「佐・知・子・だれ」澄んだ目の母 見る先は昔の影か今のまぼろし あるならば義母(はは)の笑顔に贈りたいミセス大賞八十(やそじ)の部 口飲みがトレンドだとは知らぬ母ペットボトルのふたでお茶飲む 母たちの笑顔頼りに自転車で環七(かんなな)・二国(にこく)・池上通り 母に会い握られし手はあたたかと告げる君の目細くなりぬる 朝の九時行き交う介護の送迎車遠くない日の我どこにいる 樹のみどり好む義母(はは)連れふるさとへ やさしい雨が降るばかりなり うなずいてあとは居眠り車椅子 母は世の中見るをやめたか 自転車で三十分の老人ホーム 暑さを理由に行かず昼寝する ゆっくりと母の名呼べば「はい」と云う忘れていない貴重なことば 四十五分ひと匙ずつの昼を終えごちそうさまの手を合わす母 運ばれし救命室にて上掛けをずれないように握りしめる母 黒飴によく似たボタンをなめようと力の限りひきちぎる義母 母親に食べさせたいと君は云うアツアツ牡蠣のバターソテーを ホームへは母の手編みのセーターを着て行くなんかあたたかくって ゆるやかにほほえみうなずく母の目は この世の何を焼き付けてるの 残りたる義母(はは)の心のともしびの「ごめんなさい」が小さく聞こゆ 「また来るね」に義母の返事はアウォーとう魂の叫び背(せな)にひびけり 哀れなるさけび声あげ座る義母すべなき我らただ手を握る まなぶたを開ける力は弱まりて左目いつもウインクの母 「ではまたね」に顔つきかたく下をむく言の葉忘れた義母のまなざし まっすぐに我らを見つめうなだれる義母(はは)のすべてはボディーランゲージ 母たちの見舞い帰りの夫と我 無言の時をただ分かち合う この傾斜五年ののちは漕げるかな陸橋を越え母の施設へ おめでとうにただ頷いて目を閉じる卒寿の母は車椅子にいる 入院の義母(はは)の回復願う夕べ 西の空にはうす日が見えたが… 母たちの施設をめぐる猛暑日にヒホヒホヒホと宇治金時を食う もの言えずベッドにふせる義母の目に花瓶の小花が映っている 真向かいて「さっちゃんです」と言うわれを首をかしげて見つめいる母 ゴックリとぬるいココアを飲む母は「うっおいひぃ」と言ったと思う 確かめるようにじいーと我をみて「あらっ」という語を母は発する 胡蝶蘭に母の唇うずまりて野の花が好きと言っているらし(Tamu) 義母(はは)なくし十日の後の空青くゴーヤの蔓は天へと伸びる 一枝(ひとえだ)を折りて青柿持ち帰り ふるさとをそっと妣(はは)に手向ける かそかなる手触れに散れる雪柳 厨子の小花は妣の涙か 義母のふるさとの今昔物語 追いはぎが出たとう山は崩されて朝日をあびる老人ホーム建つ 歌う人手をたたく人集うなか母は無言の「お楽しみ会」 「甘い」とう言葉がふいに蘇る 母のおやつは氷イチゴ 言の葉を忘れた母の手を握ること多くなり四年目の秋 両目あけじっと見つめる今日の母 大丈夫だねコーヒー飲めたし 手をなでてゆっくり伝える「こんにちは」に母は微笑む そんな気がする ゆるやかに衰えてゆく母なれど今日の笑顔に励まされてる 帰る時「また来るね」って手を握る「さよなら」なんて母には言えない 明日には九十二になる病む母へ派手目の柄のブラウス贈る 声をかけ手を握りてもただ眠る母はゆめにて誰と語らん 炊飯器のタイマーをセットし忘れて朝をむかえたり母亡き翌日 親なし子となりて三日目 朝食はいつものように味噌汁つくる 二七日(ふたなぬか)過ぎて天空に浮かびくる母の丸顔すずめに似てる 九十二歳(くじゅうに)の往生なれば梅の咲く四十九日の膳はにぎやか 落葉掃き優しくあった母親の墓石をみがく一人っ子の夫 本堂に読経の声がひびくころ妣の化身の白蝶あらわる 咲き初(そ)めの都忘れを供えれば植えたる妣の笑顔がうかぶ 初咲きのピンクの紫陽花一輪を妣に供えて今日をはじめる |