No.267 南高尾山稜(里山探検コース) 平成21年(2009年)11月18日 |
||||
→ 地理院地図(電子国土Web)の該当ページ(中沢山)へ ミシュラン三つ星の高尾山、及びその周辺の山域を中心に活動されている森林保護員(*)で、森林インストラクター仲間でもある加藤岑夫さんと宮入芳雄さんに、南高尾のとっておきの(マニアックな)コースを案内していただいた。「昭和40年(1965年)に完成した城山ダム工事の際に造られたダム湖周辺道路の現状も観察できる」とのことだった。現在問題になっているダム公共事業における付帯工事といわれるものの現状…、つまり40年以上ほっぽっておかれるとアスファルト道はどうなるのか、それを見るのも楽しみだった。 しかし、歩いてみて分かったことは、この里山探検コースは急峻な山道あり、穏やかな里道ありと変化に富んでいて、しかも展望にも恵まれた、ハイキングの楽しさを凝縮した素晴らしいトレイルでもあったということだ。 ウイークデーにもかかわらず、京王線の終点駅・高尾山口の駅前広場は大勢のハイカーたちでごった返している。今朝方まで降り続いた雨がすっかり上がり、青空が広がっている。里山の紅葉も見ごろに入っているのだ。午前中1本の、いつもその出発が定時(10時14分)より10分程度遅れる相模湖行きの神奈中バスは、矢張り今日も10分遅れて出発した。私と同じような物好きなメンバーもいて、加藤さん、宮入さん以下総勢8名の“里山探検隊”だ。 私たち8名が大垂水(おおだるみ)峠の少し手前でバスから降りると、そのバスは閑散となる。歩き始めたのは10時40分頃。道標に従って「関東ふれあいの道(湖のみち)」へ入り、南高尾山稜に取り付く。道筋の随所には境界標があるが、宮入さんの説明によると、数字が書いてある方が国有林で、「山」と書いてある方が民有林とのことだった。それにしても、高尾山の喧騒がウソのような静かさだ。 大洞山536m、コンピラ山515mと快調に進み、中沢山492mで小休止。ここからがいわゆるマニアックな山道で、南高尾山稜から尾根を南へ外れて神奈川県側(津久井湖側)へ下ることになる。山好きな個人が設置したという頼りなさそうな手作りの道標があるが、一般のハイカーにとってはこれが分岐の唯一の目印かもしれない。なんか、わくわくする。 この道は(JR関係の)鉄塔などを管理するための保安道とのことで、スギ・ヒノキの人工林にコナラやシデ類などの雑木林(天然林)が交ざる、典型的な里山のロケーションだ。急坂で歩きづらいが、そこそこに整備されている。ヤブコギも覚悟していたので、とりあえずホッとする。 30分ほども下って、鉄パイプ作りのちょっと危ない階段を降りた処が相模川北岸の…つまりダム湖周辺の…(旧)舗装道だった。振り返ると、下ってきたその保安道の右脇に落差7〜8メートルほどの立派な滝が暗渠に流れ落ちている。「幻の名滝だ!」と加藤さんは言っている。いい感じの小広い空間だったので、ここで昼食の中休止となった。 廃道となった“(旧)舗装道”を東へ進む。昭和30年代に造られたこの道は、本来は「県道515号線」になるはずだったらしい。土砂で塞がった箇所や大きな落石が転がっている箇所などが随所にあり、なだらかな登山道といった感じだ。舗装道も40年以上ほっぽっておくと殆ど山道になってしまう。自然の(遷移の)力は恐ろしいものだと思った。古いガードレールとカーブミラーがその面影を微かに残している。右側(南面)の所々が開けていて、細長い津久井湖(相模川)を隔てて津久井城山や丹沢連山や石老山などが近くにすっきりと見えている。 道筋の林下にテイカカズラ(常緑のツル植物:キョウチクトウ科)が繁茂していて、その長細い果実がたわわに実っている。この中にタンポポの綿毛をふた回りも大きくしたようなふわふわの種が入っているのだ。