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No.73-1 大弛峠から金峰山 その@
平成10年(1998年)11月7日 高曇り時々晴れ マイカー利用

金峰山 略図
金峰山の頂上に立つ
金峰山の頂上

金峰山頂上から眺めた五丈石
五丈石

カラマツの黄葉がキレイ
林道から眺めた金峰山

全山紅葉だ!

中央自動車道・勝沼 I.C-《車1時間強》-大弛峠〜朝日峠〜朝日岳2579m〜鉄山2531m〜金峰山2599m(往復) 【歩行時間: 4時間40分】
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 中央自動車道の勝沼 I.Cを降りて塩山方向へ進み、川上牧丘林道をひたすら走り上って、閑散とした大弛(おおだるみ)峠に着いたのは8時15分頃。東京の自宅からは約3時間のドライブだった。ここは既に標高2360mだ。
 そそくさと支度をしてから徐に歩き始める。苔むしたシラビソの倒木など、十文字峠付近の山道とよく似ているな、と思いながら黙々と緩斜面を登る。シャクナゲが目立ち始めると、そろそろ(あっという間に)森林限界だ。上空も下界も曇ってはいたが、幸運にも山はスッキリ。朝日岳山頂部の見晴らしの良い岩場へ出た処で、富士山をはじめ殆どの展望の山々がその姿を現した。
 鉄山を巻き、ハイマツ帯を過ぎ、金峰山手前の開けた尾根道へ出る。花崗岩の明るい頂稜だ。そこの北側斜面のガレ場で早めの弁当を食べた。眼前の小川山2418mが大きい。その左のとんがった岩峰の集合体が瑞牆山2230mか…。確かに奥秩父山塊の西のはずれにあってひときわ異様だが、思ったより低くて小さいな。ここから見ると小川山が横綱で、瑞牆山は太刀持ち程度にしか見えない。右手を振り返ると、三宝、甲武信、木賊のスリーショット。三宝山や木賊山に比べて甲武信岳が特に立派という訳でもないのに、何故、甲武信岳だけが有名なんだろう。北奥千丈岳は背は高いけどパッとしないね、などと、勝手に山々の品定めをしながらの大休止は、少し寒かったけれど、至福のひとときでもあった。
 昼食後、三等三角点脇の岩上・金峰山頂上に立つ。南西方面の、眼前の五丈石(岩)がまず目につく。その手前がちょっとした広場になっていて、数組のパーティーが休憩している。その五丈石の背後から右方向にかけて、頭の白くなった南アルプスの山々がはっきりと見える。八ヶ岳の景色も素晴らしい。小川山頂上部の右、御座山との間の奥に、何か貫禄のある大きな山が見える。広場の方位盤で確認したら、なんと浅間山だった。先々週登った黒斑山の形も識別できた。急に思いついた今回の山行だったが、大成功だ。
 見晴らしの良いガレた尾根を少し下り、五丈石を反対側からも観察して、案外と小さな祠に手を合わせる。それから、臆病な佐知子を残して、一人で、矢張り、五丈石によじ登ってみた。途中のテラスで立ち止まっていたとき、下の広場にいた老夫婦に 「行けそうですか」 と尋ねられて、「登ろうと思えば登れそうですよ」 と答えたが、私はそこから先には登らなかった。まだ命は惜しいから…。
 名残りは尽きないが、細長い山頂部をあとにして、ふと振り返ると、さきほど声を掛けてきた老夫婦の奥さんが、私が登ったのと同じ五丈岩の中間地点(テラス)で、ニコニコと手を振っていた。高い所に登って少年のようにはしゃぐのって、何か、とてもいいと思う。遠くから眺めたせいもあるけれど、その老婦人、まるで女学生のようにも見えた。
 帰りの縦走路、朝日岳山頂手前から眺めた富士山がまた素晴らしかった。夕焼けに染まり始めた空にライトブルーの山並。下方の山々は全山紅葉。大スクリーンに映し出された名画のようだった。残念ながら金峰山の頂上でフィルムを使いきってしまい、写真に残すことはできなかった。が、しっかりと眼に焼きついた。
 大弛峠から車での帰路、夕映えの静かな林道からも紅葉や黄葉を堪能することができた。今回のコースは何故か私達の持っているガイドブックには載っておらず、金峰山登山としてはマイナーで卑怯なショートカットコースなのかも知れないが、当分の間は「穴場」かもしれない。
 金峰山は、アルペンムードも楽しめる「山の中の山」だ、と、やはり思う。

三富村の温泉民宿「治郎兵衛荘」に着いたときは、もう真っ暗だった。 泊り客は私達夫婦だけ。風呂はタイル貼り。泉質は緩和性低張微温泉。アットホームな感じだった。紅葉の最盛期、しかも土曜日。一泊二食付き一人6,500円。ここも「大穴場」だ。
* 「治郎兵衛荘」はこの後、閉館したようです。とても残念です。



金峰山の山稜から瑞牆山・小川山方面を望む
金峰山の東山稜から北西方向を望む(後日撮影)

*** コラム ***
尾崎喜八の「金峰山の思い出」

 金峰山というとすぐに思い出すのが詩人・尾崎喜八(1892−1974)の散文集「山の絵本」に出てくる「花崗岩の国のイマージュ」という、今や古典的な名紀行文です。その内容は、(多分)昭和の初期に、彼の終生の親友でライバルでもあった河田(かわだみき)と、瑞牆山から金峰山を旅したときの様子を丹念に綴ったものです。8年前(1993年)に岩波文庫から再編版の「山の絵本」が刊行されたときに、私はそれをむさぼるように読んで、奥秩父への憧憬を一層深めたものでした。
 そして尾崎喜八ファンになってしまった私は立て続けに彼の「詩集」を古本屋で買って読んでみました。しかしその「詩」は冗長で、読んでいるこちらが恥ずかしくなるくらいに饒舌すぎて、凡才の私には読みづらいものでした。饒舌なのが「詩」であるということを、私は知らなかったのです。
 ところが一篇だけ妙に分かりやすくて何時までも頭から離れない詩がありました。それが「高原詩抄」の中の「金峯山の思ひ出」でした。それは紀行文の「花崗岩の国のイマージュ」と対を成す、山の悦びを凝縮したエッセンスでもありました。
  ・・・・・・・・・・
  尾根へ出たら目が覚めたやうで、
  筒ぬけの空にくらっとしたな。
  もう其処では暑さと寒さとが縞になってゐたな。
  ・・・・・・・・・・
  それからたうとうてっぺんだったな。
  天の方が近かったな。
  二人きりだったな。
  なんだか人間をもう一皮脱ぎたいやうな気がしたな。
  ・・・・・・・・・・
  それから五丈石の下へうづくまって
  ハンケチの端で珈琲を濾したな。
  思ひ出せば何もかもたのしいな。
  ・・・・・・・・・・
           
尾崎喜八「金峯山の思ひ出」より


* 大弛峠までバスが開通!: この後(H26年6月〜)、塩山駅から焼山峠、大弛峠(金峰山)線が新路線として開通したようです。 この方面への交通手段の選択肢が益々広がっています。(後日追記)

大弛峠から金峰山・写真集: 大きな写真でご覧ください。

大弛峠から金峰山・そのA: この後の私達の山旅日記です。
大弛峠から国師ヶ岳と北奥千丈岳: H24年7月の山旅日記です。

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