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「バイファム」第44話感想

前話(第43話)の直後。別のロケットで打ち上げられたRVを収納しているカーゴを宇宙船にとりつける。ああやって外にカーゴをマウントする方式では大気圏を突破するときにくっつけていられないのはたしかだ。なら最初から中にRVを収容できるサイズにしなかったのは、RV(や大きな荷物)を地上と宇宙でやりとりする機会なんてそんなにないからだろうか。でも、外付けは問題ある気もする。そうでもないかなー。
それはともかく、なんでもないほのぼのとした導入。ジミーのハーモニカが流れ、マルロとルチーナはお絵描き。子どもたちは今度こそ両親に会えると確信している。なにしろいま乗っている宇宙船は地球軍のビーコンに誘導されているのだ。
オフクロが地球軍に保護されているのがうらやましいシャロン。と言ってもククトのメシが口にあわないからだったりする。淡白なんだと。だがバーツは慣れてしまったらしい。シャロンにベロがデリケートじゃないと皮肉られる。スコットは「シャロン、君はジェダさんの好意を」と相変わらずうるさい。
マルロとルチーナが全員の両親の似顔絵を描く。和やかな雰囲気でみんないい顔をして……がある意味一転。カチュア、ジミーの両親……。しかも、カチュアはこれまででもっとも明るいのではないかという笑顔を見せる。これには脱帽。それとひそかにシャロンの父親。けっこう男前と彼女は評したが……。
マルロたちが描いたお父さんたちがみんなヒゲを生やしているのは、何となく(昔の)少女漫画っぽいかも。真相は、マルロかルチーナ(あるいは両方?)のお父さんがそうだっただけなのだろうが。
トゥランファムの清掃がてら、ケンツはジミーに自分ちに来ないかとたずねる。お前みたいな弟がほしいと思ってた、と。ケンツには兄貴がいる。想像するになんとなくケンツの兄貴は死ぬほど兄貴かぜ吹かせてそうだ。なにせパイロットやっているくらいだから年齢はかなり離れている。弟がほしいって気もわかる。面倒見はよさそうだし。と、ここまで考えて、ケンツが両親に再会したらお母さんのおなかに赤ちゃんが……などという展開を考えてしまった <鬼。
にしても、ジミーが両親を失ったことは、どうやってケンツ(だけでなくみんな?)に伝わったのだろうか。最終話への伏線になるわけだが、少々ご都合主義。それを言ったらジミーが両親の死を知ったこともかなり曖昧な描かれかただが。
子どもたちは大急ぎで持ってきたらしい荷物の片づけをはじめる。「メンドっちーなー」とシャロン。ジミーはさっきのマルロたちが描いた似顔絵を大事そうにかばんにしまう。
いっぽうカチュアは1人、似顔絵を見つめて自問自答。自分は両親に会いたい、このまま地球へ行っていいのか――。ロディはカチュアを気づかうが、彼とカチュアではやはり捉えかたに大きな隔たりがある。こう言うのはちと酷だが、ロディは甘い。少なくとも楽観的すぎる。カチュアが今までどおりやればいいのはそのとおりだが、カチュアの考えるとおり、地球人がそんな簡単に彼女を受けいれてくれるとも思えない。だいいちそうならそもそも戦争はおっ始まらなかったんじゃないだろうか。それに地球に戻ってからも13人一緒にいられるなんて考えはどうやったら出てくるのだろうか? それぞれがそれぞれのみちを歩み始めるときが来ているのだ。
一行を追う無粋なハゲ頭=アイゼル(ってこの男の名前っていまだ出てない?)。その船にはミューラァが密航。あっさり見つかったらしい。……デュラッヘ持ちこんだんだったらあたりまえか……。あの機動兵器=ロディのバイファムの最期を見とどけたいがために密航したのだが軍法会議もので独房に放りこまれていることだろう。
タウト星のそばを通り過ぎる。本当に死の星になってしまった。粉々になったんじゃなかったんだ。
まだ片づけ中の子どもたち。ロディはフレッドのかばんを見て「あの時のこと」=おもらしを思い出すとからかう。また「言わないで」「ったらダメ」。「お願い、なんでもやるから」ときた。ペンチの笑顔は何を意味しているのだろう?
ロディはエロ本と一緒にケイトさんのバンダナを発見。シャロンはすっかり忘れていたらしい。ひどい。シャロンのバンダナはあれじゃねじりはちまきだ。で、珍しくマキが芸を披露。「ロディー、おいたしちゃだめよ」
タウト星、おもらし……とこれまでの旅が思い出されて、というわけだが、シャロンはエロ本を持ち出す。まあこれも思い出には違いないのだが。彼女はブリッジにいるスコットとクレアのところへ。「あ、アレなんだ!?」のすきにスコットの手もとにエロ本を置いてとんずら。「なんか恨みでもあるのか?」恨みというか、反応を見ていると面白いだけなんだろうね。
クレアもこの前の1件のせいか、多少、いやかなり心が広くなった。「はい、いつまでも持ってなさい」「い、いらないよ、こんなの」「もう見ちゃったから?」「うん3回、いや4回かな」……スコットはロディもバーツも存在を知らなかったエロ本を3回も4回も1人で読んでいたって、ただ見ていただけなのだろうか?
