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No.189 聖岳から光岳 前編
平成17年(2005年)9月12日〜15日 晴れたり・・・曇ったり・・・

聖岳・光岳 略図
山小屋でマグロの刺身が出た!

第1日=中央自動車道飯田I.C-《車2時間》-便ヶ島〜西沢渡〜薊畑〜聖平小屋 第2日=聖平小屋〜小聖岳2662m〜聖岳3013m〜聖平小屋〜南岳2702m〜上河内岳2803m〜お花畑〜茶臼小屋 第3日=茶臼小屋〜茶臼岳2604m〜仁田岳2524m〜易老岳2354m〜光小屋〜光岳2591m 第4日=光小屋〜イザルヶ岳2540m〜易老岳〜易老渡〜便ヶ島-《車2時間》-小渋温泉(泊)…
【歩行時間: 第1日=5時間20分 第2日=8時間30分 第3日=6時間30分 第4日=6時間20分
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 すっくと聳えるピラミッド型の聖岳(ひじりだけ)と、その南側に上河内岳を隔ててどれがピークだかよく分からないような平凡な山容の光岳(てかりだけ)。この2座は南アルプス南部の「最果てのピーク」で、特に光岳は日本百名山の最後の山、だそうだ。なぜ最後かというと、行くのが億劫だから最後まで残ってしまう、という陰口を聞いたことがある。実際、この山域は原生林だらけの、今でも秘境と云えるほどの、深くて遠い辺鄙な処だった。しかし、山小屋はとてもよく管理されていて、思っていたよりもずっと快適な山旅をすることができた。それはまったく嬉しい誤算だった。

●第1日目(9/12・晴) バテバテの登り 便ヶ島〜聖平小屋
 中央アルプスと南アルプスをきっちりと分けているのは天竜川の流れる伊那谷で、その南アルプス寄りには中央構造線が走っている。東京に住む私達夫婦にとって、その中央構造線に沿った国道152号線(秋葉街道)へ出るまでがけっこう大儀だった。しかもその先の、秋葉街道の木沢から遠山川(天竜川の支流)に沿って東へ遡行する約22Kmのクネクネ道(林道赤石線経由)が、これまた長かった。中央自動車道の飯田インターから2時間はたっぷりとかかって、閑散とした便ヶ島(たよりがしま)の駐車場に車を停めたのは午前9時近くになってしまった。随分と山深い処へ来てしまったなァ、と独り言。車酔いとかで助手席でずっと寝っぱなしだった妻の佐知子が 「え?なぁに?」 と云いながら起きてきた。
 聖岳の西側の登山口・便ヶ島には平成15年5月にオープンした「聖光小屋」があって、ここに前泊する手もあったかもしれない。建物の中には入らなかったけれど、外見は小ぎれいな小屋だった。南アルプス南部も年々登りやすくなっているようだ。
人力ロープウェイで西沢を渡る
渡り籠で西沢を渡る
 右下に遠山川の清流を見ながら、暫らくはなだらかに歩く。この道は昔の森林軌道跡らしい。ブナ、ミズナラ、モミジ類に交じりカツラ、ヤマハンノキ、シオジ、サワグルミ、トチノキなどの渓畔林の木々が目立つ。この自然林の植生が高度を上げていくとどのように変化していくのか、それも楽しみだ。何処を見渡しても森はとてつもなく深い。
 1時間ほども歩くと、枝沢に架かる例の「渡り籠」の地点へ出た。ここが西沢渡(にしざわど)だ。ドボンを覚悟しての渡渉も可能とのことだが、私達は人力ロープウェイの「渡り籠」に挑戦してみた。作り変えたばかりのアルミ製の「渡り籠」は、多分、当分は切れ落ちることがないと思えた。まず私が先に籠に乗ってロープを引っ張りながら対岸へ渡った。佐知子が一方のロープを引っ張って手助けしてくれている。腕力のない私達だが、二人で力を合わせて何とか無事に渡ることができた。フィールドアスレチックのようで面白かった。
 西沢渡を過ぎると、いよいよ尾根筋の急登が始まった。標高差約1400mのこの登りは、1ヶ月半ほど山歩きから遠ざかっていた私にとって非常に辛かった。植生の高度変化を楽しむどころではなかった。この日の私の山行メモには走り書きで 「・・・コメツガ、ブナ、ダケカンバ、トウヒ、潅木はヤマハギ。標高2000m辺りからシラビソが多い。林床に僅かに咲いているのはカニコウモリ、ミヤマアキノキリンソウ、オヤマノエンドウなど。赤い実をつけたゴゼンタチバナも少し・・・」 とだけ書いてあり、それから先は白紙だった。何回も、あきらめて引き返そうと思ったり、何故来てしまったのかと後悔したりして、ゼーゼー云いながら必死に歩いた。佐知子は涼しそうな顔をして、ぴったりと私の後ろについてくる。弱音は吐けない。
 足元の岩石はチャートと呼ばれる赤くて硬い堆積岩だ。太古の昔、海底にプランクトン(放散虫)の死骸が積み重なってチャートになり、それが太平洋プレートとユーラシアプレートとフィリッピン海プレートとのせめぎ合いで隆起してきたものらしい。気の遠くなりそうなプレートテクトニクス理論だが、それを佐知子に説明しようとしていたら、自分自身の気が遠くなってきた。そしてついに、30分歩いては20分休憩の、汗だらけのバテバテペースになってきた。運動不足と寝不足と運転の疲れで、私の心肺機能は最悪になっているようだ。
 ようやく主稜線(薊畑分岐・標高約2400m)へ出てほっとした。右折して、明るく開けた草原を進む。アザミやタカネマツムシソウは殆ど花期を終えていたけれど、ホソバトリカブトやウメバチソウはまだ咲いていた。小ぶりなシラビソやダケカンバも疎に生える、何ともいい処だ。少し下ると尚一層開けて、ここが聖平(ひじりだいら)だった。周囲の山々のシラビソたちが縞枯れている。左手を振り向くと小聖岳の右奥の聖岳(前聖岳)が大きい。
 聖平の木道を左へ暫らく進むと、今日の宿、聖平小屋がひっそりと建っていた。薊畑(あざみばた)分岐から約20分。既に午後3時30分だ。

