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No.236 八紘嶺(はっこうれい・1918m)敗退!
平成20年1月28日 高曇り

八紘嶺・略図
もうちょっとで八紘嶺だった

JR静岡駅-《バス100分》-梅ヶ島温泉(泊)〜八紘嶺登山口〜安倍峠分岐〜富士見台〜1881m峰(往復)…梅ヶ島温泉…静岡駅 【歩行時間: 5時間30分(雪道)】
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  幸田文さん(1904-1990)の遺著になってしまったが、新潮社から出版された「木」という題名の樹木にまつわる珠玉のエッセイ集がある。 私の座右の本で、ことあるごとに反復して読んできたが、その中の「安倍峠にて」という一篇がずっと気になっていた。
  『静岡県と山梨県の境、安倍峠に楓(かえで)の純林があるということを、ふと県の自然保護課からきいた。・・・』 で始まる巧みの文章に惹かれたのは勿論、文中にある日本三大崩れの一つという“大谷崩れ”の記述にほだされたのも気になっていた理由の一つだった。 この地へ行ってみたいと思う私の気持ちは年々強くなっていた…。
  白峰南嶺という言い方があるらしいが、南アルプス深南部というか南端部というか、あるいは矢張り安倍川源流域(安倍奥)というべきか、山伏(やんぶし・2014m)を主峰にした深くてシブい山域がある。 しかもその南麓には梅ヶ島温泉という気になる温泉地もある。 ということを知ったのはじつは割と最近で、それが「安倍峠」にも「大谷崩れ」にも近いということが分かると、もう私はじっとしていられない。 山の相棒(妻の佐知子のこと)を誘って、つまり何時ものメンバーで、いそいそと出かけた。
  私にとっての幸田文さんは明治生まれの毅然とした文学おばさん(失礼…)という感じだが、佐知子にとっては何時も和服を着ていた“粋なおばあちゃん”という印象らしい。 何れにしても、佐知子も幸田文さんのフアンだから、この山行はとんとん拍子にまとまったのだ。

 1月27日(登山前日): 静岡駅北口のバス案内所窓口で「昼間専用パサールカード」を購入してから、12時48分発の、2時間に1本程度の閑散とした静鉄バスに乗る。 終点の梅ヶ島温泉までのバス代は1,600円だが、このパサールカードを使うとカード代の1,000円(1,300円分)に300円をたして支払えばいいという。 つまり300円の得になる。 これはサイト検索で調べた情報で、当地における“バス代節約の裏技”らしいが、途中で乗ってきた地元の人はみんな使っていたようだ。 と、のっけからセコい話になってしまったが…。
  セコくてKY(空気を読めない)の私達が乗ったバスは静岡の市街を抜け、水量が少ないと感じる安倍川に沿ってのんびりと北へ向かって遡上する。 茶畑などのこの地特有の景色を眺めながら座席でウトウトしていたら佐知子に突かれた。 何時の間にか谷は狭まって、ずいぶんと山奥まで来たなぁ、という感じだ。 乗客は私達だけになっていて、次の駅が梅ヶ島温泉のようだった。 2時間近くのバスで、お尻が痛くなっていた。 佐知子が私を突いたのは、もうすぐ到着よ、という合図だ。
  私達が予約した「旅館いちかわ」などが建ち並ぶ梅ヶ島温泉の“目抜き”はその終点の駅から少し戻ったところにあるらしい。 景色を眺めながらアスファルトをだらだらと下ってきたら、「いちかわ」の女将と思われる小奇麗なひとが、心配そうな焦った顔で、私達へ駆け寄ってきた。 予約電話のやりとりで「降りるバス停は終点のひとつ手前…」と云うのを忘れた、とのことだった。 「ほんの数分の距離ですね。おかげでよい散歩ができました」 と女将に告げて、大団円ということになった。 安倍川源流の、深くてひっそりとした美しい谷間だった…。
安倍川沿いの温泉街
梅ヶ島温泉
枝打ちや間伐など、よく管理されている
まず人工林を登る

ロープ場を登る
けっこうきつい

残念!ここで退却
1881m峰のピーク

1881峰から八紘嶺を望む
眼前の八紘嶺

梅ヶ島温泉「湯の宿・いちかわ」: 静岡駅前から北へバスで約1時間45分、安倍川源流部の奥まった山間に位置する静かで由緒ある温泉地。 約10軒ほどの温泉宿が軒を並べる。 「いちかわ」はその中ほどに建つ温泉旅館。 終点の梅ヶ島温泉駅の一つ手前の梅ヶ島温泉入口駅が近い。 泉質は単純硫黄泉で(加温)源泉掛け流し。 ぬるい外湯も熱い内湯も小さめの浴槽だが、必要かつ十分だ。 アルカリ性でかなりのヌルヌル感があった。 石造りの湯船からコンコンと湯が流れ落ちているのがたまらない魅力だ。 風呂は夜は10時までで朝は7時から、というのが夜更かしの“宴会組”にはちょっと不満のあるところかもしれないが、夜の早い「登山組」にとっては全く問題ない。 優しくて気の利く女将がおさんどんして、部屋食で味わう猪鍋や鹿の刺身など、質も量も充分だった。
  「湯の宿・いちかわ」のHP

