世界一の大絶景だ!
第1日=JR大糸線穂高駅-《バス55分》-中房温泉(焼山源泉めぐり) 第2日=中房温泉〜第1ベンチ〜第2ベンチ〜第3ベンチ〜富士見ベンチ〜合戦小屋〜合戦沢ノ頭〜燕山荘〜燕岳〜燕山荘 第3日=燕山荘〜蛙岩〜燕山荘〜合戦小屋〜中房温泉-《バス55分》-穂高駅
【歩行時間:(第1日=30分) 第2日=6時間30分 第3日=4時間】
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中房(なかぶさ)温泉行きの路線バスやアルプス銀座の老舗・燕山荘(えんざんそう)などは、例年GWの頃から営業を開始する。早すぎるとまだ開いていないし、GW中は混雑しそうだし、あまり遅すぎると雪山の気分が遠のいてしまう。4月の中旬を過ぎてから、朝に昼に夜に気象庁のサイトにアクセスして、移り変わる天気図とにらめっこする毎日が続いた。自宅の片隅には冬山装備を詰め込んでパンパンに膨れ上がったザックが二つ、常に出番を待っていた。
立夏(5/6)は過ぎてしまったけれど、満を持した「その日」がやってきた。5月8日の夕方から10日頃までは、微かに(弱い)高気圧が北アルプスを通過しそうな気配だ。この時期を逃すと当分の間、晴れ間はないようだ。私達夫婦は神にも祈る気持ちで、いそいそと出かけた。
第1日目(5月8日・曇り): JR大糸線の穂高駅前から、午後の便はこれっきゃないという2時50分発の私営バスに乗り込む。登山姿の私達の他には地元の乗客が2〜3名だけの、閑散とした小型バスだった。この中房温泉行きの乗り合いバスは、かつて(私達がまだ充分に若かった頃)は1駅先の有明から出ていたと記憶しているが、それが穂高からの路線バスに移行して、それも廃線になって久しい。安曇観光タクシーと安南タクシーの両社が交互で運行しているこのバス路線は、割と最近開業したらしい。
有明山の左裾を通り、犀川に注ぐ中房川に沿って小型バスは遡上する。目を半開きにしてウトウトしていると、山里の木々の芽吹きが萌黄色の美しいカーテンになって、車窓を横に流れている。
中房温泉: 燕岳登山口奥の標高1462m、中房川上流とその支流の合戦沢との出合いに位置する一軒宿の秘湯。この谷間一帯は中房温泉オーナーの所有だという。背後の源泉地帯でもある焼山など、野趣溢れる外湯廻りだけでもちょっとしたミニハイキングだ。建物は高級感のある別館と登山客用のひなびた本館に分かれている。それらの内湯と外湯を合わせて大小12以上もの個性ある各種の風呂が用意されている、というのは驚きだ。温泉好きの私達にしてさえ、一泊ぐらいではとても全部の温泉に浸かることはできない。とにかくスゴい!
と思った。泉温70度〜97度、完全な源泉掛け流し、単純硫黄泉、湯量豊富、無色透明、微かに硫黄の臭い、アルカリ性特有のヌルヌル感あり、湯温管理はしっかりしている。焼山の地熱を利用した種々の食材の「地熱蒸し」を屋外で楽しめる、というのは家族向けにいいかもしれない。私達は登山客用の本館で1泊2食付一人9,390円だった。別館だと2万円ぐらいするらしい。
夕食前に、足慣らしを兼ねて焼山の源泉廻りをしてみた。ゆっくり歩いて30分弱だった。その途中、私は「白滝の湯」というのに浸かったが、誰もいないのに佐知子は恥ずかしがって入らなかった。そんな歳でもないだろう、とも思うのだが、まぁいいか。それやこれやで、久々の温泉三昧の夕べを過ごした。
「中房温泉」のHP
合戦小屋で大休止
森林限界を抜けた!
