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No.506 枡形山84m(生田緑地) 令和8年(2026年)10月21(水) |
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→ 地理院地図の該当ページ(枡形山)へ 近所の図書館で借りてきた「新装版・東京まちなか超低山・都会の名山100を登る:中村みつを著(ぺりかん社・2018年3月15日初版)」を読んでいて、最終章(第4章・少し足を伸ばして郊外へ)の中の「枡形山」の項に目が留まった。枡形山(ますがたやま)は神奈川県川崎市多摩区(川崎市の北西端=多摩丘陵の東部)に位置する標高84mの低山で、日本民家園やプラネタリウムなどのある生田緑地内にやさしく聳えている。そしてそのすぐ東側には、かつて向ヶ丘遊園があった。私が子供のころに(あぁ、もう70年も昔のことだ)両親に連れていってもらって大喜びをしたことのある、あの向ヶ丘遊園だ。私が親になったときにはまだ小さかった子供たちを連れて、購入したばかりの黄色いチェリー(日産の小型自動車です、念のため)を運転して、何回か遊びに行ったこともある、思い出深い生田緑地や遊園地でもある。…その向ヶ丘遊園は「花と緑の遊園地」として親しまれたが、平成14年(2002年)に惜しまれつつ閉園した、とのことだ。向ヶ丘遊園は、今は小田急線の駅名として残っている。 「生田緑地に枡形山なんて山があったっけ…?」などと、急にとても懐かしくなって、空の高い秋晴れの日に、妻の佐知子と出掛けてみることになった。 小田急小田原線の向ヶ丘遊園駅の南口改札を出たのは午前9時頃だった。ガイドブックに書いてあった通りのルート(反時計回り)で入山しようと思って、廣福寺のある「くらやみ坂」方面(西)へ向かって歩き出す。専修大学キャンパスのある方向でもあるので、その学生と思われる若者たちがぞろぞろと歩いている。しかしそのうち辺りは静かになって…それらしい道標も無いので…いい加減に歩いていたら、今どこを歩いているのかわからなくなってきた。 立ち止まって、何時もの私達の必須アイテム・地理院地図の(1/25000)地形図のコピーとコンパスを取り出して、早くも緊急夫婦会議。…しかし、やっぱりなんだかよくわからない。そう、今いるここが何処だか分らないのだから、地図を見たってコンパスを見たって、わからないものは分からないのだ。※ここでスマホの地図アプリを活用すればよかった、とあとになってから気が付きましたが… (^^;) で、適当に当たりを付けて、多分枡形山方面だろうと思われる小高い緑の丘を目指してみる。すると立派な看板が出てきて、それには「生田緑地長者穴口」と書いてある。それはつまり枡形山の北口登山口のことで、何故か、私達は下山地に予定していた登山口から入山することになってしまったのだ。…20分程度のアルバイトだったわねぇ。まぁでも、どっちから歩いたって同じようなものだから…、あははぁ~、と顔を合わせてお互いに笑ってごまかす私達だった。 よく整備された遊歩道の階段を登り始めて間もなく、「生田長者穴横穴墓群」と題した川崎市の解説板が目についた。7世紀に築造された横穴墓群とのことだが、どうやらこの辺りはこの地域を治めていた豪族の墓があった処であるらしい。階段を登りながらきょろきょろと両脇を見たけれど、それらしい横穴みたいなものがあったような…、じつは草茫々なこともあり、気合がイマイチだったこともあり、よくわからなかった。足元にはコナラとクヌギの堅果(どんぐり)がたくさん落ちている。 ★ 生田長者穴横穴墓群について、詳しくは川崎市教育委員会の該当ページを参照してみてください。 長者穴口から10分ほども登っていくと枡形山の手前のピーク・標高80mの飯室山(いいむろやま)の東屋に着いた。中に入ってみると、その右奥が東側の開けた展望台になっていて、都心方面のビル群などがよく見えている。目を凝らすと、スカイツリーや東京タワーも見えている。早くもこんなご褒美(大展望のこと)をもらって、ほくそ笑む私達だった。ア-モンドチョコレートを食べながら飲む…インスタントコーヒー粉をサーモスの熱々の湯に溶かしただけのものだけれど…ホットコーヒーが旨い。 飯室山の東屋から、コナラやクヌギなどの雑木林を5分ほども下って登り返すと、枡形山84mの山頂広場に出る。「東西130m、南北80mの平坦地」とのことで、思ったよりもかなり広く、所々にケヤキやサクラの大木が植えられてある。驚いたのはここにある展望台だ。両側に張り出した広い東屋のような休憩所の中央に、高さ15mの建物(展望台)があって、なんと、この櫓(やぐら)のような建物にはエレベーター(無料)がついている。 