No.219 毛無山1964m(けなしやま・天守山地) 平成19年(2007年)5月2日 |
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→ 国土地理院・地図閲覧サービスの該当ページへ 東京に住む私達がいつも眺める富士山はその東側からのもので、よく行く甲府盆地付近からの眺めは北側から、東海道線からの眺めは南からのものだ。つまり、なかなかその西側から眺める機会がない。富士山の西側山腹の「大沢崩れ」を、いつかその特等席で見てみたい、とずっと思ってきた。GWの“はざま”の二日間に私達夫婦が選んだのは、富士山展望の西側のネット裏(天守山地・または天子山地)への山旅だった。その第1日目に、天守山地の盟主たる毛無山へ、まず登ることにした。 未明、自宅近くのインターから首都高速道路へ入る。助手席では佐知子がめずらしく目をぱっちりと開けている。毛無山登山口のある朝霧高原へ行くには、北回りの中央道河口湖ICからでも南回りの東名高速富士ICからでもたいした差はない。山の多い中央道方面はよく利用するので、たまには東名高速を使おうかね、などと話し合っていたのだが、気がついたら私達の車は中央道を走っていた。習慣というのは恐ろしい…。 なんだかんだで、まだ1台も駐車していない朝霧高原毛無山登山口の手前にある無人有料駐車場へ着いたのは午前8時頃だった。けっこう広い駐車場だ。備え付けの封筒の表に車のプレートナンバーなどを書いて、駐車代の500円を入れてから専用の木箱に投函する。多分、日中に管理人がチェックするのだろうが、これはうまいシステムだ。 朝霧高原のこの辺りは地形図によると標高は868mとなっている。麓(ふもと)という地名で、こう云ってはなんだが、ずいぶんとイージーなネーミングだ。でも、名は体を表す、じゃないけれど、非常に分かりやすくていい地名だ、とも思う。とはいえ、この場合の「麓」は、富士山の西麓だろうか毛無山の東麓だろうか、と、ちょっと悩ましい…。 天気予報では“晴れ”だったのだが、文字通りの朝霧で、東の眼前に見えるはずの富士山が全く見えない。滅入りがちな気分を抑えながら、とにかく歩き出す。所々には(トウゴク?)ミツバツツジが紅紫色に美しく咲いている。このミツバツツジの満開前線が、これから6月上旬にかけて徐々に高度を上げていくのかな。道端にはムラサキケマンが今を盛りに咲いているが、これらキケマン属を含むケシ科の植物の殆どには毒があるので、やたらと触らないほうがいい。自然って、案外怖いのだ。耳を澄ますと沢の音が聞こえ、ウグイスやシジュウカラ類などのさえずりが森にこだましている。怖いところもあるけれど、山の自然ってほんとうにいいものだ。 まずは、ひっそりとしたスギ林の林道を進む。麓金山の精錬所跡や破砕機の残骸などの脇を通り、道標に従って登山道へ入り、枝沢(涸れ沢)を渡り、下山路に予定している地蔵峠コース(金山沢コース)を左に分けると、いよいよ急登の始まりだ。「はさみ石」という岩場を過ぎ、「二合目」の標識の立つ辺りから、時々ヒノキの人工林も交じるが、コナラ、クリ、シデ類、モミジ類、ツツジ類、リョウブ、イヌツゲ、アセビ、ヤマザクラ(花は殆ど散っていた)、ヒメシャラ、オオカメノキ、モミなどの、所謂「雑木林」になってくる。それらの殆どは芽吹きの新緑で、ため息の出るほどの美しさだ。アセビの小さな白い花びらが散ってたくさん落ちている。モミジイチゴやマメザクラが可憐な白い花を下向きにつけている。不動ノ滝見晴台からは右側の深い谷(不動沢)越しに2段落差100mといわれる一条の白い滝が見えている。 四合目、五合目と高度を上げてくると、流石に辺りの森は未だ冬枯れの様相だ。ツガ、ミズナラ、ブナ、ヤマハンノキ、ハウチワカエデなどの樹種に何時の間にか変わっている。それらの木々は細身のものばかりで、多分、皆伐後30年〜40年の森、といったところだろうか。 休み休み歩いても汗が滴り落ちてくる。まだ五合目だが、ここが胸突き八丁と自分に言い聞かせる。その「胸突き八丁」が長く続く。佐知子が涼しい顔でぴったりと私の後に続く。私は思った。専業主婦で普段は何も「運動=鍛錬」はしていないはずなのに、何故、彼女はこんなに強いんだろう。でも、それは口には出せない。「炊事洗濯…は、けっこう重労働なのよ!」と、また云われるのは目に見えているから…。 富士山展望台を過ぎ、九合目の標識も過ぎると主稜線へ出て傾斜が緩まった。この稜線は県境になっていて、私達が登ってきた朝霧高原側(東側)が静岡県で、下部温泉側(西側)は山梨県になっている。モミ、ツガ、ミズナラ、ブナに交じりコメツガ、シラビソ(?)、ダケカンバなども目立ってきて、亜高山っぽい林相(いい感じの自然林)になってきた。しかし、富士山は雲に隠れて見えない。(南および北)アルプス展望台からは、北アルプスは勿論のこと南アルプスも厚い雲の中だった。 草原(カヤト)の広場状の毛無山山頂へ着いたのは午前11時50分頃だった。一等三角点の標石や、所々株立ち状に生えている樹木や、可憐に咲いているバイカオウレンなどを観察しながら、山頂部をウロウロしていたら、佐知子が 「見えたわよ〜!」 と怒鳴っている。朝霧高原の上空を目を凝らして眺めると、雲の一部が途切れていて、そこから残雪の白い富士山の一部が見えている。 