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No.330 岩櫃山(いわびつやま・803m)
平成27年(2015年)1月9日 晴れ

郷原の里から岩櫃山を望む
岩櫃山・略図
前方に岩櫃山の岩峰が・・・
登山口へ向かう

岩穴を利用した弥生時代の墓
鷹ノ巣遺跡にて

所々の凍結に苦戦
山頂へのクサリ場

1点360度の大展望!
岩櫃山の山頂

七合目付近にて
ツガの巨木(下山路にて)

戦国ロマンが漂う・・・
岩櫃城本丸跡
岩櫃城温泉・くつろぎの館(後日撮影)
くつろぎの館:後日撮影
みそおでん(¥320)がGood!

戦国ロマン漂う上州の鋭峰
大人のフィールドアスレチック・・・。 山旅の汗を土産としよう!

JR吾妻線・郷原駅~密岩通り登山口~尾根鞍部~天狗の懸け橋~鷹ノ巣遺跡~岩櫃山~六合目・天狗の蹴上げ岩~岩櫃城本丸跡~原町平沢登山口~群馬原町駅 【歩行時間: 3時間20分】
 → 地理院地図(電子国土Web)の該当ページへ


  JR高崎駅から吾妻線で65分、郷原駅から歩き始めたのは午前8時40分頃だった。 進行方向(北面)には特異な山容の岩櫃山が大きく聳えている。 “米の御櫃(おひつ)をひっくり返したような形状”とのことだが、思ったよりもずっと険しそうな岩峰だ。 閑静な里の道を進むにつれて、その岩櫃山が益々近くなってくる。 「あんな絶壁を登れるのかしら」 と妻の佐知子も不安げだ。
  「赤岩通り」へ続く古谷T字路を左折して、その少し先の分岐を「密岩通り登山口→」の道標に従って右折する。
  山道へ入ると暫くはスギ林の急登が続く。 やがて最初のクサリ場が出てくるが、スタンスとホールドはしっかりしているので特に問題はなさそうだ。 所々のアイスバーンが…アイゼンの必要はない程度だが…ちょっと気にかかる。
  案外あっけなく稜線の鞍部へ出て、ここで中休止。 落ち葉などで大雑把に同定をすると、辺りはコナラ、シデ類、クヌギ、イヌブナ、ハリギリ、ケヤキ、ハウチワカエデ、モミ、などの自然林(雑木林)で、なんか、とてもいい感じだ。 いよいよこれからが、クサリやハシゴ(急峻な岩場)が連続するこの山の核心部だ。
  「天狗の懸け橋」と呼ばれるホールドのない平均台のようなリッジの手前で、緊急夫婦会議となった。 二言三言激論を交わした結果、それぞれがそれぞれの道を進むことになった。 つまり、佐知子は(安全な)迂回路を進み、私が天狗の懸け橋を渡ることになったのだ。 …しかし、このミニナイフリッジは幅が50cm程度あり、長さは約2mと短いので、それほどの恐怖は感じなかった。 リッジの手前から右下を覗くと、迂回路を進んでいる佐知子の姿が足元のすぐ下に見えたので、声を掛け合ったりしてけっこう楽しかった。 このすぐ先で迂回路は合流する。
  凝灰岩とか安山岩などであるらしいが、この岩稜の狭間にはアカマツ、リョウブ、ネジキなどが目立っている。 山稜には矢張り山稜の樹木が育っている、という自然の律儀さが面白い。 低く疎に生えるそれらの木々の隙間からは、抜けるような青空を背景に白銀の浅間山や麓の集落などが見え隠れしている。
  天狗の懸け橋から暫く進むと鷹ノ巣遺跡(岩櫃山遺跡)の案内板があったので、道を少し外して見学する。 “岩陰を利用した古代の墓地”とのことだが、鎌倉の「やぐら」を彷彿とさせるような佇まいだった。 …それにしても、次から次へといろいろな“見どころ”が出てくるものだ、と感心する。 時間がどんどん過ぎていく…。
  穴岩をくぐったりクサリ場を登ったり、それから南面が開けた展望箇所を通過する。 そして左側の岩塔をクサリとハシゴで登り切ると、そこが岩櫃山の狭くてファンタジックな山頂だった。 展望はもちろん遮るもののない1点360度。 麓の街並みを隔てて浅間、白根、谷川岳、小野子、榛名、妙義など、上信越の山々がぐるっと一望できる。 特に、北西方向の吾嬬山(かづまやま・1182m)と薬師岳974mが近くて大きい。 山頂標識のある高さ150cmほどの岩上には4等三角点802.60mの丸い金属板(金属柱?)が埋め込まれてあったが、これは珍しいと思った。
  午前11時、40分間ほど滞在した静かな山頂を辞して、九合目~八合目と、合目石を横目で睨みながら沢通りを東へ下る。 この下山路でも、切り立った岩と岩の間を通り抜けたり、クサリ場も出てくるが、もう慣れっこになっている。 …しかし気は抜けない。
  ツガの巨木が林立する箇所を抜けると七合目で、さらにハシゴを下ると六合目の「天狗の蹴上げ岩」を通過する。 この先には、もう危険箇所はないはずだ。 「赤岩通りの分岐」付近でおにぎりとゆで卵の昼食を摂る。 岩櫃山は距離は短いけれど楽しいテクニカルコースだね、大人のフィールドアスレチックかも、などと会話も弾む。
  赤岩通りの分岐からは尾根通りを進む。 高度が下がってきてスギ林になり、道が広くなだらかになってきて間もなく、吾妻町観光協会の説明板や東屋などのある岩櫃城本丸跡を通過する。 岩櫃城は南北朝時代からの山城で、麓を流れる吾妻川が堀となり、山頂周辺の岩稜が城壁を成すという。 戦国時代の斎藤氏、武田氏、そして真田氏との関係も深いらしい。 …戦国ロマンが漂う。
  なんか緊張感がゆるんで、アスファルトへ出てホッとしたのも束の間、前を歩いていた佐知子が凍結した残雪に足を滑らせて派手に転倒した。 尾てい骨をしこたま打ったらしく、暫くの間 「う~イタぃ~う~」 と唸っていたが、そのうち起き上がってよたよたと歩き始めた。 後日談だが…ウンが悪かったのか良かったのか…大事には至らなかった。 (相変わらずの)トカゲのしっぽのような回復力には脱帽だが、油断は大敵だ。
  下山地の原町には「岩櫃城温泉・くつろぎの館」があるのだが…、所々のアイスバーンに手こずったり、大休止や小休止をたくさんとったり、アスファルトでの佐知子の転倒などで…、予定の下山時間を大きくオーバーしてしまった。 で、後ろ髪を引かれながら、立ち寄り入浴は断念することにした。 …手締めをしない宴会のような…。
  群馬原町駅についたのは午後1時頃だった。

