No.225 夕張岳1668m 平成19年(2007年)7月25日〜26日 |
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【歩行時間: 第1日=20分 第2日=7時間】 → 地理院地図(電子国土Web)の該当ページへ *** 前項・幌尻岳 からの続きです *** 平取温泉を朝の6時頃に発ち、静かで気分の良い国道237号線を北へ走り、ナビに従って日高峠の手前で左折する。今日もレンタカーのマーチは快調だ。大きなメスのエゾシカやヨレヨレのキタキツネが車の前を横切ったりして、いかにも北海道、といった気分を味わう。 夕張の市街に入ったのは8時頃で、コンビニで食料等を調達したり、近くの「丁未風致公園」を散歩してみたりした。開園の9時からは「ぐるっと夕張」の1dayチケット(大人一人3,150円)を買って、石炭博物館などをじっくりと見学して半日を過ごした。山田洋次監督の代表作のひとつ「幸福の黄色いハンカチ」のロケ現場も観光してしまったのだ。感動のラストシーンで使われた炭鉱長屋がそのまま保存されていて、例の黄色いハンカチが旗竿にはためいていた。ウィークデーということもあり、観光施設は何処も彼処も閑散としていたが、従業員たちは熱意と誠意にあふれていた。今話題の夕張市の、現状の一端を垣間見たような気もした。 午後も日が傾き始めた頃、夕張川に沿って北上し、シュウパロ湖の奥で右折して、錆び付いた橋桁が気になる白金橋を渡り、案内板に従ってペンケモユーパロ川沿いの林道へ入る。夕張市街から夕張岳登山口(ゲート手前の駐車場)までは1時間強の運転だった。意外にも、駐車していた車は2台のみで、ここも閑散としていた。その登山口から正味約20分ほど歩いて、夕張ヒュッテに着いたのは午後3時20分頃だった。小屋前広場の草むしりをしていた老管理人さんが振り返って、私達夫婦を優しく出迎えてくれた。 * 夕張岳ヒュッテ: 夕張岳の西麓、静かな谷合に位置する80名収容の山小屋。素泊まりのみでシーズン中は管理人在住。2週間ほど前に管轄の夕張市教育委員会へ予約の電話をしたら、小人数の場合は予約の必要はないとのことだった。小屋前広場にある蛇口をひねると冷たくて美味しい水がじゃんじゃん流れ出す。周囲は落葉広葉樹やアキタブキ(巨大草本類)などの森に囲まれている。この日の宿泊客は私達ともう1組のご夫婦のみで、ほとんど貸切り状態だった。 ヒュッテの老管理人さんは自然について非常に薀蓄のある方で、おまけに話好きで、夕張岳の植物のことやクマの習性のことなどについて詳しく教えていただいた。クマ避けには自動車の発煙筒やアースジェットを火炎放射器のようにして使うと効果があるという。何故アースジェットなのかというと、その炎が赤いからで、それをクマは特に怖がるらしい。初めて耳にすることばかりでとても面白かった。 老管理人さんに 「この付近の山腹には北海道の定番のミズナラを殆ど見かけませんが、何か理由があるのでしょうか?」 とお聞きしたら 「数十年前に営林署が伐ってしまったんだよ。ミズナラの木材は高価だからねぇ」 と答えが返ってきた。これについては私の推測どおりだったので、僭越ながら、老管理人さんとの“距離”がずっと近くなった気がした。 * ジャパニーズオーク: 日清戦争後、日本のミズナラ材は優秀で廉価だったこともあり、鉄道の枕木や家具材などとして世界中の先進国に輸出されたそうです。19世紀末の(ヨーロッパの)アンティーク家具の多くは、資源量が枯渇してきたイングリッシュオーク(オウシュウナラ)に替わり日本のミズナラ(ジャパニーズオーク)が使われたそうです。