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退却!
崩壊中の斜面を引き返す
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ツバキの長いトンネルを抜けると御殿山だった…
《マイカー利用》 …高宕山登山…休暇村「館山」(泊)-《車30分》-増間ダム下駐車場〜大日山登山口〜大日山333m〜宝篋山〜鷹取山350m〜御殿山364m〜大日山〜坊滝〜増間ダム〜駐車場… 【歩行時間:
4時間10分】
→ 地理院地図(電子国土Web)の該当ページへ
休暇村「館山」の7時半からの朝食をのんびりと摂ってから出発する。カーナビに従って県道88号線(富津館山線)を北上していると、前方に伊予ヶ岳の岩峰が大きく見えてきた。右折して県道89号線(鴨川富山線)を東進し、山田バス停のある辺り(東星田)を更に右折して細い道へ入る。間もなく道は行き止まりになり、そこに2〜3台が停まることのできる駐車スペースがあった。しかし、なにか様子がおかしい…。
身支度をして、道なき道を南へ歩き始めると、ブルドーザーが稼働中の荒れた斜面へ出た。慌てて戻って、薄汚れた案内板を目を凝らしてよく見ると「この先地すべり発生中・立入禁止」と書いてある。案内図のようなものは全く判読不明だ。さて、困った…。
「とりあえず行ってみるか!」 と妻の佐知子を促して、地形図と首っ引きで進むべき方向へ進んだ。トレース(踏み跡)は全くない。地すべり中の崩壊斜面が行く手に立ちはだかり、佐知子はかなりビビッている。歩けそうなルートを探しながら慎重に攀じ登る。
高低差にして100メートル近くも登って小ピークに着いたが、辺りを見回しても山道らしきものはない。倒木や崩落中の泥壁や深い藪が行く手を遮り、多少の危険も感じた。佐知子の表情があきらかに「ノン!」と云っている。これ以上は根性無しの私達には進めそうにない。もはやこれまでだ。地元の登山情報を事前によく確認しなかったのを後悔したがもう遅い。すごすごと引き返した。
やや遅れてマイカーに戻ってきた佐知子が 「暖かい斜面だから、ほら、もうこんなに…」 と両手いっぱいのフキノトウを見せてくれた。彼女は転んでもただでは起きないタイプだ。
ここから少し西側の高照禅寺駐車場からの山道ならばなんとかなると思ったが、この際きっぱりと北側からのアプローチを断念して、南側の大日山登山口から登ることにした。
というわけで前置きが長くなってしまいましたが、これからが本当の山行記録です。(^^ゞ
車でぐるっと回り込んで、県道258号線(富山丸山線)沿いにある南房総市(旧・三芳村)の、トイレもある大きな増間ダム下駐車場(無料)から、気を取り直して歩き始めたのは午前10時30分頃だった。1時間半ほどのタイムロスだったが、なにか貴重な体験をしたような気もして、それほど腹は立たなかった。大好きなフキノトウもゲットできたし…。御殿山登山の後に予定していた伊予ヶ岳の同日登山をあきらめれば、時間的には充分な余裕もあった。登山口付近の明るい南斜面の道端では、なんと(1月だというのに)もうタチツボスミレが咲いていて、私達をやさしく山路へ案内してくれた。
照葉樹林を登る
大日山の山頂
御殿山(オッパイ山)
ツバキのトンネル
御殿山の山頂部
増間ダム
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竹林や杉林を過ぎるとスダジイ(イタジイ)、マテバシイ(トウジイ)、ウラジロガシ、アカガシ、タブノキ、モミなどの、当地の鬱蒼とした自然林(極相林)が続く。擬木造りの手すりやベンチなどが整備されていたり、道沿いの主だった木々には樹木名を書いた札がぶら下がっていたりして、この道が“遊歩道”であることを納得する。中層から低木層にかけてはヤブニッケイ、ヒサカキ、トベラ、アオキなどが茂り、これに落葉樹のハゼノキ、カラスザンショウ、イタヤカエデ、ヤマザクラ、コナラ、イボタノキ、アカメガシワ…などが交じる。とてもいい気分の林相だ。
歩き始めてから丁度1時間後に、大日如来の石像や石碑や四等三角点のある大日山の明るい山頂に着いた。南西の方向が大きく開けていて、近くの山並や館山湾の辺りが大パノラマになって見えている。薄晴れの空で遠望は利かないが、備え付けの立派な展望図の説明によると、晴れ渡っていれば伊豆の島々や富士山なども望めるという。植栽されたものだと思うが、数株の桜の木がでんと立ち並び、足元には水仙の花が今を盛りに咲いている。なんとも心地よい空間だったので、ここで大休止にした。
