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No.286 金冠山から達磨山(西伊豆)
平成23年4月16日 晴れでも春霞 マイカー利用

金冠山と達磨山・略図
まるでゴルフ場のフェアウェイ
金冠山へ向かう

富士山の周辺に自生するのでフジザクラとも云います
下向きに咲くマメザクラ

開放的な空間です
金冠山の山頂

超満開でした
アセビのトンネルへ

両側のほとんどは笹原です
達磨山へ向かう

あっ、富士山だ!
達磨山の山頂


まるで天国のプロムナード

《マイカー利用》 東名高速道路・沼津I.C-《車65分》-だるま山高原レストハウス駐車場〜(富士見コース)〜金冠山816m〜戸田峠〜小達磨山890m〜達磨山982m〜戸田峠〜(きよせの森渓流コース)〜だるま山高原レストハウス駐車場-《車15分》-修善寺温泉(入浴)-《車50分》-沼津I.C… 【歩行時間: 3時間20分】
 → 地理院地図(電子国土Web)の該当ページへ


  富士山の好展望台(伊豆三絶のひとつ)としても、マメザクラやアセビの自生地としてもつとに有名な、西伊豆の北側に連なる山稜(伊豆山稜線歩道の北端部)を、その花の盛りの4月中旬に、山の愉快な仲間たち3人と歩いてきた。 この地は殆ど観光地化していて、西伊豆スカイラインが近くを走っていたりするのが興醒めだ。 しかし…、この日はポカポカとしたシーズンの土曜日だというのに人影がやけに少なかった。 先月の東日本大震災の余波だと思うと、私たちの笑顔もつい曇りがちになったのだが…。

  東名高速道路の沼津インターから修善寺経由で1時間強、だるま山高原レストハウスの閑散とした駐車場に車を停める。 ここは既に標高約630mだ。 午前9時10分頃、まず金冠山(きんかんざん・816m)を目指して、道標に従って富士見コースへ入る。 木々は芽吹き、キブシ(木五倍子)はクリーム色の花穂を垂れている。 マメザクラ(豆桜:別名フジザクラ)は標高が高くなるにつれて蕾だけの個体が増えてくるが、概ね一分から八分咲きといったところで見ごろを迎えている。 そして、アセビ(馬酔木)の木には白く小さな壺状の花が鈴なりについている。 足元にはスミレの類も咲き乱れ、今、この地は“旬”の真っ最中だ。 現金な奴らだと思われてもしょうがないが、私たち4人は既にうきうきと、もう夢見心地だった。
  しかし春霞だ。 横山大観もこの地から好んで描いたというが、北の方向にあるはずの富士山は、雑木林を抜け出ても、見えそうでなかなか見えない。
  防火帯を兼ねているらしいが、ゴルフ場のフェアウェイのような、広く明るい野芝の道をゆっくりと進む。 辺り一面はササ草原(ミヤマクマザサとアマギザサ)で、マメザクラやアセビの他には雄花序を垂らしているヤシャブシ(夜叉五倍子・カバノキ科ハンノキ属)が所々に目立って群れている。 今朝方まで降っていた雨露を含んで淡黄色く咲いているのはダンコウバイかな。 否、新葉と同時に咲いているのでヤマコウバシかカナクギノキかもしれない。 ドウダンツツジも可愛らしい壺状の白花を静かに垂らしている。 ここでは常緑低木のイヌツゲは、まだ花期に早いせいもあるが、とても地味に見えてしまう。 リョウブは案外と少ないようだ。 762mのピークを越し、近景の展望などを楽しみながら登り返すと、近くに電波塔が立つ金冠山の山頂だった。
  金冠山の山頂は360度の展望だったが、駿河湾越しの富士山はやはり春霞の中だった。 サーモスの熱いコーヒーを飲んだりマーブルチョコレートを口に放り込んだりして、まったりと時を過ごす。 それから戸田(へだ)峠までいったん下り、草尾根をさらに南進する。 風が強かったが、相変わらず抜けそうに開放的な空で、気分はすこぶる良い。
  実際、まるで天国へのプロムナードを歩いているようだ。 足元の(ニオイ?)タチツボスミレやミヤマカタバミの花を見ていたら、その傍を赤紫色に輝く甲虫のオオセンチコガネがシカの糞を転がしている。 仲間の一人がちょっと悪戯して指で突いたら、ひっくり返ったオオセンチコガネは動かなくなり、死んだふりをしていた。 がさっと音がしたのでふと前方に目をやると、ササ原にいた3頭のシカが私たちの笑い声に驚いて跳ね上がって逃げていく。 さらに進むと道の真ん中に大きなヒキガエルがじっとしている。 春爛漫だ! 私たちは素晴らしい季節に素晴らしい尾根道を歩いている。
  「この山域では、多分、毒があるからシカが食べないアセビが繁茂しているんじゃないかな。つまりシカがアセビを守っているのさ」 という私の説明を、みんな(何時もの通り)しら〜と聞いている。 それにしても高木の少ないササ原の山稜だ。 シカが増えすぎたのと関係があるのかな。 火山性の地質(達磨山火山)による痩せた土壌が原因かな。 駿河湾を渡る強い西風が原因かな。 それとも過去の度重なる伐採や火入れなどによる人為によるものなのかな。 …と、私の興味は尽きない。
  小達磨山890mを越え、丸太の階段を登り返すと1等三角点のある達磨山(だるまやま・982m)の山頂で、ここもすこぶる展望がよい。 西の眼下には戸田港方面が見えている。 昼食が済んで記念写真を撮っていたとき、日が射して一層明るくなり、ぼんやりと大きな山々の連なりが南東の方向に見えてきた。 「あれって天城山方面じゃないの」 などと云っていたら誰かがその反対方向を指さして 「富士山だ!」 と叫んだ。 薄ぼんやりと、ほとんど“心眼”の世界だが、銀色にきらめく富士山が白い靄の中に辛うじて浮かび上がっている。 「うわ〜、やっぱり富士山は大きくてかっこいいね」 と大喜びの私たちだった。
  徐に踵を返して来た道を戻り、戸田峠からは「きよせの森渓流コース」を辿ることにした。 しかし道標が不親切なこともあり、その入口がちょっと分かりずらい。 地形図とも首っ引きで辺りをウロウロして、ようやく小さな道標を見つけてホッとする。 芽吹きのモミジ類などが茂る北又川源流(狩野川の支流)の沢道で、今までの底抜けに明るい草尾根に慣れた目には随分とシックなコースに感じた。 ここにもマメザクラやアセビがけっこう咲いている。 背の(異常に)高くがっしりとしたイヌツゲが珍しく、なまめかしい赤茶色の幹が印象的なヒメシャラも元気よく育っている。 まだ盛りの赤い花をつけているヤブツバキがあちこちにあったのには感動をさえ覚えた。
  「ヤブツバキは日本にとても縁のある樹木で、学名もカメリア・ジャポニカと云うんです。世界に数多くある園芸品種の基本種なんですよ」 と説明する私の声もトーンが上がる。 私はツバキの花を見るといつもデュマの名作「椿姫」を思い出して、ついでに泉鏡花の「婦系図」→「湯島の白梅」という経路で、それらのラストシーンを思い浮かべてウルウルしてしまうのだ。 山仲間たちは私の話はあまり聞かないで、清らかな沢の流れにたくさん浮かんでいるヤブツバキの落花を見て、「オッ、椿三十郎だ!」 とはしゃいでいる。
  だるま山高原レストハウスの駐車場に清々しい気持ちで戻りついたのは午後2時頃だった。 帰路に立ち寄る予定の修善寺温泉もとても楽しみだ。

