No.148 鹿留山から杓子山 (道志山塊) 平成15年(2003年)1月12日 ![]() |
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→ 地理院地図(電子国土Web)の該当ページ(杓子山)へ 宿(忍野温泉)でのんびりと朝湯に浸かり、8時からの朝食を7時半に繰り上げてもらい、女将さんに了解を得てオニギリを作ってザックにつめて、予約のタクシーで「行ける処まで行ってください」と頼んで降ろされたのは内野のバス停からそれほど離れていない養鶏舎の少し先、治山林道の入口近くだった。昨日の御正体山登山の疲れが少し残っていたけれど、睡眠は充分、今日もいい天気だ。タクシー料金2,360円を支払い、林道を歩き始めたのは午前8時15分頃だった。 残雪の林道を注意しながら歩いていると、後方から一台のRV車が私達を追い越していった。「流石に4輪駆動だね」 などと感心していたら、暫らくしてバックしてきた。アイスバーンの坂道を登り切れなかったらしい。 「だろうね…」 と内心ニヤニヤしながらRV車を見送った。しかし、他人の不幸を笑っている場合ではなかった。私達にもここで事故が起きた。何でもない林道の雪道で、佐知子がすべって転んで右手首を捻挫してしまったのだ。先が思いやられたが、歩くのに支障はないようだったので、雪で患部を冷やしながら先を急いだ。 二十曲峠と鹿留山(ししどめやま)への山道の分岐、立ノ塚峠でアイゼンを装着していたら、先ほどのRV車に乗車していた私達よりは大分年上と思われる高年のご夫婦が、バツの悪そうな苦笑いをしながら、アイゼン無しの軽い足取りで私達を追い越していった。 「元気だね…」 と思った。私達も負けじと歩き出す。右(東)に御正体山、左(南西)に富士山が見えている。傾斜は徐々にきつくなってくる。 天気が良すぎる。所々溶けだした霜柱や雪が泥んこのグチャグチャ道をつくっている。急勾配なのでアイゼンが有効だったけれど、岩場ではかえって歩きずらい。佐知子はアイゼン派だけれど私はポリシーのない中間派。装着か非装着かは難しい選択だと思う。 気持ちのいい雪の稜線(子ノ神)へ出るとほっとした。RV車の元気な高年夫婦には、とうとう、矢張り、追いつけない。 雪の上には動物の足跡がたくさんついていたけれど、ウサギかな? まさかクマじゃないかしら?(←全然違うだろう、実際!) なんて話しながら子ノ神から緩やかな稜線上を北へゆっくり歩くこと約10分、ミズナラの老木が印象的な鹿留山の山頂に到着したのは午前11時40分頃だった。閑静な山頂部からは、ブナなどの木々の隙間から超ワイドな富士山や近くの御坂や道志の山々は勿論、杓子山の頭上に細長く南アルプスの白峰たち、奥秩父や丹沢の山々なども見えていた。三ツ峠山の右奥にチョコンと頭を出している白い塊は、あれは八ヶ岳だろうか。 鹿留山から子ノ神に戻り、雑木林の快適な稜線を西へ約50分ほども歩くと、360度大展望の杓子山山頂へ出た。 何処から湧いてきたのか沢山の登山者で大賑わいの山頂だった。 どうやら反対コース(不動ノ湯、又は鳥居地峠から高座山経由の往復登山)がこの山の主流らしい。 オニギリを食べたり、コンロで暖めた野菜スープを啜ったり、絶景の中での楽しい大休止。 この山の人気が分かるような気がしたが、ふと先ほどの鹿留山の静かな山頂部や昨日の誰にも出会わなかった御正体山を思い出し、それに思いが募ってしまうのは、へそ曲がりの私の悪いクセだろうか。 1時間近くを杓子山の山頂で過ごし、下山を開始したのは午後1時40分頃。正面に富士山を仰ぎながら滑りやすい雪解けの急な泥道をひたすら下る。私はアイゼンはとっくに外していたけれど、まだ着けていた佐知子が正解だったようだ。アイゼンは泥んこ道にも有効なのだ。 ハングライダーの滑走台がある大榷首峠(おおざす)峠を経て林道へ入る。不動ノ湯に着いたのは午後3時25分だった。 不動ノ湯での湯上り、佐知子が登りの林道で捻挫した右手首の激痛を訴えた。急いで湿布し、テーピングで固定した。私にも何回か経験があるのだが、多分一週間は痛みは消えないだろうと思う。 ![]() ![]() * 富士急行の富士吉田駅は平成23年(2011年)7月に富士山駅に改称されています。[後日追記] ![]() ![]() ![]() * その後、「不動の湯」から「不動湯」と統一されたようです。食事付きの宿泊も可となり、風呂場にはシャンプーと石鹸も常備され…、私的な問題は解決されています。(^^ゞ [後日追記] ![]() ![]()
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