県営聖平小屋* 県営聖平小屋: 途中で私達を追い越していった単独行の青年が一言云ってくれたらしい。小屋へ着くや否や管理人さん(原田さん)が 「お待ちしていました」 と、私達を温かく迎えてくれた。そしてお茶と手作りのクッキーを出してくれた。私達は感激で涙が出そうになった。
 夕食も朝食も4時30分から、とのことだった。この山域の山小屋に食事付きで泊まる場合、午後3時までに小屋に着いている、というのがエチケットだ。 「遅くなって本当にすいません」 と何回も謝ったけれど、管理人さんは終始笑顔で応えてくれた。単独行の青年にもお礼を云って、ようやく私達はザックを下ろした。
 100人収容の小屋に、この日の宿泊客は17〜8名だったろうか。赤石岳方面からの縦走組や椹島からの登山者が案外多かった。その中の中年ご夫婦が、今回の聖岳が百名山の百座目ということで、夕食のとき小屋から特別に赤飯が振舞われた。私達もご相伴に預かって、そのご夫婦に祝福とお礼を云った。その夕食のメイン料理はアマゴのフライ。アツアツで絶品だった。その他のおかずも盛りだくさんで、ご飯も美味しくて、もう、云うことは何もない、素晴らしい小屋だった。標高約2300mに位置。小屋前広場の水場では蛇口をひねると清純な水が飲み放題。トイレもきれい。スタッフは原田さんをはじめ5名もいた。今年は9月25日まで営業とのこと。今回の小屋泊の料金は全て同じで、2食寝具(寝袋)付きで一人7,500円だった。

 夕食後、小屋前広場(テント場)をブラブラしていたら、「キィィーン」 とシカの鳴き声が聞こえてきた。夕方の5時半頃は特に、聖平にシカが集まるそうだ。そう、秋はシカの交尾期なのだ。夕霧が出てきたので、疲れていたこともあったし、私達はシカ見物には行かないで、そそくさと小屋へ戻った。
 同宿のハイカーたちの歓談を遠くの耳で聞きながら、何時の間にか私はぐっすりと眠っていた…。

●第2日目(9/13・晴) 感動の聖岳山頂 聖平小屋〜聖岳〜茶臼小屋
 未明の3時半頃、目が覚めて表へ出た。満天の星空は冬の星座で、東面の中空にはオリオンが輝き、中天にはスバルが瞬いていた。ヤッター!、と思った。睡眠充分の私の身体は絶好調で、今日もいい天気のようだ。
 4時25分頃から朝食は始まった。それを真っ先に食べて、ザックの中の当面必要のないものを小屋に預けて、薄っすらと明るくなってきた頃、聖岳へ向かって歩き始める。鳥森山辺りの上空だろうか、東の空が柿色に染まってとてもきれいだ。
小聖岳のピークから聖岳(前聖岳)を望む
小聖岳から聖岳へ