「うわ〜、でっかいなぁ…!」 思わず私は叫んでしまった。山頂にいた数名のハイカーたちもからも歓声が上がった。ほんの少し見えただけでこれだもの、ほんとうに富士山ってすごいと思う。 お弁当を食べていたときもずっと東の空を眺めていたけれど、やがて間もなく再び富士山は雲の中に隠れてしまった。めずらしく双眼鏡なども用意していたのだが、とうとう「大沢崩れ」をしっかりと見ることはできなかった。でも、チラッとでも見えた富士山西面の「破片」に満足して、私達は踵を返して下山の途についた。 登路の「不動の滝コース」を左に見送り、丸山1891mを何時の間にか通過して、主稜線を更に南下する。林床のバイケイソウの若葉が緑に輝いてとても美しい。 稜線上の地蔵峠は、なんと2箇所ある。下部(しもべ)温泉への分岐地点も「地蔵峠」だし、そこから10分ほど進んだ金山1596mとの鞍部も地蔵峠と云う。こちらは朝霧高原(麓集落)へ下る金山沢コース(地蔵峠コース)との分岐点でもある。ちょっとややこしいが、(小さな)お地蔵様があったのは金山沢コース分岐のほうで、こちらが正調地蔵峠…かな? 晴れていれば、どちらの地蔵峠からも富士山がどど〜んと見えたはずだ。稜線の反対側(下部温泉側)のカラマツの新緑が見事だった。 そのカラマツ林に別れを告げて、(正調)地蔵峠から東側に一歩踏み出すと、いきなりの急勾配だ。この下山路の金山沢コースが、トラバースあり渡渉あり、とバラエティに富んでいてじつに楽しかった。沢の感じはまるで大台ケ原の大杉谷を一回り小さくしたような景観で、趣があった。「比丘尼(びくに)ノ滝」などは、不動ノ滝に勝るとも劣らない美しい滝だった。展望の尾根歩きも勿論いいけれど、山歩きの醍醐味は「沢」にあるんじゃないかな、と矢張り思った。 麓集落の駐車場に下り着いたのは午後4時頃だった。今夜の宿(下部温泉)へ向かって車を走らせると、ときたま雲が切れて、朝霧高原の東側に大きな富士山が見え隠れしていた。そして振り返ると、毛無山が意外な高度差で黒々と、まるで壁のようにそびえていた。 * 毛無山のうんちく: 日本山名事典(三省堂)の山名考によると、毛無(けなし)は木無(きなし)と同じで、山頂がカヤトなどに覆われ樹木が少ないことから山名になったという。全国には毛無山が28座もあるそうだが、展望のよいところが多いらしい。今回私達夫婦が登った毛無山は富士山の西、本栖湖の南、身延山地の東、に位置する天守山地の盟主で、全国の毛無山のなかでの最高峰だ。東麓の朝霧高原側(静岡県側)では大方山(おおがたやま)とも呼ぶらしい。 山頂標識のある草原状の一角に一等三角点(点名:毛無山・1945.47m)があるが、この毛無山の標高という場合はその先の稜線を約500mほど東北東に登り返したピーク1964mの標高を指すらしい。大見岳1959mの手前約200mの位置にある、つまり天守山塊の最高地点である。このことを知ったのは、じつは、下山してからこの山行記録を書くために地形図をじっくりと眺めたときのことだった。事前に知っていればもう少し先まで足を延ばして、最高地点を確かめておいたんだけどなぁ…、と、ちょっと後悔している。 主な登山口としては東麓の朝霧高原(麓集落)と西麓の下部温泉(湯之奥・広河原)がある。登山口からの標高差では前者が約1100mで後者が約1700mだ。私達夫婦は言い争うこともなく、(楽な)前者からの周遊コースを選んだのだった。 尚、天守山地(天守山塊)は天子山地(天子山塊)などとも呼ばれている。 下部温泉「下部ホテル」: 毛無山や雨ヶ岳の西側を流れる常葉川(富士川の支流)沿いに位置する古い温泉町。武田信玄の隠し湯としてつとに有名な温泉だが、この地は案外閑静で、こう云ってはなんだが 「過疎の山村」 といった表現がぴったりくるような静かな処だ。この地のミネラルウォーターの歴史も明治17年頃に遡る、かなり古いものであるようだ。 下部温泉は私にとっては今回が3回目で、過去の2回ともよく覚えている、云わば思い出の温泉地だ。最初に来たのは50年近い昔の、私がまだ小学生だった頃のことで、両親や大好きな叔父さんといっしょに泊まって、ぬるい湯で“水浴び”をして遊んだ記憶がある。その次に下部温泉を訪れたのは30数年前の、私達夫婦がまだ充分に若かった頃のことだ。なかなかとれない有給休暇をやっととって、この地に一宿したのだが、そのときは湯がぬるすぎると感じた。何れにしても“ぬるい湯”だったことが特に印象に残っている。もっとも最近では、冷泉で名を馳せた下部温泉に新たにホットな新源泉が湧出したとのことで、一概に「下部温泉=ぬるい湯」とは云えないようだが…。 私達が今回泊まった「下部ホテル」は8階建て(収容客数550名)の、当地ではずば抜けて大きな宿泊温泉施設だ。下部の天然鉱泉(アルカリ性単純泉)に加えて庭園内に自噴したという下部ホテル源泉(単純硫黄泉)の、泉質の異なる二つの温泉を有している。風呂場の設備など、多彩でゴージャスだ。1泊2食付一人16,166円の部屋だったが、山旅の宿としては少し高級すぎたかもしれない。料理も美味しくて、特に文句はないのだが、もう少し“ひなびた”温泉宿のほうが私達には向いていたかもしれない…。 「下部ホテル」のホームページ
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