* 達磨山(だるまやま)の山名について: 山頂にある石碑「山岳の誌」によると、山名の由来は東西いずれから見てもその姿が座禅した達磨大師に似ていることによるとのこどだった。 別名を万太郎岳とも云い、天城山の万二郎岳、万三郎岳と並び、天城三兄弟峰の一座になっているそうだ。

筥湯(はこゆ):右側は展望塔「仰空楼」 修善寺温泉「筥湯(はこゆ)」: 修善寺温泉の由緒ある外湯を、新しい観光施設として平成12年2月に復興させた共同浴場。 修禅寺のすぐ近く、温泉地の目抜きに建つ。 シンプルで大きな総檜造りの浴槽が何ともいい感じ。 シャンプーなどは置いていないので(必要な人は)受付で購入するか持参することになる。 泉質はアルカリ性単純泉、無色透明のさっぱりとした湯。 半循環。 入浴料は350円とかなりの割安だが、近くの民間駐車場は有料(400円)。 営業時間は12:00〜21:00。 気分のとても良い、お勧めの日帰り温泉施設だ。 [筥=箱]
* 入浴後、近くの茶店でクリームあんみつを食べたり、路上で演奏するきれ〜なお嬢さん(Kaori)の切れの良いアコーデオン演奏を聞いたり、「わさび漬け」や「黒米」などのお土産を買ったりして、観光気分も楽しんだ。
  余談だが、都内で解散したときに今回の交通費の合計(ガソリン代+有料道路代)を計算したら約1万円弱(4人だったので一人分だと約2400円)だった。 新幹線とバスを利用したときの一人分よりもずっと安い。 思わずほくそ笑む私たちだったが、なんかおかしいねぇ〜、とも話し合った。



山稜はアセビ(馬酔木)の花盛り!
金冠山への山稜にて   白く小さな壺状の花を鈴なりに垂らしています
日本に自生するツツジ科の常緑低木: 有毒植物で、葉を煎じて殺虫剤に…
オオセンチコガネ(大雪隠小金)
シカの糞を転がしているところです
ウンチコガネと云う人もいます (^^ゞ
死んだふりをしています
ひっくり返っても美しい…



*** コラム ***
あの日の翌朝のこと

スミレ あれから1ヶ月半が過ぎましたが、何となく不安で、なかなか抜けきれませんね、やっぱり…。

 私が今でもよく思い出すのは、じつはその翌朝(3月12日)のことです。出勤日だったので東京都大田区内のいつもの駅から電車に乗りましたが、なんといいますか、そのときの乗客たちも道ですれ違う人たちも、みんながそれぞれ見つめあって、お互いの心を通わせていたような気がしたのです。
 今まではいつも、お互いを全く無視しあうといった、つまり都会の日常風景だったのですが…。この非常時に同じ日本国にいるという、“経験”と“思い”を共有したことによる連帯感のようなものを、そのときは雑踏と喧噪のなかで強く感じたのです。
 そんな(連帯感のような)気持ちを感ずるなんて、それこそ想定外でした。きっと、同じ戦争を体験した人生の先輩たちに共通する“思い”と似通ったものがあったのかもしれない、と思いました。

 東日本大震災以降、何かが終わって何かが始まったような、そんな気がしてなりません。

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