持ち帰ってCDの透明なケースに入れておくと、その実から弾けたたくさんの美しい綿毛を見ることができるよ、と加藤さんに教えていただいた。手の届く位置に実るのは稀なことなので、メンバーたちは我先にそれ(テイカカズラの実)を採ってザックに入れていた。サルの群れにも出遭ったが、これも南高尾の山域ではめずらしいとのことだった。 車止めのバリケード(鉄柵)をすり抜けると、閑静な名手(なで)の集落へ出て、ここからはちゃんとしたアスファルトの道になった。左手の山腹にはお寺の屋根が見えていて、なんとも云えずのどかな山里の風景だ。行き止まりの道だから、走っている自動車が少ないのがいい。フユイチゴの赤い実やムクノキの黒紫色に熟した実などを口に入れながら、楽しく歩いた。トンビが天空を舞っている。 三井(みい)の集落辺りからは下界の臭いが益々強くなるが、その先で「関東ふれあいの道(峰の薬師へのみち)」へ合流して、再び“いい感じの道”になる。ここからは標高差約240mを登り返すことになる。中腹にある「峰の薬師」では津久井湖の景色と都心や横浜方面の展望も楽しんだりした。境内の片隅には「姿三四郎の決闘の場」の記念碑がある。架空の世界(富田常雄の小説)とはいえ、ここは三四郎と桧垣鉄心が決闘した有名な舞台なので、少年のころを思い出した私はわくわくした。 それにしてもこの「峰の薬師」のお堂は、この先の奥ノ院もそうだったが、なんとも貫禄のない民家風の建物で、写真を撮るのも可哀想なくらいだった。寺号を大覚山東慶寺と云い、武相(武蔵・相模)四大薬師の一つにも数えられる古刹とのことだが…。 落ちていたクスサン(ヤママユガ科)の網目状の繭を拾ったりしながら更に少し登り、大きな電波塔を3つ通り過ぎると三沢峠へ出る。ここからは再び「湖のみち」を進み、北側の林道を下る。この梅ノ木平へ下る沢筋の林道(梅の木平林道)は、昨夏の大雨災害(ゲリラ豪雨)で閉鎖されていたのだが、ようやく補修(応急手当)が済んで、何とか歩けるようになったのだ。以前と比べると流路も随分と変わってしまったようだ。じつはその大雨災害の直後、一般ハイカーはもちろん歩行禁止になっていたのだが、宮入さんの案内でこの林道を歩いた思い出がある。倒木や土砂でズタズタになった林道を視察して、自然の猛威を実感したものだった。 「梅の木平」のバス停へ下山したのは日が落ちる直前の午後4時半頃だった。高尾山口駅まではこの国道20号線(甲州街道)を歩いても20分ほどなのだが、幸運にも午後に1本のバスが間もなく到着して、私たちは車中の人になった。 思わぬ裏コースに満足した、さわやかな秋の一日だった。森林保護員の加藤さんと宮入さんに感謝感激だ。 * 国有林の森林保護員制度(グリーン・サポートスタッフ): 地球温暖化防止における森林吸収対策のために平成18年度から発足した制度。林野庁関東森林管理局東京神奈川森林管理署(う〜ん、なんて長いネーミングだ…)では、高尾山周辺国有林において、森林保護員が一年を通して活動を行っている。具体的な活動は、年間250万人とも言われる高尾山のハイカーなどのマナー向上に対する普及・啓蒙活動、コース案内、危険木の処理、歩道等の点検や危険箇所の応急補修等々、その業務は広範に亘っている。→ 東京神奈川森林管理署が平成20年3月に発行した「高尾山森林保護員の四季」から要約。 * 南高尾山稜縦走については 当サイトの該当項「南高尾山稜」 を参照してみてください。 * 梅の木平林道などの現況については関東森林管理局東京神奈川森林管理署のHPを参考にしてください。 * この後、中沢山から名手へ下る保安道は通行禁止となった模様です。ご注意ください。つまり“自己責任”ということです。 (^_^;) [後日追記]
名手付近からの展望 (左から津久井町・丹沢・石老山方面) このページのトップへ↑ ホームへ |