「不遇の山」は緑の大金字塔
《マイカー利用》 第1日=中央自動車道・須玉I.C-《車90分》-金峰山荘(廻り目平)〜(屋根岩パノラマコース)〜(カモシカ遊歩道・唐沢ノ滝見物)〜金峰山荘 第2日=金峰山荘〜(カモシカ遊歩道)〜弘法岩〜小川山2418m〜2347m峰〜2290m峰〜八丁平〜(砂洗沢)〜金峰山登山口-《ヒッチハイク10分》-金峰山荘…(帰路・信州峠を経て増富温泉で入浴)…須玉I.C…
【歩行時間: 第1日=2時間40分 第2日=6時間30分】
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奥秩父の主稜線上から北面を眺めたとき、眼前にひときわ目を引く大容量の金字塔がある。その立派な緑の“独立峰”が小川山だ。地形図で見ると、なるほどこの小川山は、瑞牆山・金峰山・甲武信岳と続く主脈を底辺とした不等辺三角形の西の頂点に位置している。少なくとも瑞牆山よりはずっと背は高くて大きいし、甲武信岳のようにぼんやりとしたスタイルではないし、金峰山と比べても、その容姿においての好き嫌いの差は微妙なものだとも思う。それなのに何故「不遇の山」なのか。奥深いので麓からは見えにくく交通の便も悪いから? 首都圏からの日帰り登山にはきつすぎるから? 「小川山」という山名がイージーすぎるから? 山頂が樹林に囲まれていて展望が無いから? それとも深田久弥や田中澄江の「・・百名山」の選から漏れてしまったから? などと、いろいろとその理由を考えてみた。すると、ふと思い当たるフシがあった。
明治・大正・昭和の初期にかけて、まだ当時は未開であった奥秩父の深山を彷徨し、それらを世に知らせしめたのは小暮理太郎や田部重治などの近代日本登山史上の大先達たちだった。しかし不思議なことに、この小川山に関しては、彼らの有名な山行記録文にはその記述がほとんど無い。昭和の大衆登山ブームに絶大な影響力のあった山の作家たち(尾崎喜八、原全教、辻まこと、串田孫一など)の紀行文にも、この小川山が主人公、または名脇役として登場したことはない(*)。そして、この山を舞台にした歴史上の「大事件」もなかった、ということ。それらがそもそもの(小川山不遇の)原因ではないかと推察してみた。それは判官びいきの私の「思いつき」程度のものだけれど、案外当たっているかもしれない。
近年に於いては、その東面に散在する岩峰群がフリークライミングのメッカとして名を馳せていることもあり、必ずしも「不遇」とは云えないかもしれない。しかし、それ(不遇)でよかったと思うのは、この山の本体が未だに手付かずの「静けさ」を保っている、ということだ。実際この山は、亜高山性の深い原生林に包まれた「自然がたっぷりの」山だった。おまけに、私達夫婦が今回歩いたトレイルは、無いと思っていた展望箇所が其処彼処にあり、岩場もあり、渡渉もあり、と変化に富んでいて、山歩き本来の面白さを凝縮した素晴らしいものだった。
* いにしえの著名な山の作家たちの奥秩父紀行文のなかで、小川山に関する記述が出てくるものを、私の(薄識の)記憶を辿ってみたけれど、なかなか思い浮かばない。本文でも書いたが、小暮理太郎や田部重治などは、その著書で小川山を特に紹介していない。尾崎喜八の有名な「花崗岩の国のイマージュ」においては、瑞牆山山頂からの山岳風景描写の文中にその山名が登場するが、山名のみである。また、尾崎喜八から「秩父の王子」と称さ れた原全教の紀行文においても
「…奥秩父の三怪峰は東の和名倉、西の小川、そして弥次の平である…」 と記されてはいるが、それだけである。何れにしても、小川山は全く主人公ではない。近隣の山稜からはあんなに立派で目立つ山なのに…、と、ほんとうに不思議である。
●第1日目(5/24・曇) 登山日前日、唐沢ノ滝を見物
第1日目
小川山東面の岩峰群
コース途中の東屋
唐沢ノ滝
キバナノコマノツメ?
