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No.168 蝶ヶ岳から常念岳
平成16年(2004年)8月7日〜10日 曇りのときが多かったたまには晴れた午後は雨のときも

蝶ヶ岳・常念岳 略図
無限に広がる温かい空間が…

第1日=JR新島々駅-《バス70分》-上高地〜明神池〜徳沢園 第2日=徳沢園〜長塀山2565m〜蝶ヶ岳(長塀ノ頭・2677m)〜蝶ヶ岳ヒュッテ 第3日=蝶ヶ岳ヒュッテ〜蝶ヶ岳三角点2664m〜蝶槍〜常念岳2857m〜常念小屋 第4日=常念小屋〜[一ノ沢]〜ヒエ平(一ノ沢登山補導所)-《タクシー15分》-安曇野蝶ヶ岳温泉(入浴)-《タクシー10分》-JR豊科駅
 【歩行時間: 第1日=2時間30分 第2日=5時間 第3日=6時間 第4日=4時間】
* 歩行時間について: 今回は特に超スローペースです。
 → 地理院地図(電子国土Web)の該当ページ(蝶ヶ岳)へ


 ご近所の中高年の方達を中心にしたハイキング同好会山歩会の皆さんと、ついに、北アルプスの常念山脈(*)へ挑戦する日がきた。参加者は最高齢65歳のご婦人以下総勢7名。幹事役の私達夫婦以外は日本アルプスの初挑戦者ばかりだ。コース取りには細心の注意を払い、睡眠不足に陥る夜行を避け、4日間をかけて、勿体ないけれど大天井岳・燕岳をカットして、蝶ヶ岳から常念岳への「常念山脈ハーフ縦走」とした。つまり、脚力の弱い(気力は充分だが…)私たちにとって、安全に無理なく歩ける余裕の(まったりとした)コース計画だ。
第1日目
夕方、徳沢園の2階テラスから撮影
徳沢園から明神岳を望む

第2日目
徳沢園の朝
徳沢園を出発!

樹林に囲まれた山頂でした
長塀山山頂にて

奥のなだらかなピークが蝶ヶ岳最高点
蝶ヶ岳ヒュッテ

大パノラマです(右奥は常念岳)
瞑想の丘にて

第3日目
残念!ガスってしまいました
蝶ヶ岳の三角点にて

2515mのピークにて
行く手の常念岳

花崗岩と堆積岩の急登
常念の登りはキツイ

ダンディな花です
トウヤクリンドウ

ここも残念!霧雨でした
常念岳の山頂にて

第4日目
山歩会の「大和撫子」です
朝・常念乗越にて

 第1日目(8/7): 初日は上高地を、足馴らしも兼ねて、途中の明神池を見学したりして、はしゃぎながらゆっくりと散策。嘉門次小屋の今や名物料理となってしまった岩魚の塩焼きを食べたりもした。一匹900円の値段にみんなびっくりしていた。
 この日は氷壁の宿・徳沢園に宿をとる。少し割高だが、個室を予約しておいたので、のんびりとくつろげた。2食と弁当付きで一人14,350円は、まぁ、やむなし、といったところかなぁ。ウーン、でもちょっと高すぎるかなぁ、やっぱり…。
 風呂上り、2階のテラスへ出てみた。夕立後のスッキリとした空の中、ハルニレやカツラやミズナラなどの木立の隙間から明神岳と前穂高岳の一角が、夕陽を背に受けてスックと聳えていた。

