No.224 幌尻岳から戸蔦別岳 平成19年(2007年)7月21日〜24日 |
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【歩行時間: 第2日=4時間45分 第3日=9時間30分 第4日=4時間30分】 → 地理院地図(電子国土Web)の該当ページへ ●第1日目(7月21日・雨) 羽田…新千歳…振内 羽田空港から飛び立った飛行機が新千歳空港へ着いたのは夜の9時を過ぎていた。予約のレンタカー会社に電話するとすぐに来てくれた。頼んでおいた(飛行機に持ち込むことのできない)コンロのガスボンベも買っておいてくれたようで、まずはほっとする。雨が降っているが、明日からの天気予報はそれほど悪くない。旅立ちは何時でもそうだが、期待と不安が入り混じった不思議な高揚感に包まれる。 カーナビに従って2時間ほども国道を走ると、幌尻岳(ぽろしりだけ)登山口へ続く林道との分岐点になっている平取(びらとり)町の振内(ふれない)へ着いた。閑静な街だった。閉店したばかりのコンビニの駐車場に車を停めて、座席を倒すと、助手席の佐知子も運転席の私もあっという間に眠りについた。 ●第2日目(7月22日・曇り) 振内…林道ゲート〜幌尻山荘 車中での爆睡の数時間が経ち、朝の早い北海道のこととて、もうずいぶんと明るくなった頃にようやく目が覚めて、「さて、いくか!」 と気合を入れてハンドルを握る。大きな道標看板を確認して右折し、尚も道標に従って林道へ入り、額平(ぬかびら)川に沿ってひたすら遡上する。振内の分岐から1時間強の運転で、2年前(H17年)から災害復旧工事のため、林道ゲートの手前約2.5Kmの所に設けたという“仮ゲート”脇の駐車場に着いた。
3日分の食料とシュラフなどでずっしりと重いザックを担いで、なにやかやで、歩き始めたのは午前7時45分だった。この仮ゲートから取水ダムまでのなだらかな林道歩き(約7.5Km)が、実際、とても長く感じた。しかし、私達夫婦はくじけない。沢筋の樹木の観察などをしながらゆっくりと楽しく歩いた。道路沿いの林床には大きなフキ(アキタブキ)やヨブスマソウが美味しそうに茂り、日の当たる処にはマツヨイグサや(エゾノ?)シモツケソウなどが咲いている。何処から種が飛んできたのだろうか、アカツメクサ(マメ科・ヨーロッパ原産の牧草・帰化植物)の紅紫色の花もきれいに咲いている。エゾオオサクラソウの紅紫色の花の周囲にはエゾシロチョウが飛んでいる。せわしないハイカーたちが次々と私達を追い越していくが、何時もの通り気にしない。 * 林道で観察のできた樹木: ヤナギ類(オノエヤナギ、イヌコリヤナギなど)、オニグルミ、カツラ、ケヤマハンノキ、ヤマハンノキ、ミズナラ、オヒョウ、ダケカンバ、ヤマモミジ、(エゾ?)イタヤカエデ、ハウチワカエデ、シナノキ、ヤマグワ、マタタビなど、落葉広葉樹が殆どで、トドマツやエゾマツなどの針葉樹は極端に少なかった。 取水ダム(取水施設)を過ぎ、山道になって暫らくすると、いよいよ第1回目の渡渉地点だ。時間をたっぷりと使って、用意してきた半ズボンに着替えたり1,000円で購入した中国製のアクアシューズに履き替えたりした。なんか、わくわくしている。 佐知子のアクアシューズには厚さ3ミリのフェルトを接着剤で貼り付けてある。私の靴底にはフェルトは貼り付けていなかったが、いざというときにぐるぐる巻きにして使うフェルトの帯をザックに入れてある。この方法は本サイト(私達の山旅日記)のBBS(掲示板)の常連の篠ちゃんから教わったもので、なかなかのアイデアだと思う。 “幌尻山荘へ着くまでには23回の渡渉がある” とのネット情報があったが、数えながら歩いたら本当に23回だった。この日の水量はそれほど多くはなく、殆ど膝下で、急流の水圧を感じて危険だと思われる箇所は無かった。ただ、水が冷たくて、一回渡り終える度に足が痛くなって困った。赤っぽい岩が目立ったが、これは堆積岩のチャートのようだった。矢張りこの近辺(日高山脈と夕張山地)は火山活動によってできた山ではなくて、造山運動によるものなんだな、ということが理解できる。 佐知子の手製のフェルト底のアクアシューズは快適のようだった。