No.37 赤久縄山(あかぐなやま・1522m・西上州) 平成8年(1996年)12月21日 |
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《マイカー利用》 関越自動車道 本庄・児玉 I.C…御荷鉾スーパー林道の赤久縄山登山口より山頂往復 【歩行時間: 約1時間】 |
*** コラム *** * 高尾山のジレンマ: 私が電車を利用して高尾山(空気のよい処)へ行く場合、新宿駅構内等の混雑した場所(空気の悪い処)を通過しなくてはならない。仮にマイカーを利用したとしても人工物と排気ガスだらけの道路を通らなくてはならない。つまり、自然に会いにいくために超人工的な(不自然な)領域を通らなくてはならない。これが高尾山のジレンマだ。別に高尾山じゃなくとも、都会に住む私にとってはすべての山(自然)があてはまるのだけれど…。 * 赤久縄山のジレンマ: 文明の利器(自動車やケーブルカーなどのこと)を使って行けるところまで行って、そして歩くのが自然だ、と私は思ってしまう。車で行けるところを何も歩かなくてもいいじゃないか、という理屈である。歩くのは目標に到達するためで、歩くこと自体を目的とはしたくないのだ。目標に向かって歩いている属性に、きれいな空気や美しい景色があるのだと思いたいのだ。しかし、歩かなくてはその山の本当のよさが分からないとしたら、麓から歩いた方がいいのかもしれない。つまりこれが赤久縄山のジレンマである。これも、別に赤久縄山でなくとも、「伊吹山のジレンマ」でも「筑波山のジレンマ」でも、もう一度高尾山に登場を願ってもいいのだが…。 * 尾瀬のジレンマ: 自然が好きで自然を大切にしたいのだけれど、歩くと自然破壊になってしまうという。つまり山歩きと自然保護の間に横たわる古典的なジレンマである。これはすべての山に当てはまるけれど…。 * 平ヶ岳のジレンマ: 認められていないショートカットの登山道を歩けば楽なのだが、矢張り「正道」を歩くべきなのか、といった「コース取り」に関するジレンマ。これも平ヶ岳以外にもけっこうある。 * 富士山のジレンマ: 高い山に登ってみたいけれど高山病が怖い、というのが第一義。別の意味として、有名な山なので少なくても一度は登らなくてはいけないと思うけれど、できたら登りたくない、というような場合にも用いる。 * 八海山のジレンマ: 登りたいけれどギックリ腰(体調絶不調)という、私の個人的で経験論的なジレンマ。私自身の健康管理不十分のせいで、八海山には特に罪は無い。 私は哲学者ではないので、当然この話には結論はない。東京に住む軟弱な私がこれからも山歩きを趣味として続けるかぎり、多分ずっともち続けるジレンマだと思う。 ただし、私には「山歩きのジレンマ」に対抗する概念というか理念というか、はある。それは 「家の外へ出ること、それ自体がとても良いこと」 というアウトドアーの真髄だ。 [平成17年12月追記] * ご意見ご感想は当サイトのBBS(掲示板)をご利用ください。 |