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No.189-2 聖岳から光岳(後編) 平成17年9月12日〜15日 |
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*** 前項 聖岳から光岳(前編) からの続きです ***
気合を入れて歩いていたのだが、茶臼岳の登りでそのご老人にあっさりと追い越された。 昨日・一昨日と同じように、今日もご老人の後塵を拝することになった。 自嘲気味に笑って 「マイペース、マイペース!」 と声を掛け合う私達夫婦だった。
ハイマツや「ハイカンバ」などの潅木帯を下り、小さな仁田(にった)池を経て、再び緩やかに登るとダケカンバや黒木が疎に生える希望峰へ着いた。 ここから仁田岳への往復は正味約30分。 ガスが消え、晴れ間も出てきたので立ち寄ることにした。 主稜線から南に離れて優しくそびえているのが仁田岳だ。 その山頂はハイマツに囲まれた広々とした礫地で、風が強かったけれど、雲の切れ間からは周囲の山々がよく見えていた。 笠雲を被った富士山もチラッと覗いたりして、やっぱり来てみて良かったね、と佐知子と話した。 ダケカンバやナナカマド類などの落葉広葉樹は何となく分かる。 しかし黒木の類(常緑針葉樹)がよく分からない。 シラビソかなオオシラビソかな。 コメツガだろうかトウヒだろうかモミだろうかそれともただのツガだろうか。 私の拙い知識でははっきりとは同定できない。 負け惜しみじゃないけれど、多分、それらの木々の中間的な樹種もかなり混ざっているんじゃないかな、と私は思うのだ。 と、まあ、正確な樹種名については専門家に任せることにして、いわゆる鬱蒼とした黒木の樹林帯の中に、易老岳(いろうだけ)の山頂はあった。 林床のシダ類などの緑が美しい。 易老渡(いろうど)へ下る明日の下山路の分岐を確かめてから、なだらかに下って、三吉平を過ぎる辺りから再び登りが始まる。 面白い山稜だ。 尾根を歩いていたと思ったら何時の間にか両側の地面が盛り上がって沢筋(窪地)を歩いている。 信濃股河内支流西沢(東側)の源頭部になっているとのことだが、これも二重山稜というのだろうか。 背のやや低い天上の開けた樹林帯で、道筋には濃紫のホソバトリカブトが鮮やかに咲いている。 所々の小さな草地には、盛夏の名残りのコバイケイソウが、その茎を真っ黒にして点々と萎れていた。
光小屋から20分足らずの登りで、黒木に囲まれた光岳山頂に着いた。 3等三角点の標石と、例の2種類の立派な山頂標識のある、狭い山頂だった。 ご老人が、私達を待っていたのだろうか、小岩に腰掛けて休憩していた。 二言三言会話して、お互いに記念写真を撮り合った。 ご老人に教えられたとおりに道を進み、先(西)へ下ること約10分、光岳名物で山名の由来にもなったという光石(てかりいし)に辿り着いた。 想像していたよりも小さいと感じた。 真っ白な岩塊で、石灰岩でできているらしい。 早速はしゃぎながら攀じ登ってみた。 生憎のガスで展望は無く、もうひとつあるという光石も見ることはできなかったけれど、南アルプス2500m峰の南端に立った喜びで私達は終始笑顔だった。 緯度的に見ると、これより南に光岳より高い山はない(*)。 ハイマツ自生の南限は、現在ではここから南南西へ約15Km、丸盆岳2066mの1株ということになっているらしいが、かつては光岳がその地位にいたことがある、というのは有名な話だ。 光小屋へ戻る道すがら、私達は必死になってそのハイマツを捜した。 私達が見た範囲では一箇所、光岳山頂の約20m奥の、展望台の少し先に、黒木に交じって2株ほどあった。 だからなんだ、と云われればそれまでだけれど、それを発見したとき、私達はとても仕合わせな気分だったのだ。 * 光岳は以南最高峰: 国内においてこれより先にその山より高い山がない、という山を「以北最高峰」とか「以南最高峰」などとと呼んでいます。 「以南(遠)最高峰」などの山列一覧については No.66日光白根山の頁 のコラム欄を参照してみてください。 [後日追記] * 県営光岳小屋(光小屋): 光岳東面の山腹に建つ、45人収容のこじんまりした山小屋。 食事付きは50歳以上で、3人以下のグループで午後3時までに小屋到着の人のみ、というのがこの小屋のユニークな掟(おきて)だ。 50歳前後と思われる男性(管理人さん)が何かにつけて私たちハイカーの面倒をよく見てくれる。
食事のおさんどんは、この小屋の主のようなオバチャンが、優しく仕切っている。
手作りのパッチワークの座布団や鍋敷きなど、オバチャンのセンスが光っていた。
食事も真心のこもったもので美味しくいただけた。 スタッフはこの中年の男性とオバチャンの2名で、それぞれの仕事を分担して手際よくこなしていた。