 1月28日(登山当日): 朝風呂に浸かって、朝ご飯をゆっくりと食べてから、午前8時半頃、宿を出た。 この何時もののほほんとした、緊張感のない、油断した気持ちが今回の八紘嶺登山を失敗させた原因だと、後になってから反省した。 しかしこのときは本当に何の心配もしていなく「楽勝!」だと思っていた。 往復登山ということもあって、私も佐知子も何とはなく今回の山行を「軽く」考えていたキライがある。 地形図などを事前によくチェックしてなかったせいもあって、登山口の梅ヶ島温泉と八紘嶺山頂との標高差が1000メートル以上もあるということも、下山後に確認してわかったことだった。
  階段状の近道(遊歩道)を登り、再びアスファルトへ出てから道標に従って山道へ入る。 まずはよく管理されたスギ・ヒノキの人工林帯が暫らく続く。 積雪の量が徐々に増えてくるが、トレースはしっかりとしていて雪質もしまっているので、アイゼンを着ける必要は無さそうだ。 林床はスズタケのようだ。
  やがて、ミズナラ、ブナ、シデ類、モミジ類、ヒメシャラ、ナツツバキ、モミ、アセビなどの気持ちのよい冬枯れの自然林の中を登るようになる。 安倍峠へ続く林道へいったん出て、再び自然林の尾根筋を歩く。 けっこうきつい登りだ。
  安倍峠への山道を右に分け、暫らく進むと稜線上の開けた処を通過する。 標板は無かったけれど、ここが「富士見台」に間違いないと思った。 毛無山1964mを主峰とする天守山塊の右奥に富士山が両翼を張ってすっきりと見えている。 そのずっと奥(東側)に住む私達にとっては珍しい富士山の西側の景色だ。 縦一線に雪形が走る「大沢崩れ」をはっきりと確認できたのが嬉しかった。 ダケカンバが目立ってきて、林床は何時の間にかミヤコザサになっている。
  しかし、この辺りから“時間”が気になりだした。 雪は益々深くなってくるし、ロープ場などの難所もあり、薄いガスも出てきた。 気持ちは焦るが遅々として足が前へ進まない。 次のピークが頂上だと思うのだが、そこへ到達するとまたその先にピークが見えてくる、ということを何回となく繰り返した。 もうお昼を過ぎている。 帰路の、梅ヶ島温泉15時41分発のバスに乗り遅れると次の最終は18時過ぎになってしまう…。
  八紘嶺1918m手前の無名峰1881mのピークではたと足を止めた。 ここから少し下った鞍部から登り返せば山頂だが、山頂での休憩時間も考慮すると、往復時間は多分1時間以上になってしまう。 私たちの鈍足では(15時41分発のバスに乗るためには)ここまでが限界だと思った。 「引き返そうか…」 と小さな声で云ったら 「そうしよう、そうしよう!」 と佐知子が大きな声で返事した。 ガスが一瞬切れて、前方の樹林の隙間からは八紘嶺のズングリとした山頂部が恨めしそうに姿を見せた。 そしてその奥には南アルプスの白い峰々が、なんと北岳の尖がりも、頭を覗かせていた。
  そうと決まったら心が落ち着いた。 無名峰の雪の山頂にビニールシートを敷いて遅めの昼食にした。 コンビニのアンパンとクリームパンだ。 サーモスのコーヒーがまだ充分に熱くて、ホッとするひと時だ。 しかしそんなにゆっくりとはしていられない。 気合を入れて踵を返す。
  来た道を順調に下って、梅ヶ島温泉へ戻りついたのは15時20分だった。 なんとかバスには間に合ったが、予定していた入浴の時間はなかった。 とうとう誰にも出遭わなかった、静かな山だった。

  今回の私達の八紘嶺登山敗退の原因については、まず私達の鈍足と油断があるが、雪道は時間がかかるものだということの認識の甘さもあったと思う。 当初私は、帰路に安倍峠を経由して幸田文さんが見てきたというカエデ(オオイタヤメイゲツ)の純林を見学してこよう、などというとんでもない(無理な)計画を立てていた。 そして、このコース上のどこからか「大谷崩れ」を見ることができるはずだ、という根拠のない私のあてずっぽうも見事に外れた。 「安倍峠」も「大谷崩れ」も、なーんだぁ、幸田文さんのエッセイの検証というか確認というか観光というか…、は、結局なぁ〜んにもできなかったじゃないの!… と佐知子が残念そうに私を非難の目で見ている。 「富士山の大沢崩れを見ることができたじゃないか!」 と私は心の中で小さく反論した。



富士見台から富士山を望む
富士見台からの展望(左方は天守山塊)

この右後ろに富士山が見える
富士見台を通過
1881m峰のピークから撮影
稜線から富士山(大沢崩れ)を望む
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