No.178 大峰山と吾妻耶山(上州) 平成17年(2005年)6月12日 |
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→ 地理院地図(電子国土Web)の該当ページへ 上越国境近く、谷川連峰南側(群馬県側)の赤谷(あかや)渓谷に、ひっそりとたたずむ一軒宿の温泉(川古温泉)がある。関節痛などに効き目があるという温泉で、十日以上も前から私の父と母がそこで湯治生活をしている。もうすっかりよくなったというので、その老いた両親を迎えにウキウキと出かけた。ウキウキした理由は、川古(かわふる)温泉の近くには大峰山と吾妻耶山(あづまやさん)という、群馬や関東の百名山にも名を連ねる山があったからだ。どちらの山もどこかで聞いたことのありそうな懐かしい感じのする山名で、好奇心が湧かないのがおかしいくらいだ。ついでに登るのではなく、ついでに両親を迎えに行く、といった感じだ。マイカーの助手席には妻の佐知子がチャッカリと座っている。 朝の関越自動車道を快調に走り、月夜野インターから国道17号線に入る。左手に赤谷湖を見て、猿ヶ京温泉の少し手前(相俣交差点)を赤谷川が流れる谷に沿って右折し、3〜4キロほど先の十二神社の手前をさらに右折して南ヶ谷林道へ入る。私が両親を送ってきた帰り道に下見をしておいたので迷うことはない。 午前8時50分、二股の手前に車を置き、道標に従って林道を右へ歩き出す。ここにゲートがあり、ここから先は車は進めない。林道を暫らく進み、地形図と相談しながら登山道へ入る。人影は全くなく、緑まぶしい森をエゾハルゼミの大合唱が覆っている。 * じつは、歩き始めの処で道に迷って、藪漕ぎや沢登りの三点確保など、大変な目にあっています。30〜40分の間、道なき小沢を登りつめ、出たところがまだ林道でした。あまりにもかっこ悪いので、書くのを躊躇してしまいました。(^^;) [後日追記] この大峰山・吾妻耶山登山については、上越線の上牧(かみもく)駅から歩くか、上越新幹線の上毛高原駅などからタクシーで大峰沼登山口まで入るか、何れにしても大峰沼を経由して東側から辿るルートが一般的であるらしい。今回の私達のように西側の赤谷(高原千葉村)から南ヶ谷林道を利用して登るハイカーは、多分かなりの少数派だ。その証拠に、登山道では所々クモの巣が顔に巻きついた。そのクモの巣はうっとおしいほどではなかったが、本当にうっとおしくて不気味だったのはヤマビルの存在だった…。 登山道を少し外れて森の中で小用をたして(キジウチだ)、ホッとしてサーモスの熱いコーヒーを飲んでいたら、なにやら両足の脛(スネ)が痛痒い。梅雨時の薄暗くジメジメした森だ。若しかして…、と思ってズボンの裾をめくって驚いた。右脛は既に血だらけで、左脛には満腹になって丸々と太ったヒルが喰らいついていた。もっとよく見ると、靴を這い上がっているのやズボン裾の繊維の隙間から中に入り込もうとしているものなど、私の下半身はあちこちヒルだらけだった。「ヒルだ! ヒルだ!」 と騒いだら、佐知子も慌ててスラックスの裾をめくったりして、小枝を拾ってヒル退治をしていた。幸い彼女のほうは靴に数匹が這っていただけで、血は吸われなかったようだ。 私は重症だった。ヒルは血を吸うときに血液を固まりにくくする物質を注入するらしく、傷跡の出血がなかなか止まらない。なにしろじっくりとキジウチをしていたので、ヒルのいい餌食になってしまった。指でつまんで取り払おうとすると、その指に食らいついてなかなか離れない。タバコの火を近づけるといい、とか、昔誰かに聞いたことがあるが、そのときはすっかり忘れていた。それに、その場でつぶして殺してしまうのも、そのときは可哀想な気がして、結局振り払ったりしてヒルを駆除した。多分害虫なのだろうから、潰して殺してしまえばよかったのかもしれない。でも…、私の血を吸って体積が10倍ほどにもなったヤマビルは、きっと数週間後にタマゴをたくさん産むのだろうな、と考えると矢張り殺せない。人間を含めた動物たちからは超嫌われ者のヒルだけど、彼らにも生きる権利や子孫を残す義務はあるはずだ。私達夫婦のそれからのヤマビル対策は、休憩のたびにお互いの足元や帽子などをよくチェックする、ということに終始した。 スギ林を抜けるとアカマツ交じりの若い雑木林が暫らく続く。カラマツ林を過ぎ高度を上げてくると、少しヒノキも交じるけれど、ミズナラ、ブナ、モミジ類、オオカメノキなどの明るい広葉樹林だ。「赤谷越峠」の標柱の立つ稜線上へ出ると、形のいいツガがそれらに交じる。ウットリとするほどの美しい森だ。しかし、長い間はウットリとはしていられない。峠で小岩に腰掛けて休んでいるとみるみるうちにヒルが集まってきて、尺とり虫のような動作で、案外素早く靴を這い上がってくる。 「まったくしつこい奴らだ!」 と私。 「目も耳も無さそうなのに、一体どうやって人間の存在を感知するのかしら?」 と佐知子。 