その後両親の安否を尋ねる場面、よく見るとクレアはずっとエロ本を握りしめているのは笑える。通信が音声だけでよかったね。
ついに地球軍から通信が入る。「地球連邦軍」という言葉が出てきたのはひょっとすると今回が初めてかも。子どもたちはすでに「地球連邦の英雄」ということになっている。うーん、クサいものを感じる。バーツならなんて言うだろうか。こんなことで地球に行ったあと平穏な生活をおくれるとは思えない。
クレアが父の安否を尋ねたのをきっかけに、シャロンが母「ミッシェル・パブリン」、そしてみんな堰を切ったように無事を尋ねるが、その船(バンガード)には子どもたちの両親は乗っていなかったし、安否もたしかめられていなかった。
しかしペンチは早くも両親に会ったときになんと言おうかとそわそわしだす。「パパ、ママ、お久しぶりです。パパ、少しおやつれになったんじゃ」「いや、このところゲリ気味で」つっこんだのはケンツ。
ところが、ここまで来て敵。アイゼルの船2隻が追いつき、5機のRVが迫る。戦闘が始まっても、持ち場がない子どもたちが多いのはもったいない。やむを得ないこととはいえ、ジェイナスの中での舞台設定はうまかったと改めて感心。逆に人手が足りなさすぎたといえ、全員きちんと役割があるほうがそれぞれをしっかり描けることは言うまでもない。「こわがる役」はマルロとルチーナだけで十分だ。ブリッジにいるスコットもとくにやることはないみたいだし。
こんなときにサライダから通信が入ってきて、最悪の場合はククトに引き返せと。そんなことをやりとりしている場合じゃないような。
ククト軍のRVはあっさり撃破され、第2次攻撃隊としてオタが自ら出撃しようとする。がバイファムに執心のミューラァがかわりに出撃する。「あの機動兵器は私が倒す。ほかの者は手を出すな」「小僧、今日こそ決着をつけてやる」
「戦場にヘ理屈なんぞ必要ない」と言うアイゼルのほうが正しいと思う。とはいえ、彼にミューラァの心境など分かるはずもないのだが(と書く僕だって頭でわかっているだけだ)。自分がククトニアンなのか地球人なのか、どっちつかずの不安定な状態でいるという感覚はやはり不安だと思う。(そうなった)理由は違えど、それはカチュアも同じだ。それを気にしないでいられるほど単純ではないし、押し殺せるほど強くもない。その現実に一生向きあっていかないわけにはいかない(たやすく直視できるものでもないのだが)。ミューラァは軍人となることで、より純粋にククトニアンであろうとしたが、それは裏返せば、それだけ自分の中の地球人を意識しているということでもある。それを「逃げ」と呼ぶのは簡単だが、ククトニアンの世界で生きている以上、無理からぬことではある。しかし、地球人と接触するというこの機会をもっとうまく活かせれば、彼の運命ももう少し違ったものになったのかも知れない(できればそうしてほしかった)。
結局戦闘中の対話(第39話参照)はこれ1回きり。まあ1回だけならいいか。しかし、「我々はお前たちの母星(ははぼし)、地球を侵略するつもりはないのだ。我々ククトニアンは昔から地球人の成長を監視していたが侵略する意思はなかった」ってどういうことなんだろう??こんなところでこんなセリフいれないでほしい。結局ちゃんと説明できなかったんだし。まあ地球側の非がまた露呈されたセリフである。
はなっからそのつもりだったアイゼルが艦砲射撃でミューラァもろともリベラリストの殲滅をはかる。はめられたことを悟ったミューラァ、「小僧、この勝負あずけたぞ!」と逆に敵に突っ込んでいく。ジェダが彼にこっちに来るように言うが聞かない。
カチュアの声を聞いたミューラァは「君は地球人とうまくやっていける、いやそうであってほしい」と言い残す。ここはちょっと唐突。
このへん、味方から攻撃されてから、カチュアに言い残すまでの心境の変化がちゃんと描かれていなかったのは×。おかげでひどくありがちで浅薄に感じられた(と言ってただモノローグをやればいいというものでもないのだが……とどのつまり作中でミューラァをこなしきれていなかったということか。しかもそれをやろうとすると13人のほうがおろそかになるおそれがある)。幸いなことに、彼と違ってカチュアはとりあえず独りではないし、周囲を拒絶する子でもない。ミューラァのサライダとのやりとりを見ていると、彼にはそういうところがあったと思わざるをえない。もっともここにも、自分の生まれを自分も周囲も知っていたミューラァと、(両親をのぞいて)そうでないカチュアの2人の生い立ちの差があるのだが。とにかく、だから彼女はまだしもうまくやっていけるのではないだろうか。そう願いたい。
ミューラァまあ生死不明なんだけれど、あの口笛はどっちかというといまわのきわのもののような。あとアイゼルはなんとなくあの絵では死んだようにも見えてしまう。また出てくるけど。
原画
富沢雄三、中島美子、村中博美、大島城次、桑原周枝、山本佐和子、佐藤久美子

Vd: 2000.4.30, Vd: 1998.7.30