シラネアオイがいっぱい咲いていた!
《マイカー利用》 …東北自動車道・盛岡IC-《小岩井農場経由・車40分》-網張温泉(泊)-《車20分》-馬返し登山口〜八合目避難小屋〜不動平(避難小屋)〜岩手山(お鉢を一周)〜八合目避難小屋〜馬返し-《車25分》-玄武温泉(泊)-《車35分》-盛岡IC… 【歩行時間:
8時間20分】
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私達夫婦が日本百名山について意識をし始めたのは平成8年の頃からだったが、その2年後に、まだ登ったことのない岩手山の火山活動が活発化し、指をくわえて見守っているうちに、ついに平成10年7月から入山規制が布かれてしまった。それからは岩手県の情報サイトなどを常に意識したりして、つまり岩手山に関しては事前の情報や関連知識が知らずに頭や心に侵入していた。
火山活動が徐々に沈静化し、ほぼ全面的に入山規制が解除され、どのコースからでも入山できるようになったのは3年前の平成16年(2004年)7月1日のことだった。岩手山に対して憧れのようなものを強くもってしまっていた私達夫婦だが、その後は “これからは何時でも行ける!” という思い込みが強く、私達の住む東京からは矢張り遠いということもあって、とうとう今日まで “ほっぽっておいた山” になってしまっていた。
今回の岩手山山行で、事前に最も考え悩んだのはそのコース取りだった。なんでも7つの登山ルートがあるという。深田久弥さんは「日本百名山」の著書の中では網張(あみはり)コースを辿って山頂へ至り、下山路に松川コースを利用している。岩ゴツの痩せ尾根を有する西側の岩手山を意識したコース取りで、それぞれの登山口が有名な温泉地になっていることもあり、かなり面白そうで魅力的だ。しかし、網張温泉からのリフトがこの時季のウィークデーには稼動していないということで、標高差にして約550mを稼ぐ“文明の利器”を使えない。山登りにリフトなんか使うなよ! と叱咤されそうだが、“日帰り”となると私達の鈍足と体力ではリフトを使わなければこの(深田久弥さんが歩いた)網張りコースはかなり厳しい。そんなギリギリに厳しいコース計画を妻の佐知子が承認するはずがない。麓に前泊・後泊はするものの、マイカーを利用した日帰り登山、ということが今回の大前提である。網張コースと松川コースと矢張り山頂までの距離の長い七滝(ななたき)コースを除いた、東岩手山のみの往復登山を計画せざるを得ないのだ。
特別天然記念物の熔岩流に沿って登る焼走(やけはしり)コースや原生林を通る上坊(うわぼう)コース、鬼ヶ城の稜線も望める御神坂(おみさか)コースなども大いに気になるコースだが、この際百歩を譲って、この山の代表コースとも云える柳沢コースを、佐知子の圧倒的な決定権のもとで、私達は選んだ。
* 南部片富士: 岩手山の東側(東岩手山)は最高峰の薬師岳2038mを中心にしたコニーデ(成層火山)型で、南部富士と云われる所以でもあるが、鬼ヶ城から黒倉山〜姥倉山と続くその西側(西岩手山)はアルペン的な岩稜の姿をしている。噴火活動の開始時期については、東岩手山は6千年前から、西岩手山は20万年前から、ということで、西側のほうがずっと古いらしく、これが東西岩手山の山容の違いにも関係しているようだ。この岩手山火山群のことを、東側のたおやかな姿と西側の峨々たる風貌を対比して「南部片富士」とも呼ぶらしい。[各種のガイドブック等を参考にして記述しました。]
もぅ〜 岩手山 南東麓の小岩井農場から岩手山を望む
登山前日(6/19・晴れ): 朝、東京を発ち、東北自動車道をひた走って盛岡インターで降りる。北面の前方に屏風のように立ち広がる南部片富士(岩手山)を眺めながら、小岩井農場を経由して、この日は岩手山の南西麓に位置する「休暇村・岩手網張温泉」に宿をとる。ほぼ一日をかけての“岩手入り”だった。
休暇村「岩手網張温泉」: この温泉と若い従業員さんたちの人情(サービス)は超一級の素晴らしいものだった。夕方はゆっくりすることができたが、翌早朝には岩手山登山のためにチェックアウトしなければならないので、朝食を吟味することも、8時から始まるという従業員さんたちのガイドによる近隣の自然観察会に参加することもできないのは、誠に残念だった。
ゆっくりできた夕方、男女別の内湯も露天風呂もあるのだが、私は一人で野外にある「仙女の湯」へ行ってみた。4〜5分ほども裏手の山道を歩いた沢奥の、6〜7人くらいは入ることのできる大きさの、洗練された、しかも野趣あふれる素晴らしい湯だった。混浴なので、女性にはちょっと勇気がいるかもしれない。
やや白濁した硫黄臭のする湯(硫黄泉)で源泉掛け流し。口に含むと少し酸味がある。源泉は73度と熱く、流れ込む湯に直接手をつけると火傷しそうになる。沢水を足して湯温調節をしているようだ。湯量も豊富で云うことなし。湯上りは肌しっとりで、これも云うことなし。
宿泊料金は、夕食は贅沢をして旬会席コース、朝食抜きで一人10,125円だった。
休暇村「岩手網張温泉」のHP
登山当日(6/20・曇り時々晴れ): 未明の2時半頃にふと目がさめて、硫黄臭の漂う宿の風呂に浸かった。部屋に戻り、さてこのまま起きてしまおうかどうしようか、と思案しているうちにいつのまにか眠っていて、気がついたら窓の外はもう充分に明るかった。完璧に眠りこけている佐知子を起こして、ばたばたと支度して、宿の玄関をそっと出る。
一合目
七合目へ向かう
七合目(鉾立)
シラネアオイ
白花のシラネアオイ
ミヤマキンバイ
八合目避難小屋
岩手山の山頂
下山開始!