私のフェルト無しは、多少は滑ったりもしたけれど、慎重に歩いたら何とかなった。私は子供のころから夏休みには田舎(栃木県)の砂利石の川で一日中水遊びをしていたので、渓流についての楽しさや怖さはよく知っている。「基本はすり足だよ。上流から下流に向かって渡るんだよ」 と、知ったかぶりをして佐知子に云ってみたけれど、実際、この日の渡渉についてはそれほど気を遣う必要はなかったようだ。 楽しく渡渉を繰り返して、幌尻山荘へ着いたのは午後2時少し前だった。ツアーの団体さんたちはもうとっくに到着していて、山荘前の広場に大きなシートを広げてくつろいでいた。そのうちの何人かに話を聞いてみると、明日からの行程も私達と全く同じらしい。佐知子と私はニヤニヤしながらヒソヒソと 「クマよけになるかも…」 と話し合った。 * 幌尻山荘: 収容人員50名。素泊まりのみ、シーズン中は管理人在住。小屋前広場の蛇口から常に新鮮で冷たい水が流れ出ている。一人に一枚の毛布が貸与されるが、これは嬉しかった。宿泊料(一人1泊1,500円)は事前に郵便振替で管轄の平取町山岳会宛に払込むシステムになっている。 一昨年の北海道山行 の際、この山荘が「完全予約制」になっていたのを知らずに現地入りして、その登山予定の前日に平取町役場や平取町山岳会に山の様子を聞こうと思って電話して驚いた。テント泊でもダメだという。強引に行ってしまってイヤな思いをするのもなんなので、そのときは断腸の思いで幌尻岳登山を断念した悲しい記憶がある。 今年は、その宿泊予約受付開始の4月1日の午前9時から電話を掛け続けた。何十回と掛けたが、ようやく繋がったのは4月3日の午後だった。このときもうすでに2連泊で予約のできる日は限られていた。今回の私達の北海道山行は、じつは、そのときに予約のできた日に合わせて計画を練ったものだった。 実際に利用してみて思ったのは、確かに「予約」は大変だけれど、山荘のスペースをゆったりと使えることはとても良いことだということだった。予約段階で無制限に受け付けてしまう(ぎゅうぎゅう詰めの)どこかの山小屋には私達は今後絶対に行かないと思うが、この幌尻山荘だったらまた来たいと思った。…しかし、今回出会ったツアー団体のことなどをあれこれと鑑みると、なにか判然としないものが脳裏に去来する…。 ●第3日目(7月23日・高曇り) 幌尻山荘〜幌尻岳〜戸蔦別岳〜幌尻山荘
いきなりの急登で、沢を外れたせいかトドマツやエゾマツが目立ってくる。林床はネマガリダケ(チシマザサ)で、所々の道筋にはゴゼンタチバナ、ミヤマキヌタソウ、オオバミゾホオズキ、エゾカンゾウ(キスゲ?)などが咲いている。樹木は次第にダケカンバが多くなってくる。 このコース上の数少ない水場の一つ「命ノ泉」は登山道から少し離れてあった。しかしポツンポツンと一適ずつの水量だ。小さなコップ半分になるのにも5〜6分はかかってしまいそうで、今の渇水期ではちょっと実用的ではない。この水場をアテにしてきたらえらい目に遭っていたかもしれない。 ダケカンバの背が段々と低くなり、高山型のウラジロナナカマド、ミネカエデ、クロマメノキ、ミヤマハンノキ、そしてハイマツもでてきて、北カール越しの戸蔦別岳などの展望が開け出した。森林限界を抜けたのだ。これからはずっと、私達は夢見心地の時間を過ごすことになる。この地も、神(カムイ)の遊び場だったに違いない。 北カールの稜線をぐるっと進み、小ピークをいくつか過ぎると大容量の幌尻岳が眼前に横たわる。 「でっかい扇山といったところかなぁ…」 と独り言を云ってみたけれど、佐知子は足元のエゾツツジやトカチフウロなどの花に夢中だった。 幌尻岳の岩ゴロの山頂に着いたのは午前9時頃だった。東カールも見えて、大展望が開けた。東側に連なるのは日高山脈の山々だ。この幌尻岳は日高山脈の盟主ではあるのだが、主脈から西に外れているので、その絶好のビューポイントでもあるのだ。北の方向に薄ぼんやりと特異な山影が見えているが、あれはトムラウシに違いない。 幌尻岳の山頂でたっぷりと時間を過ごしてからから戸蔦別岳へ向かう。ツガザクラ類やチシマキンレイカなどが鮮やかに咲いている。やがて肩(小さなピーク)を過ぎる頃から右前方に待望の七ツ沼カールが見えてくる。