「疲れたよぉ…」
燕岳へ向かう
花崗岩のオブジェ
燕山荘
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第2日目(5月9日・晴れ): 朝から快晴だ。快適な中房温泉のおかげで睡眠充分、体調もすこぶる良い。歩き始めたのは6時少し過ぎ。1週間前に開業したばかりというこじんまりとした日帰り入浴施設「湯原の湯」の前を通り、北アルプス三大急登のひとつといわれる合戦尾根にとりつく。ウグイスやカラ系の小鳥たちは盛んに囀っていたけれど、植林されたカラマツなどは芽吹いておらず、まだ冬枯れの景色だ。サルが3〜4匹、クマザサの藪の中で動き回っている。
残雪が次第に多くなってくる。30分ほど登った第1ベンチで宿の弁当(朝食)を食べる。ササの葉で丹念に包んだ中華チマキで、そのねっとりとした旨みと笹の優しい香りがなんとも云えず、とても美味しかった。辺りの林床が似たようなササ(多分クマイザサだと思う)なので、捨てちゃっても全然罪悪感を感じないのがいい。
第1ベンチの少し手前から自然林になっていて、ミズナラ、ダケカンバ、コメツガ等のおなじみの亜高山性の樹木たちに暫らくの間はアカマツやネコシデなどが交ざる。第2ベンチ(標高1820m)でも中休止。5月上旬とは思えない暖かさで、上着もセーターもいらない。佐知子は長袖のTシャツ1枚でもフーフー云っている。ザックが重たいので、思うように前へ進めない。第3ベンチからストックをピッケルに持ち替える。太股まで潜ってしまうほどの「足ズボ」を何回か繰り返した。急傾斜だがザラメ雪なので、アイゼンは必要無さそうだ。トレースはしっかりしている。
樹高が段々と低くなり、樹林に隙間が出てきた。富士見ベンチ(第4ベンチとは呼ばない)を、雪に埋もれていたせいか見過ごして、何時の間にか通り越していた。益々辺りが開けてきて、左前方に燕岳から大天井岳へ連なる白い主稜線の一部が見えてきた。あの稜線の出っ張りは蛙岩(げえろいわ)に違いない! 感動しながら眩しくて、サングラスをつけた。
建物の半分が雪に埋まった合戦小屋では、若い管理人さんが一心不乱に小型除雪機を操作していた。現れたテーブルを利用させてもらって、早めの昼食(メロンパンとアンパン)をここで摂った。サルオガセが近くのコメツガの幹にぶら下がって風に揺れている。そういえば何時の間にか(コメツガに代わって)オオシラビソが優先している。地形がなだらかになってきたのとも関係がありそうだ。…これからがいよいよ本コースの真骨頂。吹きさらしの白銀の尾根で、前方に広がる豪快な峰々を眺めながらの、素晴らしい「時間」が始まる。
しかし再び急登だ。汗が身体中から噴き出して、サングラスの内側に額からの汗が滴り落ちる。痩せたダケカンバ林が益々疎になり、ついに森林限界を超えたようだ。合戦沢ノ頭(標高2489m)からは幾分傾斜が緩やかになり、正面には燕山荘の建つ小ピークが見えている。右手には燕岳、餓鬼岳、有明山など。左手には常念山脈の主稜線とその奥に槍ヶ岳が一段と高く天を突いている。ここ暫らくは本格的な登山をしていない佐知子は、すでに、めずらしく、バテバテになっている。 「熱いよぉ。頭が痛いよぉ。高山病だよぉ。疲れたよぉ…」 と、けっこううるさい。