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柳沢の交差点を左折して、まっすぐな舗装路を北西に向かう。前方には岩手山がどっしりと聳えている。右手の林内は陸上自衛隊の演習地のようだ。宿から20分ほども走った行き止まりが登山口の馬返し(標高約630m)で、ここには大きな駐車場や立派なトイレなどがあった。大きく深呼吸したり準備体操をしたりしてから、森の中へ足を踏み入れたのは、もう5時近くになっていた。小鳥たちのさえずりに交じってキツツキ(アオゲラ?)のドラミングが聞こえている。
歩き始めてから暫くの間はミズナラ、ハウチワカエデ、イタヤカエデ、ホオノキなどの落葉広葉樹の天然林の中を登る。老木や巨木が殆ど無く、比較的に若い木々が多い。ブナが予想外に少ないのが案外で意外だ。多分、矢張り、高度経済成長期のころに皆伐された森じゃないかと推測した。これから数百年もこのまま静かにほっぽっておけば、もしかしたら立派なブナ林に蘇るかもしれない。林床は東北地方の山にはおなじみのネマガリダケ(チシマザサ)で、登山道沿いの足元にはギンラン、ヤマオダマキ、マイヅルソウ、アズマギクなどがきれいに咲いている。タニウツギ、ヤマツツジ、ウラジロヨウラクなどの灌木にも…少しだが…咲いていた。登山道は、流石に昔ながらの由緒ある山道で、よく整備されていて歩きやすい。「改め所」や「桶(こが)の淵」といった謂れ因縁のありそうな箇所も通過する。この一合目までの約1時間は長く感じた。
二合目辺りから開けた展望箇所が時々現れる。振り返ると、麓の牧場や田園風景などが薄雲と朝もやの切れ間から俯瞰でき、もうこんなに登ったんだなぁと思えるほどの高度差だ。東の空には鈍角三角形の姫神山が端正できりっとした山影を見せている。右手の早池峰山は今日は雲の中だ。その早池峰と姫神山とこの岩手山は三角関係にあるらしい、という民話の話などをしながら歩いていたのだが、急勾配が続き、私達の口数も段々と少なくなってきた。汗が背中を流れ落ちる。長袖のシャツも脱ぎ、半袖のTシャツ一枚になる。
二合五勺の地点で新道と旧道に分かれるが、小さな谷を隔てて並行するそれぞれの道は、どちらを選んでもたいした差は無いという。私達は幾分展望箇所が多いという左側の旧道を上りに選んだ。
植生が徐々に変化してきて、ハクサンチドリや山地型のスミレ類(オオバキスミレ、ムシトリスミレ、キバナノコマノツメ、タカネスミレ)などが多くなってきた。目の高さにはオオカメノキが白い装飾花をつけている。
四合目(標高約1250m)辺りの開けたザレ地面に、へばりつくようにして紅紫色の花が咲いている。なんでヤマツツジがこんなに草みたいに地面を這っているんだろう、と不思議に思った。帰宅してから調べて、これがエゾツツジだったということが分かった。岩手山が“南限”のツツジ科の落葉低木であるらしい。暗紅紫色のミヤマハンショウヅルなども、岩にしがみつくようにしてよく咲いている。
再び樹林帯に入ると、木々たちの背がいつのまにか低くなってきていて、ダケカンバ、ミヤマハンノキ、ウラジロナナカマド、ミネカエデ、そしてハイマツなどが目立ってきた。いよいよ面白くなってきた。
五合目を過ぎてからのことだった。それらの背の低い明るい林内や開けた潅木帯に、可憐でゴージャスで、なよなよしているようでしゃきっとしているような、美の両極端を併せもった不思議な薄青紫色の花が、うじゃうじゃと咲いている。目を疑ってから驚いて感動した。シラネアオイの、いつ果てるともなく連続する大群落なのだ。話に聞いてはいたけれど、正直云って、まさかこれほど凄いものだとは想像もしていなかった。ある処にはあるもんだ。
七合目ヘ向かって必死で登っていると、朝方に私達を追い越していった単独行の中年男性が山頂から(もう)下山してきた。すれ違うとき 「早いですねぇ。もうふた往復できそうですね」
と冗談交じりに声をかけたら、「いや〜、今日は足がガクガクしていて…」 と、マジな返事が返ってきた。足がガクガクしていなければ、もしかしてこの中年男性は本当にもう2往復するかもしれない、と思った。世の中にはすごい花もあるけれどすごい人もいるものだ。
