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老木の桜並木
甘草水
三国山の山頂にて
生藤山頂のリョウブ
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展望とミズナラの純林が素晴らしい!
JR中央本線上野原駅-《バス20分》-石楯尾神社前〜山ノ神〜佐野川峠〜甘草水〜三国峠(三国山960m)〜生藤山990m〜茅丸1019m〜連行峰1010m〜大ゾウリ山840m〜醍醐丸867m〜和田峠〜陣馬高原下-《バス1時間》-京王八王子駅 【歩行時間:
4時間40分】
→ 国土地理院・地図閲覧サービスの該当ページへ
平成18年3月20日(快晴): 上野原駅前から一日に何本もない井戸行きの富士急山梨バスに乗り、その終点のひとつ手前の石楯尾(いわだてお)神社前で降りる。閑散としたバス停に降り立ったハイカーは私達夫婦を含めて3組の6〜7名だった。案内板などで今日のコースを予習してから、歩き始めたのは午前8時50分頃。他のパーティーはもうとっくに先へ行ってしまったようで、見渡すかぎりの山里の四方に人影は何もない。
道標に従って車道を歩くと、間もなく山道へ入った。里人の「山」に対する尊崇の深さの表れだろうか、木の材のまだ新しい小祠(山ノ神)が石段の上にきれいにされていた。この地域は、山中の石祠や石仏(馬頭観音など)の付近も掃き清められていて、とてもよい気分だ。
鬱蒼としたスギやヒノキの林の中を、大きくジグザグしながら、ひたすら登る。クラフトに使えそうなヒノキの実がたくさん落ちている。やがて広葉樹の雑木が交じりだすと少し明るくなってきた。落ち葉で判断すると、雑木の主人公はコナラ、クヌギで、脇役はクリ、シデ、ホオ、カシワなど。つまり人の手が加わった典型的な二次林のようだ。などと、下ばかり見て歩いていたら、辺りが一層明るくなって、ヒョイと稜線上の佐野川峠へ出た。これからはずっと尾根歩きだ。木々の隙間から遠くの景色が見え始めた。
その明るい尾根を左折して北上して、ソメイヨシノの桜並木で有名な箇所を通過する。花の咲いていないサクラは山では脇役だ。頭上の枝にはまだ固そうな花の蕾が見えているけれど、それらは老木で、ガイドブックによると往年の花の勢いはないという。
再び落葉を見ながら歩いていると嬉しい発見があった。佐野川峠へ出るまでの山腹では確かに葉柄のある(長い)コナラだったのだけれど、何時の間にか葉柄の無い(極端に短い)ミズナラが主役の自然林になっていたのだ。林床はクマザサよりも一回り小さくて細長いミヤコザサだ。空は快晴で、左手には富士山が見え隠れしている。私達はルンルン気分だった。
本道から右へ逸れて100m近くトラバースすると甘草水(かんぞうみず)の水場があった。説明板によると、日本武尊東征の際の伝説を秘めた由緒ある「水場」であるらしい。私達は飲まなかったが、チョロチョロと流れる水に手をやると、気温が低いせいか意外にも生ぬるく感じた。この甘草水の一滴は佐野川〜沢井川〜相模湖(相模川)となって太平洋へ注いでいる。 「脇にある石祠になんとなく合掌してしまったけれど、柏手を打ったほうがよかったのかしら…」 と妻の佐知子が云っていた。
稜線上の本道に戻り、更に北進する。所々のサクラの植樹が、何時の間にか老木から若木へと変化している。近年になって植え付けたもののようだ。あと1ヶ月もすれば、このあたりは「花見」の絶好のポイントになり、たくさんのハイカーたちで賑わうのだろうな、と思った。
神奈川県と山梨県の国境をゆるやかに登ると主尾根とのT字路に出る。向こう側(北側)は東京都だ。この国境の長大な尾根道は「関東ふれあいの道(首都圏自然歩道)」にもなっていて、左へ続く稜線(笹尾根)の先には三頭山が聳えている。私達は右(東)へ進路をとり、神奈川県と東京都の境を進む。
