No.121 本仁田山(ほにたやま・1225m) 平成13年(2001年)3月17日 |
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→ 地理院地図(電子国土Web)の該当ページへ 天気予報はあまり良くなかったが、今日一日は何とかなりそうだったので思いきって出かけてみた。鳩ノ巣駅(標高306m)から歩き出したのは午前10時10分。曇天だが幸い風はない。棚沢集落の急な坂道を20分ほど登りつめると細い山道になり、杉と檜の植林帯が続く。「しまった!」 花粉症の薬を家に置き忘れてきた…。 私達が持っている古いガイドブックによると、川苔山(かわのりやま)方面への分岐でもある大根ノ山ノ神を通過したあたりから明るい尾根に出る、とのことだった。しかし、尾根には出たが植林帯は一向に途切れる気配がなく、左前方に見える筈の本仁田山の山頂部は終始殆ど杉と檜の林に遮られていた。 「変だね…」 などと妻の佐知子と話をしながら尚も暫らく歩いていると、東京都西多摩経済事務所林務課(なんと長いネーミングなんだろう)が設置した標板を発見した。標板には「植栽年度・昭和42年〜43年」と書き記されてあった。私達が持っているガイドブックは昭和52年(もう24年前だ)に発行されたものだから、なんてことはない、当時若木だった杉や檜が成長していたんだ。ケラケラと笑いながらスッキリとした気持ちで、尾根道上の杉の切り株に腰をかけて、とりあえず昼食の大休止をした。 標高1000メートルを越すと残雪が目立ってきたが、アイゼンは着けなくても大丈夫だった。木々の間から左手(南)の方向に、明日の登山予定の大岳山などの奥多摩の名だたる峰々がぼんやりと見えている。コブタカ山を通過し、本仁田山の山頂へ着いたのは午後1時45分、ミゾレがちらついてきた。 それほど広くない山頂には木製のベンチや小さなあずま屋(オンボロ小屋)があった。昔(少なくとも昭和52年の頃まで)は休日などには茶店が出ていたそうだが、この小さなあずま屋がその名残りだろうか。南側が開けていたが、生憎の空模様で遠望は利かず、大岳山の辺りがぼんやりと見えている。常緑低木のアセビと三等三角点の標石と今にも崩壊しそうな小さなあずま屋が妙に心に残る、静かな山頂だった。 本仁田山の頂上から雑木林と植林帯の入り雑じる大休場(おおやすんば)尾根の急坂を経て、ワサビ田のある安寺沢(あてらざわ)へ下る。標高差約800mの、奥多摩でも1〜2位を争う急坂らしいが、私達の膝が絶好調ということもあって、それほど困難は感じなかった。ガイドブックに記されているこのルートは、何故か国土地理院の5万図には載っていない。5万図には山頂から西へ回りこんで安寺沢へ下るルートのみが記されてあるが、道標などはどこにもなく、荒廃しているようだった。(*) 巨大な怪物ロボットのようなセメント工場を左手に眺めながら、奥多摩駅へ着いたのは午後4時25分。久々の静かな山歩きだった。そして、花粉症に悩まされた一日でもあった。瞼をしょぼしょぼさせ、鼻をかみかみ、4駅先の川井にある今日の宿、松乃温泉へ向かう。 * この後、国土地理院の地形図は改正されて、現状に則したものになったようです。 * 本仁田山の仁田(にた)とはヌタ場を意味しているそうです。 松乃温泉「水香園」: JR青梅線川井駅から歩いて約10分。奥多摩の山々に囲まれた静かな多摩川河畔に位置する。庭園に「離れ」をちりばめた旅館、がキャッチフレーズ。私達が予約した部屋の宿泊料は安い方だったが、それでも2食付き一人17,000円だった。アルカリ性硫黄泉、石タイル貼り、加熱。部屋食。事前の予約や確認が必要だが、昼食コース(けっこう高い)や入浴のみ(1,000円)も受け付けているようだ。 離れの和室からのワイドな眺めもよく、その風雅さと料理の美味しさは充分認めるけれど、お弁当は作ってくれないし(衛生上の問題?)、朝食は遅いし(午前8時30分から)、山旅の宿としては少々使いずらい。お忍びの逢瀬には、イイかもしれない。 「水香園」のHP 三ツドッケから蕎麦粒山と川苔山A: この後(平成23年6月)、日帰り入浴で松乃温泉「水香園」に立ち寄りました。そのときの山行記録です。[後日追記]
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