*** コラム ***
甲斐駒ヶ岳についての有名な形容について
諸資料から抜粋してみました
● 甲斐国志(1814): 駒ケ岳ハ奇絶幽蹤神仙ノ所 聚マル古ヘヨリ人ノ躡ム 其ノ地ヲ不許 若シ攀ヂントスル者アレバ必ズ風雨怪異ヲ現スト云フ 頂キニ駒形権現ヲ祭ル
(巻之四十八より抜粋・恩田善雄氏論文「甲斐駒ヶ岳研究」より)
● 日本風景論(志賀重昴・1894): 絶頂にニ峯あり、一峯に大己貴命の銅像建ち、一峯に摩利支天の小像立つ。
● 大日本地誌(山崎直方、佐藤伝蔵・1904): 駒ヶ岳は伊那の東方に屹立し、高さ3002米、磊塊磐紆俗に三十六峰、八千渓と称し、本県屈指の高峰にして八月の候其山隈越年の雪を望み、背汗喘々水に渇するの旅人をして、歩を止めて思わず快哉を絶呼せしむ。頂上の神社を駒ケ岳神社と云う。盛夏遠近の賽者登攀を企つるもの少なからず白雲脚下に起りて尚冷涼を覚ゆ。
● 「山恋ひ」(宇野浩二・1891〜1961): 駒ケ岳はあたかも舞台にでている団十郎のようにみえた。
● 「日本百名山」(深田久弥・1903〜1971): 日本アルプスで一番代表的なピラミッド。 日本アルプスで一番綺麗な頂上。 あまりにその白砂が綺麗なので、踏むのがもったいないくらいであった。 …もし日本の十名山を選べと言われたとしても、私はこの山を落とさないだろう。
● 「新・花の百名山」(田中澄江・1908〜2000): 中央線の窓から甲斐駒の、岩の殿堂ともいうべき偉容に出あうたび、また登りたくなり、あの花々に出あいたくなる。
● 「中央線・山の交響曲」(岡田喜秋・旅行作家・1926〜): 中央線交響曲のクライマックス…
● 「週刊日本百名山No.4(朝日新聞社)」(三宅修・山岳写真家・1932〜): 花崗岩の白い大伽藍…
※ 信州側では、木曽駒を西駒ヶ岳というのに対して甲斐駒を東駒ヶ岳と呼んでいるようです。
* このコラム欄は平成18年7月14日「甲斐駒ヶ岳・Part1」に起稿したのを本頁に引越ししたものです。
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