佐知子の歌日記・第五集
佐知子の短歌集7〜ふと振り返る〜
一体わたし何なのかしら
滝子山にて

 平成25年〜26年

われに問う「置かれた場所で咲きなさい」テレビの老女微笑みながら

護岸より見えるは道路倉庫群 アメリカ行きのあの海が見たい

 
しのびよる緑内障の恐怖
欠け満ちる月よおまえは贅沢な わが視野欠けば満つる時なし
はやく打つ心臓の声かん高く 月に一度の眼科診察
息を止めぽとりと落とす目薬は涙となりて光の杖に

花粉症ではないけどマスクする 話さずにすむ隠れ蓑のごと

歯医者だと口紅塗らずペダル踏む 眼医者へ行くのにボケまたひとつ

夜毎さす目薬なれどたまに云う「薬つけたか」は君の愛なり

コンタクトレンズをやめて二年なり メガネの跡の鼻の二すじ

客多くお茶ばかり入れ気ぜわしく 一体わたし何なのかしら

シャープペン我に馴染まずすぐ折れる 太くて強いエンピツがいい

このチョッキ三十年も着ているとアルバムに見つけためいきをつく

おかわりし地元のレタス食べた宿 思い出せずにアルバムめくる

写真には白くはっきり目立つ髪 こんなはずではないと言いたい

沈み込む気持ちなんとかならないか うすいピンクの口紅つける

朝食の卵分けあう幼き日 おぼえているよね肥満の弟よ

公園のジャングルジムのあるところ 空襲前は祖父の家なり

ごま塩の髪を受け入れなでる人こばむ人いて春うららかな

胸のうちはき出すように声をあげ ひとりの家で三分あるく

歳月よ娘
(こ)の三十六の誕生日 吾(あ)の部分入れ歯出来上がるなり

くずれゆく目と歯はすでにサイボーグ せめて残りは自前で生きぬ

サシスセソうまく発音できぬ義歯 初メガネの日と同じ違和感

いま在れば九十四になるきょうの日に 父の好物豆を味わう

緑の香ふんわり新茶飲みほすと憂きことするりするっと抜ける

風呂上がり乾くまではからす色 湿る髪ふれしばし見つめん

宿根のひまわり咲いてよみがえる一年前の苦いことなど

顔知らぬあわれ祖父母の旅立ちは昭和二十年五月と九月

反抗期の中学生のまねをして壁をけとばし騒いでみたい

目に効くとほんとは信じていないけどブルーベリーを朝ごとつまむ

うす暗く雲が落ちそな一日なり 胸に積もれる塵もまざりて

奥の歯の親知らずぬく 何事もなかったような二日が過ぎる

耳鳴りと虫の音まざるその調べ 我のみが知る夜想曲である

 メニエールかしら
目が回り壁に手をあてトイレゆく宇宙船への予約はしない



 平成27年

手の甲のしわよなんとかならないか スマホ画面をびしびし弾く

山道で会うことのない若者が まっすぐ歩く渋谷という街

マスクかけメガネがくもるそんな日は目を閉じそっとハミングしよう

金づちでたたけば澄んだ音がする 鉄棒は今点検されてる

思い出の話のなかに父はいて 小ぬか雨降る十三回忌

病院は中高年の男たち 観光地には女があふれる

肩もみ券 娘に貰って三十年 今も鏡台の抽斗にあり

角ごとに機械油のにおう町 どの工場にも人が働く

磨かれた靴のみ並ぶ山手線 土を忘れて東京めぐる

明日からは六十六のおばあさん 赤いチェックのスカート選ぶ

このなかにわたしのすべてはないにしろマイナンバーにきざまれる過去

ぴったりと鉛の板の背につきて ぎっくり腰の今日がはじまる

喪中ゆえ用意はせぬと言いながら 煮しめ塩辛お餅が揃う



 平成28年


大人らは騒音と言いしベンチャーズ 五十年後にBGMとなる

階段の五段をのぼると膝痛む 洗濯物が重すぎるのだ

効き目などなくてもよいと思いつつブルーベリーの七粒をもぐ

目を閉じて今日一日をふりかえる 開いた目でも思い出せるけど

