。さっそく山の汗を流しに入浴してみると、なるほど、「ご神体」と同じような色(薄褐色)と臭い(鉄分の金気臭)と味(甘しょっぱい)で、「ご利益」がありそうな感じがした。含塩化土類食塩泉、37度、若干加熱、掛け流し。外湯はなく、内湯の男女別大浴場のみ。前の広場には大きな釣堀があって、ニジマスと格闘する子供とお父さんの姿が微笑ましい。参拝や湯治や登山やスキーはもちろんのこと、家族連れの旅行にもいいようだ。私たちは入浴のみで一人400円だった。
→ 湯殿山ホテルはこの後(2012年の雪害により?)廃業したようですが…。[後日追記]
月山の、「優しく」うねる稜線にて
頂上小屋から下山開始
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ここにもコバイケイソウ
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*** コラム ***
森敦の小説「月山」について
今、私の手元には森敦(もりあつし・1912〜1989)の小説「月山」の初版本(昭和49年3月発行)がある。初版本といっても、その前年に「季刊藝術」に発表されたものが、芥川賞を受賞したので単行本として出版されたものだ。こげ茶色の渋い表紙カバーのこの本に、じつは、私の思い出がある。
大学時代、授業にはほとんど出たことはないけれど、クラブ活動の部室にはよく通っていた。私が属していたのは「文学研究会」という名の、文学青年や文学少女が寄り集まる、しかしてその実態は「飲み仲間」のクラブだった。普通に進級している同友と比べて何年も余分に学生をやっていた私は、そのクラブ内では、ちょっとはいい顔をして、うぬぼれていた。そんな私が卒業間近になって、「山」はともかく、「文学」の世界についてはきっぱりとあきらめた。その理由の張本人が「月山」だった。
小説「月山」の書き出しは、月山についての長々とした紀行的な解説文から始まる。この初めの数ページまでは、月山のガイドブックかなと思いながら確かに読んだ記憶はある。しかしその先はいくら読もうと思っても目がついていかず、何回アタックしても必ず何時の間にか眠っていた。そのときからだった、私が「文学」をあきらめたのは…。
今回、山の仲間たちと月山へ行くことになり、私は本箱の最上段から36年ぶりに、埃だらけの「月山」を取り出した。そして、恐る恐る読んでみた。意外にも、今度は最後までスラスラと読めた。
この小説は、死者の行く山(月山)の、その麓の寺で秋から春までを過ごした作者の体験をベースに、村人との交流を淡々と語った一大抒情詩だった。そして、複雑なクロスワードパズルのような文章の中で、即身成仏のミイラなどの月山の「秘密」も解き明かされていた。
すべての吹きの寄するところ、これ月山なり(森敦)[吹き=吹雪]
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