金峰山荘
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第2日目
アズマシャクナゲ(蕾)
「展望台」の岩場にて
弘法岩の一角
シャクナゲのトンネル
小川山の山頂
2290m峰からの大展望
「裏」から眺めた瑞牆山
バイカオウレン
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レタス畑が広がる川上郷に入り、千曲川の支流である金峰山川に沿って車を遡上させると、三方に岩峰を配した、なんとも云えず風光明媚な谷間の平地へ出た。ここが東股沢と西股沢の合流点(廻り目平)で、右側の車道(西股沢)をさらに少し進むと駐車場やキャンプ場を完備した金峰山荘がシラカバ林の中にひっそりと建っている。このエキゾチックな景観は、まるで北海道の層雲峡や天人峡のようにも見えたので、それがまずちょっと驚きだった。
朝ゆっくりと自宅を発ったので、今日は睡眠充分で妻の佐知子も私も体調はすこぶる良い。明日の小川山登山の足慣らしを兼ねて、金峰山荘裏手の大駐車場から続く遊歩道(屋根岩パノラマコース)へ足を踏み入れた。遊歩道入口にある案内板には「上級者用…」と書かれてあったけれど、それは多分、いつもの「お役所仕事」だ。 「とりあえず歩いてみましょう」 と私達は全然意に介さない。
芽生えの新緑が美しいシラカバ林やカラマツ林を過ぎると、ミズナラやリョウブの林だ。明るい岩場にはアカマツが多く、ヤマモミジも少しあった。ミツバツツジがあちこちで咲いていて、私達は早くもルンルン気分だ。木造の瀟洒な東屋でお弁当を食べて展望を楽しんで、岩場を上って下って再び森に入り、「カモシカ遊歩道」と合流して唐沢ノ滝へ向かう。期待していたアズマシャクナゲの花は少し早すぎて未だ紅の蕾だったけれど、足元には高山型の黄色いスミレ(キバナノコマノツメ?)が可憐に咲いている。
雪解けの水を搾り取って流れ落ちる唐沢ノ滝の落差は10メートル以上はあっただろうか。滝壺に落ちる水煙を浴びながら、私達は長いことそこに佇んだ。辺りにはツガが多く、それにコメツガ、カラマツ、ナナカマド、ダケカンバなどが交じる。シラカバとダケカンバの中間の(灰色の)幹の木は、あれはウダイカンバだろうか。白い装飾花が丸い葉の上に集って咲いているのはオオカメノキ(ムシカリ)だ。何処も彼処もみんな静かで、小鳥たちの歌声と風と水の音だけの、萌黄色に包まれた絵画の世界だ。
樹木観察をしながらのんびりと歩いていたら、はるか前方を歩いていた佐知子が大声で怒鳴っている。 「降るわよ!」 と聞こえた。そういえば何時の間にか辺りは暗くなって、西の空を見上げると暗雲が立ち込めている。
歩みを少し速めて金峰山荘に着いたら、途端に雷が鳴って雹交じりの雨が降り出した。
* 金峰山荘: 長野県南佐久郡川上村の廻り目平の奥(標高約1570m)、小川山の東麓にひっそりと建つ村営の宿泊施設。信州側の呼び名なので、「きんぷ…」ではなく「きんぽう…」と読む。広いキャンプ場やバンガローも併営している。付近のシラカバ林やカラマツ林が美しく、弘法岩・親指岩・おひめ様岩・おとの様岩・最高ルーフ・仏岩・屋根岩などの岩峰群に囲まれた絶好のロケーション。高原のお嬢さん(オバサン?)やロッククライマーたちには人気がありそうだ。然して、ここは「山小屋」ではない、と思った。部屋にテレビこそないものの、石タイル貼りの大浴場を完備した立派なリゾートホテルだ。広い(なんと十畳敷きだ)部屋の東側の窓からは西股沢対岸の岩壁が間近に望める。食事も工夫された美味しいもので、従業員さんたちの感じもとても良い。これで1泊2食付一人6,800円というのだから、メチャ安だ。電車利用だと、JR小海線信濃川上駅から村営バスでのアプローチになるが、ウィークデーだと川端下(かわはげ)止まりなので、そこから約1時間歩くことになる。それもまた楽しいかもしれない。
