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No.210 二岐山1544m(ふたまたやま・南会津)
平成18年(2006年)10月9日〜10日 快晴 マイカー利用

二岐山の略図
行きがけの駄賃で羽鳥湖へ立ち寄る
羽鳥湖を見物

2本のサワラが鳥居の役目?
御鍋神社のサワラ

五右衛門風呂釜みたいだ!
御鍋神社の鍋

二岐温泉「旅館ふじや」
二岐温泉「旅館ふじや」


麓のいで湯・ブナの原生林・そして展望の双耳峰

登山前日=東北自動車道・白河I.C-《車30分》-羽鳥湖-《車40分》-御鍋神社(散策)-《車15分》-二岐温泉 登山当日=二岐温泉-《宿の車15分》-御鍋神社登山口〜あすなろ坂(八丁坂)〜ブナ平〜男岳1544m〜笹平〜女岳1504m〜地獄坂(熊落としの坂)〜女岳坂〜風力登山口(岩山分岐点)〜二岐温泉(入浴)-《車60分》-白河I.C… 【歩行時間: 4時間】
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登山前日(10月9日) 下見を兼ねて御鍋神社参拝

 東北自動車道の白河インターから国道4号線を経由して県道37号線を北西へ走って約30分、右手に大きなダム湖(羽鳥湖)が見えてくる。湖畔の駐車場に車を停めて少し散歩してみた。黄色くなり始めたミズナラの林を観察し、羽鳥湖を半周するというサイクリングロードを横切り、閑散とした湖畔へ出る。人影が少なくて寂しいくらいだ。湖畔の砂地には背の高いススキが疎らに生えていた。周囲の山々も微かに色づき始め、福島県は秋たけなわだ。
 羽鳥湖から更に30分ほども車を走らせて、二岐温泉に着いたのは午後2時頃だった。チェックインには早すぎたので、この先の道を更に進み、二岐山登山口の近くにある御鍋(おなべ)神社へ、明日の下見も兼ねて行ってみた。二岐川に沿った未舗装の林道を車で約10分(距離にして4Km弱)、ガタゴト道をゆっくりと進むと案外と大きな駐車場に着いた。このもう少し先が登山口だが、御鍋神社へはここから左へ続く遊歩道を歩くことになる。辺りはブナ交じりのアスナロ林で、木々たちがみんな立派だ。よくよく観察してみると、昨年の豊作の反動か、今年のブナの実は不作のようだ。
 駐車場から5分ほど下った沢筋の狭い空間に、ひっそりと御鍋神社の小さな社が建っていた。社の正面には2本の大きなサワラの木が、まるで鳥居のように立っている。このサワラは「福島県緑の文化財」であるとともに「森の巨人たち100選(*)」にも選ばれた銘木で、林野庁の表示板によると推定樹齢520年、樹高42m、幹周3.8mとのことだった。神社の御神体は大きな鍋(つ〜か、まるで五右衛門風呂釜のよう)で、それが社殿前に逆さまに、まるで釣鐘のようにぶら下がっている。う〜ん、かなり変わっているなぁ。神社の説明板(御鍋神社由緒)によると、平安時代中期の平将門一族に因む言い伝えがあるようで、これも興味が尽きない。遊歩道をぐるっと一周して正味約15分、祝日(体育の日)のこの日だったがとうとう誰にも出会わなかった。大きな駐車場には私達のブルーバード以外にはきのこ狩りと思われるワゴン車が1台だけだった。

* 森の巨人たち100選: 2000年4月に林野庁が全国の国有林内から地域に親しまれている木を100本選定しましたが、そのひとつがこの福島県岩瀬郡天栄村の「御鍋神社境内のサワラ」です。これはけっこうスゴい木、ということになると思います。
  林野庁/森の巨人たち百選


二岐温泉「旅館ふじや」: 中通り地方に近い南会津の天栄村、那須火山群の最北に位置する二岐山の東麓、標高約800m、二俣川の渓流に沿ってひっそりと佇むのが二岐(ふたまた)温泉だ。開湯については、ガイドブックやインターネット検索で調べると、嵯峨天皇(786-842)の時代という説や聖武天皇(701-756)の御世に遡るという説などがあり判然としない。かなり由緒ある温泉である、ということについては間違いなさそうだ。数軒の温泉宿が少し離れて建つが、私達が当地の観光情報センターに依頼して予約してもらったのは「ふじや」だった。私達の「寒いフトコロ」との折り合いがついた宿、といったほうがわかりやすいかなぁ…。
 泉質はカルシウム硫酸塩泉、無色透明無味無臭、掛け流し。内湯は岩風呂風。露天風呂もあるがやや小さめ。食事は岩魚の刺身や山菜料理など美味しかった。温かい料理を温かくして出してくれる心配りが嬉しい。特に近くの山(二岐山のことだ)で採れたというキノコの料理がとても美味しかった。何種類もあったきのこについていろいろと説明も聞いたのだが、マイタケ…だけしか覚えていない。食事時もメモを取ったほうがいいのかなぁ、と思った。宿の対応は非常に良く、みなさんとても親切だった。1泊2食付(トイレ付きの部屋)で一人12,750円。入浴のみは500円、とのことだった。


登山当日(10月10日) 美しいブナの森が残っていた!