 第2日目(8/8): 徳沢園の朝食を済ませ、歩き始めたのは午前7時丁度。どこかでコマドリが鳴いている。樹林の中の急登が続く。夏山も終わりが近いのだろうか、針葉樹の林下のあちこちにはカニコウモリが群生して咲いていた。
 今回の山行について、先頭を歩く私が特に気を遣ったのは、体力差のある7名の隊列がバラけないように、とにかくゆっくりと歩くことだった。歩いているうちに何時の間にかメンバーの一人が行方不明になっていた、なんて事故が集団登山にはけっこうあるらしい。
 充分に休憩を取りながら3〜4時間も歩くと道がなだらかになってきて、コメツガやシラビソやダケカンバなどの樹木が徐々に細く低くなってくる。道端の倒木に腰掛けて、エネルギー補充の大休止。再び歩き出すと間もなく長塀山(ながかべやま・ちょうへいさん・2565m)の狭くて展望の殆どない山頂を通り過ぎる。妖精の池周辺のお花畑でハクサンフウロやクルマユリやミヤマアキノキリンソウなどの花を愛でてから、なお少し進むとようやく森林限界を抜け、ここからはハイマツと石ころの世界だ。ホシガラスがハイマツの松ぼっくりを口に咥えながら飛んでいる。
 先頭に立っていた私は、ここでニコッと笑って、振り返って後方を指差す。山頂部に雲がかかっていて下半身だけの穂高連峰だったが、その絶景を見てメンバーたちから思わず歓声が湧き上る。これで、もう、今回の山行の半分は大成功だ。
 徳沢園から標高差1100mを登り切り、蝶ヶ岳の最高点(長塀ノ頭)で再び歓声を上げる。午後2時、線状凹地に建つ蝶ヶ岳ヒュッテに辿り着いた途端ガスってきて、雨が降ってきた。
 蝶ヶ岳ヒュッテは、お盆前ということもあり、メチャ混みは免れた。2畳に3人といったところで、まずまず快適だった。
 ヒュッテの夕食後、雨が上がっていたので、近くの「瞑想の丘」などを散歩してみた。西側斜面のハイマツ帯から6匹のライチョウ(家族連れ?)が出てきて、少し遠かったけれど、その可愛らしい姿を見せてくれた。暮れなずむ雲の合間から穂高や槍がその姿をくっきりと現した。稜線上の北側には明日目差す常念岳も、そのピラミダルな山容を見せている。風が殆ど無く、それほど寒くは無かったので、薄暗くなって山々の輪郭が不明瞭になるまで、私たちのパーティは三々五々、永いこと頂稜に立ち尽くしていた。東側を振り返ると、眼下の安曇野の明かりが美しく瞬き始めている。