「金峰山荘」のHP
あとで聞いて知ったのだが、金峰山往復登山の高齢男性(単独行)が、この日の午後4時頃から激しく降り続いた雷雨のため、復路の山腹で身動きが取れなくなって遭難一歩手前だったらしい。連絡を受けた山荘の従業員が迎えにいって、なんとか無事に下山できたそうだ。山荘に辿り着いたのは夜の8時近くだったらしく、その騒ぎのときは私達はもう眠りに就いていた。
●第2日目(5/25・快晴) 周回コースで小川山登山
金峰山荘の従業員さんから教わっておいた通り、裏口の内鍵をそっと開いて表へ出て、歩き始めたのは午前5時15分頃だった。雨も上がって空は快晴だ。廻り目平の美しいシラカバ林はまだひっそりとしている。
登山道(南側のカモシカ遊歩道)に入ると間もなく急登が始まる。こちらもミツバツツジが多く、目を楽しませてくれる。足元にはカラマツの小さな松ぼっくり(球果)がたくさん落ちている。ミズナラやダケカンバは芽吹いたばかりでまだ冬枯れの様相だ。しかし、今日はそれほど樹木観察に専心するわけにもいかない。汗びっしょりになりながら、まずはひたすら高度を上げる。
岩場が現れ始めた開けた地点で早くも朝食の大休止。東・南面の展望がよく、西股沢の谷を隔てて朝日岳の北稜線が近い。その右手奥に頭を出し始めたのが金峰山で、更に右手前には峻険な岩峰群がニョキニョキしている。思っていたよりもずっといい景色だ。
既に咲いている気の早いアズマシャクナゲもあったので、立ち止まってカメラを向ける。全体的に花芽が少ないように感じたけれど、昨年が(花の)当たり年だった影響だろうか。シャクナゲは3年に一度くらいの周期で多くの花を咲かせるらしい。これらのシャクナゲのトンネルはこれからずっと、山頂近くまで、幾つも通過することになる。 * ハクサンシャクナゲもありましたが、その開花は多分7月頃で、アズマシャクナゲより1ヶ月以上は遅くなります。
昨夜の大雨が葉っぱの露となってシャツやズボンを濡らす。私が先頭を歩いていたので「露払い」の役だ。すると後続の佐知子が、やっぱり横綱かなぁ…。なんてことを言葉に出さずに考えていた。
昨日見物した唐沢ノ滝へ続く岩道を右に分ける。ロープ場が連続し、「三点確保」が必要な箇所もあって、気は抜けない。擦れた白ペンキで「展望台」と書かれた1枚岩の上に立ち、ここでも展望を楽しんだりして、歩みはいつもののほほんペースになってきた。
岩峰帯トラバースの「初級岩登り」が続く。弘法岩の岩上でも中休止。左手には金峰山頂の五丈岩がはっきりと見え出した。周囲の樹木に目をやると、少し遠目なのでおおざっぱな同定だけれど、多い順にコメツガ、アカマツ、カラマツ、シャクナゲ、ツガ、トウヒ、ダケカンバ、サワラ(ネズコだったかもしれない)、などが見えている。大気も空も限りなく透明に近い。
長かった岩稜帯を過ぎ、歩きやすくなった辺りからシラビソも交じり出し、深い樹林になった。 「いよいよ奥秩父だね」 と、私は嬉しさを隠せない。
このシラビソの樹林帯を歩いているときに、私達と同年輩の(まだ中年だ!)単独行の男性が後ろから追いついてきた。今回の小川山登山の山中で、私達が唯一出逢ったハイカーだ。話を聞いてみると、6時に金峰山荘の駐車場を出たらしく、途中の岩場で道に迷ってしまい、30分ほどはロスをしたとのことだった。私達はその1時間近く前に出発して、しかも全然道に迷わずにここまで来て、これだもの…。暫らくの間はいっしょに歩いたけれど、「お先へどうぞ」
と私達のいつもの決まり文句を云ったら、温厚な紳士の彼は(待ってましたとばかり)さっさと先へ進んでいった。これで、私の「露払い」の役目も終わったかと思うと、ちょっと嬉しかった。