バックは赤石岳
聖岳山頂
 昨日歩いた道を薊畑分岐まで戻り、主稜線に沿って更に北上する。チャート(赤い石)から何時の間にか砂岩質(薄い茶褐色の石)になり、ハイマツとシャクナゲとミヤマハンノキとウラジロナナカマドと地上を這うひねたダケカンバ(私達はこれをハイカンバと命名した)の、つまり、森林限界を抜ける。ホシガラスが次から次へと飛び交っている。
 小聖岳2662mのピーク辺りからハイマツと岩礫の高山帯になり、聖岳の山頂部が眼前に迫ってくる。所々にイワツメクサが、まだしぶとく咲いている。多少のアップダウンの後、急登の中間にチョロチョロ流れる水場でたっぷりと冷たい水を飲み、そして登り切ると、そこが聖岳(前聖岳3013m)の山頂だ。
 聖岳の山頂は360度の大展望だった。眼前(北面)の赤石岳が何といっても大きくて立派だ。左手の中央アルプスの後方には御嶽がはっきりと見てとれ、左端(西の方向)に離れて恵那山も雲の上から頭を出している。ずっと遠くには北アルプスの峰々も見えている。右手(東面)には笊ヶ岳の右奥に富士山が薄っすらと見えている。これから向かう後方(南面)の上河内岳が赤石岳に負けず劣らず大きいけれど、光岳は、一体どれだろう? 「上河内岳のずっと右の、あののほほんとした山…あれかしら?」 と佐知子の指差す方向を眺めたけれど、私にはどれがどれだか分からなかった。
 今日はロングコースだ。あまりのんびりとはしていられない。奥聖岳の三角点2978m往復(歩程約40分)に未練を残しながら、来た道を下る。
 聖平小屋前の広場で軽く食事して、再び重くなったザックを担ぎ、気合を入れて、主稜線を南へ向かう。雲が多くなってきた。
 南岳2702m、上河内岳2803mとアップダウンを繰り返しながら、ひたすら歩く。ハイマツやダケカンバや岩礫や二重山稜や亀甲状の構造土やお花畑(花は少ない)など、変化に富んだ縦走路で、山岳風景もナカナカだ。
 ハイジの丘(ちょっとダサいネーミングだ)を少し下り、分岐を道標に従って左側の横窪沢・畑薙方面へ10分ほども下ると茶臼小屋に着いた。午後3時丁度だった。

県営茶臼小屋* 県営茶臼小屋: 茶臼岳の北東斜面の、背の低いシラビソとダケカンバの林を背にした、標高約2400mに建つ60人収容の瀟洒な山小屋。東面は横窪沢の谷を隔てて開けていて、富士山が望める。小屋の周囲にはヤマハハコが群落して咲いていて、ウラジロナナカマドは赤い実を上へ向けてつけていた。裏の空地ではトイレの建替え中で、その作業員たちが同小屋に長期滞在中だった。今年はその工事の影響で、営業は9月20日までとのことだ。
 この日の登山客は、私達夫婦と、私達とずっと同じコースを歩いている75歳の単独行のご老人の三人だけだった。このご老人は足が速くて、私達を何時も途中で追い越して、挙句の果てに1時間以上も前に小屋へ着いていた。親子ほども年の違うこのご老人とは、この頃にはすっかりお友達になっていた。 「お速いですねえ…」 と佐知子が声を掛けたら 「普通ですよ」 と云っていた。あとで 「やっぱり私達が遅すぎるのかなぁ」 と、佐知子と内緒話をした。
 夕飯にビン長マグロの刺身が出てきたのには驚いた。これがけっこう美味しくて、ご飯の量が進んだ。水場も近く、ここも昨日の聖平小屋同様、素晴らしい山小屋だ。どうやら静岡県は、相当に山小屋管理に力を入れているようだ。
 夕食後、薄霧が晴れて、食堂の窓から富士山が見え始めたので表へ出てみた。刻々と微妙に移り変わるその景色は美しい絵画だった。東の空はライトブルーで、横窪沢には茜色の雲海が沈んでいる。そして、青々とした青薙山の頭上には富士山が灰色に浮かび上がっている。ここから眺めた富士山の山頂部は、その北端にある白山岳と南端にある剣ヶ峯がキティちゃんの耳のように見えて、それがちょっと可笑しかった。
 小屋の管理人さんの話だと、例年9月20日頃には「ダイアモンド富士(富士山頂から朝日が昇る)」を見ることができる、とのことだった。光岳の辺りでは9月15〜16日の頃だという。明後日の光小屋の朝が楽しみだ。

次項 聖岳から光岳(後編)へ続く


茶臼岳への登路にて
聖岳を背に
* 今回はいつものデジカメを忘れてしまい、飯田市のコンビニで購入したレンズ付きフィルムで撮りました。(^_^;)

茶臼岳方面から上河内岳を望む
稜線にてひと休み
バックは上河内岳
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