No.207-3 穂高岳 平成22年8月4日〜7日 てるてるさんの山行記録 |
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第1日=新宿-《高速バス「さわやか信州号」約4時間50分》-上高地〜横尾山荘 第2日=横尾山荘〜涸沢・ザイテングラード〜穂高岳山荘 第3日=穂高岳山荘〜奥穂高岳3190m〜紀美子平〜前穂高岳3090m〜(岳沢)〜上高地-《タクシー20分》-中の湯 第4日=中の湯-《タクシー70分》-松本-《高速バス約3時間20分》-新宿 【歩行時間: 第1日=3時間 第2日=7時間 第3日=8時間30分】 * 今回の「山歩会・穂高岳山行」について、参加メンバーのてるてるさんから会報に寄せた山行記録の原稿をいただきました。ご本人の了解を得て、殆どそのまま貼り付けてみました。[Tamu] 穂高岳山行の思い出 文:てるてる 穂高には10年前の9月に同じコースを登っている。涸沢まではよかったが、ザイテングラードの厳しさ。吊尾根では風とガスとで何も見えず苦労をしたこと。紀美子平からの下りが長く辛かったことが強烈に思い出された。 第1日目(8月4日): 新宿集合6:50。 6時半前には新宿に到着。Tさんがすでに来ていた。お互いに子供の頃の遠足の日と同じで、うれしさと遅刻しないようにと早めに家を出たのだった。時を置かずして本隊が到着。しかし佐知子サブリーダー兼マネージャーの姿が見えない。話によると、昨日、お母上が骨折して介護のため急遽不参加となったとのこと。Tamuリーダーも寂しそうだったが、それ以上に不安だったのは私だけだったのだろうか。
徳沢を過ぎたところから、梓川の護岸工事が行われていた。梓川は、槍ヶ岳ほかの山々を源としており、数十年周期で氾濫を繰り返し川幅を変える。木々がなぎ倒された後に、ケショウヤナギ等の陽樹が生え、今の梓川の景観が保たれている。人の手を加え、護岸することで生態系を壊すのはいかがなものか。リーダーからアカデミックな講義を聞き、なるほど納得! そんな話を聞いているうちに横尾山荘に着く。4時過ぎであった。 横尾山荘は立派なお風呂のある山小屋だ。到着早々恩恵にあずかり極楽、極楽。2段ベッドの清潔な8人部屋1室に全員が入り、山小屋にしては豪華な夕食をいただき、明日に備えて20時過ぎには就寝。 第2日目(8月5日): 4時過ぎ起床。5時の朝食をいただき、5時半、穂高岳山荘に向けて出発。しばらく林間を歩くと、本谷橋から急登になり雪渓も見えてくる。今年は雪が多かったのか、あちらこちらに雪渓が見える。しばらく登ると、左から落ちてくるガレ場に出会う。ここから前穂高、奥穂高、涸沢岳、北穂高に囲まれた涸沢が見えてくるが、それからが結構長い道のりであった。
小屋を後に今日の一番の難所、ザイテングラードへと向かう。登山道の左右には多くの高山植物が咲き乱れ心を癒してくれる。雪渓の脇はまだ春なのかナナカマドが白い花を咲かせている。また、涸沢カールの雪渓にはサルが数匹散歩していた。中には子連れもいる。帽子を盗られるので近づかないようにとの注意があった。日本で一番(ということは世界でも一番)寒いところに住んでいるニホンザルがこの北アルプスのサルたちで、アルパインモンキーというそうだ。(「私達の山旅日記」の該当項・穂高岳Part1より) 雪渓の淵を廻り、ガレ場を過ぎてからザイテングラードに取り付く。尾根状の岩場の急登が続く。前回はここでバテたのが頭をよぎり、ゆっくりと慎重に一歩一歩登った。穂高岳山荘の無線アンテナが見えるのだがなかなか近づかない。雪渓の脇を通り、ようやく山荘の前に出た。到着時刻は15時15分で、コースタイム5時間30分(休憩を除く)のところ、山歩会は予定通り?で9時間45分(休憩を含む)であった。お疲れさま。 到着後、涸沢岳の往復を予定していたが、ガスがかかっていること、体力が限界であることで、山荘で身体を休める事となった。ロング缶のビール800円が疲れを癒してくれた。また、夕食も鶏肉のソテーや生野菜のサラダ等があり、またしても豪華。山荘は8月ということもあり混雑していた。大部屋ではあるが、布団一人一枚というラッキーで、いびきを子守唄にぐっすりと眠れた。 部屋で、私の隣に年配の男性がご一緒となった。74歳とのこと。穂高はジャンダルムを除き全部を踏破したとのこと。そして、明日ジャンダルムに行くとのことであった。今回、穂高で年配の単独行が多く見られた。一人の山行は気軽で良いのかもしれないが、中高年の遭難事故が問題となっている昨今、誰もいないところで滑落したり道迷いをしたら、多くの関係者に多大な迷惑をかける。もっと慎重な行動を願いたいものだ。