私達は展望台のエレベーターを使わずに階段を上って、360度の大展望を楽しんだ。西面には奥多摩や丹沢の山々も見えていたけれど、生憎と富士山は雲の中だった。 ★ 枡形山について(補足): 川崎市教育委員会の該当ページ(枡形城址)の記述によると、枡形山の山名由来について、四方は容易に寄りつけないような断崖で囲まれた要害の地をなしていることから(地形が枡の形に似ているところから)、枡形山と呼ばれたのではないか、とのことです。 なお、この枡形城は鎌倉時代に、源頼朝の重心(侍大将)であった稲毛三郎重成が城を構えたと伝えられています。枡形城址の広場の入口には枡形門という名の冠木門が構えていて、城というより砦のような感じだ、と中村みつを氏はその著書に書かれています。 子供のための遊具や立派なトイレや飲物の自販機などもある…片隅に生っていたモッコクの赤い実が印象的な…枡形山の山頂部(展望台や山頂広場)でたっぷりと時間を過ごした。それから徐に枡形門を潜って下って、枡形山の南側に位置する生田緑地の中央広場へ出てみて、私達夫婦は感動した。もう40年以上も昔、まだ小さかった子供たちと一緒に見学した思い出のあるプラネタリウム(宙(そら)と緑の科学館内)やD51(デコイチ・蒸気機関車)の展示など…、今もあるんだ! それから日本民家園を正門から西門まで…入園料の(65歳以上は)一人330円を支払って…隅から隅まで見て回る。途中、民家園内の「そば処・白川郷」で美味しい蕎麦(民家園そば・950円)などを食したりして、まったりと時が流れる。 ★ 川崎市立日本民家園については、その公式ホームページを参照してみてください。 この枡形山の南側には、今回私達が訪れた中央広場(宙と緑の科学館など)や日本民家園のほかに岡本太郎美術館、しょうぶ園、野鳥の森、野鳥観察小屋、あじさい山、つつじ山、そして川崎国際生田緑地ゴルフ場(18ホールのパブリックゴルフ場)などがあり、そのゴルフ場の南東端には初山地区の自然公園もある。少し離れた東側には(向ヶ丘遊園のあった地に)川崎市藤子・F・不二雄ミュージアムや「ばら苑」などもある。…と、とにかく生田緑地は盛り沢山なのだ。 民家園の西門を出てからは生田緑地整備事務所の脇を通って、再び枡形山の大広場に出て、その片隅のベンチに腰掛けて、ここでも中休止。…距離にするとまだいくらも歩いていないけれど、もう、なんだかくたびれている…。 枡形山広場から道標に従って、多分こっちだという方向(ホタルの里方面)へ、丸太階段を下る。すると暫くして、平成5年に焼失したという戸隠不動尊跡地を通り抜ける。それから更に少し下って、分岐を左折してホタルの里へ入る。 ホタルの里は「谷戸」と呼ばれる谷底の湿地帯に位置している。沿道にツリフネソウが未だ咲いていたりして、その遊歩道歩きが何とも云えずシックでいい感じだった。で、思わず随分先まで…登り返したりして…ハンノキ林の先まで歩いてしまって、適当な処で引き返した。後から調べて分かったことだけれど、その道はグリーンアドベンチャーコース(トレッキングコース:約1km)の一部分にもなっていたようで、もう少し先へ進むと枡形山の山頂広場や民家園の西門に逆戻り、だったようだ。ふぅ~、まぁ、でも、それもよかったかも。…多分この生田緑地は、ある程度の「彷徨い」を奨励しているのではなかろうか、と推察した。 モウソウチクの美しい竹林脇を進むと、アスファルトの静かな露地へ出た。それから閑静な住宅街を道なりになだらかに下っていると、なんと、左に北野天神社、右に廣福寺の地点へ出た。あれぇ~、これが私達の当初に予定していた登り口の付近かも。と、ガッテンする。 そしてまず左側(西側)の階段を上がって“小山に建つ”北野天神社に参拝。そして戻って、右側(東側)の…銀杏が道いっぱいに落ちている(踏んだりするとかなり臭い!)…階段を上がって、真言宗豊山派の寺院・廣福寺をお参りする。道を挟んで向き合っている北野天神社と廣福寺。古くは韋駄天社とも云われた天神社は、じつは、廣福寺の守護神として祀られているという。神と仏が仲良く(向き合って)隣同士、なんて、それは全く日本的(神仏混交)な良心で、全世界に伝えたくもある、案外と由々しきことだと思う。 それから「くらやみ坂」を下って…、右折して…、14時30分頃、向ヶ丘遊園駅の南口へ(やっと)戻り着いた。…と、ここで初めて、今朝の道迷いの謎がスッキリと解明することになった。(^^;) この日は…私的には…雑木林に爽やかな風の流れる快適な一日だったが、都心の観測史上ではもっとも遅い真夏日(最高気温が30度以上)、だったようだ。 ★ 廣福寺: 慈覚大師により承和年間(834~848)に創建。枡形城主だった稲毛三郎重成の館跡ともいわれているそうです。 佐知子の歌日記より 丹沢や都心のビル群見渡して生田緑地を懐かしむ夫(つま) |