「私達の山旅日記」ホームへ

No.263 白砂山(しらすなやま・2140m)
平成21年(2009年)8月25日 高曇り マイカー利用

白砂山 略図
閑散とした駐車場
白砂山の登山口

小さくひっそりとありました
地蔵峠のお地蔵様

地味な山頂です
堂岩山山頂

前方に見えるピークの少し先が本当の山頂です
前方に白砂山

山頂標識が崩れ落ちていました
白砂山山頂

白砂山の山頂から佐武流山を望む
佐武流山を望む


楽しすぎて時間を忘れた…

《マイカー利用》 …関越自動車道 渋川・伊香保I.C-《車2時間》-野反湖キャンプ場(駐車場)・登山口〜ハンノキ沢〜地蔵峠〜地蔵山1802m〜堂岩の泊場(水場分岐)〜堂岩山2051m〜白砂山2140m[往復]…《野反湖の駐車場から車で約20分》-尻焼温泉(泊)… 【歩行時間: 6時間40分】
 → 地理院地図(電子国土Web)の該当ページへ


 「関東百山(実業之日本社)」の「白砂山」の項によると、少なくとも筆者(打田^一氏)が歩いた昭和40年代頃までは、上信越国境に位置する白砂山はひっそりとした“藪と倒木の”山であったらしい。野反湖の北岸からの登山道が整備されたのは何時ごろのことだったのだろうか、と考えて、はたと思い当たるフシがあった。私の独善的な推論だが、もしかしたら、山歩きがご趣味の皇太子徳仁殿下がこの山にお登りになったころからのことじゃなかろうか。皇太子様が白砂山に登山されたのは平成4年の夏(ご成婚の1年前)のことだったとお聞きする…。白砂山が相変わらずのヤブコギの山だったら、軟弱な私達夫婦はこの山に登ろうとは思いつかなかったと思う。ここでも殿下の“踏み跡”に深く感謝するのほほんハイカーの私達だった。
 実際…、よく整備された登山道は歩きやすく、ちょっときつかったけれど、後泊に名湯・尻焼温泉を配し、質も量も極上の“温泉ハイキング”を楽しむことができた。眺望といい足元に咲く花といい、この山はまったく素晴らしい“稜線散歩”の山だった。

