「私達の山旅日記」ホームへ

No.25 大福山から梅ヶ瀬渓谷
平成8年(1996年)3月9日 薄晴れ


この地にこんなによい処が・・・!

小湊鉄道線・上総大久保駅〜梅ヶ瀬〜大福山295m〜(梅ヶ瀬渓谷)〜女ヶ倉〜養老渓谷温泉(泊)〜弘文洞〜養老渓谷駅 【歩行時間: 第1日=4時間10分  第2日=1時間40分】
 → 国土地理院・地図閲覧サービスの該当ページへ


大福山の展望台から房総丘陵を眺める
大福山展望台からの眺め
  大福山(別名カブト山)で房総丘陵の展望を楽しんだ後の、女ヶ倉(あまがくら)辺りまでの沢沿いの遊歩道(梅ヶ瀬渓谷:歩程約1時間)が、案外良かった。 千葉県にもこんな処があったのか、というほどの静かな渓谷。 新緑や紅葉の頃はかなり良いところだと思う。
  大福山から「もみじ谷」を約20分下ると梅ヶ瀬渓谷に至るのだが、この渓谷を少し溯ると明治の漢学者・日高誠実(*)の邸宅跡へ出る。 こんな山奥に暮らしていたの? と思えるほど人の気配のないひっそりとした空間だ。 訪れる人も少ないのだろう。 少し荒れてはいたけれど、イロハモミジの巨木など、なかなか風情のある処だった。
  渓谷を歩いていると侵食崖が所々現れる。 ここの岩質は脆い感じだけれど、砂岩とか泥岩とかじゃなかろうか、などと、にわか地質学者を気取りながら、ゆっくりと下った。 女ヶ倉辺りからアスファルト道を歩き、この日は養老渓谷温泉に宿をとった。
  翌日は、弘文洞跡の岩壁を見物したり、出世観音を参拝したりして、養老渓谷を散歩した。 二日間とも、ほとんど人には出会わなかった。

養老渓谷温泉「養老館」: 含沃素重曹食塩泉、茶褐色、加熱、浴槽の上部だけ檜造り、入浴は夜10時30分迄。 風情のある檜風呂は平安風呂と名づけられている。 アクリル製の透明な渡り廊下の足元には錦鯉が泳いでいた。 料理も美味しく、宿泊料金(週末一泊二食付き一人13,000円)の割には良い宿だと思った。
* 9年後の後日談: 「元祖養老館」と屋号を変えたらしい。 宿泊料金はそれほど変わってはいないようだ。 ということは、何処も彼処も安くなっている昨今、相対的に高くなってしまった、ということかもしれない。 伊豆と較べた房総の良さが、またひとつ、なくなりつつあるようだ。 [H17年2月現在]
* そのまた後日談: まさか本頁の影響ではないと思うけれど、その後、宿泊料が若干安く設定されたようだ。 今度また行ってみようかなぁ〜。 (^^ゞ [H22年12月]
* そのまたその後の話: 「元祖・養老館」は閉業したようです。 「鐘が鳴る丘ひまわり自立支援センター養老館」となって、日帰り入浴のみの施設となった模様です。 あのきれいな錦鯉はどうなったのかなぁ。 “時の流れ”を感じて、なんか、やっぱり悲しい…。 [平成23年9月]

*** コラム ***
日高邸跡(梅ヶ瀬書堂跡)のその後 [後日追記]

  日高誠実(ひだかのぶざね・1836-1915)は九州高鍋藩出身の教育者で、勝海舟、山形有朋、伊藤博文等とも親しく交友したという明治の偉人です。 50歳で退官した晩年、理想郷梅ヶ瀬を建設すべくこの地に居を移し、植林・養魚・畜産等に力をつくすかたわら梅ヶ瀬書堂を開校し、近郊在住の師弟に国漢・英数・書道・剣道等を教授し有為な人材を育成した…、とのことです。 梅の花が好きだったそうです…。 …そういえば、私の祖母(千葉のおばーちゃん・もうとっくにこの世にいない)も梅の花が好きだったなぁ…。
  私達夫婦がこの地(日高邸跡:梅ヶ瀬書堂跡)を訪れたとき(平成8年3月)は、実際、「えっ、ここが…?」 というくらい荒れていました。 このページをアップしたのは平成12年(2000年)1月のことですが、その頃は“日高誠実”でサイト検索しても全くヒットしませんでした。 “今は昔”の話ですが…。
  その後…、この地を地元の有志の方々が中心となって整備されたようです。 「平成11年11月23日、書堂跡、大福山展望台、養老渓谷駅前の3箇所に顕彰の碑が建立除幕されました・・・」 とのことで、嬉しい“その後”の情報です。 [平成20年12月・ネット検索などの情報をもとに記述しました。]


ひっそりとした小湊鉄道の上総大久保駅
上総大久保駅
郷愁を感じさせるひっそりとした駅
ふれあいサンクチュアリー遊歩道
梅ヶ瀬渓谷
バックは「日高邸跡」
弘文洞跡の岩壁
弘文洞跡(養老渓谷)

このページのトップへ↑
No.24-2「猿橋駅から岩殿山」へNo.26「妙義山」へ



ホームへ
ホームへ

ゆっくりと歩きましょう!