6時50分、頂上到着。やった! 3190m。日本で3番目の高さの山。誰かが言う。「北岳は3193m、もう3mケルンを高くすれば…」? 天気は上々。南西にジャンダルムをはじめとする峻険な稜線が西穂高岳へと続き、南東には吊尾根の向こうに前穂高岳が、北には北穂高岳を越えて槍ヶ岳への稜線が手の届くところに見えた。彼方には富士山が雲海からちょこんと頭を出している。これぞ山岳風景の醍醐味である。前回の、ガスと風で何も見えずに退散したリベンジを果たし、制覇の満足感にも浸った。写真を撮り合い、ひとときを過ごす。 前穂高岳への吊尾根を慎重に下る。ここでも、花々たちがやさしく私たちを迎えてくれる。2時間半ほどで紀美子平に着く。前穂高岳山頂へ登る道と上高地へ下る道の分岐である。前穂がガスっていることと、下りの体力温存を考え、私と長老のL子さんとバテバテのT君はここで留守番することになった。元気なリーダーはじめ4名の(往年の)山ガールたちは前穂の山頂に挑戦。残された3人の体内時計はお昼。穂高岳山荘で作ってもらったお弁当をあける。感激! 「朴葉ずし」である。説明書きによると、飛騨の名物「朴葉ずし」は、昔から飛騨の人々が山仕事やお祝事など折にふれて親しんで、守ってきたものだそうだ。山小屋のお弁当といえば定番のおにぎりと漬物だと思っていた私にとって、この「朴葉ずし」は山小屋のお弁当とは思えないほどの絶品の味であった。前穂組は、コースタイム50分のところ約1時間半で帰還。これまた、山歩会の予定通りであった。頂上には一等三角点があり、奥穂に劣らない見事なパノラマが得られるはずであったが、ガスで何も見えない状態だったとのこと。残念。 紀美子平をあとに本格的な下りに入る。重太郎新道である。ゴロゴロ石、鎖、梯子と私たちを苦しめる。眼下には、上高地の緑の中にホテルの赤い屋根や、大正池の青い色が鮮やかに見えている。また、4年前に雪崩で全壊し、今年の7月に再開された岳沢小屋の赤い屋根も手の届くところに見えるが、なかなか近づけない。急な下りが続き、「カモシカのお立場」と呼ばれる尾根上のテラスに着く。後ろを振り返ると、まぁよくも下ってきたものだ、奥穂高の南稜の岩壁が高度感たっぷりに眺められた。無言の下りが続き、岳沢小屋に到着したのは3時であった。 岳沢小屋でしばし休憩の後出発。これから先はもう危険個所はない。リーダーは、疲れが足にきているTさんを先頭に立てる。そして言う。「このままのペースで行くと時間がなくなり、中の湯温泉での宴会ができなくなるよ〜」 目の前にニンジンをぶら下げられたTさんは、エアーサロンパスの力も借りて猛ダッシュ! みんなが付いて行く。 やがて岳沢名物、天然クーラーの横に出る。ここは真夏でも岩の間から冷気が吹き出し、ひと汗かいた身体には心地よい。薄暗いお化けが出そうな森の中を黙々と進むと、やがて梓川右岸の自然研究路に出た。河童橋までは10分ほどである。今日は12時間余り歩いた。(コースタイム7時間15分、休憩時間を除く) しかし、岳沢小屋からはニンジンが効を奏したのか、コースタイム通りで下ってきた。ふしぎである。 上高地のバスターミナルから中の湯温泉までタクシーを利用。途中、大正池付近から雨が降り始め、中の湯に着くころには本降りとなっていた。なんと運の良いことか。中の湯の温泉に入り、約束通り大宴会。食事後、夜半まで楽しい反省会が続いた。お風呂良し、食事良し、満足、満足。
日本アルピニズムの殿堂・穂高岳登頂おめでとう! もう登れないと思っていたあの穂高に行ってこれたことに感謝します。これもひとえに、素晴らしい天候に恵まれたこと、リーダーはじめ佐知子夫人の周到な準備のおかげであり、山歩会の素敵な仲間がいたからです。みなさん! がんばった自分に勲章をあげよう。そして、素晴らしい山とまた出会おう。 [「山歩会」会報に寄せて:てるてる] 穂高岳Part2(平成22年8月)へ 穂高岳の山頂にて …みんなちがってみんないい… このページのトップへ↑ ホームへ |