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No.204-2 甲斐駒ヶ岳2967m Part2
平成21年(2009年)8月2日〜3日 1日目は降られたが肝心な2日目は快晴

甲斐駒ヶ岳 略図
復路・霧の出てきた甲斐駒山頂部を振り返る
甲斐駒ケ岳の山頂部

今回の参加者は12名でした
山頂にて


コメススキはスゴいヤツです!

第1日=JR甲府駅-《バス約2時間》-広河原-《バス25分》-北沢峠〜仙水小屋 第2日=仙水小屋〜仙水峠〜駒津峰2752m〜六方石〜甲斐駒ヶ岳2967m〜駒津峰〜双児山2649m〜北沢峠-《バス25分》-広河原-《バス約2時間》-JR甲府駅
 【歩行時間: 第1日=50分 第2日=7時間】
 → 国土地理院・地図閲覧サービスの該当ページへ


 3年ぶりに同コースで甲斐駒へ登る機会を得ました。山の仲間たち山歩会との楽しい二日間でした。私達夫婦にとっては、前回(H19年7月)は雨でなぁ〜んにも見えなかったので、そのリベンジを果たすこともできました。なんてったって山の団十郎。いい山は、矢張りいいですね。
 第2日目の登山日(8/3)は当地でも暫くぶりという良いお天気で、特に午前9時頃まではピーカンでした。これって今年2度目の梅雨明けかもしれません。山頂などからは日本ベストファイブの標高の山(富士山、北岳、穂高岳、間ノ岳、槍ヶ岳)が全部見えました。木曽御嶽と乗鞍岳の間の奥には、なんと白山まで見えていました。
 森林限界付近ではハクサンシャクナゲがいたる処に未だ咲き残っていましたが、それ以外に咲いていた花は前回(3年前の7月上旬)と比べると随分と少なく感じました。
 私は森林インストラクターとして何か話題はないかと考えた末、山頂近くのザレた稜線上に点々と小さく群れているコメススキ(イネ科)の話などをしました。 「たくさんの小穂をつけ渋い金色に輝いているこの草は、高山帯におけるパイオニア中のパイオニア(先駆植物)で、まず土を作ってくれるスゴいヤツなんですよ」 と説明したら、みなさん疲れた顔で、真剣に聞いてくれるふりをしてくれました。
 行程については前項(甲斐駒ヶ岳Part1)とほぼ同じなのでその詳細は省きますが、仙水小屋の朝食がさらに早くなって午前3時30分からだったのは特筆すべきだと思います。おかげさまで4時頃には懐中電灯を点けて歩き始めることができ、余裕をもって、仙水峠で、奥秩父の主稜線上から昇るご来光を拝むことができました。
 咲いていた花はハクサンシャクナゲ、ゴゼンタチバナ、ツマトリソウ、タカネバラ、ヨツバシオガマ、ハクサンイチゲ、タカネツメクサなど。ハクサンシャクナゲを除いては、何れもごく限られた処にほんの少しでした。とはいえ、見上げる花崗岩の白肌や白ザレの足元など、迫力のある甲斐駒の美しさは相変わらずで、稜線上のいたる処から望める山岳展望も本当に素晴らしいものです。少ない花を補ってなお余りあるものがあると思いました。



奥秩父の主稜線に日が昇る
ご来光(仙水峠より)・奥秩父の主稜線に日が昇る!

北岳の右隣は間ノ岳
駒津峰から南面を望む(パノラマ合成)

*** コラム ***
甲斐駒ヶ岳についての有名な形容について
諸資料から抜粋してみました

仙丈ヶ岳から甲斐駒を望む甲斐国志(1814) 駒ケ岳ハ奇絶幽蹤神仙ノ所 聚マル古ヘヨリ人ノ躡ム 其ノ地ヲ不許 若シ攀ヂントスル者アレバ必ズ風雨怪異ヲ現スト云フ 頂キニ駒形権現ヲ祭ル (巻之四十八より抜粋・恩田善雄氏論文「甲斐駒ヶ岳研究」より)

日本風景論(志賀重昴・1894) 絶頂にニ峯あり、一峯に大己貴命の銅像建ち、一峯に摩利支天の小像立つ。

大日本地誌(山崎直方、佐藤伝蔵・1904) 駒ヶ岳は伊那の東方に屹立し、高さ3002米、磊塊磐紆俗に三十六峰、八千渓と称し、本県屈指の高峰にして八月の候其山隈越年の雪を望み、背汗喘々水に渇するの旅人をして、歩を止めて思わず快哉を絶呼せしむ。頂上の神社を駒ケ岳神社と云う。盛夏遠近の賽者登攀を企つるもの少なからず白雲脚下に起りて尚冷涼を覚ゆ。

「山恋ひ」(宇野浩二・1891〜1961) 駒ケ岳はあたかも舞台にでている団十郎のようにみえた。

「日本百名山」(深田久弥・1903〜1971) 日本アルプスで一番代表的なピラミッド。 日本アルプスで一番綺麗な頂上。 あまりにその白砂が綺麗なので、踏むのがもったいないくらいであった。 …もし日本の十名山を選べと言われたとしても、私はこの山を落とさないだろう。

「新・花の百名山」(田中澄江・1908〜2000) 中央線の窓から甲斐駒の、岩の殿堂ともいうべき偉容に出あうたび、また登りたくなり、あの花々に出あいたくなる。

「中央線・山の交響曲」(岡田喜秋・旅行作家・1926〜) 中央線交響曲のクライマックス

「週刊日本百名山No.4(朝日新聞社)」(三宅修・山岳写真家・1932〜) 花崗岩の白い大伽藍

信州側では、木曽駒を西駒ヶ岳というのに対して甲斐駒を東駒ヶ岳と呼んでいるようです。
 * このコラム欄は平成18年7月14日「甲斐駒ヶ岳・Part1」に起稿したのを本頁に引越ししたものです。


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