新品の三菱鉛筆ユニもてどなめらかな歌書けるはずもなく

昼下がり「百人一首」読みながら珈琲すする六十七歳



 平成29年

 読売歌壇選者の歌を読んで(平成29年1月3日・読売新聞)
 九十
(ここのそじ)三つの翁が謡うなり。沖の小島に 声とほりゆけ (「海に謡う」より・岡野弘彦)
→ 小島にてその謡
(うた)きいて楽しまん 九十(ここのそじ)三つの岡野弘彦の
 遠ざかりゆかむくるまを呼びとめてあつあつの芋いつぽん買ふも (「石焼き芋」より・小池光)
→ 買ってきた小池光の手の中の石焼き芋のいっぽんのあつあつ
 マフラーをはづし冷気に首筋をさらして歩む天満宮まで (「天満宮まで」より・栗木京子)
→ 首筋を冷気にさらす栗木京子 われはマフラーはずさず祈る
 シャンパンを飲んだところで目覚めれば何かいいことありそうな今日(「酉年の父」より・俵万智)
→ シャンパンを飲んで目覚める俵万智 追われるばかりのわれの初夢

鉛筆を持ちて思いをめぐらせる チョコレートよりも小雨降る午後

幾度も消しては書いて考える三十一文字手ごわいね・・・ったく

大空をささえきれずに困ってる 降りだしそうな雨が重くて

言の葉がうかんでこないこの三日 われをゆさぶる午後の春雷

詠うぞと下心もちて紫陽花と雨を見つめて六分が過ぐ

食卓にノートや辞書を並べさぁ〜 デザートのような歌をつくらむ

「江下る戎克
(じゃんく)に豚の仔裸の子」 兵卒でありし父の終戦句

鉛筆をまずは持たねばはじまらぬ今日の短歌と明日への短歌

ばたばたと過ぎた十日はなんだろう腰の痛みをほぐすつゆ草

視野検査 良くはならぬと知りつつも期待をこめて見開く瞳孔



 平成30年


遠慮せずことわりもなく染めてゆく働き者のわたしの白髪

「助けて」と父母の墓前につぶやけばわが肩少し軽くなりたり

ああ何も詠めないでいる夕暮れにテレビを見つつデコポン食べる

 
黄班上膜の手術のため入院
雨嵐のちの晴れ間の青い空 手術はきっと成功するね
10分間わが腕さする看護婦は点滴用の血管さがす
雑談にちらりと家族がみえてくる病院の夕べ4人部屋から
うす味の病院食は残しても娘持参のドーナツほおばる
一人出て午後には一人入り来る休む間もなし病院のベッド
病院の窓から外の空気推す 今日は暑そう風は弱いな
自分の名 生年月日もわからずに 患者はか細い声のみ発す
お見舞いは一輪挿しのさくら草 病室に咲く夫のほほえみ
飛行場・工場・倉庫のあいだから太陽のぼる おもわず拝む
一日に四度の手間をかけて点す目薬四本わが日常となる
全身の みにくきものが流れ出る 術後七日の洗髪・洗顔

「晴れ」の日が好きなわたしであるけれど歌を詠むには「雨」がいいかも

よく見えるテレビ画面の番組表 眼科手術の半月すぎて

咲き誇る赤いミニ薔薇ゆれもせず 風のつよきにも鉢にありたり

眼科・歯科・ゴミ当番を終えた 昼歌会モードへ自転車とばす

幾度も洗濯物を干し換えて梅雨の晴れ間のわたくしは忙

三色の小さな容器の目薬は底から見れば飴玉のよう

わが歌の三日がかりの推敲に納得いかぬ曇り空なり

ベランダに命終りし蝉二匹 朝日を受けて並んでいたり

内緒よっ(真顔よりやっぱ笑顔のトム・クルーズが好きなのアタシ・・・)

日ごと点すこの目薬の一滴にささえられてるわが視界なり

弟と話しをするとうかびくる 子どもの頃の小さき木の家

この夏にわたしは何をしただろう 二匹の黄揚羽あおぞらへとぶ

平成25年から30年にかけての、心の揺らぎを詠んだ短歌を編集しました。

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