ペースダウンの(いつもの)ゆっくり歩行で、燕山荘に着いたのは午後1時30分頃だった。しかし、佐知子はスゴい。ここで缶ジュースを買って飲んで、穂高・槍から立山へ続く大パノラマを眺めていたら、あっという間に体力が回復してしまった。だから、やっぱり、女は強くて怖いのだ。私はというと、山荘の生ビールを飲んだこともあるが、ここへきて急にヘロヘロになってきた。
燕山荘に不要な荷物を預けて、身軽になって燕岳を往復(歩程約1時間)した。燕山荘付近を含めた主稜線上は、風が強いせいだろうか、雪が吹き飛んでいて地肌が露出している箇所が多く歩きやすい。いくつかの白茶けた「花崗岩のオブジェ」を通り過ぎる。佐知子が足取りも軽く先行する。私は 「風邪をぶり返したようだ。鼻水が出る。喉が痛い。腰が痛い。足が痛い。痔が痛い。水虫がカユい…」 とぼやきながら、佐知子の後に従う。
燕岳の狭い山頂は、夢のような素晴らしい小1時間だった。直近の北燕岳ピーク後方の後立山連峰や剣岳は少し雲にかかっていたけれど、立山連峰からの西面は相変わらずくっきりと見えている。烏帽子、野口五郎、水晶、鷲羽、三俣蓮華、双六、笠…などの白い峰々は、高瀬川の流れる谷を挟んで凄まじい高度差で、横一線の巨大な壁となって眼前に立ち並んでいる。そしてその左手の、西・北・東の3つの鎌尾根の頂点には、小槍を従えた槍ヶ岳が高々と聳えている。雪をたくさん貼り付けたそれらの山岳風景は、無雪季のそれと比べると尚一層壮観だ。北アルプスのこの大絶景は、41年前に私が初めて眺めたときからずっと感じていることだが、「世界一の景色」だと思う。
山頂を辞すとき、傍らに置いていたザックに目をやると、そのすぐそばまでイワヒバリが来ていて、赤茶色の羽の縞模様を見せてくれた。それは案外美しかった。
* 燕山荘(えんざんそう・標高2680m): 創業は大正10年というから、この山域では常念小屋に次ぐ老舗的な存在だ。北アルプスの大衆登山化にも大きな足跡を残しているという。
この日は私達夫婦を含めての泊り客は6名で、600名スペースの594人分は使われなかったことになる。3代目オーナーの赤沼健至氏は不在で、名物のアルプホルンの演奏とかスピーチなどは聴けなかった。
私達宿泊客にオーナー宛の葉書が配られるが、これが目安箱のような働きをして、山荘のサービス向上に一役買っていると思われる。それらの経営努力のたまものだろうか、設備といい、従業員たちの対応といい、生ビールの旨さといい、全く素晴らしい山小屋だと思った。1泊2食付で9,000円というのも、もうほとんどホテルなみだが…。
ただひとつだけ不満な点はあった。それは、お茶は飲み放題なのに「お湯」は分けてもらえなかった、ということだ。1本250円のペットボトルの飲料水(500cc)を買い求めるのはやぶさかではないが、有料でもいいからお湯の提供はしてほしかった。コンロを持参したので、翌朝、熱いコーヒーをポットに詰めることはできたのだが…。まぁ、山小屋で欲を云ったらキリはない。
41年前(昭和40年夏)から平成元年に子供連れで表銀座を歩くまでに、7〜8回はこの山荘を利用しただろうか。当時と比べると、石垣なども整備されて、益々立派になっているようだ。
* この後(同年11月)、本HPのBBS(掲示板)に彩里さんから 「一泊した燕山荘で快くお湯がもらえました」 という情報(投稿)をいただきました。オーナー宛の葉書(目安箱)に一言書いた成果かなぁ、と一人合点して、悦に入った私です。[後日追記]
「燕山荘」のHP
露岩帯(蛙岩)に到着
世界一の大絶景ね!