1960年代までは日本の木材輸出総額の約20%を占めていたそうで、北海道のミズナラの大木もかなり伐られてしまったようです。 * 登山口〜夕張ヒュッテの林道で観察のできた樹木: エゾイタヤカエデ、オオカメノキ、ホオノキ、ヤマハンノキ、ヤマモミジ、ダケカンバ、ハウチワカエデ、ナナカマド、シナノキ、(アカ?)エゾマツ、サワグルミ、オノエヤナギ、ハリギリ、サワグルミ、オヒョウ、トドマツ、など。 林床・林縁はチシマザサ、アキタブキ、ヨブスマソウ、など。 ●第6日目(7月26日・曇り) 夕張岳ヒュッテ〜夕張岳登山…三笠市 すっかりと明るくなった4時頃には小屋前広場で自炊の朝食を摂っていたが、なにやら空模様が怪しい。ポツンポツンときたかなと思っていたら暗くなって雷が鳴って大雨になった。そのうち小康状態になったが、老管理人さんは 「もう少し様子を見ろ!」 と云っている。暫くすると老管理人さんの言ったとおり雨足が再び激しくなってきた。さて、困った…。
私達は早朝緊急夫婦会議を開いた。そして「どうしよう…?」と話し合っているうちに日が差してきた。老管理人さんの意見も聞いて、私達は道がしっかりしているという「冷水コース」を辿って夕張岳を目指すことにした。同宿のご夫婦はご主人の強烈な“こだわり”により再度「馬ノ背コース」へ挑戦すると云っている。なにやかやで、私達が歩き出したのは午前5時30分頃だった。 歩きやすい登山道のおかげで順調に高度を稼ぐ。空もすっかり明るくなってきて心配はなさそうだ。低木や笹などが濡れているので暫くの間はカッパを脱げないのが少しうっとおしい。足元のゴゼンタチバナがここでも山腹の花の主役だ。馬ノ背コースとの合流点を過ぎ、花期の終わったシラネアオイの群落を過ぎ、待望の展望が開け出して間もなく、望岳台へ着いた。北面が開けていて谷を隔てた滝ノ沢岳(姫岳)の三角形が大きい。晴れていれば、その右奥には夕張山地の最高峰・芦別岳1727mなども望めるという。反対側(南側)を振り仰ぐと、至近距離の前岳がとんがった岩峰をもたげている。いよいよこれからが花の百名山・夕張岳の核心部だ。 前岳の岩峰を巻いて、なだらかになってきた道を南進すると視界も大きく開けて、夕張岳ののほほんとした山頂部も見え始める。更に進むと木道が現れ、適度なアンジュレーションのある湿原を進む。男岩やガマ岩といった岩峰が接近して、道端には黄色や紫などの高山植物の花が大量に現れ始め、ついに延々とした大フラワーショウの開演だ。特に「吹き通し」と呼ばれる蛇紋岩崩壊地などでは珍しい花も観賞できて、佐知子も私もルンルン気分の数時間。流石に“高山植物の宝庫”だ。 * この日夕張岳で目立って咲いていた花(観察順): ゴゼンタチバナ、クルマユリ、サンカヨウ(実)、トリアシ(ヤマブキ?)ショウマ、オオカサモチ、(エゾ?)ミソガワソウ、オオバミゾホオズキ、ヒオウギアヤメ、ワタスゲ、イワイチョウ、エゾキスゲ(エゾカンゾウ?)、エゾウサギギク、カンチコウゾリナ(エゾコウゾリナ?)、エゾシオガマ、(エゾ?)ウメバチソウ、トモエシオガマ、ミヤマウツボグサ、コミヤマキンポウゲ、チシマヒメイワタデ、タカネナデシコ、チシマノキンバイソウ、イブキトラノオ、シロウマアサツキ、タカネニガナ、トウゲブキ(エゾタカラコウ)、エゾシモツケソウ、シオガマギク、シナノキンバイ、チシマフウロ、ミヤマアズマギク、ミヤマオグルマ、オオタカネバラ、ムシトリスミレ、ユキバヒゴタイ、ユウバリソウ(実)、エゾタカネツメクサ、クモマユキノシタ、カトウハコベ?、ヨツバシオガマ、ミヤマアキノキリンソウ、コウメバチソウ、ヤマハハコ、イワブクロ、ミヤマダイコンソウ、ハッコウダシオガマ? “高原の花見”を楽しんでから、ハイマツの斜面を登りつめると夕張神社の小祠がある小平地へ出て、更に少し登るとそこが夕張岳のガレた山頂だった。