T字路から数十メートルの距離に、小峰の三国山(三国峠)の山頂があった。ほぼ360度の展望の良い山頂だったので、ここで長いこと山座同定を楽しんだ。西面の上野原や大月の谷間の向こうには、道志と御坂の山々の狭間に大きな富士山が聳えている。三ツ峠山の右奥、南大菩薩の頭越しにピョコンと頭を出している白峰たちは、あれは南アルプスの聖岳・赤石岳・荒川岳のスリーショットだ。その手前の扇山や権現山が近いせいもあって案外とかっこいい。その更に右手、西面から北面にかけては大菩薩や秩父や奥多摩の山々が連なっている。南面を振り返ると丹沢山塊がズラっと、これも分かりやすいアングルで横たわっている。眼下の麓に点在するゴルフ場の景観は、常に非難の対象にされるけど、見ようによっては美しくも感じる。
見えている山々の名前は、佐知子と私の記憶を合わせるとそのかなりの山座を同定できる、ということが何故か信じられない。山歩きを再開した十数年前のころ、遠くの山々を眺めてすぐにその山名を言い当てる山慣れしたハイカーに、私達は不思議な感慨と羨望をもったものだった。何時の間にか、私達もベテランハイカーになってしまっていたのかなぁ、と、ふとそんなことを思った。
三国山960mとその東隣に位置する生藤山990mの背丈は殆ど同じくらいに感じた。両峰間の距離は凡そ120mぐらいで、鞍部から岩道を登り返すと、あっという間に生藤山の山頂だった。三国山と同じくらいの広さの、つまりそれほど広くない山頂だが、ここには二等三角点がある。それ故に、多分、このコースを紹介するガイドブックは生藤山を代表として、その1座のみで表現しているのだと推測した。ここは神奈川県最北の地点でもある。近年、展望のために山頂部の樹木を伐採したとのことだが、けっこう若木が育っていた。疎に生えた冬枯れの樹林、ということもあって、この山頂も三国山に負けず劣らずの良い展望だった。
ヒオドシチョウ?
大ピンボケ <(_ _)>
醍醐丸の山頂にて
和田峠へ到着
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早めの昼食後、生藤山990mから本コース最高点の茅丸(かやまる・1019m)、連行峰(れんぎょうほう・1010m)、大ゾウリ山840mとアップダウンしながら、武相国境に沿って東へ進む。主だった樹種はミズナラ、リョウブ、イヌシデ、アカシデ、アオダモ、ヤマボウシ、ミズキ、ネジキ、モミジ類などの落葉広葉樹で、それに常緑樹のアカマツとヒノキとアセビが交じる。茅丸から連行峰へ至る稜線上のミズナラの純林が特に見事で、新緑の頃にもう一度歩いてみたいと思うほどだった。
一匹の蝶々が目の前に飛んできて登山道の小石の上にとまった。気温はまだ寒いのに、この日差しに思わず蛹(さなぎ)から出てしまったのだろうか。枯葉模様の地味な色だったが、羽を広げると鮮やかなオレンジ色に黒の紋が美しい蝶々(ヒオドシチョウ?)だった。暫らくの間ベタッと羽を広げたままだったのでカメラを向けたら、ヒラヒラと、しかしヨタヨタと、何処かへ飛んでいってしまった。
主稜線上の各山頂には巻き道があって、そちらを辿れば幾分かは楽だったのかもしれないが、私達は律儀にも各ピークを必ず通過した。それを言い訳にはしたくないけれど、醍醐丸(だいごまる・867m)からヒノキ・スギの植林地帯を下ってドスンと和田峠へ出たときには、けっこう疲れてしまった。当初の計画ではここから陣馬山へ登って、栃谷尾根を南下して「陣馬の湯」で汗を流してから帰路に着く予定だった。 「陣馬山へは一度登っているし、やはりここから陣馬高原下へ下ろうか」 と云ったら、案の定、佐知子は全然反対しなかった。
そうと決まれば和田峠で「のんびり」するしか手はない。大きな駐車場の周りをグルグル散策したり、南側の陣馬山855mへ続く長い丸太階段の入口を確認したり、威勢のいいオバチャンがしきる茶店で佐知子はジュース、私は缶ビールなどを飲んだりした。それから、まだ燦々とお日様が降り注ぐ車道(和田林道)を、私達はゆっくりと北へクネクネと下った。この峠道も、昔から甲州街道の裏道として利用されてきたらしい。車道の右側に沿う案下川(多摩川の支流)の沢筋には「不法投棄」のガラクタが散在していたけれど、流れている水はとてもきれいだった。
和田峠からはゆっくり歩いたのだが、50分足らずで陣馬高原下のバス停へ着いてしまった。ほどなくして1時間に1本の、3時15分発の西東京バス(*)が到着した。