 未明から快晴だ。のんびりと朝湯に浸かったりして、ゆったりと時間が流れるので、なかなか時が過ぎない。女将に無理を云って、7時半からの朝食を7時に切り上げてもらったのは大成功だった。そそくさと食事を済ませ、宿の若主人が運転するワゴン車で二岐山の登山口まで送ってもらい、歩き始めたのは7時40分頃だった。まさか(無料で)この登山口まで送ってもらえるとは思ってもみなかった。昨日の「下見」はあまり意味のないものになってしまったけれど、歩程にして約1時間をトクしたので、私達はルンルン気分だ。
 歩き始めると急登だった。ガイドブックでは「八丁坂」となっていたけれど、道標には「あすなろ坂」と記されてある。なるほど、立派なアスナロの多い処だ。ブナやミズナラの巨木も交じり、苔生した林床にはそれらの若木も育っている。これは本物の原生林(ブナ・アスナロ混交林)だ! 歩き始めたばかりで足には元気があったけれど、私は思わず歩みを緩めて樹木の観察をしてしまう。いつものことだが、後を歩く妻の佐知子がイライラし始めた。
何本かの木が合体したような感じ
ミズナラの巨木

ブナ平付近にて
ブナの巨木(ブナ平)

ブナ平から男岳を望む
男岳の山頂は眼前

案外狭い山頂でした
男岳の山頂

小白森山、大白森山、奥に那須連山(右のピークは朝日岳)
山頂から南側を望む

額束には「二岐明神」と・・・
下山地の謎の鳥居

二岐山の別名は乳房山です
車道から望む二岐山
 佐知子のイライラを無視して、私は所々で立ち止まってメモを取りまくった。森の主役の高木はブナ、アスナロ、ミズナラ、の他にサワラやトチノキが少し交じる。中間層にはホオノキやオオカメノキ、コシアブラ、ハウチワカエデやイタヤカエデやウリハダカエデなどのカエデ類、ウワミズザクラやシナノキも少し交じる。目を落とすと林床の主役はネマガリダケで、ハイイヌガヤ(チャボガヤ?)、ヒメアオキ、ツルシキミ、ヤマグルマ(トリモチノキ)の幼木、などもけっこう自己主張している。全体が多様に無理なく明るくまとまって、どっしりとしたとてもいい感じの美しい森だ。佐知子のザックについている熊よけの鈴の音が辺りに鳴り響く。
 しかし、この山にも高度経済成長時代(1950年代半ば〜'70年代)に皆伐されたと思われる痕跡(若齢段階の森)が所々に存在する。立派な老齢の樹木がなく、細身のひょろひょろした高木が密集し、林床の植生はそれほど豊かではない。つまり何となく暗くてせわしない森だ。急登が一段落した辺り(ブナ平付近)が特に顕著だった。ブナなどの樹木がチップ材として伐り出されたものだろうと推測した。それ(皆伐)はそのときには正しい選択だったのかもしれないが、森が元の姿に戻るのには何百年もの歳月が必要(またはもう二度と元には戻らない)ということを考えると、得たものよりも失ったもののほうが多かったのではないかと、やはり私は思ってしまう。二岐山中腹の所々に残された本物の原生林は、登山口に設置された福島県の解説板によると “1972年ブナを守る運動により現在に残されている原生林” とのことだが、全国的に森林破壊の進んでいた当時に、そのギリギリの線でブナ原生林を守る運動が起こったということは、それは当地の住民の良心、大袈裟に云えば「人類の英知」であったと思う。
 ブナ平を過ぎる辺りからは湿原状になり、前方に男岳(おだけ1544m・二岐山の主峰)が大きく眼前に姿を現す。もっと南側の小白森山1563m付近から男岳を撮った写真をガイドブックで見たことがあるけれど、それはきれいな三角錐の形をしていた。ここ(ブナ平)から見上げて眺めた男岳はまるで潰れて平べったくなった饅頭のように見えている。 「同じ方向から眺めても、その距離と高度の関係で全く違う山容に見えてしまうのね」 と佐知子がしきりに感心している。
 ぬかるんだ急斜面を登り切ると男岳の案外と狭い山頂へ辿り着いた。二等三角点の標石の脇で2名の中年男性が休憩していた。今回の山行で唯一出遭ったパーティーだ。展望は360度で、山座同定向きの素晴らしい眺めだ。振り返って眺めた南面の那須連山やその手前の小白森山や大白森山などは大きくて立派だ。南西方向の日光連山の右手にぴょこんと頭を出しているのは尾瀬の燧ヶ岳に違いない。北面は小野岳や大戸岳などの南会津の山々が(近いから)大きい。その奥に広がる飯豊・朝日連峰や猪苗代湖の奥の磐梯山、吾妻・安達太良連峰などの山々は思っていたよりも遠くに(小さく)見えている。
