この曲は1780年、モーツァルト24才の時に作曲された、ザルツブルグ時代の最後を飾る宗教曲である。
カトリック教会の聖職者達は毎日の日課(聖務日課)として、夜明け前から就寝前までを8回に分け、決まった時間ごとに礼拝を行っている。(第2バチカン公会議以降は7回)
毎日行われる祈りなので、通常は簡単なグレゴリア聖歌が歌われていたが、何か特別な日には、もう少し構成の大きい曲が演奏されたようである。
このうち、ヴェスペレとは日没後に捧げる夕べの祈り(晩課)のことであり、証聖者のための晩課は、祈りの対象がConfessore(証聖者)、すなわちカトリック教会の聖人(迫害などで殉教した人など)であるものを言う。
ヴェスペレの種類ごとに歌われるテキストは決まっており、「証聖者に捧げるヴェスペレ」の場合は、5つの詩編:
Dixit Dominus(主は言われる/詩編110 ダビデの歌より)、
Confitebor tibi(主をほめまつる/詩編112)、
Veatus Vir(幸いなるかな/詩編111)、
Laudate Pueri(ほめたたえよ、しもべ達よ/詩編113)、
Laudate Dominum(主を褒め称えよ/詩編117)
に
「Magnificat/聖母賛歌(我が心は主をあがめ)」
を加えた合計6つの楽曲から必ず構成される。
モーツアルトのヴェスペレも、このような典礼様式を厳格に守って作曲されているが、その規模に関しては全曲にオーケストラを付け、当時の演奏スタイルに比して大規模なものになっており、典礼音楽の面よりもモーツアルト自身の芸術家としての欲求を満たすものとして作られたようである。
そのような特徴は、Dixit や Magnificat に見られるスケールの大きさや力強さ・Laudate Pueriにおけるフーガの厳格なまでの構成の見事さ・Laudate Dominum で現出する天使のような旋律の優美さなどに見ることが出来る。更には、以後の色々なモーツアルト作品で登場するモチーフのひな型が随所に見え隠れしており、それらを探すのも楽しみ方の1つではないだろうか。