中房温泉「湯原の湯」
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18年後の「湯原の湯」
撮影日:2024年8月2日
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第3日目(5月10日・曇り): ミズノ(株)と燕山荘オーナーが共同開発したというシュラフ型の布団(“スペシャル寝具”というのだそうだ)で温かくしてぐっすりと眠ったので、私も佐知子も体調絶好調になった。山荘前の広場から、ぼんやりとした太陽が薄霧をかき分けて昇るのを見た。
6時からの朝食後、このまま下山してしまうのは勿体ないと思ったので、砂礫と岩とハイマツの主稜線を蛙岩(げえろいわ)まで往復してみた。往復1時間強の歩程だが、これがまた、全く素晴らしい稜線散歩だった。
今朝は槍ヶ岳山頂部は雲の中だったが、そのかわり、振り返ると後立山連峰の針ノ木岳などがくっきりと見えているし、安曇野側(東面)も霧が晴れている。眼前(西面・裏銀座)の凄まじい白壁は相変わらずだ。松本平・安曇野の所々に照り映えて光っているのは、田植え時の水を張った田んぼの反射に違いない。
蛙岩の岩場で、景色をたっぷりと眺めたり、岩登りの真似事をやってみたり、チョコレートをつまみにサーモスの熱いコーヒーを飲んだりした。そしてそれは、山登りをやっていてほんとうによかったと思う至福の時間でもあった。
満ち足りた気持ちで踵を返す。燕山荘から再び重たくなったザックを担ぎ、美しい景色を惜しみながら、来た道を下る。
時間調整の意味もあって、いつもより更にゆっくり歩いて、登山口に下りついたのは午後1時50分頃だった。ここにある中房温泉「湯原の湯」で一風呂浴びて、美味しい生ビールを飲んだのは云うまでもない。来たときと同じ運転手さんの穂高行き16時発の小型バスに乗り込み、あとは山里の新緑を楽しみながらウトウトするだけだ。極楽極楽!
穂高駅のホームで電車を待っていたら、ぽつぽつと雨が降り出した。それでも高曇りで、走り出した電車の窓から振り返ったら、黒々とした大きな塊の有明山の右奥に餓鬼岳が、そして左奥には燕岳が、純白の稜線をくっきりと見せつけていた。
中房温泉「湯原の湯」: 平成18年5月2日(つい1週間前のことだ)に開業した中房温泉の日帰り温泉施設。燕岳登山口の、まさにそこに位置する、カンペキに登山者向けの温泉だ。こじんまりとした可愛らしい造りで、無垢材を使用した檜の床と杉の壁がとてもいい香り。風呂は男女別の小広い露天で、燕岳で見たのと同じような白茶けた花崗岩を配してある。職人さんや宿の番頭さんなどが外周の配管点検をしたり、「生ビール」の新しい看板を立てたりしていて、まだ出来立ての初々しさがある。管理人の若婦人(美人だ!)も、私達にとてもよく気を遣ってくれて、こちらもなんか初々しくて、ほろっとしたいい気分で入浴を満喫できた。泉質などは、当然のことながら中房温泉そのままだ。この風呂は、今年のシーズン(夏)からは、きっと大人気になると思う。入浴料は一人700円だった。
* この18年後の夏に同温泉施設を利用する機会(→常念山脈・5日間の山旅)に恵まれました。無垢材の外壁などがこげ茶色に塗られていたりして、よりシックで落ち着きのある雰囲気になっています。食堂(休憩所)も整備されていて、湯上りに蕎麦などの食事もできるようになりました。源泉掛け流しの名湯も生ビールの旨さも相変わらずで、意外とひっそりとした静かな環境だったのも当初と同じで、それは嬉しい想定外でした。営業時間は9:30〜17:00(受付終了16:00)、入浴料は@950円と値上がりしていました。まぁ、インフレの昨今ですから、致し方がありませんが…。
大きな写真でご覧ください(ここをクリック) |
燕山荘は目の前だ
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鎌尾根の頂点に槍ヶ岳
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北ア裏銀座の峰々
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燕岳山頂部
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北燕岳方面を望む
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大天井岳へ続く主稜線
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