しかし、もうすでに標高2200メートルは優に越えている。昨夜の麓の雨はここでは雪となったのだろう。樹上に積もった雪が融け出して、ボタボタと雫になって落ちてくる。雨具を身に着けようかどうしようかと悩んでいるうちに、小川山の狭い山頂へ着いてしまった。先ほどの単独行の男性が、私達を待っていてくれたのだろうか、手持ちぶさたに二等三角点の標石の周りをウロウロしていた。記念写真(証拠写真)を撮り合って二言三言言葉を交わすと、往復登山の彼はそそくさと下山の途についた。温厚な紳士の彼は朴訥な「山男」でもあった。
「ゆったりとした大きな山なのに、何故こんなにも山頂が狭いの?…」 と佐知子は云っているけれど、森林限界手前の背の低いシラビソやコメツガやダケカンバやシャクナゲに囲まれた静かな山頂は、私にとっては好ましい空間だった。樹林の頭上や隙間から金峰山、朝日岳、瑞牆山、南アルプスの一部(荒川三山の辺り?)などがチラチラと見えている。それらの微かな山岳展望に仰々しく驚いたり、昼食の菓子パンを齧ったり、サーモスの熱いコーヒーを啜ったり、透明な青空を仰いだり、小鳥たちのさえずりを聞いたりして、なんと小1時間もの間をそこで過ごした。
山頂を辞したのは11時頃だった。来た道を少し下って分岐を右へ進み、信州と甲州の国境尾根へ入る。この小川山の南稜が、登路(東稜)にも増した素晴らしい原生林だった。シラビソやコメツガが無造作に、しかし整然と、林立している。林床にたくさん育っている若木や苔生した倒木など、いかにも多様性に富んだ林相だ。
30分ほども下った地点(2290m峰のピーク)が物凄い展望だった。今まで部分的に見えていた奥秩父や南・中央アルプスの峰々、そして右端の八ヶ岳まで、すっきりドカーンと南面240度の大パノラマだ。こんなことならここで大休止(昼食)にすべきだった、と少し後悔した。
林縁の所々で高山植物のバイカオウレン(梅花黄蓮)が咲いている。その白い花も可憐だが、5枚の小葉をつけた複葉も可愛らしい。小鳥たちが盛んに歌っている。森は深いけれど、尾根筋だからだろうか、林内は案外と明るい。高度を下げるにしたがってトウヒやツガが多くなってくる。数は少ないがヒノキのような木があったので調べてみたらネズコ(クロベ)のようだった。楽しい原生林の森林浴が続く。
山頂から正味2時間ほどで八丁平の富士見平分岐へ出た。私達は大日岩方面へ向かってなだらかに直進する。注意しながら歩いていると西俣沢方面への分岐があり、擦れた道標を頼りに左折する。倒木を跨いだりして暫らく下ると枝沢の渡渉だ。
水量はそれほどでもなく全然問題ない。水は清らかで冷たくて、飲めるんじゃないかと思えた。
この枝沢(砂洗川)の左岸に沿った「沢下り」も、予想していたよりはずっと歩きやすく、楽しいものだった。中ノ沢との出合いにある小平地(標高1869mの地点)へ着いたのは午後2時20分頃だった。ここは金峰山への北の登山口にもなっている処だ。野ざらしのポンコツ乗用車が1台、朽ちかけて放置されてあった。
ここからは林道歩きなのでホッと一息ついていたら、右手の金峰山方面から背負子にたくさんの荷物を括りつけた女性ボッカが下りてきた。 「こんにちは」
と挨拶をして、私達の目の前を通り過ぎた。笑顔のステキな若い娘さんだった。暫らくはその娘ボッカさんのあとを追うようにして歩いたのだけれど、(娘ボッカさんの足が速いので)あっという間に前方に消えてしまった。林道とは云っても、ここはずいぶんと昔に閉鎖された道のようで、ゴロ石や落石の大岩が立ち塞がる、とても自動車の通れる道ではない。
中ノ沢出合から10分近くも歩いた処に、RV車が1台止まっていて、娘ボッカさんがエンジンをかけていた。ここから先は車が通ることのできる道らしい。軽く会釈して通り過ぎようとしたら、「乗っていきませんか」 と声をかけられた。大ラッキーだ!
