佐知子の歌日記・第五集
佐知子の第二歌集〜リフレクション〜
あらほんのりと桜色だわ

武甲山を振り返る

十年の介護終えたる一月の未明を照らす白い満月

命日の墓参りもせずぬくぬくと母をなくして二年がすぎる

おだやかに暮らせる今日の青空に話しかけたい歌おくりたい

残されたあとひと月の平成に何をしたいかすべきかわれは

出来たてのわが歌集繰る喜びとはずかしさ混ぜ胸はドキドキ

病院まで一人で来たる「しあわせ」を老女しみじみと我に語りぬ

朝五時のこむら返りに声もなく茜
(あかね)に染まるカーテン見つむ

耳遠く眼鏡なしでは歩けない七十歳の坂は膝痛
(しっつう)

「こおろぎか?」夫には聞こえる虫の声
          わが耳さえぎる玻璃戸一枚

多摩川の氾濫しそうな画面見て大切なのは何かと問う夜

病癒えし道ゆく友に手を振ればその夫も振る大きな右手

母編みて二十年経るセーターのほつれをかがり今日もぬくまる

三代のよき人の顔うかびくる 向かいの家をクレーンが潰し

一日に一首をめざしノート開け鉛筆握るまでは毎日

一日中パジャマ姿の夫である 退職後なじむ制服のごと

もったいないから使えない使わないからもったいない絹の風呂敷

夕闇にまぎれて爪に目をやれば あらほんのりと桜色だわ

小雨降る静かな夜は歳わすれ謎めく歌を書きたいけれど…

二週間経る胸痛はつまずいて転んだものよ恋ではないの

まぶしさにかなしくなりぬ黒髪や眼鏡無しやの古いアルバム

手作りの赤いチュニックいただいて背すじを伸ばし鏡と向き合う

都民生活七十年あこがれは鄙の山川裸足でゆくこと

西へ行くほど緑増す東京の東のわれに来よと言うがに

満州におりし兵の父 終戦とならねば我はこの世には・・・ない

まぶたはれむくみて赤いわが顔を
       いつもと同じと夫
(つま)は言うなり

音もなく雨ふる昼に新品の黄楊
(つげ)の櫛もて白髪を梳く

われは膝夫は全身ぎくしゃくと油の切れたブリキロボット

友は言う二時間待ちの診察に元気でなければ病院行けずと

朝床に耳を澄まして目を開きゆっくりわが身の螺子
(ねじ)巻き始む

黒べール黒い長着の女たち はたして下着は何色だろうか

行きずりの聾
(ろう)の少女と「話す」友 十の指にて笑顔をひき出す

感性の鈍きを刺激するためか金木犀は強く香りぬ

外は雨うすい上着を羽織りつつ千年前の歌にふるえる

目の前を断片のみの言の葉が点滅しながら早足に過ぐ

武甲山はアンパンマンだ 身を削り困った人を助けてくれた

思うことあらば残らず出せよとて夕べの春雷耳にせまり来

消しゴムかぁなつかしいねと言う息子
        パソコンが字を書く世ではある

旧姓が書かれた竹の物差しは目盛り黒ずみ傷あまたあり

コンピュータ語に挟まれて
        日本語は「です・ます」だけのドコモショップ

黒光りしていた髪を茶に染めて静かな孫は何を訴う

胸中は如何なる花が咲きおるか十九歳
(じゅうく)の孫に贈る向日葵

本門寺へ小雪降るなか初参り 何とはなしに賽銭はずむ

毎晩の湯舟に膝や足摩る七十二年の労をねぎらい

美容院変えてみたけど鏡にはショートヘアーのいつものわたし

地図アプリ使いこなせず苛立ちの人差し指がささくれている

歯科眼科きのうはワクチン五回目の いつまで続くか老い人の忙

ユーチューブ懐メロ聴いて三時間 夫と深夜のDJになる

増えること嬉しくないが仕方ない四冊目なりお薬手帳

お好みはどちらときかれて困りたり
       ブラッド・ピットとジョージ・クルーニー

娘より湯呑みと新茶のプレゼントわれは線香点す母の日

抽斗の奥に見つけしガンダムとスヌーピーの小さきハンカチ

みぎは青ひだりは黄に塗りガラス粒
        のせて煌めく孫のマニキュア

午後七時「忘れてたあー」と娘来るチーズとワイン持ちて父の日

手回しの鉛筆削りなお使う 六十五年の鈍き音たて

人の声聞き取りにくし 花や木に涙まじりの水やりをする

使います中学生がと店主言う縦十七行のキャンパスノート

老人の老人による祝賀会「また来年も」を合言葉に

「忘れる」と「聞こえない」とが絡み合いひとり見つめる夕暮れの雨

キッチンのふきんの置き場変えてみる
         マンネリ打開の手品師のごと

何もかも忘れてしまいたい夕べ水仙ひとつ寒風に咲く

全身を見知らぬ人に三十分さらしておりぬ画像診断

すきま風に強弱ありて六十年過ぎたる家の独り言のよう

集音器をつけてみたけど雑音や共鳴音に頭クラクラ

一日はかけ足で過ぎ一週間前のニュースは記憶の闇へ

手の甲のシミや血管うきあがる
        啄木は手のひらを見ていた(と思う)

手足脳衰えゆくもの数えるを止めたときから春がくるかな

数独やクロスワードパズル解いて
        ボケ度を計る目安になるかな・・・

 手首を骨折
左手に支えられてること知りぬ ジャガイモ剥くとき豆腐切るとき
目覚めれば我が家はどこかと西の窓じっと見つめる五階の病室
ギプス取れ どんこ椎茸のようなわが左手が突如現る
四六時中左手さする一日なり朝より上手い夜のグーチョキパー
ひと月のギブスの圧に屈したか左手指
(ひだりしゅし)七度傾きにけり
大病院二ヶ所を軸に巡る日々 わが老境のルーティンならん
こんなにも皺がうれしいことはない折れた手首に浅く一本

じっくりと今日一日を振り返る 思い出せるはシアワセなこと

濃い紅茶それともあれかと眠られぬ夜を作った犯人捜し

この一年家居の夫がつぶやいた
        「ウーバーイーツなんなんだそれ?」

水疱のできたは老化かと訊けば 医師はきっぱりそうですと言う

イライラとジリジリ混ざり指止まる 我を操るスマホなるもの

小穴のあき汁の漏れいるフライパン六十余年のいのち尽きるや

平成31年(令和元年)から令和7年にかけての“気づき”を詠んだ歌を編集しました。

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