 第3日目(8/9): 未明に起きて、暗がりの中、蝶ヶ岳ヒュッテ前の広場のテーブルで湯を沸かしていたら、メンバーたちも起きてきた。ダージリンの熱い紅茶に砂糖をたっぷりと入れ、それを7等分して皆で啜りながら、稜線上を行ったり来たり、刻々と移り変わる朝の山岳風景を楽しむ。
 5時からのヒュッテの朝食を済ませ、出発は6時丁度。瞑想の丘を越え、常念岳を目差す。今日は山行のクライマックスともいえる展望の稜線歩きだ。しかし、天候がすぐれない。あれよあれよという間に薄いガスが立ち込めて、近景を残して穂高・槍などの景色は消えてしまった。
 右手に蝶ヶ岳特有の二重山稜を見て進む。地味な白い花をつけたタデ科の植物(ウラジロタデかな?オンタデかな?)が、ザレた稜線にアクセントをつけている。日が照らないので岩場のトウヤクリンドウは花を閉ざしている。蝶ヶ岳の三角点を過ぎ、蝶槍の岩塔も乗り越えると、道は一気に樹林帯の中へ下っていく。
 やがてお花畑が現れる。既にニッコウキスゲの花期は終わっていて主役不在のお花畑だったが、それでもハクサンフウロや(ミヤマ?)トリカブトが彩りを添えている。マルバダケブキの黄色い花は萎れかけていたけれど、モミジカラマツやコ(ヒメ?)ウメバチソウやイブキトラノオの仲間たちは美しく咲いていた。鞍部と思われる小草原のミヤマシシウドが、相変わらず大きくて立派だ。
 いよいよ常念岳の登りにさしかかる。鞍部からの標高差は400m近くもあるだろうか。ゆっくりと、ナメクジが這うように花崗岩の稜線を登る。時折霧が晴れて大きくて威圧的な常念岳が眼前を覆う。高山植物のことや世間話などでガヤガヤと賑やかだったご婦人方も静かになって、荒い息遣いだけが後ろから聞こえてくる。 「ファイトォー!」 と、最後尾の佐知子が大声を掛ける。
 私にとっては8回目の、妻の佐知子にとっては3回目の常念岳の山頂は霧雨だった。記念写真を撮っている間に霧雨は止んだけれど、360度で見える筈の大展望は得ることができない。ここからの大パノラマを、北アルプスが始めてのメンバーに見せてあげたかった私は、じつはここで少々意気消沈してしまった。しかし、常念岳の山頂を極めた感動でウルウルしているご婦人や、満面の笑みを浮かべた他の皆さんを見て、なんだか私もとても仕合わせな気分になった。私たちのパーティーの他には誰もいない、大きなゴロ石が積み重なった狭い山頂で、少し寒かったけれど、そこには確かに無限に広がる温かい空間があった。
 小さな山頂の木祠を参拝して、ホッとしたら急に腹が減ってきた。そういえば、もう既に午後の1時をとうに過ぎているのに、まとまった食事をまだしていなかった。 「体力維持のためにも、少しでも食べておいた方がいいわよ」 と、ここでも佐知子のリーダーシップはナカナカのものだった。私も皆さんといっしょに、気を取り直して、和気藹々と遅めの昼食を摂った。
 常念小屋の赤い屋根を見下ろしながら、標高差400mの急勾配を下る。岩陰のあちこちにはトウヤクリンドウが小群生して咲いている。岩場の下りが苦手なメンバーもいて、超スローペース。小屋へ着く直前にとうとう雨が降り出した。時計を見ると午後4時を少し回っている。余裕のコース計画で良かったね、と、佐知子と目と目で話し合った。
 常念小屋では、ラッキーなことに、私たち7名だけの個室(約8畳)があてがわれた。夕食までの時間は、本降りの雨音を聞きながら、メンバーの飲んべえ二人と小屋の生ビールをたらふく飲んだ。そのうち雨は止んだようで、夜はぐっすり…。

 第4日目(8/10): 未明、常念小屋前の広い稜線(常念乗越)へ出てみる。沢山の懐中電灯の明かりが幻想的な光の行列になって天空へ向かう。常念岳山頂でご来光を拝むハイカーたちの行列だ。やがて安曇野に横たわる薄雲からオレンジ色の太陽が登り始める。振り返ると、常念小屋の頭上彼方の槍ヶ岳がモルゲンロートに染まっている。山の朝って、本当にいいものだ。
 小屋の朝食を済ませ、槍ヶ岳方面の景色に別れを告げ、下山を開始したのは午前6時丁度。安曇野へ向かって一ノ沢の左岸をひたすら下る。所々トリカブトが鮮やかに咲いていた。
 沢を高巻く「胸突八丁」を無事通過。ベンチがあったり、水場もあったりで、歩みは快調だ。狭い谷間の上流にサルの群れを発見して歓声を上げたりして、我が「山歩会」のメンバーは、今日も何時ものようにニギニギしく元気だ。しかし、ここでちょっとした「事件」が起きた。
 笠原沢出合の河原から少し進んだゆるやかな沢筋を歩いていたときのことだった。突然、鼻腔を刺すような強い刺激臭に全員が襲われた。何か訳の分からないまま危険を察知して、とにかく急いでその場を離れた。目からは涙、鼻水はジョロジョロ、喉も痛い。中には気分の悪くなったご婦人もいて、暫しの中休止。後方からやってきた二人の女性パーティーに話を聞いても、同じような症状で、首をひねって不思議がっていた。歩行に問題はなさそうなので、とりあえず再び歩き出す。誰かが「なんかの花粉じゃないの〜」と云っていたけれど、こんな強烈な花粉なんてありゃしない。オウム教のサリンや旧日本軍のイペリット(マスタードガス)…等の毒ガス説を、本気になって話し合った。
 ヒエ平の一ノ沢登山指導所に着いたのは午前11時40分頃だった。常駐の指導員にその話(毒ガスのこと)を話してみたけれど、前例も無い・聞いた事も無い・心当たりも無い、とのことであっさりとかわされてしまった。
 予約の客待ちをしていたタクシーの運転手さんにお願いして、ワゴンタクシーを手配してもらう。30分ほどでタクシーは到着して、私たちは車中の人となった。帰路、堀金村村営の温泉入浴施設「ほりでーゆ〜四季の郷」で山旅の汗を流した。その露天風呂からは、常念岳から蝶ヶ岳へ続く山並みが一望できた。今回私たちが歩いた稜線が全部見えているのだ。最高のエピローグになったね、と私たちは喜んだ。
 後日談だが、毒ガスと思ったのはクマ退治のスプレーであったらしい。そういえばトウガラシの粉を吸ったような刺激臭だった。前方を歩いていたハイカーが、多分、故意か誤ってか(それとも実際にクマに向かって)スプレーを撒いたのだろう。人騒がせな話ではある。何れにしても、全員怪我もなく無事に下山できたのはなによりだった。