コンビニのおにぎりで腹を満たしてから、更に主稜線を北上する。ここから御殿山へ至る道筋は国土地理院の地形図には載っていないが、山道は整備されているし道標もしっかりとしているので、道迷いの心配は全くない。
大日山から少し下った処に飛行機墜落の「慰霊塔」なる古い石碑があったが、いったいどんな“事故”だったのか…。私達が使っているガイドブックではそのことに関しては一切ふれていなかったが、帰宅後に閲覧した南房総市サイトの片隅には“昭和16年5月29日に墜落した練習機の海軍航空兵3名が全員殉職した…”ことが説明されていた。擦れて殆ど読むことができない碑文だけでは、山旅中の、しかも“戦争を知らない子供たち”の私達には、その深遠を理解することは不可能だ。
そう云えば終戦の頃、この三芳村は本土決戦に備えての“桜花・人間爆弾の特攻機”の基地だった、とも聞く…。(海軍航空兵3名が殉職した練習機の事故も)悲しくてきつい歴史的な出来事だった、と推測するしか私達には手はないが、それらのことはもっとアッピールされてもいいのじゃないかな、とも思う。所詮“よそ者”の無責任で浅はかな思いつきかもしれないが…。
畑集落からの林道経由の山道が右から合流する。そしてなだらかに登り返すと立派なマテバシイが並び立つ宝篋山(ほうきょうざん:宝篋塔山、宝篋印塔山、法経山、などとも記される)の、荘厳な感じの平らな山頂だった。鬱蒼とした山頂部中央には、その山名の通り立派な宝篋印塔があった。大日山で大休止したばかりなのであっさりと通り過ぎたが、一休みしてじっくりと辺りを観察してみるのも一興だったかもしれない。
右側がスギ林で左側がヒノキ林の尾根道を暫らく進むと、いよいよツバキ類が目立ってきた。樹林の隙間から行く手の御殿山が、オッパイ山の別名に恥じない艶っぽい山容を見せている。
その昔、源頼朝が鷹狩りをしたという鷹取山の地味な山頂を確認してから、ツバキのトンネルを下る。落ちている花びらを見て、「あれっ? サザンカみたい…」 と佐知子が云っている。なるほど一枚一枚別々に落ちている。どうやら自生種のヤブツバキだけではなくて、ツバキ属のいろいろな樹種を(園芸種も)植えたようだ。サザンカ系の花は殆ど散っているようだったし、花期の遅いヤブツバキの花は蕾もまだ硬いものが多くて、今がその旬の狭間だったようだ。少し咲いていたのはカンツバキ(サザンカ系)だったのかもしれない。総合的に判断して、この地のツバキの花の見ごろは、多分、3月ごろじゃなかろうかと思われた。
そうは云っても、昭和42年頃から植え始めたという約200本のツバキ類は壮観だった。ため息をつきながら丸太階段を登り返して、そのツバキの長いトンネルを通り抜けると東屋があって、その奥が御殿山の山頂だった。
御殿山の山頂部(乳首)の正体が巨木群の樹冠であるということはガイドブックなどにも書いてあったので驚かなかったが、それらの株立ち状の幹の太さは予想以上のものだった。1株の大きなスダジイと、やはり大きくて太いマテバシイが4株、それと普通サイズ(中くらいの大きさ)のマテバシイが2株…がその正体だった。そしてその薄暗い林内に三等三角点や石祠や石碑などがある。通過してきた宝篋山の山頂とも植生などは似ているが、もしかしたらその昔、救荒食用に植栽したものがそのまま大きく育ったものではないかな、と推測した。マテバシイやスダジイの堅果(どんぐりの実)はそのまま食べてもけっこう美味しいのだ。
東屋に戻って、ここからの展望も楽しむ。南房総市の説明によると、御殿山の名の由来は “日本武尊が東征して安房を平定したときに、四方が一望できるこの山頂に御殿を設けた…”
ことによるらしい。東京湾方面や太平洋側も開けていて、なるほど素晴らしい眺めだ。富山(とみさん)の双耳峰や伊予ヶ岳の岩峰などの風景が特に印象に残った。山頂直下の西側斜面にはサクラの木も植えられていた。
復路では、大日山から少し下った分岐を右へ折れて、増間七滝のなかで最も大きいという坊滝を見物してみた。季節がら水量が少なくて高低差23メートルもある割には貧弱な感じだった。初夏などの水の季節や大雨の後などは、きっと荘厳な感じの滝なのだろうと思う。増間林道を下る途中にも、その他の増間七滝へ下る道標が出ていたが、滝へ下る道が荒れていたようだったし、疲れていたこともあり、今回はパスした。
ひっそりとした増間ダムの湖面を左に見下ろしながら更に林道をダラダラと下り、駐車場へ戻り着いたのは午後4時少し前だった。ここから東京への帰路は、これまた最新式のカーナビのおかげで、専属運転手の私はプレッシャーを感じないで済むのがいい。何処を如何走っているのかは分からなかったが、沿道には水仙や菜の花が今を盛りに咲いていた。特に水仙の群落がいつ果てるともなく続く山里の景色は、大いなる目の保養になった。