この景色は日高連峰の中で最も美しいとされているらしく、まさにうっとりとする眺めだ。この辺りから深緑色の岩石が目立ってくるが、これがこの地に特有の植生を育むという超塩基性深成岩(カンラン岩)だろうか。なかには白い筋状の“斑”が入ったものもあるが、これもうっとりするほどの美しさだった。 イワブクロ、エゾイワツメクサも咲いている。もう既に紅葉している気の早いウラシマツツジも岩にへばり付いている。この岩礫地に特産するというユキバヒゴタイは、白いクモ毛に覆われたなんとも云えぬ珍しい緑色の葉っぱの様子で、黒っぽい実をつけていた。 しかし、あまりうっとりとばかりはしていられなかった。ハイマツが足に絡んで歩きにくい。そして時間が容赦なく過ぎている。例によって“時間管理”が気になりだした。 珍しく山頂標識のない、こじんまりとした戸蔦別岳の山頂を通過したのは12時30分頃で、幌尻山荘への分岐のある1881m峰(中戸蔦別岳)へ着いたのは13時10分頃だった。しかしさて、じつはここが1881m峰だと分かるまでには随分と長い時間を要した。幌尻岳と北戸蔦別岳へのルート上である旨の標柱は立っているのだが、この分岐が幌尻山荘へ下る旨の表示は何も無い。かえって何の標識も無ければ、この左の谷へ下る道が私達の進みたい方向であるのは判然としていただろうと思う。こういった分岐で過去に何度も苦い経験をしている私達は慎重にならざるを得なかった。佐知子をその場に残して、私はこのピークに登って、時間をかけて、地形図とコンパスを首っ引きで、周囲の地形を何度も確認した。そしてやはりここが正しい分岐点であることを悟ったのだ。 ハイマツ帯から樹林帯へ急降下して、ドスンと着いた処が額平川の六ノ沢と本流の合流地点(出合)近くで、ここから幌尻山荘までは道標の殆ど無い渡渉交じりの“悪路”だった。ルートファインディングの能力を要求されるからこそ、これがまたじつに楽しい。確認しながらじっくりと歩いたので、登山地図上(コースタイム)では30分の沢路だったのだが、私達は1時間以上もかかってしまった。まぁ、沢に沿ってひたすら下ればいい、という程度のルートファインディングなのだが…。稜線部のハイマツ帯の“ヤブ漕ぎもどき”といい、この山は山登り本来の楽しさを(安全に)味わせてくれる、今どき貴重な山なのかもしれない。 心地良く疲れ果てて、幌尻山荘へ辿りついたのはもう午後5時近かった。もちろん、はるか先をずっと歩いていたあのツアーの団体さんたちはもうとっくに到着していて、夕食も終わっていたようだった。おかげさまでクマにも出遭わず、心の中でそっと感謝…。 ●第4日目(7月24日・晴れ) 幌尻山荘〜林道(仮)ゲート…平取温泉 のほほんと、冷たい渓流をちゃっぷちゃっぷと、一昨日の往路を引き返す。幌尻山荘を朝の5時15分に発ち、取水ダムを経て、ふりだしの林道(仮)ゲートに着いたのは10時45分だった。途中、矢張りザックを積んだ軽トラックとすれ違い、その後からツアーと思われる中高年団体が(ザック無しの身軽な格好で)歩いてきた。この光景は、この夏、毎日のように繰り返されるのだろうかと訝った。 仮ゲート脇の駐車場には私達のマーチ(レンタカー)が来たときのままひっそりと止まっていた。何時ものようにかなりゆっくりと歩いてきたのだが、この日は私達とずっと同じルートを辿った例のツアーの団体さんたちは“朝寝”を楽しんでいたらしく、私達を追い越すことはとうとうなかった。 幌尻岳からの下山後は、振内の街にある食堂で絶品の“お勧めランチ(牛肉100%のハンバーグ定食)”を食べてから、同じ平取町の二風谷(にぶたに)にあるアイヌ文化博物館や資料館などを見学して過ごした。そしてこの日は、一昨年にもお世話になった宿泊料2,500円の「びらとり温泉」に宿をとった。この日の宿泊客は私達だけだったようだ。着くや否や、管理人のオジサンが当地のもぎたてのトマトを数個 「もっていけ!」 と云って手渡してくれた。部屋へ入ってかぶりついたら、甘みがあって、これも絶品だった。 明日からは夕張岳登山だ。 びらとり温泉については No.181後方羊蹄山 を参照してみてください。
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