岩礫帯のあちこちには、イワウメやミヤマキンバイや高山型のスミレ類なども美しく咲いている。岩陰の薄ピンクやショッキングピンクの(色に個体差のある)小さな美人はイワカガミだろうかコイワカガミだろうか。チングルマも少し咲いている。ミヤマヤナギの子房がふくらんでいる。ミネザクラは赤っぽい新葉といっしょにきれいな花をつけている。ミヤマハンノキは薄褐色の穂状の雄花を垂らしている。春と初夏が同時進行の自然美術館に、汗とため息の連続だ。イワヒバリが囀りながら天空を舞っている。
やがて大きく開けた八合目避難小屋前の広場に到着した。ここに滾々と湧き出る「お成り清水」が冷たくて美味しかった。がぶ飲みしたら汗が引っ込んで涼しくなって、身体が楽になった気がした。ここから暫くは不動平と呼ばれるなだらかな斜面で、岩手山の山頂部や近くの雪渓を残した峰々が望める、とても広々としたいい処だ。シラネアオイも相変わらずたくさん咲いているし、ミヤマキンバイなどの群落も見事だ。
景色や展望を楽しみながら休憩小屋のある九合目辺りから火山性のザレ道を登り、直径500m以上はあろうかというお鉢の南側の縁に出る。ここで殆どの展望が開け、ようやく岩手山の複雑な山頂部の全容が明らかになる。これもまったくすごい眺めだ。
お鉢の中央(火口内)にある妙高山の左側(西側)は大きく崩れていて、これが御室火口(1686年火口)と呼ばれている処らしい。その左奥の、一段と高いお鉢の峰が薬師岳と呼ばれる岩手山の最高ピークで、右奥裾のこじんまりとした火口に岩手神社の本宮がある。
33個あるというレリーフ型の石像(三十三観音石像)に沿って、まぁるいお鉢の峰を時計回りに進む。走馬燈のように次々と景色が移り変わる。薄曇りだったが、近くの鬼ヶ城などの西岩手山の岩稜の連なりや、その右下の火口湖(御苗代湖)などがよく見えている。八幡平、森吉山、秋田駒ヶ岳、それに鳥海山なども同定できた。このお鉢巡りはじつに楽しくて気分の良いものだったが、何故かこの山頂部には羽虫類が多く、それらの死骸が足元にぼろぼろ転がっていて、ちょっと不気味だった。
岩手山の最高地点(薬師岳の頂上)に着いたのは午前11時頃だった。風は少し強かったが寒くはなく、一等三角点の標石を確認したり、360度の大展望を楽しんだり、ここでいっしょになった単独行のご婦人と言葉を交わしたりした。単独行のご婦人は地元のベテランハイカーのようで 「焼走コースのコマクサの大群落は見事で、日本一ですよ」 としきりに自慢していた。
お昼の12時丁度、下山開始。お鉢を更に少し進むと、あったあった、コマクサだ。まだ咲いてはいなかったが、このザレた山頂部にもあるんだな、と思った。普通の植物にとっては入り込むことのできないきつい環境だ。もう少しすると花がつき、私たちハイカーの目を楽しませてくれるに違いない。さきほどの地元女性ハイカーの話を思い出して、その時季の何時かきっと、北側の焼走コースのコマクサの大群落を見てみよう、と私達は思った。
下りの「新道」にもシラネアオイは「旧道」以上にたくさん咲いていた。おまけにサンカヨウの花も咲いていたりして、全然飽きなかった。「馬返し」の駐車場に戻りついたのは午後3時30分。どんど晴れ(めでたしめでたし)の大団円だった。
「玄武 風柳亭」: 私達が岩手山登山の後泊に選んだのは岩手山の南西麓、網張温泉の少し南、葛根田渓谷に位置する玄武温泉の「玄武庵」だったが、これは2年ほど前に屋号が変わって「風柳亭」となっていた。予約のときの電話番号も同じで、はっきりと聞かなかった私が悪いのだけれど、そのことは行ってみて初めて知ったことだった。ここは、じつは温泉ではない。高級割烹リゾート旅館、といったところだ。
しかし、ここのいくつかある風呂は露天も内湯も工夫されていて、小ぎれいでステキなものだった。テレビ番組でも紹介されたというう定評のある料理は流石に美味しく、夕餉も朝餉も食べ過ぎて、特に佐知子はダイエットのリバウンドを気にしていた。
どんないきさつがあったのかは知らないが、ここは温泉ではないけれど、それを払拭してなお余りある質感を顧客の私達に提供してくれた。1泊2食付一人15,750円。山旅の宿としては高級すぎる欠点はある…。
「玄武風柳亭」のHP
* 蛇足ながら、登山日の翌日(6/21)は朝から大雨で、東北地方も梅雨に入ったようだった。帰りがけの駄賃にと予定していた秋田駒ヶ岳や姫神山の登山は、再び私達の楽しい宿題になった。
岩手山の山頂部: 薬師岳2038mと妙高山1990m(御室火口)
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