 山頂部の樹木に目をやると、(アズマ?)シャクナゲ、ヤマグルマ、ハイイヌツゲ(アカミノイヌツゲ又はツルツゲかもしれない)、ミヤマハンノキ、ミネカエデ、ミヤマナラ、紅葉を迎えたサラサドウダン、既に葉を殆ど落とした(ウラジロ?)ナナカマド、などの灌木とネマガリダケ、そして背の低いサワラなどがきっちりと棲み分けして生えている。辺りに高木がないので山頂からの展望が良いのだ。
 それらの展望の景色の中で、ちょっと気になったのが眼下(猪苗代湖の手前)の布引高原に林立する巨大な風車群(*)の独特な風景だった。 「ゴルフ場の景色もそうだけど、ちょっと違和感を感じるわね」 と佐知子は云っている。私は山岳景観の中のゴルフ場のような景色も美しいと思うことがあるので、このときは返事をしないで黙っていた。
 大休止の男岳山頂を辞し、いったん鞍部(笹平)まで下ってから女岳へ登り返す。男岳から女岳への歩行時間は約20分くらいだっただろうか。女岳の山頂は低い樹木に囲まれて展望は全く無く、おまけに狭いので、俯いて歩いていたら見過ごしてしまいそうな地味な処だった。
 女岳からの下りが、これも急坂だった。「地獄坂」とか「熊落としの坂」といったネーミングは誇張ではないと思った。かなり長い区間にトラロープ(黄色と黒の縞模様のポリエチレン製のロープ・安くて軽い)が張ってあり、多少は楽だけれど、基本的にはロープには頼れないので、そこそこの緊張を強いられる。足がガクガクしてきたころ勾配が緩まって、そこからは歩きやすい「女岳坂」だ。この二岐山北側の山腹は登りの南東側と比べるとブナ原生林の割合が大分少ないようだ。何時の間にか、細身のブナやミズナラが林立する若い森(皆伐の跡地)の中を歩いていた。
 木製の鳥居をくぐり二岐山林道へ出る。ここが風力登山口(岩山分岐点)だが、少し気になったことがあった。それは、この鳥居の額束には「二岐明神」と書かれてあるけれど、本宮(または奥宮)はいったい何処にあったのだろう、ということだった。地形図上の山中には社や祠などを示す鳥居マークは記されていないので、もしかしてこの山自体がご神体、なのかなぁ…。それとも、女岳山頂から少し進んだ処…、磐梯山などの北面の景色が開けた見晴らし台(女岳の肩)の近くに小さな石祠があったけれど、あれがそうだったのかなぁ…。帰宅してからもガイドブックなどを調べてみたけれど、下山口の鳥居に関しては何も記述がなく、まったく分からない。
 二岐山林道からアスファルト道へ出て、だらだらと歩いて二岐温泉へ戻り着いたのは午後2時頃だった。私達のブルーバードは朝と同じように「旅館ふじや」の正面玄関横に停まっていた。ひと風呂浴びてから帰路についたのは云うまでもないが、日帰り入浴料を支払おうとしたら、女将さんは受け取ってくれなかった。最後まで感じのよい宿であった。
 入浴後、白河インターへ向かっていい気分で運転していたとき、ふと気になって車を停めて振り返ったら、太陽を背に浴びた双耳峰の二岐山が、その特異な山容で私達を見下ろしていた。ダイダラ坊(ダイダラボッチ)伝説の山でもある二岐山。別名を乳房山とも云うらしい。なるほどそんな形に、見ようによっては見えるかもしれない。ひょうきんな感じで、なんか憎めない山だった。

* 布引高原(ぬのびきこうげん)の巨大風車群: 国内最大出力の風力発電設備、とのことで、今年12月の全33基の運転開始を目指して今も建設中らしい。高さ約100メートルの風車(発電機)の一部は既に稼動しているようだ。風力発電はクリーンエネルギーということで近年脚光を浴びているが、電力会社への安定供給の問題や渡り鳥などの鳥類に与える影響(所謂バードストライクの問題)、はたまた自然景観との兼ね合いの問題…などなど、課題は山積みのようだ。[詳細については環境省資源エネルギー庁関係のHP、及び福島県天栄村風力発電HP等を参照してみてください。]


この差を感じてください! 森林インストラクターのTamuです
本物のブナ原生林
ブナ・アスナロ混交林:けっこう明るいです
多様性に富んでいます!
上りの登山道にて
皆伐後数十年の若い森
ちょっと薄暗いです
林床は貧弱です!
下りの登山道にて
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