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No.253 高宕山(たかごやま・330m)
平成21年(2009年)1月26日 快晴 マイカー利用

高宕山・略図
まるで天守閣にいるお殿様の気分!

《マイカー利用》 …東京湾アクアライン…君津I.C…登山口(宕1号隧道入口・駐車場)〜石射太郎〜高宕観音〜高宕山《往復》…休暇村・館山(泊)…御殿山登山… 【歩行時間: 2時間40分】
 → 地理院地図(電子国土Web)の該当ページへ


 ETC車に限り通行料が半額(1,500円)の割引期間中ということで、東京湾アクアラインを利用した二日間のマイカー登山を計画した。電車とバスの山旅が私達夫婦の基本スタンスだが、最近はマイカーをけっこう利用するようになった。つまり、私達はあまりこだわらない。妻の佐知子と事前の議論を尽くした結果、ターゲットは房総半島の低くて深い山並のほぼ中央に位置する高宕山や御殿山など、ということになった。久しぶりの千葉県への山旅に胸が躍る。

 東京湾アクアライン「海ほたるPA」の食堂でアサリがたっぷりの「アサリご膳」なる朝食を摂る。それからはカーナビに任せっきりで、深く考えもしないで運転していたので、到着した目の前がゴルフ場(ジャパンPGAゴルフクラブ)のクラブハウスだったのには驚いた。目的地を登山口近くのゴルフ場に設定しておいたのをウッカリしていたのだ。
味わいのある苔生した六地蔵
登山口の六地蔵

展望台から撮影
石射太郎の岩峰

コナラなどの明るい落葉樹林
冬枯れの稜線

岩壁にめり込んでいる!
高宕観音堂

岩をくり抜いたトンネルを潜る
岩のトンネルを潜り…

ほぼ360度の大展望!
高宕山の天辺に到着!
 それからは助手席の“ナビゲーター佐知子”の出番だった。国道465号線の植畑とか上郷とかの地名の辺りを、道路地図と首っ引きの彼女の指示に従って、行ったり来たりした。そのうちに「石射太郎山方面」とか「石射太郎山コース入口」の案内板を見つけ、ほっとして、それに従って静かなアスファルトを進む。間もなくすると、そこから先は通行禁止になっているトンネル入口へ着いた。ここが林道・高宕線の起点であり、右側が石射太郎から高宕山へ至る登山口になっているのだ。
 トンネル入口のプレートを読むと「宕一号隧道」と書いてある。左手前の閑散とした小広い駐車場に車を停め、軽登山靴に履き替えて、軽くストレッチをして、歩き始めたのは午前9時半頃。登山口では苔生した六地蔵が整列して私達を見送ってくれた。
 まずスギ林。それからマテバシイ、ウラジロガシ、スダジイ、トベラ、ヤブニッケイ、ヒサカキ、アオキ、…などの照葉樹(常緑広葉樹)が茂る山道を登る。カヤの葉も光って美しい。ヒヨドリがギャーギャーと品のない声で鳴いているのが耳障りだが、それも“静けさ”の裏返しで、ここの自然は予想以上に豊かだ。
 しかしあっけなく稜線へ出て、展望のよいベンチで早くも小休止。東面の山並や南面の八良塚(はちろうづか・342m)と、これから向かう高宕山(たかごやま・330m)もよく見えている。後ろには木造の小屋が建っていたが、これはかつてサルの餌付けに利用されたものであるらしい。環境省と千葉県の説明板によると、高宕山から石射太郎山一帯は野生ニホンザルの生息地として昭和31年から国の天然記念物に指定されている、とのことだ。北側の眼前には登高意欲をそそる石射太郎がニョキッと聳えているが、その岩峰に取り付く「道」は(危険のため?)進入禁止になっている。石射太郎のピークへのアタックはあきらめて、先を急ぐことにする。

* 石射太郎(いしいたろう)の伝説: 『昔むかし、台田久保という巨人が高宕山北方の高いたかい山の上にある大きな石に向かって、鹿野山から強引に矢を射った。すると石ははるか南方半里(約2000m)もある谷間まで射飛ばされた。その時台田久保は鹿野山で「石射たろう」といった。その時の言葉をとってこの山を「石射太郎山」というようになった。』 『・・・石射太郎山は関東大震災で石の切り出し場、いわゆる石切丁場なるものが破損するまで明治初期から大正初期にかけて大量の石が切り出された。(清和村誌より)』
 これは石射太郎の休憩所に設置してあった環境省と千葉県の案内板を丸写ししたものです。台田久保(デェダクボ)というのは、ダイダ坊とかダイダラボッチなどとも呼ばれる、各地に数多く残る伝説の巨人と同じ類だと思います。何れもおおらかでユニークな発想ですね。