西股沢左岸に沿ったデコボコ林道を走りながら、娘ボッカさんからいろいろとお話しを聞くことができた。どうやら彼女は金峰山小屋の管理人(*吉木綾子さん)であるらしい。先代の小屋番が亡くなって、女手ひとつで小屋を切り盛りしているらしい。えらいものだと思った。車止めのゲートを開けて尚少し進み、金峰山荘前の駐車場で下ろしてもらったが、お礼の挨拶をしたときも、娘小屋番さんはステキな笑みを私達に返してくれた。いつかこんど金峰山へ行ったときは、必ず金峰山小屋に泊まろうね、と私達は話し合った。
林道歩きの約1時間を短縮した私達は、ドライブの帰路を少し遠回りして、信州峠を越えて、増富温泉で入浴してから家路についた。なにもかにもが素晴らしい今回の山旅だった。
* 金峰山小屋の管理人さん(吉木綾子さん)について、その後、本サイトのBBS(掲示板)の常連さん(ルモンさん)から情報提供の書き込みがありまして、綾子さんは既に6年ほど前に結婚されていて、そのときの様子が山岳雑誌でも紹介されたとのことでした。「娘さん」なんて書いてしまって、綾子さんゴメンナサイ。でも、実際そのときはそう感じたので、まぁ、いいか…。ということで、本文はそのままにして、修正は敢えて加えませんでした。[後日追記]
* 小川山の山名について: 小川山(おがわやま)というのは、信州側の呼び名だそうで、甲州側ではコガワ山、または大双里山(おおぞうりやま)とも云うそうです。また、大双里山というのは、じつは小川山から西北西に2キロばかり離れた別の山(主稜から北に派生した尾根上にある2102mの山)である、という説もあるようです。何れが正しいのかは分かりませんが、小川山の山名のいわれについては、その北側(信州側)の谷を流れる小川川よりきている、というのは間違いないようです。平凡な山名に思えたのですが、三省堂の「日本山名事典」によると日本にはこの山の一座しかなく、これはちょっと意外でした。
帰路に立ち寄った増富温泉「増富の湯」については瑞牆山の頁 を参照してください。
廻り目平周辺の美しい森
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←カラマツの新緑 ↑シラカバ林
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小川山の原生林(下山路)
コメツガ、シラビソ・・・そして苔・・・
*** コラム ***
山頂の“怪”?
後日(平成19年11月)、本サイトのBBS(掲示板)に、小川山の山頂から下山するときに道を間違えた、という投稿がSKさんからありました。なんでも、山頂からの正しい登山道の左側(山頂標識の裏側)に「それより立派に見える切り開きがある…」ということです。「そこを下れば立派な道形があり、木に赤いペンキ印もあり…」とも報告されています。同山頂で同じような経験をされたという“週末は山おばさん”からの投稿などもありました。それらを読んで私達夫婦はゾッとしました。
山頂からの下山道を間違えるといった怖い経験は、私達にも何回かあります。道迷いについて、私は「山頂」は危険地帯で要注意、だと何時も思っています。山頂に着いた喜びと興奮で、来た道や行く道などの方向を(コンパスなどで)確認せず、更に長く休んだりしますので、方向について何時の間にか全く違う“思い込み”をしてしまって、下山方向を間違ってしまう、というパターンです。ガスっているときや展望の無い(樹林に囲まれた小川山のような)山頂が特に要注意です。山頂へ着いたときは、休憩する前に、下山路の方向とその入口(折り返すときは振り返ってその位置)を確認しておくクセをつけるようにしたいですね。
* 注意を喚起する意味で、老婆心ながら、本コラムを書きました。 SKさん、週末は山おばさん、貴重な情報(体験談)をありがとうございました。
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