ほりでーゆ〜四季の郷 安曇野蝶ヶ岳温泉「ほりでーゆ〜四季の郷」: 安曇野に下山してからの温泉入浴は穂高温泉郷や豊科温泉郷など沢山あって迷ってしまうが、風呂好きの私達にとっては嬉しい悩みだ。今回、タクシーの運転手さんの勧めで立ち寄ったのがこの「ほりでーゆ〜四季の郷」だった。堀金村村営の人気の温泉入浴施設。安曇野から常念岳を登るもうひとつの入口でもある三股へ向かう途中(須砂渡渓谷)に位置する。一ノ沢からの登山口であるヒエ平からはタクシーで約15分、JR豊科駅までは約10分の距離だった。平成7年の開業とのことで、各種の近代的な入浴設備を備えるている。圧巻は何といっても、露天風呂からその正面に望むことのできる常念岳〜蝶ヶ岳の景色だ。これは本当にいい。泉質は天然ラドン泉、とのことだが、成分表の表示などはどこにもなく、ちょっとアヤシイ。露天風呂は季節によってしょうぶ湯やゆず湯、どくだみ湯などに替わるという。宿泊や研修・宴会施設もある。循環、加熱。入浴料は一人500円だった。
  「ほりでーゆ〜四季の郷」 のHP

* 常念山脈: 松本平の西側に、標高差2000m近い高度で聳えて連なる北アルプス南東部の山脈で、槍・穂高連峰とは梓川を挟んで平行に対峙する。北端の唐沢岳(からさわ・2632m)から、餓鬼岳(がき・2647m)、東沢乗越を経て燕岳(つばくろ・2763m)、有明山(ありあけ・2268m)、大天井岳(おてんしょう・2922m)、横通岳(よこどおし・2767m)、常念岳(じょうねん・2857m)、蝶ヶ岳(ちょう・2677m)、大滝山(おおたき・2614m)、徳本峠を越えて霞沢岳(かすみざわ・2646m)まで、直線距離にして30キロメートルになんなんとする長大な山脈だ。山脈の最高峰は大天井岳だが、端正な金字塔の姿といい量感といい、中央に位置する常念岳を盟主とするに異存のある人はいないと思う。
 今回私達が歩いたのは、上高地から入山し蝶ヶ岳〜常念岳と北へ縦走して、常念乗越から一ノ沢を辿り安曇野へ下るという、北アルプス登山の代表的な入門コースのひとつだ。槍・穂高連峰の大パノラマを満喫できることでも定評があるが、ここで特筆すべきは、このコースは日本の高山蝶研究の第一人者であり写真家でもあった田淵行男さん
(1905-1989)ゆかりの場所でもある、ということだ。高山蝶9種のすべてが観察できたというこのコースを特に「アルパイン・バタフライ・コース」と名づけていたそうだ。