 関越自動車道の渋川・伊香保I.Cから、JR吾妻線に沿った国道(R353・R145)を西へ進む。私達夫婦にとって、この道は草津や万座などのスキー場へ続く懐かしい青春の冬道だ。次から次へと古い思い出を駆け巡らせながら、今は盛夏の緑濃い山里を、ギンギンにエアコンを効かせたマイカーは快調に走る。
 川原湯温泉郷の近く(吾妻渓谷)を通過するとき、いかめしいコンクリートの建造物(建設中の橋脚の部分)が渓谷から突き出ている人工的な景色を見たが、ここが噂の“八ッ場(やんば)ダム建設予定地”のようだった。 「民主党になったら水没しないですむのかしら…それが良いのか悪いのかは分からないけれど…」 と佐知子が感慨深げに呟いている。
 長野原草津口駅前を通り過ぎてから信号を右折。花敷温泉や(宿泊予定の)尻焼温泉の看板を通り過ぎて、マイカーは尚も高度を上げる。すでにエアコンを切っても充分に涼しくなっている。
 野反湖北岸にあるキャンプ場手前の閑散とした大駐車場に車を停めて、歩き出したのは午前7時45分頃。登山道の入口に皇太子殿下の登頂記念碑はあった。ノリウツギが白色の装飾花を咲かせ、オオカメノキ(ムシカリ)は赤い実をたくさんつけている。ここは既に標高1500mを越えていて、半袖のシャツではチト寒い。
 まず少し下って、ハンノキ沢に架かる木橋を渡る。周囲の森の高木はハウチワカエデなどのカエデ類、ミズナラ、ブナ、ナナカマド、コシアブラ、アカメガシワなどで、きょろきょろ探してみたけれど、私の目にはハンノキは映らなかった。きっと昔はたくさんあったのだろうと思う。
 尾根筋へ出ると秋山郷方面との分岐があり、ここで足を止めていたら、追いついてきた佐知子が右奥の小道の先にお地蔵様の祠を発見した。その近くの木の幹に小さな標識があって「地蔵峠」と書かれてあった。遠視(断じて老眼ではない)の私がやっと読めるほどの字の大きさだ。 「気がつかなかったら通り過ぎていたかも」 と一応彼女を褒めておいた。
 いつの間にか地蔵山1802mを通り過ぎ、その後もいくつかのピークをアップダウンする。ダケカンバ、コメツガ、オオシラビソなどの亜高山型の樹種が目立ってきた。林床にはおなじみのササ(ネマガリダケ)が繁茂している。左手の谷を隔てて木々の隙間から見え隠れする八十三山(やそみやま・2101m)が近くて大きい。.水場分岐(堂岩の泊場)の小広場の少し開けた箇所からは南西方面の野反湖が眼下に望め、その奥には草津白根山などの山々が見えている。雲が多くて浅間山などの遠望が利かず、それがちょっと残念。
 堂岩山2051mの地味な山頂を越えると空が開け、待望の大展望が広がった。ここからはずっと展望の尾根歩きで、その視界は常にほぼ360度だ。行く手の東には両翼を張った白砂山とその奥の上越の峰々、北には佐武流山や苗場山などの信越国境の山々、西には志賀草津の山々、南には榛名山などの上州の山々、などが見えている。これは実際、まったく素晴らしいロケーションだ。
 稜線の視界が開けているということはササ原が主体で、樹木たちの背も低い、ということだ。ハイマツやアズマシャクナゲ、ミネカエデ、(ウラジロ?)ナナカマド、ひねた(灌木化した)ダケカンバ、ひねたネズコ、ミネザクラ、ミヤマネズ、クロマメノキ…、など何れも腰よりも低いくらいの樹高だ。意外に美しく咲いていたのがホツツジの白とピンクの花で、足元には(ミヤマ?)アキノキリンソウ、オヤマリンドウ、ミヤマコゴメグサ、ハクサンフウロ、キオン、(オニ?)アザミなどもきれいに咲いている。ゴゼンタチバナは既に赤い実をつけ、アカミノイヌツゲも可愛らしい赤い実をぽつんとつけて自己主張している。オオカメノキの赤い実は相変わらずゴージャスだ。カンチコウゾリナがまぁるい綿毛をつけて群落している様などは、殆ど芸術の世界だ。もう…、堂岩山を越えてからはガクンと歩く速度が落ちて、小休止だらけの稜線漫歩になった。
 何組かのハイカーが私達をあっさりと追い越していき、そして山頂から引き返してきて再び私達とすれ違う。 いつも以上に遅すぎる私の足に流石の佐知子も心配し始めたようだった。 しかし…、明るい稜線上にどっかと腰を下ろしてのほほんと昼食を摂ったりして、水はどんどん低いほうへ流れる。きつい坂を登り返して白砂山の山頂へ辿りついたのは、なんと午後1時45分頃になっていた。登山地図では3時間40分の上り(往路)のコースタイムに、休憩も含めてだが6時間をかけてしまった。稜線散歩が楽しすぎて、すっかり時間を忘れていたのだ。
 こじんまりとした白砂山の山頂2140mは360度の大展望で、三等三角点の標石と壊れた山頂標識があった。この北側から佐武流山2192m方面への縦走路があるはずだが、ちょっと進んでみたけれど、ササの大ヤブコギで一般ハイカーが歩くのは不可能に思えた。山頂に引き返してふと足元を見ると、ササの中に朽ち果てた木板が立っていた。 「この先(佐武流山方面)危険!」 と読めた。 2000年に秋山郷側から登山道がつけられたとのことだが…、う〜ん、もしも日本200名山の完登をめざすなら、佐武流山は大ネックになるぞ〜。
 などとうなっている場合ではなかった。日も短くなり始めている今日この頃のこととて、急がねばならぬ。ぐるっと山岳展望のおさらいをしてから、午後2時15分、佐知子と目を合わせて、「それじゃ〜!」 と気合を入れて踵を返す。
 下山後の名湯(尻焼温泉)と冷えたビールを心に描いて、ひたすら来た道を下る。わき目もふらないから早い早い。野反湖畔の駐車場に下山したのは薄暗くなり始めた午後5時15分だった。下り(復路)のコースタイムは3時間5分だが、2回の休憩を含めても丁度3時間で歩いてしまったことになる。軟弱で根性無しの私達だってやるときはやるのだ!
 携帯電話の電波の通じるところを探して、予約の温泉旅館に到着が遅くなる旨を伝える。それからようやくほっとして、「素晴らしい稜線散歩の山だったね」 と言葉を交わす私達だった。