それから、仕方なく、足踏みしながら休憩する。下山してからこのヤマビルのことを宿(川古温泉)の女将に聞いたら 「この山域に昔はヒルはいなかったですよ。近年、サルが運んできたんです」 と云っていた。シカやサルやウサギなどのいる山では、特にこの時期、気をつけたほうがいいようだ。ところで、このヤマビルに天敵っているんだろうか? 赤谷越峠から大峰山を往復してみたが、登山道にひょっこり現れる大峰山の山頂は、樹林に囲まれていて展望はなかった。近くにテレビ中継塔の建物があるのも少しツヤ消しだ。二等三角点にタッチして、二つ持ってきたオニギリの一つを食べてから、稜線を北へ引き返し吾妻耶山を目指す。この頃から行き交うハイカーがチラホラと現れはじめた。
仏岩(ほとけいわ)方面への分岐の標柱が立つ地点で暫し立ち止まった。面白い地形や美しい樹林に見惚れながら歩いていたせいか、吾妻耶山の三角点を見過ごしてしまったようだ。 「少し戻って探してみる?」 と佐知子に聞いてみたけれど、案の定 「ノン!」 の返事。私達はピークハンターではないので三角点にはあまりこだわらないのだ。それにしても、吾妻耶山の山頂は少しややこしい。というのは、この山には二つの山頂があるからだ。三等三角点(点名:吾妻山)があるのは私達が何時の間にか通り過ぎてしまった西峰1322.6mで、そこから約350メートル離れた処に東峰1341mがある。いわゆる吾妻耶山の山頂という場合、最高点と石祠のある東峰を指して呼んでいるらしい。どうやら、二つの山頂を含むこの山の全体が吾妻耶山ということらしい。 三つの大きな石祠のある吾妻耶山(東峰)の山頂に辿り着いたのは昼の12時40分頃だった。大峰沼経由で登ってきたハイカーたちでけっこう賑わっていた。北面と東面が開けていて素晴らしい展望だ。ここに来るまで、ずっと樹林ばかりを眺めていたので特にそう思ったのかもしれないけれど、私達にとってめずらしいアングルのこの眺めは秀逸だった。正面(北面)には谷川連峰が、左から順に大源太山、平標山、仙ノ倉山、万太郎山、トマの耳(谷川岳)、白毛門と、ズラっと並んでいる。その右奥には平ヶ岳、尾瀬の至仏山、武尊山、日光の山々などが抑揚をつけながら連なっている。残りのオニギリの一つを食べながら、私達は随分と長い時間山頂に立ち尽くした。この山は、知っている人に人気のある「穴場」なんだな、と思った。 三社の石殿(真田家由来だそうだ)の説明板などをじっくりと読んでから下山開始。もと来た道を西峰近くまで戻り、仏岩方面の道標に従い右へ折れ、樹林の隙間から谷川連峰を正面に眺めながら稜線を北へ下る。私達が使っている古い登山地図には「この道は落石危険のため通行禁止」と書いてあるけれど、通行禁止の表示はどこにも無く、実際歩いてみても、急勾配だけれど危険は感じなかった。 林床のシダ類が燃えるような緑で、幻想的な美しさだ。花期の終わったシャクナゲ林を通り抜け、標高差にして200m近くも下ると分岐があり、ここを左折し、クモの巣を顔に巻きつけながら、ゆるやかにトラバースして赤谷方面へ向かう。 今朝来た道に合流し、尚も下り、林道脇に停めておいたマイカーに戻ったのは午後2時50分頃。鈍足で軟弱な私達夫婦にとっては丁度いい日帰り登山だった。 南ヶ谷林道の登山口から10分ほど車を走らせて、両親の待つ川古温泉へ到着した。宿の部屋に入るや否や、2週間近くの湯治療養ですっかり元気そうになった父が、近くの森を散歩していてヒルにやられた、と云った。笑いながら 「俺たちも…」 と云って、それで大いに気が合ってしまった。くつろいで靴下を脱ぐと、一匹のヤマビルがペッチャンコの干物になって内側に張り付いていた。これを見て、また大笑いだった。 川古(かわふる)温泉「浜屋旅館」: 上越国境近く、谷川連峰の南側、赤谷渓谷の真っ只中にひっそりと建つ、ひなびた一軒宿の温泉。車だと月夜野インターから約30分、水上インターから約20分の距離。各部屋の窓からは赤谷川の清流を見下ろすことができ、対岸の緑の山が大きくて深い。長逗留しても多分その景色に飽きることはないと思う。湯治客が多いというのも頷ける。ぬるめの湯はカルシウム・ナトリウム硫酸塩泉(弱アルカリ性低張性温泉・約40度)。湯量豊富の源泉掛け流し。男女別の内湯は木枠と石貼り。ロケーションに優れた大きな露天風呂と内湯の「ぬる湯」は混浴だ。何れの浴槽も底に玉砂利が敷きつめてあり、あちこちから源泉が直接湧き出ている。じっと浸かっていると身体中に細かい気泡がまとわりつく。気兼ねすることのない、実に気分のよい風呂だ。食事は地元で採れた山菜やきのこ、岩魚や虹鱒の料理など。宿泊料金もリーズナブルで割安感あり。入浴のみは1,000円。 私達もこの日(両親と一緒に)一泊したが、山旅にもお勧めの温泉宿だと思った。 「川古温泉」のHP
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