 石射太郎から少しの間、コナラ・ヤマザクラ・シデなどの落葉樹の林を歩く。冬枯れの明るい尾根歩きは心が安らぐ。所々の緑のアクセントはアセビや疲れたヒノキだ。若い雑木林なので、多分、この辺りも30〜40年前に炭や薪などを取るために皆伐した後、手入れがされないで、そのおかげで自然っぽい森になったのだろうと推察した。“ほっぽっておいた自然”が好きな私にとっては結果オーライだ。このままずっと、何百年・何千年とほっぽっておけば、やがて陽樹のコナラやクヌギなどは淘汰されて、陰樹(極相種)であるシイやカシやタブなどの素晴らしい照葉樹林になるに違いない…。
 登山道を少し外れると石射太郎の休憩所(展望台)よりももっと南面が切れ落ちている断崖絶壁の箇所があった。「注意・この先すぐ崖」という立札は出ているが、柵もなにもないので、覗き込むとかなりの高度感と戦慄を味わえる。 「子供などが道を外して走ったら、そのままストン…、おぉこわ〜」 と佐知子が真顔で云っている。
 なだらかな尾根道を更に南進すると立派なツガ、モミ、アカマツなどの針葉樹が目立ち始め、スダジイやマテバシイなどの照葉樹と覇権を争っている。中間層〜低木層ではヤブニッケイ、トベラ、アオキが多く、それにイヌガヤ、ヒサカキ、花の付き始めたヤブツバキなどが交じる。落ち着ける(自然な)植生で、森林浴ハイキングの様相だ。
 何時の間にか辺りは鬱蒼としたスギ林になっている。狛犬と仁王様の石像の間を進み、苔生した長い石段を登りつめると明るく開けていて、そこには巨岩に飲み込まれたように建つ高宕観音堂があった。凄まじくも神々しいその様に、暫し呆然と立ち尽くす私達だった。同じ房総の三石山観音寺や秩父の観音堂や奥多摩の白鬚神社など、各地にけっこうあるけれど、岩壁に寄り添うお堂を敢えて建てて信仰の対象にする、というのが、自然を敬ったり恐れたりする人間の仕業として、何となく理解できる気がする。ここは頼朝伝説のある処でもあるらしい。
 “岩をくり抜いたトンネル”を潜り、道標に従ってハシゴやクサリの岩場を登ると、そこが高宕山の小ぢんまりとした、しかし切り立った、スリルのある山頂だった。否、“山頂”というよりは“天辺(てっぺん)”といったほうがこの場合相応しいかもしれない。モミやトベラの樹木がある東南の一角以外は殆ど360度が開けていて、ここは房総半島のほぼ中央に位置しているので、房総特有の平べったく群がる山々などの景色が一望できる。東側の地平の彼方には太平洋が広がっている。西側には浦賀水道(東京湾の入口)が見えていて、その先にぼんやりと白銀の富士山が浮かんでいる。天下を取ったように周囲を睥睨していると、まるで天守閣にいるお殿様のような気分になってくる。日本一低い山並をもつ千葉県の山旅に、こんなにゴージャスな感動が待っていたなんて、もう大感激だ!
 かつて雨乞いに使ったという錆びた鉄釜と小さな石祠の横で、冷たい風に吹かれながら、菓子パンを食べてサーモスの熱いコーヒーを啜った。狭いながらも静かで楽しい天辺だ。それから、名残りを惜しみながら踵を返し、来た道を下る。マイカー登山は出発地点へ必ず戻らなければらないのが欠点だ。
 復路にて夫婦で盛り上がった会話を一つ。それは、往路にはそれほど目立たなかったアオキの赤い実がやけに目についた、ということだった。「何故かなぁ?」 とお互いに云い合って、よく観察してみたら、赤い実の殆どは南側を向いている、ということに気がついた。「な〜んだぁ、そういうことだったのね」 と、北へ向かって歩いていた私達は溜飲を下げて、カラカラと笑いながら楽しく下山した。
 私達が今回歩いたトレイルは「関東ふれあいの道」に指定されていて、「ニホンザルと出合うみち」というネーミングもあるらしい。とはいえ、ハイカーがサルに出遭う確立はかなり低いという。私達も御多分にもれず、とうとうサルを見ることはなかった。登山口に戻りついたのは午後1時半頃。まだ陽は全然高く、少し歩き足りない気もした。
 今日の宿はここから車で1時間半ほどの休暇村「館山」に予約を取ってある。明日に予定している御殿山登山も楽しみだ。

* 高宕山の標高と三角点について: 高宕山の二等三角点は、じつは、私達が登った330mのピーク(北峰)から直線距離にして200mほど南の位置にある。国土地理院の基準点情報によると点名は「豊英」で標高は315.09mとのことだ。ガイドブックなどには高宕山の標高をこの三角点峰(南峰)の315mと表示しているのもあるようだ。日本山名事典(三省堂)では最高点(北峰)の330mを採用していることもあり、本項の高宕山の標高についてはそれに従った。
 ネット検索による情報だが、現在高宕山の三角点峰の山頂は立入り禁止になっているらしい。


館山温泉・休暇村「館山」: 次項「御殿山」 を参照してください。



左は八良塚・右が高宕山
稜線から高宕山方面を眺める
左下は錆びた鉄釜です
高宕山の山頂
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