少ないスタッフでハイカーたちに満足を与えるためには、ユニークな掟も止むを得ないのだろう。
水場は静高平にもあるので、光小屋へ行く途中にたっぷりと汲んでいくといいと思う。
聖平小屋も茶臼小屋もこの光小屋も公営(静岡県)だけれど、この3軒の山小屋はそれぞれに工夫されたポリシーがあり、その配慮と居心地の良さにおいて大変優れていると感じた。この日の宿泊客は例のご老人と聖平小屋から縦走してきたというこれまた健脚の40歳前後の男性と私達の4人だけだった、のだが、夕食もとっくに済んで、日が落ちてカミナリが鳴って、大雨が降ってきた夜の7時頃、60歳前後の単独行のオジサンがずぶ濡れになって小屋へ入ってきた。 管理人さんを交えて歓談していた私たちは一瞬唖然とした。 話を聞くと午前10時過ぎに易老渡の登山口から登ってきたとのことだった。 誰もが内心「無茶だ!」と思ったけれど、かわいそうで、管理人さんもご老人も健脚男性も私達夫婦も、憔悴しているオジサンに優しく声を掛けた。 他山の石にしたいと、私達は思った。 * 原生自然環境保全地域: 光岳の山頂直下(手前)の登山道沿いには環境庁の立札があって、この山域が「原生自然環境保全地域」に指定されていることが書いてある。 興味をそそられたのでちょっと調べてみた。 「原生自然環境保全地域」というのは自然環境が原生の状態を維持している区域のことで、日本の自然保護地域制度の中で最も厳しい保護規制が行われているとのことだ。 指定地域(環境大臣が指定)はたったの5箇所しかない。 遠音別岳(知床)1895ha、十勝川源流部1035ha、南硫黄島367ha、屋久島1219ha、それとこの大井川源流部(本川根町・光岳の南西側)の1115haだ。 つまり、それほど光岳周辺の山域は原生の自然が残されているということだ。 同じ原生自然環境保全地域の知床が7月に世界自然遺産に登録されたので、静岡県の本川根町では 「大井川源流部も登録される可能性がある」 と色めきたっているらしい。
易老岳までは昨日の道を辿り、そこから北へ左折して急降下が始まる。 暫らくの区間はシラビソなどの根っこが露で滑りやすい。 やがてコメツガ林になり、膝がガクガクしてきた。 その膝をかばうように、40〜50分間歩いて15分間休憩の、何時もの私達のペースだ。 木々の緑は深くて、小鳥たちが歌う森はさわやかだ。 何処から湧いてきたものか、大量の白い小さな毛虫のようなものが地面をウヨウヨと這っている。 太目のブナやミズナラも目立ってきた。 今日もすれ違うハイカーはほとんどいない。 地面を這う白い毛虫(ヤスデの幼虫かなぁ?)が少なくなってきたので、苔生した倒木に腰掛けてチキンラーメンの早めの昼食。 健脚のご老人は既に私達を追い越して、その熊よけの鈴の音は遥か下方に消えていた。 「本当にお元気なおじいさま…」 とポツンと佐知子が云って、静けさが私達を襲う。 随分と下って、下るのに足が飽きた頃、平坦な面平(めんだいら)を通過した。 ここは樹齢100年近くにはなっていると思われる、よく管理された立派なヒノキの人工林だった。 ヒノキのよい香りが辺りに漂い、人工でもいい林があるもんだな、と思った。 それからまた急な下りになったが、周囲の森は、なんか、見慣れた雑木林だった。 ブナやミズナラも少し交じるけれど、モミジ類やシデ類などやアオダモ(?)のような樹種も混在する。 陰樹も陽樹もゴチャマゼの、しかも殆どが細い幹の若木で、鬱蒼と林冠を塞いでいる。 林床の草本類などの植生は甚だ乏しくて、もしかして50年足らずの若齢段階の林じゃないかなと感じた。 この一角だけがたまたまそうなのか、あるいはもっとかなりの面積がそうなのか、「原生林の山域」にケチをつけるつもりはなく、多分…、だけれど、戦後の復興時代か高度経済成長時代に皆伐した森を、そのままにほっぽいておいた結果じゃないかな、と推察してみた。 もしそうだとしても、それは「時代」の結果でしょうがないことだったのだと思う。 この若い森もあと何百年も経てば、きっと立派な「ブナの原生林」に多分なる、と思いたい。 ポンと下り切って遠山川に架かる橋を渡り、林道を右へ100mも進むとそこが易老渡の駐車場だった。 私達はそこから尚40分ほど歩いて、マイカーの待つ便ヶ島の駐車場へ着いたのは午後2時50分頃。 靴だけを履き替えて、急いでマイカーをスタートさせた。 帰路に敢えてシラビソ高原をドライブ(経由)したのだが、そこから望めるはずの南アルプス南部の大パノラマは厚い雲の中だった。 今日の私達の宿、「小渋温泉」へ到着したのは午後5時近くになっていた。 疲れたけれど、たっぷりと「自然」に浸かって大満足の4日間だった。 ![]()
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