  帰路、高崎駅で次の上り新幹線を待つ間、名物の「だるま弁当」をこの日の夕食用に購入した。 帰宅してからの夕げ、留守番をしていた父が 「懐かしくて美味しい」 と残さずに食べてくれた。


  佐知子の歌日記より
 幾度か鎖や梯子を頼りにし 岩櫃山の頂上に立つ
 白銀に浅間の峰は輝けり 君は何枚写真を撮るの
 山里の凍れる道に腰をうち 帽子を夫に拾ってもらう
 今回も風呂には寄らず帰宅する 山旅の汗を土産としよう


岩櫃山登山の写真集 大きな写真でご覧ください。
外部サイトへリンク 「岩櫃ふれあいの郷・くつろぎの館」のホームページ



岩櫃山の山頂からの展望
白銀の浅間山
南西方向に浅間山(左は浅間隠山)
吾嬬(かづま)山1182mと薬師岳975m
吾嬬山と薬師岳が近くて大きい!


再び岩櫃山・・・

 平成28年5月14日(晴れ): しっかりと準備して、慎重にゆっくりと、山の仲間たちと(同コースで)岩櫃山に登りましたが、大変なことになってしまいました。
  「天狗の懸橋」などの危険な岩場は難なく通過して、間もなく山頂に到着という、山頂直下南側の展望箇所を過ぎた処(少し下った処)で、バランスを崩したさんが、立入禁止と書かれた標識テープ(*)を突き破ってそのまま転落しました。 あの垂直に切り立った岩壁です…。 さんは総勢14名のパーティーの後ろから3人目を歩いており、その前後のメンバーたちがそのときの様子を見ていました。
  谷底へ向かってさんの名を大声で呼んだり、110番通報して救助ヘリを要請したり、救助隊の道案内をしたり、ヘリに合図を送ったり、そのときの状況を(消防や警察に)説明したり…、メンバーが手分けして活動にあたりましたが…、最悪の結果となりました。 100メートルほど滑落した(この場合、墜落という言葉が適切かもしれません) さんは頭などを強く打っており、約2時間後には搬送された病院で死亡が確認されました。
  “不運”としか云いようのない悲しい事故で、哀惜の念に堪えません。 さんのご遺族のお悲しみはいかばかりかと拝察し、お慰めの言葉もありません。 朗らかで明るい性格だったさんのご冥福をお祈りするばかりです。
* 標識テープ: 「立入禁止」と書かれた、工事現場などでよくつかわれるポリエチレン製の(幅7cmほどの)黄色いテープです。
観音山の不動滝
 平成28年7月7日(晴れ): これからは「山」に対してどう向き合っていこうか…と考え悩み、5月14日の帰宅後はずっとぼ~っとしている毎日でした。 しかし…、やっぱり私には山歩きをあきらめることはできそうもありません。 思い切って、単独で岩櫃山に登ってきました。
  「密岩通り登山道」はあの翌日(5月15日)から閉鎖されていますので、「赤岩通り登山道」を上りに使いました。 山頂直下のあの場所(滑落現場)の周辺は立入禁止と書かれた例の標識テープが張り巡らされており、物々しい雰囲気でした。 ・・・用意してきた花束をそっと供えました。
  この日の下山道では観音山の不動滝に立ち寄って、瀧峩山不動堂に向かって長いこと合掌したり…しました。 それから「岩櫃ふれあいの郷・くつろぎの館」へ立ち寄って山の汗を流しました…。
 * 密岩通り登山道はこの年の10月21日には通行止めが解除されたようです。(後日追記)

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