No.194-1 冬の 鍋割山1273m(丹沢) 平成17年(2005年)12月25日 |
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小田急線渋沢駅-《バス15分》-大倉〜二俣〜林道終点〜後沢乗越〜鍋割山1273m・鍋割山荘〜小丸1341m〜大丸1386m〜金冷ノ頭〜(大倉尾根)〜大倉-《バス15分》-渋沢駅 【歩行時間:
7時間(夜道を含む)】 |
鍋割山の山頂にて |
冬枯れの鍋割山稜 |
*** コラム ***
稜線上の登山道がブナの近くを通る箇所では木段や木道になっていて、張り出しているブナの根っこを踏みつけによる被害から守っている。シカなどによる食害が懸念される区間には保護柵がしてあったりして、至れり尽くせりの「自然保護」だ。それでも所々に立ち枯れているブナの大木がある。大気汚染による酸性雨などの影響か、ブナハバチなどの昆虫被害によるものか、はたまた地球温暖化などによる土壌の乾燥化が原因か、あるいは単純に寿命なのか、いまだにはっきりとした原因は分かっていないようだ。私個人としてはシカが主犯だと思っているが…、それらの複合的な要因によるものだろう、というのが現在の結論のひとつでもあるらしい。相変わらず林床は貧弱で、ブナの幼木は育っていないようだし、矢張り丹沢のブナは、何れ近いうちにシイ・カシ・タブなどの照葉樹に淘汰される運命にあるのじゃないだろうか。 「丹沢の奇跡」とも言われている僅かに残ったブナ林を未来永劫に残したい、と思う気持ちもあるけれど、それ(ブナ林の衰退)が自然の成り行きなのだとしたら、それはそれで立派な「自然」じゃなかろうか…。何百年後の、丹沢の鬱蒼とした(カシなどの)照葉樹の原生林、なんていうのもステキだと思う。仮に丹沢ブナのDNAの保存が目的の「自然保護」だとしたら、手間とお金をかけてむやみやたらに「保護」するのじゃなくて、必要最小限の人・モノ・金を投下した、ごく狭いゾーニングによる管理手法を積極的に取り入れてみたら如何なものだろうか。 私たち人間も、せめてブナと同じくらい、何百年も生きられるといいなぁ…。そうすれば、森の「自然の成り行き」を、かなりじっくりと見届けることができるのだけれど…。 ※ 丹沢のブナ林衰退の要因については「神奈川県自然環境保全センター」のHP等を参考にしました。
オーバーユースによってエグレた登山道を、無茶な考えかもしれないが、そのままにしておけばいい、と私は思うのだ。雨水が流れ込んだりして益々酷くなり、仕舞いには「沢」になってしまうかもしれない。そうなってしまうと限られた登山者のみの山道になったり、あるいは廃道になったりして、何れにしてもその山の「人気」がなくなって、静かさが帰ってくると思う。そして何百年という月日が経過したら、日本は温暖多湿で樹木の生育に適した環境だから植生がよみがえり、再び美しい山(森)になると思う。するとまた大勢の登山者や観光客などが入山するようになる。つまり、何百年サイクルの“いたちごっこ”でいいと思うのだ。登山道の補修や植生回復に尽力されているその地域の既得権者やボランティアのかたなどには大変申し訳ないが、この方法だと「自然保護」の手間も費用もかからない。(ただし、この場合でもレンジャーなどによる監視は強化されるべきだと思う。) 現在の地域の「自然保護」については、「自然」を売り物にしているその地域の関係者や宿泊施設などの既得権者(利権者)が主体になって論じられているケースが殆どだと思う。だから自然を守るために自然に介入して、現状維持や復活を提唱することになる。つまり人為的に管理する「保全的自然保護」の考えにどうしても傾きがちになる。 ケース・バイ・ケースの大前提を踏まえたうえで、自然保護の本流はあくまでも敢えて全く手を加えない「保存的自然保護」だ、と私は思う。自然を本当の自然にするためには、気の遠くなりそうな長い時の流れが必要だから、根気よくほっぽっておくのが最良だと思うのだ。そのためには、特に観光地については、その既得権者(利権者)たちに対する公費による補償も考慮したうえで、退いてもらうケースがあることもやむを得ないと思う。 少し無理のある考えかもしれないが、オーバーユースの登山道問題に限定した上で、如何なものだろうか。 * ハイカーや観光客などによる登山道や遊歩道のオーバーユースによる「自然破壊」の問題については色々と論じられているし、様々な対策・施策がなされているケースもあります。尾瀬がその典型ですし、この丹沢をはじめ各地の登山道でも深刻な問題になっています。 自然が好きで自然を大切にしたいのだけれど、歩くと自然破壊になってしまうという、つまり山歩きと自然保護の間に横たわる古典的なジレンマがあります。それらを正しい方法で両立させるのは難しいことかもしれません。上述の解決策は「時間の流れに任せる」という一見無茶とも無責任とも思えるものではありますが、「人間がほっぽっておいたものが本当の自然じゃないか」 といった私の考えに基づくものです。 ただし大前提があります。それは私たちハイカーの「良識」の問題です。人間が自然の中で歩くのを許されている道は、それはどんなに歩きづらくても「道」で、「道」から外れないように歩くこと、それは最低線守らなくてはいけない自然への思いやりだということを、まずハイカー全員が強く意識することが肝心です。草花を盗ったりゴミをばら撒いたり、なんてことはもってのほかですね。 * 本項では自然林に対しての自然保護について考えています。木材などの供給を目的とした人工林の“自然保護”については、複層林施業や里山の問題など、まったく違う考え方があります。老婆心ながら、念のため申し添えます。 自然と自然保護について: 当サイトのページです。参照してみてください。 |