帰宅するなり、佐知子が台所に向かってフキミソ(フキノトウの味噌和え)を作ってくれた。フキノトウの早春の苦さが口いっぱいに広がり、ここでもまた私達は幸せな気持ちになれた。
公共交通機関を利用して御殿山: この後(H24年3月)、山田中バス停から南へ縦走しました。
館山温泉・休暇村「館山」: 南房総館山の洲崎灯台近くの海岸沿いに建つ、“海の幸”が自慢の温泉リゾート。ロビーも風呂場も各部屋も、窓の外は海。その海の彼方には三浦半島や丹沢山地や富士山が望め、右手の近景には鋸山や富山などの当地の山々が連なる。千葉県南部の海岸線の旅は勿論のこと、富山や伊予ヶ岳や御殿山などへの山旅にもお勧めの宿だ。風呂は内湯・外湯とも石タイル貼り。泉質はナトリウム・塩化物冷鉱泉。無色透明無味無臭、加熱、循環。
毎日ロビーで行っている「おさかな市場」には地元の新鮮な魚貝類が並び、そのなかから選んだ食材を好みの調理方法でその日の夕食に出してくれる。別料金だが、なかなか面白い試みだと思う。最低料金の食事コースを予約して、当日好きな食材を選んだほうが楽しみが多いかもしれない。「海ほたるの発光鑑賞会」、「天体観察会」、「朝の海岸散歩会」など、いろいろな(無料)イベントを企画していて、今どき元気で若々しい宿泊施設だと思った。平日ということもあり、この日の宿泊客の殆どは中高年だったが…。
休暇村「館山」のHP
御殿山の山頂
↑鬱蒼としたマテバシイ林
御殿山山頂からの展望
↑左奥は富山・右奥は伊予ヶ岳↑
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坊滝
後日(H24/03/04)撮影
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公共交通機関を利用して 御殿山
平成24年(2012年)3月4日・11日
御殿山の山頂部にて
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羽田空港国内線第2ターミナル7:45-《リムジンバス35分》-8:20木更津8:35-《JR内房線》-9:38岩井駅10:10-《バス》-10:30山田中〜峰林山(大黒様)〜御殿山〜鷹取山〜宝篋山〜大日山〜坊滝〜増間ダム下〜滝田郵便局前15:41-《バス》-16:15館山駅16:30-《高速バス・房総なのはな号》-18:26東京駅(打ち上げ)… 【歩行時間:
約3時間30分】
「山歩会」の春の定例山行に房総の御殿山を選びました。下見は私一人で3月4日、本番は1週間後の11日で、何れも日曜日でした。
ややこしくて厄介な公共交通機関でしたが、車窓からの景色を楽しんだりして、それはそれでとても楽しかったです。現地の乗合バス(岩井駅〜山田中・滝田郵便局前〜館山駅)は、行きの午前も下山後の午後もこれっきゃないという便で、小さめなバスでしたが、幸いにも私たちの貸し切り状態でした。交通の遅れも殆どなく、なんとかオンタイムで歩くことができました。
房総では12月〜2月がその花期といわれる里の水仙がけっこう咲き残っていたり、フキノトウやツクシも未だたくさん出ていたり、梅の花は例年の1ヶ月遅れで二部〜四分咲き、河津桜も咲き始めでした。菜の花やスミレやオオイヌノフグリは(ほぼ季節のマニュアル通り)満開だったり、ツバキが中途半端に咲いていたり…、早春と盛春が同居している、不思議な今年の春です。東京辺りもそうですが、今春は“ウメ→コブシ・モクレン→サクラ”の連続花見ショーになりそうです。一説によると、関東地方は27年ぶりの遅い春とのことです。
総勢13名の(3月11日の)本番の日。なんと、道案内役の私が宝篋山からの下山口を間違えてしまい、畑集落へ至る林道へ下ってしまいました。 時間も押していたので、そのまま林道をだらだらと下って、畑から滝田バス停まで県道を歩きました。こちらも穏やかな里山の風景で、下見で歩いた予定の下山コース(→大日山→坊滝→増間ダム下〜)と遜色はないのですが、坊滝見物がスポイルされたのは申し訳なかったです。なんのために下見に行ったのか、ここでもまた私の面目丸つぶれです。トホホ。
その日の午後2時46分。静かな里道を歩いていた私たち一行は、全員立ち止まって、北へ向かって黙とうをささげました。
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