白砂山・花の写真集: 大きな写真でご覧ください。


尻焼温泉「関晴館別館」 尻焼温泉「関晴館別館」: 野反湖の南・群馬県吾妻郡六合(くに)村は有名な四万温泉や川原湯温泉や草津温泉に囲まれた位置にあり、村内には凡そ6ヶ所の温泉地(赤岩温泉、応徳温泉、湯ノ平温泉、京塚温泉、花敷温泉、尻焼温泉)がある。温泉好きな私達夫婦にとってはまさに温泉天国の地だ。
 今回私達が宿泊に利用したのは尻焼温泉の「関晴館(せきせいかん)別館」。 泉質はカルシウム・ナトリウム−硫酸塩・塩化物温泉。なめらかな感じのする湯で殆ど無色透明、無味無臭。なんといってもスゴいのはその湯量で、川原沿いの露天風呂にも内湯にも常に滾々と湯があふれている。摂氏56度と源泉が熱すぎて“水割り”で調整しているらしい。夕餉は部屋食で、地元の野菜類をたっぷりと使った料理はどれもこれもとても美味しかった。日本秘湯を守る会会員。1泊2食付一人10,650円だった。
 宿の裏手から数分歩くと、入浴風景の写真などでおなじみの河原の湯がある。長笹沢川の川底から湧き出る源泉をせき止めて広い川原の全部が湯船、という有名な処だ。 無料で混浴とのことだが、今回の私達は時間に追われて入浴する機会を逸してしまった。いつかまた同地を訪れたときには必ず浸かってみようと思った。川床より湧き出る温泉でお尻が焼けるように熱かった、というのが地名の謂れらしい。
* この後、「関晴館別館」は経営者が変わったようで、「星ヶ岡山荘」として2017年4月にリニューアルオープンしています。[後日追記]



白砂山の稜線は展望のプロムナード
このときの白砂山はガスの中
白砂山へ向かう(往路)
下山開始! です
堂岩山へ向かう(復路)



*** コラム ***
六合(くに)村の手作りパン屋さん

 白砂山登山の翌日(8月26日)は、野反湖の西側に並んで聳える山々(三壁山、高沢山、エビ山など)を歩く予定だったので、7時半からの朝食後にいそいそと宿を発った。
 この尻焼温泉のすぐ隣りに花敷温泉があるが、その広場前に「花敷ベーカリー」という、かなりローカルな感じのする村の便利屋(なんでも売っている小さなお店)があったので立ち寄ってみた。びっくりした。ちょうどパンが焼けたばかりのようで、ご高齢な店のおばさんがそれをガラスケースに並べていたのだ。
 「ここで焼いているのですか。すごいなぁ〜。で、どんなパンがあるのですか?」 と聞いたら 「なんでもある!」 と無愛想な返事。
 「じゃ〜、メロンパンをください」 と云ったら 「そんなもんはない!」 と云う。
 「それじゃ〜、アンパンとジャムパンをください」 と云ったら、まだあったかいのを袋に詰めてくれた。1個110円だった。帰宅後にインターネット検索して分かったのだが、毎朝大量のパンを焼くこの“村のパン屋さん”はけっこう人気があるらしい。
 幸先よく中食用の食料が調達できたので、ウキウキと車を走らせたのだが…、徐々に霧が深くなってきた。野反湖畔へ出るころには視界10メートルくらいになってしまって、もはやこれまで、と思った。天気予報もあまり良くないし、妻の佐知子と相談して、断腸の思いで予定の登山を中止したのだ。
 時間が余ってしまったので、帰路には榛名山ドライブなどをして回り道した。マツムシソウやユウスゲが咲き乱れる草原(ゆうすげの道)を散歩したりして、これはこれでけっこう楽しかった。ちょっと涼しい榛名湖畔のベンチで、六合村の手作りパン屋さんで買ってきた例の菓子パンを食べることにした。
アンパンのような・・・ まずアンパンを半分ずつ食べて、次のジャムパンも半分に割って食べようとして驚いた。ジャムパンだと思っていたのはなんとカレーパンだったのだ。どうやら食パンのほかに14種類あるという菓子パンは、すべて中身だけが異なる、というものであったらしい。店のおばさんですら間違うくらい、実際、外見は良く似ている。ケラケラと、思わず笑ってしまった私達夫婦だったが、その揚げていないアンパンのようなカレーパンもとても美味しかった。


このページのトップへ↑
No.262「十二湖散策」へNo.264「雲取山から妙法ヶ岳」へ



ホームへ
ホームへ

ゆっくりと歩きましょう!