佐知子の歌日記・第五集
佐知子の短歌集3〜老いた二人の母〜
やさしい雨が降るばかり


「佐・知・子・だれ」澄んだ目の母 見る先は昔の影か今のまぼろし

あるならば義母の笑顔に贈りたいミセス大賞八十代の部

口飲みがトレンドだとは知らぬ母 ペットボトルのふたでお茶飲む

母たちの笑顔頼りに自転車で 環七
(かんなな)二国(にこく)池上通り

母に会い握られし手はあたたかと告げる君の目細くなりぬる

朝の九時行き交う介護の送迎車 遠くない日の我どこにいる

樹のみどり好む義母連れふるさとへ やさしい雨が降るばかりなり

うなずいてあとは居眠り車椅子 母は世の中見るをやめたか

自転車で三十分の老人ホーム 暑さを理由に行かず昼寝する

ゆっくりと母の名呼べば「はい」と云う 忘れていない貴重なことば

四十五分ひと匙ずつの昼を終え ごちそうさまの手を合わす母

運ばれし救命室に上掛けを ずれないように握りしめる母

黒飴によく似たボタンをなめようと 力の限りひきちぎる義母

母親に食べさせたいと君は云う アツアツ牡蠣のバターソテーを

ホームへは母の手編みのセーターを着て行くなんかあたたかくって

ゆるやかにほほえみうなずく母の目は この世の何を焼き付けてるの

残りたる義母の心のともしびの「ごめんなさい」が小さく聞こゆ

坂道の上り下りをくりかえし ペダル踏み込み母らのホームへ

「また来るね」に義母の返事はアウォーとう 魂の叫び背
(せな)にひびけり

哀れなるさけび声あげ座る義母 すべなき我らただ手を握る

まなぶたを閉じる力は弱まりて 左目いつもウインクの母

「ではまたね」に顔つきかたく下をむく 言の葉忘れた義母のまなざし

汗にぬれ徒歩二十分の胸元に 母の譲りのネックレス光る

まっすぐに我らを見つめうなだれる 義母のすべてのボディーランゲージ

母たちの見舞い帰りの夫と我 無言の時をただ分かち合う

この傾斜五年ののちは漕げるかな 陸橋を越え母の施設へ

おめでとうにただ頷いて目を閉じる卒寿の母は車椅子にいる

入院の義母の回復願う夕べ 西の空にはうす日が見えた

母たちの施設をめぐる猛暑日に ヒホヒホヒホと宇治金時を食う

もの言えずベッドにふせる義母の目に 花瓶の小花が映っている

胡蝶蘭に母の唇うずまりて 野の花が好きと言っているらし
(Tamu)

義母なくし十日の後の空青く ゴーヤの蔓は天へと伸びる

真向かいて「さっちゃんです」と言うわれを首をかしげて見つめいる母

一枝
(ひとえだ)を折りて青柿持ち帰り ふるさとをそっと義母に手向ける

ゴックリとぬるいココアを飲む母は「うっおいひぃ」と言ったと思う

確かめるようにじいーと我をみて「あらっ」という語を母は発する

 
義母のふるさとの今物語
追いはぎが出たとう山は崩されて 朝日をあびる老人ホーム建つ

かそかなる手触れに散れる雪柳 白い小花は妣
(はは)の涙か

歌う人手をたたく人集うなか 母は無言の音楽の時間

「甘い」とう言葉がふいに蘇る 母のおやつは氷イチゴ

手をなでてゆっくり伝える「こんにちは」に病む母は笑む そんな気がする

両目あけじっと見つめる今日の母 大丈夫だねコーヒー飲めたし

言の葉を忘れた母の手を握ること多くなり四年目の秋

ハロウィンのかぼちゃの飾りゆらゆらと風通しよきホームに住む母

十日前と変わらずにいる母だけど 見つめるだけの三十五分

帰る時「また来るね」って手を握る「さよなら」なんて母には言えない

ゆるやかに衰えてゆく母なれど今日の笑顔に励まされてる

一年は早いのかいや遅いのか義母の居ぬ夏ことしも暑い

墓石の開眼供養はめでたいと云われ納める妣のお骨を

明日には九十二になる病む母へ派手目の柄のブラウス贈る

声をかけ手を握りてもただ眠る母はゆめにて誰と語らん

炊飯器のタイマーをセットし忘れて朝をむかえり母亡き翌日

親なし子となりて三日目 朝食はいつものように味噌汁つくる

あの世から母は招かれ旅立てり いちめんに澄む今日の青空

二七日
(ふたなぬか)過ぎて天空に浮かびくる母の丸顔すずめに似てる

生まれてから暮らし続けた大森の土になりたり七七日の母

九十二歳
(くじゅうに)の往生なれば梅の咲く四十九日の膳はにぎやか

落葉掃き 優しくあった母親の墓石をみがく一人っ子の夫

初咲きのピンクの紫陽花一輪を妣に供えて今日をはじめる

本堂に読経の声がひびくころ妣の化身の白蝶あらわる

咲き初めの都忘れを供えれば植えたる義母の笑顔がうかぶ

平成25年から30年にかけての、二人の(認知症の)母に関する短歌を編集しました。
義母(享年86歳)は平成27年8月、実母(享年92歳)は平成29年1月に…旅立ちました。

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