北海道の中心部にあるので、晴れ渡っていれば、十勝連峰や大雪山系、日高山脈や羊蹄山までも見えるという。この日は生憎のガスで大展望は望めなかったが、時折そのガスが切れて北東方向の眼下に富良野の街並みなどが見えていた。静かで気分の良い山頂だったので、私達は随分と長いことそこに留まった。夕張ヒュッテで同宿したご夫婦はもうとっくに下山の途についている。しかし私達はやっぱり気にしない。“のほほんと…” が私達の合言葉なのだ。 来た道を辿る復路は、もう一度よく花たちを観察したり、ウラジロナナカマドとタカネナナカマドの違い(花や実の付き方や葉の鋸歯の具合など)を確認したり、矢張り良く似ているひねたダケカンバとミヤマハンノキの見分け方を復習したりしてゆっくりと歩いた。雲が次第に高くなってきて北の方向にぼんやりと三角形の山影が見えていたけれど、あれが芦別岳だったのかもしれない。 夕張ヒュッテに戻り着いたのは午後2時30分頃だった。例の老管理人さんが笑顔で迎えてくれて、別れ際に、手作りの将棋の駒型キーホルダーのお土産をもらってしまった。 『夕張ヒュッテの管理人さん、楽しい二日間を本当にありがとうございました。何時までもお元気でいてください。またお会いできる日を楽しみにしています。Tamu2』 登山口の駐車場から車を1時間ほども走らせて、この日は三笠市の「湯の元温泉」に宿泊した。 三笠市 湯の元温泉: 北海道空知支庁の三笠市(みかさし)は、かつては夕張と同じ炭鉱の街で、「北海盆唄」の発祥の地でもあると云う。その三笠市の閑静な郊外、桂沢湖にも程近い道道162号線沿いの広く浅い谷間に位置しているのが湯の元温泉だ。 泉質は単純硫黄冷鉱泉(中性低張性冷鉱泉)とのことだったが、無色透明無味無臭で、多少ヌルヌル感があって重たい感じもあったが、なんか良く分からなかった。湯上りの脱衣所で判然とした。壁に貼ってある説明書きには、はっきりと「循環濾過、加熱、塩素殺菌…」と書かれてあるのだ。ここまであけすけで正直だと、かえってスッキリとして、とてもいい感じを受けた。外湯も内湯も石タイル貼りのほどよい広さで、清潔で開放感もあって、けっこう良い風呂だった。 ボリュームたっぷりの合鴨鍋がここの名物料理とのことで、これは噂に違わずナカナカのものだった。今どき珍しい部屋食、というのも嬉しかった。夕張ヒュッテの老管理人さんが 「いい宿だよ!」 と云っていたが、その理由が実際に泊まってみて理解できた。…登山後のダイエット・リバウンドを気にする佐知子は、とても複雑な心境だったようだが…。1泊2食付き一人7,650円は、これは超割安だと感じた。 ●第7日目(7月27日・晴れ) 三笠市…ゆにガーデン…新千歳空港… 帰路の新千歳空港への道すがら、由仁町にある国内最大の英国風庭園という触れ込みの「ゆにガーデン」を見学したりして時間をつぶした。それでも空港に着いてからの待ち時間が2時間近くもあったので、空港のビル内で佐知子はお土産などの買い物、私はレストランでひたすらビールを飲んで過ごした。 日が暮れる頃、新千歳を飛び立った飛行機は羽田に着陸した。あんなにビールを飲んだのに、山旅の後は何時もそうなのだが、尿意をもよおすことが無い。多分身体が飲んだ水分を全部吸ってしまって膀胱まで行きつかないんじゃないかなぁ…。 土曜日に出発して翌週の金曜日の夜に帰宅した、ちょうど1週間の北海道の山旅だった。
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