「私達の山旅日記」ホームへ

No.293 多峯主山から天覧山
平成23年(2011年)12月4日 快晴

多峯主山・略図
日本三大美祭及び日本三大曳山祭の一つです
秩父夜祭のひとこま
石塔の前には花が活けられてありました
多峯主山の山頂にて

案外と狭い面積です
鞍部の「谷地」

展望の素晴らしい山頂です
天覧山の山頂にて

下山路で撮影しました
オオモミジの紅葉


楽しい仲間と楽しく過ごした奥武蔵の半日コース

西武池袋線・高麗駅〜多峯主山271m〜天覧山197m〜能仁寺〜飯能駅 【歩行時間: 2時間10分】
 → 地理院地図(電子国土Web)の該当ページへ


 森林インストラクター仲間やその友達などと「秩父夜祭」見物に出掛けた。例年12月2日が宵宮で3日が大祭とのことだが、今年は3日が土曜日に当たったので、つまり人だらけの大混雑だった。…と、本題の山行記録にまったく関係ないのでここは端折って、先を急ごう。
 さて、不自然な状況(秩父夜祭のこと)を楽しく観光し、横瀬町の民宿に泊まった翌日、まっすぐに帰るのももったいないのでちょっと歩いてみようか、と話し合って途中下車したのが西武池袋線の高麗(こま)駅だった。関東平野に隣接する奥武蔵の入口(出口?)で、北側の巾着田はヒガンバナの群生で有名だが、今回のターゲットは南側の多峯主山(とうのすやま・271m)と天覧山(てんらんざん・197m)。家族向きのハイキングコースだ。

 午前10時15分頃、赤い将軍標(*)がたつ高麗駅前から住宅街の大通りを南進する。30分ほども歩くと突き当たり、右へ曲がった処が多峯主山の登山口だった。歩きやすい山道で、散歩の老人たちとすれ違ったりするが、リックザックを背負っている私たちはちょっと浮いている感じ。う〜ん、やっぱり典型的な里山歩きかも…、とこのとき予感した。
 * 将軍標: 朝鮮・韓国の村落に見られる境界標。日本でいえば道祖神のこと。
 足元のヤブコウジが赤い実をつけている。(ミヤマ?)フユイチゴも赤い実をつけていたので、2〜3粒口に含んでみた。ほんのりとした甘みで、大人の味だった。ヤブムラサキも所々未だきれいな紫色の実をつけている。コアジサイの黄葉も鮮やかだ。この里山は今、晩秋と初冬が同居しているようだ。
 しかし…、あっという間に明るく開けた多峯主山の山頂へ着いてしまった。
 多峯主山の山頂には三等三角点の標石と“石に経文を書いて土の中に埋めた”という経塚がある。石塔には明和2年(1765年)の刻があるなど、昔は信仰の山だったことが偲ばれる。東側には広大な関東平野が俯瞰でき、遙か彼方の新宿ビル群の左奥には浅草のスカイツリーも見えている。近くの奥武蔵の山々は勿論のこと、南面には奥多摩の山々もくっきりと見えている。
 常磐御前(源義朝の愛妾・源義経の母)にまつわる「見返り坂」を下って、鞍部の谷地を通過する。埼玉県の解説板によると、ここに自生しているササはアズマザサの仲間でハンノウザサ(飯能笹)というそうだ。植物学者の故・牧野富太郎博士が発見・命名したとのことで、茎(稈)の色がこげ茶色になっているなど、普通のササとは若干違う特色があるようだ。この一帯の自然を守っているNPOなどの市民団体があると聞くが、エールを送りたい。
 天覧山の山頂はコンクリート造りの展望台になっていて、多峰主山の山頂に負けず劣らずよい眺めだ。丹沢と奥多摩の山々の狭間には白銀の富士山も頭を覗かせている。設置してある展望図と首っ引きで至福の山座同定。天気のよい日でほんとうによかった。
 少し下って十六羅漢像などを見物。なお進むと岩場があって、そこからひょっこりと若い男女のクライマーが顔を出した。一瞬びっくりしたけれど、この岩はロッククライミングのゲレンデにもなっているようで、これは“案外”だった。
 本コースはそのほとんどがヒノキなどの植林地帯だが、所々に雑木林(天然林)も交ざっているのが嬉しい。まだ充分に色付いているオオモミジやコナラ、クヌギなどを愛でながらゆっくりと下る。一株のゴンズイ(ミツバウツギ科)が赤い果皮から覗く黒い種子をつけて自己主張していたが、それも愉快な光景だった。林床の一部はミヤコザサだ。ソメイヨシノやヤマツツジが植えられている区間もあるので、それらの花の季節には賑わうと思う。
 古刹・能仁寺の門前を通過して、アスファルトを約30分歩き、飯能駅へ着いたのは午後1時を少し過ぎていた。駅の近くで遅い昼食を摂って、それから三々五々、徐に家路につく。楽しい仲間と楽しく過ごした半日だった。
 安・近・短の里山歩きにせよ重装備の本格登山にせよ、さわやかなアウトドアで週末を過ごすと、少なくとも次の週くらいまではとても仕合わせな気分が続く。私にとっての山歩きというのは、月に数回は摂取せずにはいられない麻薬のようなものかも知れない…。

* 多峯主山(とうのすやま)の山名について: 山頂の案内板には “文字どおりこのあたりの山ではひときわ高く…” と書かれてありましたが、やはりそんなところが山名の由来でしょうか。「日本山岳ルーツ大辞典」によると、山頂または山の平坦地などに砂地の多い山、周囲の山々の中で中心の山、という説もあるとのことです。

* 天覧山の山名について: 現地の解説板などによると、明治16年4月、この地に近衛諸兵対抗演習が行われるにあたって明治天皇がお登りになったので「天覧山」と呼ばれるようになったそうです。それ以前は羅漢山と呼ばれていたようで、五代将軍徳川綱吉が大病を患った時に、生母である桂昌院が、快癒祈願がなったお礼に十六体の石仏(羅漢像)を寄進したことに由来しているとのことです。なお、それ以前は山頂に愛宕権現を置いていたので愛宕山と呼ばれていたそうです。山名も時代とともに変わるものなのですね…。



中央左奥に白銀の富士山・・・見えるかなぁ?
天覧山からの大展望(南西方面)

このページのトップへ↑
No.292「帳付山」へNo.294「甲州高尾山」へ



ホームへ
ホームへ
ゆっくりと歩きましょう!