* 蝶ヶ岳の山頂について: 蝶ヶ岳は常念山脈の主峰の1座で、なだらかな頂稜からの穂高連峰の眺めは壮観だ。お花畑や独特の二重山稜をもつことでも有名だ。しかしながら、その「山頂」については案外ややこしい。というのは、蝶ヶ岳山脈とでも名付けたくなるほど南北に細長い頂稜には幾つものピークがあるからだ。最高点は蝶ヶ岳ヒュッテ南側直近の長塀ノ頭2677mだが、三角点2664mはヒュッテから稜線を北へ歩くこと約30分の位置にある。蝶槍の岩塔はその三角点から更に北へ約10分の距離にある。ヒュッテ北側直近には展望指示盤が置かれているピーク(瞑想の丘)もあり、なんか判然としない。所謂蝶ヶ岳の山頂と云う場合は最高点の長塀ノ頭を指すらしいが…。何れにしても、山頂標識の位置は、昔(確か三角点辺りにあったような…)とは随分と変わってしまったようだ。
 尚、蝶ヶ岳の山名の由来については、高山蝶が多いからではなく、豊科付近から山稜に見える残雪期の蝶の雪型によるもの、とのことだ。


軽登山靴のイラスト*** コラム ***
私の「山」の原風景

 私が初めて北アルプスを訪れて、その山岳風景に大感動したのは40年前の夏、高校一年生のときだった。クラスメートの3人と、当時は軽登山靴として脚光を浴びていたキャラバンシューズを履いて、頼りないガイドブックと5万図を頼りに、上高地から大滝山〜蝶ヶ岳〜常念岳〜大天井岳〜燕岳と縦走をした。キスリングのザックには、家から内緒で持ち出した鍋やまな板や包丁、大量の米と野菜と味噌などの調味料や缶詰類、そして飯盒、などでパンパンに膨れ上がっていた。今では信じられない事だが、食事時には、まず全員で燃料のマキを拾い集めた、と云ったら、時代の古さが分かるだろうか。実際は、当時すでにダケカンバやハイマツの小枝などはなかなか落ちておらず、薪の殆どを山小屋から買うことになったのだが…。
 新宿駅を前夜の「急行穂高」で発ち、はしゃいで殆ど睡眠をとらないまま、朝の上高地から徳沢園を経由して大滝山を目差したその第1日目。「歩き方」も「休み方」もへったくれもない、ただがむしゃらに歩いて、道に迷って、疲れ果てて、命からがら大滝小屋に辿り着いたのは夜になっていた。誰もが動くことさえ億劫になっていたそのとき、皆のために率先してマキ拾いや炊事を黙々とやっていたのが、何時もはおとなしいT君だった。楽なときには奪い合ってでもする仕事を、本当に苦しいときには誰もやろうとはしないものだ。私はT君をそのとき見直した。40年経った今でも彼は私の無二の親友だ。
 この山域(常念山脈)は私にとっての「山」の原風景。どんなときでも忘れることのない、心のふるさとだ。

* このときの徳沢園から大滝山へのルート(徳沢コース)は、今では廃道になっています。
*
 マキ拾いと炊事に懲りた私は、その翌年、新品のラジウス(石油コンロ)とコッフェル(登山用の鍋セット)を、親のスネをかじって購入しました。コンロについては現在は軽くて便利な最新式のガスコンロを使用していますが、アルミ製のコッフェルは今でも使っています。



蝶ヶ岳の頂稜にて
雲の切れ目から槍ヶ岳が顔を出す
槍ヶ岳を望む
ヒュッテ裏の崖っぷちに咲いていました
ツメクサとミヤマアキノキリンソウ

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No.167「奥鬼怒から物見山・大清水」へNo.169「白山(前編)」へ



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