のどかな山里を走るバスの座席で、「里では梅の花が散り始めているけれど、山道はまだ冬だったね」 と話しかけたら、佐知子はもう既に眠っていた。何時の間にか私も眠っていたようだ。騒がしくなったなと思って目を開けたらバスは満員で、辺りはビルディングだらけの八王子の街だった。
* この後、陣馬高原下行きバスの始発は京王八王子駅前から高尾駅北口に変更されています。[後日追記]
* 三国山(みくにさん・みくにやま・960m)と三国峠について: その山名が示すように、この山頂は甲州(山梨県)・武州(東京都)・相州(神奈川県)とを分ける三国境だ。「日本山名事典(三省堂)」には三国山と三国峠は同一のものであるような記載がされているが、一部のガイドブックなどには三国山の山頂と三国峠との位置は微妙に違っているようにも記述されている。実際のところ、山頂は確かに判然としているが、その少し手前(西より)のT字路辺りの小平地を特に三国峠と云うのか、現地の道標などからははっきりとした答えは出てこなかった。江戸時代後期の地誌「新編武蔵風土記稿」には三国峠と書かれてあるそうで、関東では尖峰さえも峠と表記する習慣があることなどからも、矢張り三国山と三国峠は同一のものであるとするのが正しいようだ。
「日本山名事典」を開いたついでに調べてみると、全国の三国山はこの甲武相国境にある三国山を含めても19座しかなく、私の主観だが、案外少なかったんだなぁ、と思う。
* 生藤山(しょうとうさん・きっとさん・きふじやま・990m)の山名について: 藤野山岳協会とNPO北丹沢山岳センターの解説板(甘草水脇に設置)によると、生藤山は昔「きっと山」と呼ばれていたらしい。「きっと」に「生藤」の字が当てられて「生藤山(しょうとうさん)」になったのだろう、ということは容易に推測できる。しかし「きっと」の意味は何だろうと考えて分からなかった。帰宅してから「きっと(屹度・急度)」の意味を広辞苑で調べると、「たしかに・必ず」などの意味の他に、「おごそかに・きびしく」や「動かずにじっとして」などの意味があるようで、多分そんな意味だったのだろう、と勝手に解釈してみた。しかしこれが全くの見当違い。その後、色々と調べてみると、どうやら正解は次の二通りの何れか(又は両方とも)のようであった。やはり素人のあてずっぽうは危険である、と、しみじみと反省した。
正解その1: 昔、国境の木は伐らないルールがあって、生藤山は二国国境なので「切り止め山」と呼び、これが「きっと山・生藤山」となり、しょうとうさんと呼ぶようになった。【フリー百科事典「ウィキペディア」】
正解その2: (小鳥の)ホオジロのことをセットウなどと呼ぶので、御坂山塊の節刀ヶ岳(せっとうがたけ・1736m)同様、「ホオジロの多い山」の意味ではないかといわれている。【「山名の不思議(平凡社ライブラリー)」・谷有二著】
三国山付近の稜線より
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稜線のミズナラ林
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再び生藤山へ
平成21年11月8日(高曇り): 山の仲間たち(山歩会)と同コースを歩きました。染まり始めた黄葉を愛でながらの楽しい山行でした。三国山や生藤山の山頂周辺の樹木が育っていて、幾分展望がスポイルされていましたが、都心から近い割には相変わらず静かで素晴らしい山域です。
昼食は三国山山頂のベンチとテーブルを利用しましたが、これは正解でした。生藤山の狭い山頂は数組のハイカーたちで大混雑していました。
この日は石楯尾神社前バス停から歩き始めたのが10時15分頃と遅かったせいもあり、和田峠へ着いたのは午後3時40分頃になっていました。峠の売店でビールやジュースなどを飲んだりして反省会(ミニ宴会)をしましたので、時間がどんどん流れ、陣馬高原下バス停までのアスファルトでとうとう日が暮れて、各々が懐中電灯を点けました。1時間に1本の、17時40分発の高尾駅北口行きのバスで帰路につきました。このバスの最終が21時35分というのが心強いです。
心地よい疲労感がこのトレイルのよさを物語っていました。
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